セクハラ糾弾
女子高生に押し倒された貴樹は、首筋を噛まれそうになって焦っていた。
大口を開けた彼女が、しきりに口を開閉してカチカチと歯を鳴らし、隙あらば貴樹の唇を塞ごうとする。まん丸に見開いた目に異様な光を湛えていて、おまけに口から涎が幾筋も垂れていた。
「ねえ、キスしたいでしょ! したいよねっ。だってアンタ、全然モテそうにないし、絶対にしたいはずよっ。だからしよっ、ねえしよっ。キスキスキスキスっ」
「大きなお世話だ! は、放せっ。したいかしたくないかは置いて、おまえみたいなのはご免だっ」
女子にしてはクソ力であり、ヴァンパイアの筋力を得た貴樹が驚くほどである。
しかもタチが悪いことに、ゾンビのように考えナシに襲ってきているわけではないようだ。というのも、貴樹が胸に手を当てて力任せに押しのけようとすると、いきなり喚いたのである。
「ああっ。セクハラだぁあああああ、あたしのおっぱい揉んだぁああああ」
「いやこれは違うっ。ご、ご免っ」
確かに思いっきり掴んでいたのは事実なので、貴樹は慌ててぱっと手を放す。
途端に「隙ありぃいいいいっ」と嬉しそうに喚き、女の子の唇が一瞬で迫ってきた。
ちょうどこの時、スカイホテルの五階ではグレンが銃を撃ちまくり、結果として瑠衣が飛び出して――貴樹がいる駅の方角とは逆方向へ飛んで行ったのだが、周囲全てが似たような騒ぎの中にある上、あいにく貴樹はそちらを見るどころではない。
なにしろ、真っ赤に開いた唇がすぐそこにあるのだ。
「うわあっ、いくら女の子でも、これは嫌だっ。お助け!」
思わず声を上げたが、幸い、唇が触れる直前でぐいっとその子の身体が引き起こされた。
「なにやってんのよ、貴樹はっ」
怒ったような声でロザリーが言うと、後ろから女子高生の首根っこに容赦なく五指を埋め込み、力任せにぶら下げた。
「うう……ロザリーが天使に見える」
跳ね起きた貴樹は息切れして呟いた。
「なによ、放せっ。放しなさいよぉ、このビッチがあっ」
首根っこを掴まれて片手で吊り下げられたまま、女子高生が猛烈に暴れる。いちいちスカートがめくれ上がって派手な色の下着が見えるのだが、本人は全然気にしてないらしい。ひたすら暴れて、ロザリーや貴樹に噛みつくか、吸い付くかしようとしていた。
「誰がビッチよ、失礼な!」
むっとしたロザリーが、いきなりそのまま背後へ女の子を放り投げた。
「うわっ」
「きゃはははっ、アイキャンフライっ」
体勢の割には嘘のような遠投であり、哄笑する彼女は、ぐるぐる回りながら恐ろしいほど上空まで跳び、最終的に傾いた駅舎の屋根にボコッと首から落ちた。
「し、死んだんじゃないのかっ」
貴樹が心配したが、ロザリーは難しい顔で首を振った。
「いいえ、既にあの子は肉体はともかく、魂的には死んでるわ。というか、感染したこの連中、全員がね。後は、タイムリミットが来るまで、感染と殺戮を広げるだけ。これは呪術なのよ!」
「ろ、ロザリー!」
説明の途中、バスターミナル周辺に目をやった貴樹は、改めて青ざめた。
もはや、周辺の正常な人間は、全て連中に感染させられたらしい。全員が四方から貴樹達の方へ迫ってくるところだった。
少なく見ても、百名近くはいるだろう。
今や駅前で無事な人間は、貴樹とロザリーだけのようだ。
「感染広がるの、早すぎだろっ」
「君らも仲間になろうよっ」
「悩みが無くなってスカッとするわよ?」
「やることは一つだもんねぇええええ」
「おにいちゃん、抱っこしてぇ」
「改めてぇ、キスキスキスキスぅううううう」
「うわ、あの子、まだ生きてるしなっ」
最後に、妙な角度で首が傾いたさっきの女子高生が、貴樹を見てけらけら笑った。あの打撲で、まだ死んでないらしい。
駅舎の屋根から飛び降り、元気に走ってくる。
彼女の喚き声と共に、周囲の人垣が一斉にダッシュした。
「――っ! 貴樹、わたしのそばへっ」
「大丈夫、俺がなんとかする!」
ここへ来てようやく覚悟を決めた貴樹は、「風よっ」と一声叫び、得たばかりの能力を全開にした。
想像以上の威力だった。
貴樹が放った暴風はたちまち周囲の感染者全員を吹っ飛ばし、何十メートルも先まで吹き飛ばしてしまった。駅舎に飛び込む者もいれば、どこかのビルに叩きつけられる者もいて、さすがにすぐ復活するようなヤツは皆無である。
「凄いじゃない、貴樹!」
ロザリーが珍しく手放しで褒めてくれたその時、道路を挟んだ向こうで、スカイホテルに小型トラックが突っ込み、大音響がした。




