実験開始
貴樹とロザリーは、執事のヨハンが運転する車に同乗している。
ヨハン氏にはお疲れ様なことだが、もうかなり早い段階からずっと駅を中心にしてぐるぐる回っていた。
「今のところ、特に異状はないよなあ」
「あるとしたら、これからじゃないかしら」
貴樹の独白にロザリーが答え、そこで「あっ」と声に出した。
「ヨハン、ちょっと路肩で停まって」
「承知致しました」
彼女の指示通り、路肩に車が寄せられ、停止した。
「シャッターか」
「そう。下ろしたみたいね」
貴樹もすぐに気付いた。
ちょうど今、話題のスカイホテル前を何度目かに通りすぎるところだったのだが、先程通った時にはまだ下りてなかったシャッターが、今や全て閉まり切り、ホテルの入り口を塞いでいる。
完全に人の出入りが不可能になっていた。
しかも、思ったより頑丈そうな黒いシャッターだった。
「タイムスケジュール通りか」
貴樹は呟いた後、なんとなく窓越しに上を見上げた。
開始予定時刻の十時直前だし、今頃は瑠衣もこっそりここの五階で待機しているはずである。あのおっさん少佐にセクハラでもされていないか心配だが、あいにくここからでは内部を窺うことなど不可能である。
「そうだ、車を降りて少し離れて見れば――て、わっ」
車のドアを開けようとした瞬間、反対車線を灰色の大型バンが駅の方から走ってきて、ものすごい勢いで通過していった。勢い余って、貴樹はバンがこっちへ突っ込んでくるかと思ったほどだ。
さすがにそれはなかったが、次の信号がもう黄色になっているのに強引に渡り切り、そのまま角を曲がって消えてしまう。
無茶なスピードだったので、タイヤの鳴る音がここまで聞こえた。
「あ、あっぶねぇ……なんだよ、今のはバンは」
「貴樹、開始予定時刻を過ぎたわよ!」
「むっ」
一旦、車を降りるのを中断して、貴樹はささっと駅前を見渡す。
この車から少し先の、都道を渡り切った向こうが、駅舎のある場所である。
駅前はバスターミナルやタクシー乗り場がある広大なスペースになっているが、今のところいつもと変わらない朝の景色のままだ。
駅舎の端には、独立した建物の交番もちゃんとある。
ただし、外に立っている警官は、実に眠そうにしていて、緊迫感は微塵もない。特に何か問題が生じたようには見えない。
しばらく息を詰めるようにして二人できょろきょろしたが、目を皿のようにしても、何か変化が起きたようには見えなかった。
「……十時から、三分経過よ」
「別になにもないよなあ……本当にこの辺が震源地なのか」
「そんなすぐに何か起こるとも限らないでしょうけど……あっ」
「どうした!?」
貴樹は焦ってロザリーが見る方に目を向けたが、別になにも問題はない。
「いえ、たった今、バスターミナルのど真ん中をお尻に火がついたような勢いで、誰か走って行ったのよ。日常生活で、そんな勢いで走るかしら? と思うようなスピードで」
「ほほう? でも、今はもうどこか遠くへ」
走り去ったみたいだなと言いかけ、貴樹は顔をしかめた。
ほぼ同時に、ロザリーも眉間に縦皺を寄せていた。
「今、複数箇所で悲鳴が聞こえたよなっ」
「間違いなく、聞こえたわっ」
ロザリーが何度も頷く。
しかも、変化はそれだけではなかった。
いきなり、今度は車が停まっている左横……つまり、歩道を誰かが走って行った。しかも、人数は複数であり、その全員が何度も後ろを振り向きつつ、「狂ってる、あいつ狂ってるぞ!」などと喚いている。バスターミナルへ至る前方はT字路になっていて、別の都道が南北を走っているのだが、車の往来も多いのに、駆けてきた連中は全員がろくに速度も落とさないまま、道路を突っ切っていく。
お陰で、危なく誰かを轢きそうになった車が、腹いせにクラクションを何度も鳴らしていた。
「なにかおかしい……確実に、何かが」
「――貴樹っ」
身体ごと振り向いて車の後ろを見ていたロザリーが、いきなり声を上げた。
「どうしたっ」




