十五分だけ待つ
「お兄様、お兄様っ、どこにいらっしゃるの!」
瑠衣はアリスに乗って街の上空を飛び回りつつ、貴樹を捜し求めている。
歩道沿いに飛行してどんどん見ていくが、車道にも歩道にも人や車が溢れていて、とてもではないが判別できるような状態ではなかった。
しかも、下界は阿鼻叫喚の有様である。
上空から見ているだけでも、呪術の感染が恐ろしいスピードで広がっていくのがわかる。そもそも、この世界には呪術などは存在しないらしいので、無理もないのだが。
「うわっ、超綺麗な女の子発見! 天使ですか君っ。ぜひとも純白パンツみたいっ」
「えっ――いやあっ」
声に驚いて見上げれば、いきなり中年が降ってきた!
壁面の横ぎりぎりを飛んでいたせいだろう、ショッピングセンターの屋上から中年男がダイブしてきて、瑠衣に手を伸ばしたのだ。
どう見ても数階分の高さがあるのにっ。
まさかそんな真似をするとは計算外で、危うく腕を掴まれるところである。身体を捻ったお陰で、男のごつい手は辛うじて空を切った。
向こうが声をかけなければ、まともにタックルされていたかもしれない。
「ちくしょう、見せたって減るもんじゃないだろうにぃいいいい」
わけのわからないことを叫びつつ、その男性は五階分を落下し、歩道に叩きつけられた……なのに、割とすぐに起き上がってしまい、さらに驚く始末である。
足は引きずっているが、元気に次の被害者を求めて駆け去った。
「こ、こんな有様では、もう術者本人を探して止めさせるしかありません」
『さすが殿下、聡いですなっ』
「だ、誰ですっ」
空中で話しかけられた瑠衣は、驚いて声を上げる。
『お馴染みのミラー魔法ですよ、殿下。私の声が聞こえた以上、スカートのポケットに、何か鏡の類いが入っているはずですが?』
念のため、さらに上昇してから、瑠衣はポケットをまさぐる。確かに、そこに小さなコンパクトを入れていた。
蓋を開けると、鏡に尖った顎の見知らぬ男が映っている。
褐色の肌に黄金色の瞳であり、瑠衣の知識を持ってしても、人種を特定できない。ただ、ミラー魔法を使うからには、瑠衣が元いた世界の人間だろう。
「貴方は誰っ」
『これは異な事を? 先程の呟きが聞こえましたが、むしろ私にご用があるのは、殿下の方では?』
「では貴方がっ。まさか、瑠衣を知っているのですか!」
『そちらはご存じあるまいが、一度、王宮で遠くからお姿を拝見したことがありますな。ただ、今回は偶然の出会いです。ミラー魔法で私の成果を点検していると、殿下が飛んでいるのが見えましたので、失礼を顧みずにお声をかけさせて頂きました』
ミラー魔法は、場所や相手を思い浮かべさせすれば、遠方からでも鏡を通じて見ることができる。どうや彼は、仕掛けた術の仕上がりを見るために、まだ安全な場所から街を観察していたらしい。
「あなたの術なら、すぐに解除してくださいっ」
瑠衣が叫ぶと、頬の痩けた男は、鏡の中で苦笑した。
『ここまで成果を出したのに、それを台無しにしろと言われましても――あ、危ないですぞ?』
「――っ!」
男の声に瑠衣がはっとして顔を上げると、また近くの高層ビルから、誰かが飛んでくるところだった。口を開けて、満面の笑みを浮かべた少年だった。
もちろん、別に瑠衣のように飛行できるわけではなく、飛んで行く瑠衣を見て、躊躇なく窓枠を蹴って飛び出したらしい。
目的のみが頭にある感染者だけに、自らの安全すら二の次なので、始末が悪い。慌てて避けたが、これもギリギリだった。
「お、おっしい! もうちょっとで届いて、あの子の唇にブッチュウッと――」
意味不明なことを言いかけたまま、少年はモロに車道に落ちた。
今度は十階以上の高さだったので、さすがに起き上がってこない。
「なんてことでしょうっ」
ぞっとした瑠衣は、さらに高度を上げ、少なくとも周囲全てを見下ろせる高度に達した。
飛行しているというのに、イチかバチかで窓から飛びかかってくる者がいるのでは、危なくておちおち街中を飛べない。
「今、貴方はどこにいるのですっ」
『ほほう? 私を止めたいのですかな?』
「当たり前ですっ」
『ふむ?』
瑠衣が大声で言うと、男は思案顔で首を傾げた。
『ま、いいでしょう。私も貴女に用ができました。場所をお教えしますから、どうぞおいで下さい。ただし、急いだ方がいいですぞ。本来なら私は、もう戻るところだったのです』
鏡の中で、男が陰険な笑みを見せる。
『目の前に帰還用の魔法陣もありますし、十五分以内にいらっしゃらなければ、申し訳ないが退散させて頂く』
勝手なことを告げた後、男は丁寧に場所を教えてくれた。
『――では、お待ちしております』
「あ、待って!」
瑠衣の呼びかけを無視して、男の姿は鏡から消えた。
だいたいの位置はわかるが、ここからはかなり遠い。十五分というと、全力で飛んで間に合うかどうかだろう。
「それでも……今は瑠衣がなんとかしなければっ」
心の中で貴樹の名を呼びつつ、瑠衣は全速力でその場を離れた。
(お兄様、瑠衣が止めるまで、どうかご無事でっ)




