呪いはミレーヌを支配する
しかし、ミレーヌ自身は彼らの訴えなど無視して、目を閉じて動かずにいたかと思うと……しばらくして唐突に笑い始めた。
「うふふふ……あははは……あーっはっはは! 感じる、感じるわっ。あいつ、死んだのね、ここで。最後に自分自身を呪いと化して! いい気味よ、はっ」
唖然として彼らが見守る中、ミレーヌは弾けんばかりの喜びに溢れていた。
元々、勝手に兄を名乗っていたラザールを好きだったことなど、一度もない。自分を犯すために心を縛ろうと試みるような男を、誰が好きになるものかと思う。
一緒にいたのも、復讐の機会を窺うために過ぎない。
ただ一つの慰めは、とっさに自らにかけた呪いのお陰で、性欲が絡んだ接触の類いは、全て腐れ死ぬ結果を相手にもたらすということ。
お陰であの男は、ついに指一本自分に触れられないまま、死んでしまった。
「なーにが、『我が最愛の妹よ』だかっ。毎日耳タコだったけど、これでようやく聞かずに済むわ。せいせいしちゃったわね! あーーーっはっはっ」
哄笑しつつ……しかしミレーヌは、自分にかけられたラザールの呪いが今もなお己の心を縛っていることに、まるで気付いていない。
ラザールが彼女にかけた呪いは「私の意志に沿い、最後まで役目を果たせ」というものだが、それは術者本人が死んだ今に至るも、まだミレーヌの心を縛っている。
復讐の機会を窺うために、あえてあいつのそばにいた――とミレーヌ本人は信じているが、もちろん、そばにいることが、そもそもラザールの意志だったからだ。
唯一、ラザールの誤算だったのは、ミレーヌに一切触れることが出来なくなったという部分のみ。
ミレーヌは今この瞬間も、自らの意志で、呪術による侵攻などという忌まわしい作戦に関わっていると信じている。
しかしもちろん、真実はラザールの残留呪術がミレーヌを支配し、突き動かしているに過ぎない。
そして、ある意味ではラザール以上に呪術と魔法の才能に恵まれた彼女は、当然ながら彼のやり残したことを引き継ぎ、彼以上に上手くやり遂げるつもりでいた。
「おまえ達、命令通り、あの薬は持ってきたわよね?」
「も、持ってきましたが」
一人の兵士が、恐る恐る黒いケースを差し出す。
「今、ここで飲用されるので? 場所を変えた方がよくないですかっ」
「そ、そうですそうですっ。もういつ感染者がここを襲うかわかりません」
「わっ。ほ、本当に来ました!」
最後の一人が叫んだように、グラウンドにいる彼らをようやく見つけ、感染者達が入り込んできた。むしろ、かなり長く気付かれずに保った方だろう。
いずれは勘付かれて当然なのだ……もうこの近辺に、外をうろついているようなまともな人間はいないのだから。
「男のくせにガタガタ震えてないで、いいから寄越しなよっ」
ミレーヌのみが全然気にせず、ケースを引ったくり、中身の小瓶を取り出す。
ケースはそこらに捨て、躊躇なく瓶の中身を飲み始めた。
「やーねぇ。相変わらずまっずい薬ね、これっ。もう少しなんとかならなかったのかしらね。味をつけるくらい、簡単でしょうに。ミレーヌ、ストロベリー味がいいなっ」
まずいまずいと文句を付けつつ、結局彼女は二本とも飲み干してしまった。
「み、ミレーヌ様、早くエアシップにっ」
「そうです、今逃げないと、もう間に合いませんっ。なぜか気分悪くなってきましたしっ」
少し先に停泊中の流線型のエアシップの方を見つつ、彼らは口々に叫ぶ。
早くアレに飛び乗って逃げないと、追いつかれてしまうっ。
「うわっ、人数が増えていく上に、改良型まで来たっ」
一人が甲高い悲鳴を上げた。
「あぁ、根性ナシのラザールが死と引き替えに生み出したのがアレね……ぶっさいくな化け物だことー」
どすどす走ってくる、黒ずんだ肌と赤い巨眼をした坊主頭の巨体を見て、ミレーヌが顔をしかめる。
「醜いわぁ、いやだなあ、あんなのっ。あいつセンスないから、さいてー」
「そんなことを言ってる場合じゃ――くっ」
間近に迫る足音と涎を垂らしながら走ってくる感染者の集団を見て、ついに兵士達はミレーヌを置いて走り出そうとした。
偽りの忠誠心より、生存本能が勝った結果だが、あいにく三歩も走らないうちに躓いて転んでしまう……しかも、三名が三名とも仲良く同じタイミングで。
「な、なんでっ」
「おあいにく様だけど、あんたらはミレーヌの目を見た瞬間から、術中に嵌まっていたのよ。この道中、少しずつミレーヌが生命力を吸い取っていたの」
黒いビスチェが強調する双丘の下で腕を組み、嬉しそうに教えた。
「だからほら、もう満足に歩くこともできなくなっているでしょ? でもお陰でミレーヌはヤバい薬がぶ飲みしても元気でいられるってわけ。世の中、誰かの不幸が誰かの幸運に繋がってるわけねぇえええ」
つややかな唇を吊り上げ、ミレーヌはニイッと笑う。
「でもねでもねっ、最後まで逃げずにミレーヌを守ろうとしたら、ご褒美に助けてあげようと思ったけど、はい残念でした。全員不合格でーーーーーーーっす!」
ピッと、細長い綺麗な中指を突き立てて見せた。
「愛が足りないのよ、ぶっさいくなおにーさん達っ」




