殺してやるっ
貴樹が、グレンが教えてくれた廃校へ向かうことを決めたのは、「確かに妹が知れば、そこへ向かいそうだ」と思ったからだ。
ただ、ヨハン氏の車でのんびり走って行くのは、間に合わないような予感がした。
なぜなら、問題の廃校にこの状況を作った術者がいたとすれば、さっさと逃げたいだろうからだ。いつまでもそんな場所でのんびりしているわけがない。
「――だから、飛んで行くっ」
車内で大見得を切ってヨハンに車を止めさせた直後、貴樹は思い出したように続けた。
「ええと……本当に俺が飛べるのなら」
「だから、今の貴樹なら大丈夫だとわたしが」
言いかけたロザリーは、しかし途中でなにかを思いついたかのように口元に手をやった。
「どうした?」
「いえっ。おほん……まあ、とにかく降りましょう」
わざとらしく咳払いなどし、貴樹を促して一緒に車を降りた。
「そうねぇ、やはりいきなり貴樹が飛ぶのは難しいかもしれない」
なぜか、いきなり前言を翻すロザリーである。
「だって初心者のうちは、飛ぶと言われてもピンとこないでしょう? だからそう……このわたしが抱えて飛んであげるわ」
「え……いや、それは有り難いけど」
貴樹はロザリーの豪華ドレスの胸元に目をやり、口ごもる。
「さ、さすがにいろいろとまずくないか?」
「なによ、わたしと飛ぶのが嫌なの!?」
アルプスの天候みたいに、あっという間にロザリーの機嫌が悪化した。
幸い、決着は助手席から出たグレンがつけてくれた。
「迷っているこの間にも、刻一刻とチャンスが失われているかもな、少年」
思わずグレンを見て、貴樹は息を吸い込む。
このロン毛にーちゃんの言う通りである。チャンスくらいならまだしも、瑠衣の危機に間に合わないようなことがあれば、生涯悔やむだろう。
「ロザリー、悪いけど頼むっ」
もう恥ずかしいのなんのは置いて、貴樹は自らロザリーの腰に手を回した。
ウエストの細さと腰の曲線に一気に体温が上がったが、なんでもない振りをした。
「あらあらっ」
ロザリーは嬉しそうに笑う。
「ふふ……任せなさいな。その調子で、抱き締めるようにしっかり掴まってね」
「邪魔ものの俺らは、後から追いつきますぜ~」
グレンが手を振ったが、ロザリー完全に無視してふんわりと空に浮き上がった。
「おぉおお」
さすがにこれは初めての経験なので、貴樹はさらにロザリーにきつくしがみついた。情けないと言われようが、落ちるよりマシである。
「安心して。落ちないように、わたしが後ろから抱き締めてあげるから」
空中で器用に体勢を入れ替え、言葉通りロザリーが貴樹の背後からそっと抱き締めてくれた。
次の瞬間、いきなりビシュッと貴樹の耳に風の音が響く。
下界を見れば、既に恐ろしいスピードで自分達が飛行しているのがわかった。
「す、凄い……翼もないのに」
「出そうと思えば出せるわよ、翼」
こともなげにロザリーが言う。
「でも、問題の廃校はわたしも知ってるし、あそこまではそう時間はかからないから……残念なことに、ね」
何が残念なのか謎だが、ロザリーがさらに貴樹を抱き締める腕に力を入れ、今や背中の感触が半端なかった。
「わたしも協力するから、術者がいても無理をしちゃ駄目よ?」
「わ、わかった。わかったから、耳元で囁くのはやめてくれ~」
腰砕けになるから!
あえて重要な部分は口にせず、貴樹はガチガチに緊張して大人しく抱かれていた。それはもう、いろんな意味で全身が固まる気がした。
とはいえ、目は前方に固定して、廃校の場所を探し求めている。
想像以上にぐんぐんグラウンド跡地が迫るのを見て、貴樹は早速、瑠衣を探した。
「瑠衣がいた! けど……なんで倒れて」
セーラー服姿の瑠衣が横倒しになっているのを見て冷や汗をかいたが、次の瞬間、貴樹は目の前が真っ赤に染まった気がした。
なぜなら、最初は気付かなかった痩身の男が、倒れた瑠衣に近付いて無造作に蹴り飛ばしたからだ。
「――っ!」
「貴樹っ」
自分がその時、何を口走ったのか、後から考えてもどうしても思い出せなかった。
気付いた時には、貴樹はロザリーから離れて一人で飛んでいた。特になにも教えられずとも、自然と超速で飛行してのけたのだ。
ロザリーの心配そうな声はもちろん、自分が飛んでいることさえ、頭の中になかった。
「瑠衣から離れろ、ちくしょうっ」
まだ声が届くわけないのに、怒りに任せて叫び、ロングレンジのまま風の魔法――いや、さらに危険な斬り裂く魔法を繰り出した。意識しないうちに、自然と発動させていた。
これは、風力をごく狭い範囲に集中させ、見えない刃のように対象物を切り刻んでしまう魔法で、男は危ういところで避けたようだが、代わりに大地が大きく抉れた。
よく見ると、倒れた瑠衣の口元は吐瀉物で汚れていて、貴樹は怒りに我を忘れた。
「おまえ、殺してやるっ」
さらに速度を上げて飛びつつ、本気で叫んでいた。




