本人の知らぬ間に、貞操の危機
「これにはどのような効能が?」
あまり薬品の類いを好まないルイが嫌悪感を隠して問うと、グレンは恐縮したように教えてくれた。
「潜在力を引き出す効能があるとか。才能さえあれば魔力を得る可能性があるし、元々魔力を持つ姫様のような方に対しては、さらに魔力を高める効き目があるらしいのです。……以下は陛下のお言葉ですが、『本来、おまえのような身分の者に、そのような新薬の服用を頼むのは心苦しいが、なにぶん魔法使いが払底しているので、申し訳ないが、少しでも予の力になってほしい。大いにアテにしている』と、そう仰っていました」
「……そうですか」
俯いたままでルイは答えたが、我ながら自分の声は冴えなかった。
グレンはわざと気を遣って、兄上の言葉を丁寧に言い直したのは間違いない。本来、兄である国王アランは、ルイに対して常にぞんざいな口の利き方をしており、今のように丁寧な口調で話したことは、一度もないのだ。
考えている途中で、どこかでベコンっと音がして、全員の視線が公園の中をさまよった。
しかし、一番素早く首を巡らせたグレンが、「ああ、清掃用具を入れる金属小屋が、弾みで鳴ったようですね」とあっさり言った。
「驚かせますな、全く」
一番驚いていたアルベルト少佐が、忌々しそうに太鼓腹を揺する。
少しでも早く帰宅したくて、ルイは素早く話を戻した。
「新薬の件についてはわかりましたが……侵攻実験で死者が出ないというのは、まことでしょうね?」
「少なくとも、我々が自衛手段以外の理由で、この世界の人間を殺すことはありませぬ」
太鼓腹のアルベルトが、力強く保証した。
「そうですか……わかりました」
ルイとしては、そう言うしかない。
詳しい内容を尋ねたところで、どうせ教えてはくれないだろうから。
「では、今日はこれで」
さっさと帰ろうとしたルイに、グレンが不思議なことを述べた。
「あ、その新薬ですが、できれば帰宅してすぐに飲み干すのは、おやめ頂きたい。せめて、二十時間は時間をおいてからお願いします」
「……それはまた、どうして?」
ルイではなく、アルベルトが目を瞬いた。
「さあ? 私にもわかりません。精製に協力した魔法使いが、そう申していたので。追加の薬品も、そのうち届けましょう」
「わかりました、グレンの言う通りにします」
「お願いばかりで恐縮ですが」
「なにぶん、お願い申し上げる」
深々とお辞儀するグレンとアルベルトに、ルイは素っ気なく頷き、「では、他に用がないようでしたら」というセリフを最後に、踵を返した。
この際、アルベルトのねばい視線から遠ざかれるのなら、なんでもいい気分だったのだ。
ルイ王女が公園を出て遠ざかって行くのを確認してから、アルベルトがようやく本性を見せた。つまり、下卑た声でグレンにこう訊いたのだ。
「あの薬が寿命を縮めるというのは、本当でしょうな、グレン殿? 確かに効果はあれど、使い続ければそのうち寝たきりになり、下手をすると死に至ると聞き及びますが」
「……本当ですよ」
我ながら渋い声で、グレンは頷いてやった。
自分も善人に遠いとは思うが、この太ったおっさんは、毒がありすぎる。特に、ひとりぼっちの王女にひどく執着しているのが、最悪だ。
あの王女様にとっては、とんだ駄目押しの悪運だが。
なにしろ、地位を失って王室から放り出されるどころか、さらに臣下の褒美として使われるのだ。
「しかし、寝たきりになってしまえば、アルベルト殿のご要望からも遠くなるのでは?」
「なぜかな?」
アルベルトは汚い歯を剥き出しにして、ニッと笑った。
「陛下は、『妾腹の妹が役立たずとなれば、おまえに丸ごとくれてやる』と確かにわしにそう仰った。寝たきりならプライドの高い王女もろくな抵抗もできまいし、こちらとしても助かるというものだ。どうせ最後は死んで頂くのだから、都合もよいしな」
「……あのお方は、まだ十二歳ですぜ? 月のものだって、来てるかどうか怪しいんですが」
如才ないグレンにしては珍しく、隠しようもない嫌悪感が声に出ていたはずだ。
だが、この極悪少佐は嫌な意味で筋金入りだった。
つまり、空気を読まず、人の感情を推し量ることもできない大馬鹿、という意味だ。
「ははは、グレン殿は、遠回しに希望を伝えるのが上手いですな。わかっております、その時がくれば、今後のよしみでグレン殿にも抱かせて差し上げよう……たぐいまれな美貌を持つ、あの少女をな」
「いやー、有り難いことですが、俺はもう少し年上で、おっぱいもでっかい子が好みなんで」
「なにを言うやら。ルイ王女は、年の割にはほどよく膨らんで――」
「いや、もっとでっかい人ですって」
グレンがおざなりに答えた途端、どこかでまた物音がした。
うおっと樽みたいな少佐が驚き声を上げたので、「ご心配なく、またさっきの小屋ですよ。今宵は風が強いですからな」と適当にごまかしておいてやる。
……どんな者にも希望が必要だ。
この先ずっと、絶望だけが待つ人生なんて、誰であろうと許されていいはずがない。
その意味では、今の物音こそが、あの王女の唯一の希望かもしれない。
まあ、盗み聞き中にドジこいて音を立てるなど、あまり希望の光になりそうにもないが。