風の音
攻撃魔法を放ちつつ、次の魔法の詠唱を始めようとしたのだが、しかし途中で瑠衣は驚いて足を止めてしまう。
「――っ! ま、まさかっ」
男が瑠衣の魔法発動と同時にぱっと振り向き、しかも振り向きざまに三人の兵士をまとめて両腕で引き寄せ、自分の盾にしたからだ。
あらかじめ予定していた行動のごとく、一瞬の遅延もなかった。
兵士達はそもそも何が起こったかもわからなかったらしく、雷光の直撃をまともに浴びて、悲鳴を上げて倒れた。
「やれやれ、似合わぬことをするとこうなるという、見本のようなものですな」
男は首を振り、俯せでひくひく痙攣する兵士の身体を軽く蹴る。
「それに、こいつらは全員、まだ辛うじて生きておりますぞ。どうやら殿下は、心の中で私を殺すことをためらったと見える。まっ、実はその方が戦略的には賢い選択なのですが」
わけのわからない言い方をされたが、瑠衣としてはそれどころではない。
兵士達にも多少は影響があったかもしれないが、本来はこの男を直撃するはずだったのだ。
ショックで固まっている瑠衣に、男はいきなり掌を広げてまっすぐに突き出した。
「殺し合いの最中によそ見ですかな?」
「ああっ」
さすがに寸前で気付いてシールドを展開しようとしたが、向こうの攻撃の方が遥かに速かった。不可視の衝撃波をまともに食らい、瑠衣は一度宙に浮いた後、グラウンドに叩きつけられてしまう。
「はははっ。まだ名乗っていなかったので、一応、名乗っておきましょうか!」
「うっ」
痛みを堪えて起き上がろうとしたところを、駆け寄ってきた男に腹を蹴飛ばされ、瑠衣はまた他愛なく倒れた。
鳩尾にまともに食らったせいで、たちまち耐えがたい痛みと吐き気が襲ってきた。
「私の名はラザールと申しますっ。暗黒呪術が専門の導師ですが、ねっ」
最後の「ねっ」と声に出すと同時に、今度は倒れた瑠衣の背中を蹴飛ばす。悲鳴を堪えていた瑠衣も、あまりの痛みに小さく悲鳴を上げてしまった。
それが気に入ったのか、ラザールとやらは瑠衣の脇に立ち、足で何度も何度も蹴り始めた。
「いやあっ」
「はははっ。あなたの悲鳴は心地よい! もう少しいい声で鳴いて頂きましょうかっ」
容赦ないやり方で蹴りまくるラザールに、瑠衣は恐怖を覚えた。
殺すつもりならとうに殺しているだろうから、純粋に痛めつけるのが目的らしい。
顔だけは蹴らないが、後はもうお腹と言わず背中と言わず、目に付くところは片端から蹴飛ばしていく。
ついに瑠衣が悲鳴も上げられなくなり、本当に軽く吐いてしまうと、ようやく攻撃が止んだ。
身体を丸めたまま動かなくなった瑠衣を見下ろし、ニヤニヤ笑う。
「妾腹の子とはいえ、王家の血筋が醜態を晒しましたな。まあ、かつて同じようにいたぶった女のほとんどは、吐くだけじゃなく失禁しておりましたけどな。それを思えば、殿下は見上げたものですよ。許しを請うこともしないのですから」
脇腹に足を乗せ、力を入れてぐりぐりとか細い身体を動かす。
「私の命を狙ったお礼は、今後時間をかけてたっぷりしましょう。さすがに犯すにしては年端がいかないので、ひとまず我が駒にして、貴女の存在そのものを汚して差し上げよう。人間を殺す道具の一つに使うのも面白いですかな……そして、時々正気に戻して貴女がどう思うか訊くとしますか……ふふふ」
残酷なラザールの言葉は、幸か不幸か瑠衣の耳にはほとんど届いていなかった。
今にも意識を失う寸前だったからだ。
「つまらん! もう青息吐息とは……華奢すぎていたぶる楽しみがないですな。しょうがない、ではしばらく寝ててください」
最後に、ラザールは上機嫌で瑠衣の腹に容赦ない蹴りを入れようとしたが、そこでいきなり寒気がして、ぱっとその場から飛び退いた。
別に何が起こるか悟ったわけではないが、ふいに悪寒がして、そうせざるを得なかったのである。
しかし、そこから飛び退いて正解だった。
なぜなら、倒れた瑠衣の直上――つまり、今の今までラザールが立っていた場所で、大きく大気が揺らぐのが見えた。
明らかに見えないなにかが通過するような、微かな風切り音が耳をつく。
次の瞬間、大音響がして、瑠衣のすぐ近くで数メートルにわたってグラウンドが抉れた。あたかも、見えない恐竜の爪痕のように。
「な、なんだっ」
さすがに驚いて周囲を見渡すラザールの近くで、瑠衣は倒れたまま遠くの空を見ていた。
そこには、とんでもないスピードで飛行してくる人間の姿がある。
一人は明らかに見慣れた貴樹の姿で、瑠衣は驚くよりも先に喜びと不安で震えた。
もちろん、貴樹が来たのは瑠衣を助けるために決まっているが、ラザールと貴樹がやり合うことを思うと、心配せずにはいられない。
(お兄様……逃げ……て)




