立場が微妙な王女
――夜になり、ルイはそっとベッドから抜け出し、支度を調えた。
家を出る前に貴樹の部屋を覗いたが、とうに寝付いたとみえ、こちらに背中を向けた身体から、安らかな寝息が聞こえる。
すっかり安心して、ルイは部屋のドアを閉めた。
(ごゆっくりお休みなさいまし、お兄様……いえ、貴樹様。早くお風邪が治りますように)
心からの願いを込めて、ドアの前で低頭する。
それから音もなく階段を下り、家から出た。
深夜、十二歳の女の子が出歩くのは、さすがに平和なこの国にあっても、目立つ行為である。
だが幸い、目的地は同じ町内にある児童公園なので、さほど問題とはならなかった。
それでも神経が過敏になっているのか、一度ならず尾行されている気がして、ルイは素早く振り向いている。
しかし、別に誰もついていきている様子はない。
(気にしすぎだわ)
ルイは歩きながら眉根を寄せた。
(いい加減に身の程を知りなさい、ルイ・アシュフォード・ド・アレクシア……貴女はアレクシア王国における、後継者から遠い余り物の王女に過ぎないのよ)
ついでに「側室の娘ですものね」と呟きかけて、さすがにやめた。
それは、亡き母に対する侮辱のように思えたから。
……住宅地の外れにある児童公園は、桜の木が柵の内側に沿うように林立し、公共のトイレの他は、幾つかの遊具だけが設置された場所である。
目当てのG……つまり連絡員のグレンは既に来ていて、桜の木にもたれてルイを待っていた。ただし、今日はグレン以外にも見知らぬ男が一人立っている。
「これは姫様、お久しゅうございます」
グレンがまずは低頭し、傍らのでっぷりした男を示した。
「こちらは本国の陸軍少佐、アルベルト殿ですよ。彼もまた、日本という国をよく知るために、数日前からこの地に渡ってきております」
「任務とはいえ、ご苦労様なことです」
完璧な社交辞令で、ルイはアルベルトに頷いた。
相手もまた、今気付いたような顔で深々と腰を折る。
「いえいえ、崇高な御身分にもかかわらず、重要な役目に就く姫様には、私も感服しております。どうぞお見知りおきを、姫様」
ルイには嫌みにしか聞こえないセリフだった。
なにが崇高な身分のものかと思う。
「……はい」
初めて会う男だが、正直、その目つきは不快だった。グレンと違い、まるで絡みつくようにねっとりした視線で、ルイの身体をじろじろ見るからだ。
貴樹もたまにルイをこっそり見ることがあるが、あの人の見方はだいぶ遠慮深いから救いがあるが、この男にそんなものはまるでなかった。
王族を見るというよりは、あたかも自分の所有物を見るような視線で、耐えがたい悪寒がした。彼からすれば、娘も同然の年頃だと思うのに、ブラウスの胸やスカートのあたりをやけにねちねちと見る。自分の気にしすぎかもしれないが。
「……ところでグレン、今日お二人でルイを呼び出した理由は?」
「ああ、アルベルト殿は姫様に一度ご挨拶がしたいとのことですので、任務とは直接の関係はありません。ご足労頂いて恐縮ですが、今日の用件は二つあります。一つ、侵攻実験の日にちが決まりました」
「い、いつでしょう」
ある意味では予想通りなのに、ルイの声は少し震えていたかもしれません。
「想像以上に早かったですね」
「まあ、姫様を始め、進んで浸透実験に就いてくださった方々の報告が、おおむね良好なので。ならば案ずるには及ばないだろうという、陛下の思し召しです」
「そうですか……兄上の。して、それはいつです?」
「日本における日付でいいますと、六月一日の十時からとなりましょう。その日は姫様にもご協力を仰ぐことになりましょう。迎えを送るので、どうかあの家でお待ち頂きますように。実験場所については、その時にお知らせします故」
「わかりました、心しておきます」
今更どうにもならないので、ルイは素直に頷いた。
「それともう一つ……姫様は我が王国内でもぐんと数が減った、希少な魔法使いであらせられます。そこで、陛下からの思し召しで、この新薬をどうぞ」
グレンはスーツの内ポケットから黒いケースを取り出し、ルイに手渡した。
「……開けても?」
「もちろんでございます」
返事を聞いてから、ルイはケースの蓋を開けてみる。中には、小さな瓶の容器が二本入っていた。どちらも透明な液体で満たされているようだ。




