一時帰還
「そ、そんなっ」
「助けてくれっ」
「もうそこまでぎゃああああああっ」
ついに感染者達に追いつかれ、彼らはまとめて飛びかかられた。
なぜかミレーヌ本人だけは、そいつらも全員避けていくのが不思議である。それどころか、改良型の感染者すら、ミレーヌをきっちり避けていた。
「くぁあああっ」
のしのしと近寄った、巨眼を剥き出した改良型の化け物が、喚きながら感染者達を押しのけて、一人の腕を掴んだ。そのまま、豪快に引きちぎってしまう。
「ぎゃあああっ」
鮮血を撒き散らしてのたうち回る兵士を見るミレーヌに、同情する気配は全くない。
二重の呪いに蝕まれた彼女の心は、既に壊れ始めているからだ。
「あらぁ……まだ感染者に粘膜接触で仲間にされた方が幸せだったねぇえええ。おにーさん、かわいそー」
口元に手をやって一応、言葉だけは同情していたが、白目まで赤く染まった瞳には、ぎらぎらした喜びのみがあった。
ヴァランタイン家の地下フロアに残っていたグレンは、「敵情を探るためにも、アレクシア王家の別の拠点に顔を出してみたい」などと主張したので、貴樹はわざわざ飛行して近くまで運んでやった。
本当はロザリーがあからさまに疑ったように、「こいつ、適当なことぶっこいて、その実、任務に復帰するだけじゃないのかっ」と思わないでもないが、瑠衣に対する恩義もあるので、言う通りにしてやったのである。
彼の言う別な拠点とは、どこかのギャラリーの地下らしかったが、問題の建物の屋上にグレンを下ろした時、貴樹は宣言したものである。
「瑠衣に免じて、今回だけは信じておくよ。でも、ロザリーの疑い通りにあっさり裏切ったら、今度は俺も庇わないことにする」
言われたグレンは、半ばその言葉を予想していたように、粋な仕草で肩をすくめた。
「まあ、立場上、俺が簡単に信じてもらえないのはわかる。そこで、『俺もそう捨てたもんじゃないぜ?』ということを証明するために、少年にはこれを渡しておこう……昨日、メモっておいた」
「だから俺は貴樹だと――」
言いかけ、貴樹はそこに書かれてある複数の住所に眉をひそめた。
「なんだよ、これ」
「俺が知る限りの、都内にある王国の拠点さ! まあ、後はだいたい地下施設が多いけどなっ」
既にグレンは貴樹から離れ、下へ降りる屋根付きの階段室へと歩き始めていた。まだこの建物は一階のシャッターが破られていないので、まあ地下まで大丈夫だろう……多分だが。
「あ、そうだ」
階段へ通じるドアを開けたところで、グレンがふと振り向く。
「ロザリー様へのゴマすりのためにも、教えておこう。俺にとっても信じ難いことなんだが……あの豪勢なお嬢様当主は、おまえが振り向いてくれるのを、もう随分前から辛抱強く待ってるみたいだぜ? おまえさえその気なら、いつでもウェルカムってわけだ。――じゃあな!」
わけのわからないことを言って、グレンは建物内に姿を消した。
「だから、ロザリーと俺の関係は、友好献血関係の発展型だっつーの」
非モテの時代が人生の大半を占めている貴樹は、あいにくグレンの言葉を一蹴して、そのまま屋上の床を蹴って空へ戻った。
残念ながら、ヴァランタイン家の地上部分は、既に感染者が大勢入り込んで荒らし回っている。
秘密の入り口から元の地下フロアに戻った貴樹は、すぐさまロザリーに呼ばれてしまった。
「どうかした?」
娯楽室に入ると、ロザリーが「お帰りなさい」と声をかけ、自分の隣に貴樹を座らせた。
「実はその……問題が起きたの」
真紅のドレスのロザリーは、どこか悔しそうな口調で切り出す。
「問題? 都心にまで広がった感染者以外に、まだ問題が?」
いささか身構えて尋ねると、しばらく無言を貫き、一分ほども経ってからようやく教えてくれた。
「いつ例の狂気の妹が戻るかわからない時になんだけど……わたしの元の世界でも、ついにアレクシア王家が動いたの」
「……どういうこと?」
元の世界ということは、おそらくロザリーの本国で何かあったのだろう。
緊張して尋ねると、ロザリーは長々と息を吐いた。
「アラン国王が、うちの本国へ向けて軍を進発させたそうよ……さっき、ミラーマジックで連絡が入ったわ」
「……ロザリーの故郷」
「そう」
小さく頷いた後、ロザリーはそっと貴樹の手を握った。




