あたしとキスしたい?
貴樹が問い返す前に、セダンの横をでっかいダンプがとんでもないスピードで走り抜けていった。セダンのギリギリ横を掠めて。
実際には、少しバックミラーの先が当たって、バンッと意外なほど大きな音がした。
「おいおいっ」
呆れて見守る貴樹達の視線の先で、そのダンプはさっき走ってきた連中同様、強引に都道を突破しようとして、ものの見事に横から走ってきた車の土手っ腹に衝突した。
聴覚に集中していた貴樹が、思わず仰け反るような破壊音が響き渡った。
しかし、重量で勝るダンプは、衝突した車をノーズに当てたままバスターミナルに強引に突っ込み、あろうことかそこも突破して、駅舎に向かって爆走していく。
たまたま駅前にいた群衆がわっとばかりに散るのが見えたが、逃げ遅れた何名かはダンプに無残に跳ね飛ばされ、おもちゃの人形みたいに宙を舞った後、アスファルトに叩きつけられていた。
おそらく、とうに死んでいただろう。
「……冗談だろ? もちろん、偶然じゃないよな、こんなの」
「偶然じゃないわね」
ロザリーはきっぱりと断言した。
「だってあのダンプを運転していた男、大声で笑いながら運転していたもの」
「わざとかっ。しかし、どうやったらそんなことが」
「様子を見に行ってくる。貴樹は待ってて」
ロザリーは宣言し、素早く車から降りて走っていった。
「おいっ――」
危険だぞっと貴樹は思わず止めかけ、途中で手を下ろした。
ロザリーなら、仮にダンプが衝突したって、死ぬことはあるまい。
「そういや……俺もそうだよな」
それに、ここに座っているだけでは、どうにもならない。
「よしっ。俺も様子を見てきます!」
「お嬢様をよろしくお願いしますっ」
ドアを開けた途端、ヨハンにお願いされた。
既に、駅前を含めて、この辺り一帯は混乱を極めていた。
都道はあちこちで車がぶつかり、無闇にクラクションが鳴らされるせいで、うるさいことこの上ないし、歩道には走り回る人が大勢いた。
なぜ走っているか今一つ謎だったが、貴樹にもようやく理解できた。
というのも、背後で男の悲鳴がして、慌てて振り向いてみれば、そいつの背中に張り付いて押し倒したおばさんが、肩口辺りに噛みついていた。
「痛いっ。おい、やめろおっ」
当然、男は悲鳴を上げているが、構わず二度三度とあちこちに噛みついた後、おばさんは未練なくいきなり立ち上がった。
「おい、なにを――て、わっ」
「ああああああああっ」
意味不明な叫び声と共に、おばさんが両手を伸ばして止めようとした貴樹の方へダッシュしてくる。
その速さたるや、ヴァンパイアの体力を得た貴樹が、ぎょっとするほどだった。
「じょ、冗談っ」
本能的な恐怖で貴樹は思わず、自分もダッシュで逃げた。
特に加減しなかったため、あっという間にスピードが乗り、瞬く間に歩道を駆け抜け、その先の都道を一瞬で渡りきってしまう。
渡った直後に振り返ると、問題のおばさんは既に他の誰かに飛びかかって、同じく噛みついていた。
「ゾンビかよっ――いや、違うっ」
貴樹は顔をしかめて、おばさんの後ろを見た。
最初に噛まれていた男が、今や近付いてきた他の人に襲い掛かっていた。おばさんと同じく、噛みついている。どう考えても、あの男はまだ死ぬような傷ではなかったはずだ。
せいぜい、肩口を何度か噛まれただけである。
「となると、もしかして噛まれただけで同類になっちまう……とか?」
ま、まさかなと思ったところで――
「ねえっ、そこの子!」
いきなり近くから呼ぶ声がした。
「な、なんだっ」
飛び上がりそうになってそっちを見ると、混乱のバスターミナルの中を、まっすぐに貴樹を目指して歩いてくる子がいた。ブレザー姿の女子高生で、多分、遅れて通学途中だったのだろう。
貴樹より上の学年に見える。
そんな場合ではないのに、「なかなか可愛いな」と反射的に思ってしまった。
メイクもばっちりで、派手な印象を受ける。
「な、なんでしょうか」
いつもの苦手意識で思わずキョドると、彼女は唇を吊り上げ、ニタァと妙な笑い方をした。
「あたしとキスしたい?」
「……は?」
「だからぁ――」
言いかけた瞬間、女の子は絶叫した。
「あたしとキスしたいかって聞いてんのよぉおおおおおおおおっ」
はっとした貴樹は、今になってその子の首筋近くに噛まれた傷を見た。
「やばっ」
「あははははっ」
逃げるようとした瞬間、彼女が飛びかかってきて、貴樹を押し倒した。




