邪悪な進化
「俺の場合は、あくまでロザリーが心配してくれたためで、今までから定期的に血を提供してた経緯があってこそだぞ! だいたい、半人前ヴァンパイアの俺が吸血して、おまえが従属化というか俺の従者になっちまったら、どうすんだよっ。わ、笑えないだろ!」
なぜかメイド姿の瑠衣が毎朝起こしに来てくれる光景が脳裏に浮かび、貴樹は後半でちょっとどもってしまった。
それはちょっと嬉しいな、みたいな。
「別にそれでも瑠衣に後悔はないですが」
呆れたことに、瑠衣は堂々と言い切った。
「でも、お兄様とロザリーさんが儀式を行った時には、そうはならなかったのでしょう? では、もしもその時のロザリーさんと今のお兄様に同じ条件だったら、瑠衣だって従属化しないと思いますわ」
「その条件って、どんな条件?」
そういえば、あの時のロザリーは、なぜあそこまで「貴樹なら従者にならない」と断言できたのか。他の誰を吸血しようと、絶対に従者化すると断言したくせに。
他人と、この草薙貴樹の違いはどこにあったんだ?
貴樹がふと思い出して首を傾げると、瑠衣は握った手をじれったそうに揺すった。
「ですからっ。その部分が、恥ずかしくて瑠衣の口からは説明できないのですっ。とにかく、伏してお願いします! 瑠衣を大事に思ってくださるのなら、ぜひっ。首筋に牙を突き立てて無慈悲に思いっきりどうぞっ」
「な、なにが無慈悲か! ていうか、女耐性薄い俺に迫るなっ」
今や至近に迫る、煌めく銀髪と空色の瞳に、貴樹は焦って言い募った。
ロザリーもそうだが、瑠衣も間近に来られるとなんともいえないよい香りがして、思わずなんでも言うこと聞いてしまいそうで困る。今、そんな場合ではないのに。
「だいたい、そんな簡単に人間やめるのはどうかと思うぞっ。ディオじゃあるまいし!」
自分を思いっきり棚に上げて、貴樹は説得を試みた。
「でもお兄様は、あの嫌なお薬を飲むために、決断してくださったのでしょう? 瑠衣も、少しでもお兄様に近付きたいのです。それに、ヴァンパイアのお兄様からすれば、おそらく瑠衣の血はそんなにまずくないはずです!」
自分の胸に手を当てて言い切った後で、いきなり自信が失せたように付け加える。
「で、伝承の通りなら、多分……ですけど」
「伝承って? いや、まずいとは全然思えないのは確かだけど」
「し、知りませんっ。それも恥ずかしいから、いちいち瑠衣に説明させないでくださいましっ」
赤い顔の瑠衣は、ついに貴樹に抱きつき、直接身体に腕を回して訴えてきた。
埒が明かないと思ったのか、それとも真っ赤な自分の顔を見られたくなかったのか、それはわからないが。
お陰で一気に焦った貴樹があわあわしていると、いきなりドアが開いて、ロザリーの声がした。
よりにもよって、最悪なタイミングだった。
「貴樹、悪いけど今テレビで――」
いいかけ、その場でびしっと固まってしまう。
貴樹がぎぎぃっと振り向くと、拳をぷるぷろと震わせ、まなじりを吊り上げたロザリーとまともに目が合った。
「なにを抱き合ってんのよぉーーーーーーーっ」
「いや、待て! これは違うんだっ」
我ながら説得力ないなと貴樹は思ったが、当然ながら全然信じてもらえなかったようである。
いきなり不可視の力で部屋中のものが宙に浮き、まとめてこっちへ飛んできた。
ロザリーの誤解を解くのにかなり苦労したが、それでも十分後には、貴樹は瑠衣を伴ってまた応接室に戻っていた。
ロザリーの話によると、新事実が出てきたらしい。
テレビの電源は既に入っていて、スタジオで見知らぬアナウンサーが喚いていた。
『現在、小宮町近辺で発生したと見られる原因不明の集団異常行動は、既に東は中央線の中野駅まで影響範囲が拡大しています。繰り返しになりますが、このニュースをご覧の皆様は、画面下部に表示されている数カ所の施設まで、急いで退避してください。屋内も安全とは限りません! 窓を破って入ってきますのでっ。それから、これも繰り返しになりますが、暴れ回っている異常行動中の市民の中に、明らかに人間とは思えない生物が散見されています。監視カメラが捉えた映像が、こちらですっ。衝撃的な映像ですので、お子様の視聴には配慮をお願いします!』
画面が切り替わり、どこかの市街地が見えた。
かなり解像度のよいカメラらしく、割とはっきりと道路と歩道の両方が見える。とそこに、いきなり画面の端から黒い「何か」が姿を現し、立ち止まってカメラを見上げた。
「――げっ」
貴樹は思わず声を上げてしまった。
なんだ……こいつは。
一応、人型はしている……しているが……眉毛すらない巨眼二つは真っ赤に見開かれているし、口は耳元まで避けていて、鋭い牙が見える。
着ている服はサイズが合わないようで、びりびりに破れていた。
おまけに片手には、既に死体と化している男性の首を掴んで、引きずっていた。
そいつは、あきらかにカメラを意識していてこちらを見つめていた。そして……死体を掴んだまま、大口を開けてニヤッと笑った。
「もしかすると、元は例の感染者だったのが、変身してこうなった――とか?」
貴樹は、目を逸らしそうになるのを堪えて呟いた。
「それが正解っぽいな。邪悪な方向へ進化した感染者がいるらしい」
グレンが顔をしかめて頷いた。
「となると、あの陰険な導師の捨てゼリフは、嘘じゃなかったことになる」
貴樹を含めて、返事をする者はいなかった。
瑠衣はショックを受けて震えていたし、ロザリーは腕組みしてテレビ画面を睨んでいる。
画面は既にスタジオに戻り、脳天気なゲストの「識者」とやらが「既にゾンビ現象なんて言われ始めています」などと他人事のように語っていた。
しかし……貴樹達の間には重苦しい沈黙が広がっていた。




