瑠衣を狙う連中
今日のお出かけは、どうも無事に済みそうもない。
貴樹は、瑠衣と二人でバス停に立った時点で、そう思い始めた。
ようやく、辛うじて普通に歩けるようになったと思えば、今度はこれである。というのも、今の貴樹にはヴァンパイアの能力が備わっている。
その能力が、嫌な会話を拾ってしまったのだ。
兄妹でバスを待つ間、貴樹が気まぐれに集中して耳を済ませたら、とんでもない会話が聞こえてきたという……。
『――男の方は無関係らしい。狙うのは少女の方よ(女の声)』
『了解した。しかし、本当に彼女がそうなのか?(話相手の男)』
『間違いないわ。こちらのスパイが情報を送って寄越した。あいつは王家の一員で、こっちへは侵攻のために遠征しているらしいの』
『スパイの言ってた浸透作戦だな。それと、一日にあるという、侵攻実験にも関与していると?』
『浸透作戦はその通りだ。侵攻実験については、詳しい内容を含めて、まだ情報が入ってこない。
六月一日という日付と、この街で始まるという情報のみだ。どうもこの実験は、アレクシア王家にとっての最重要機密らしい。だからこそ、あの女はチャンスを見つけてぜひ誘拐するの。詳しい情報を聞き出さないとならない』
『わかった! ちょうど、今なんかチャンスなんだが……いや、駄目だ。駅へ向かうバスが来た』
それを最後に足早に散る音がした。
「マジか!」
動揺を露わにするまいと思ったのに、それでも声は洩れた。
瑠衣が目を丸くして「どうなさいました?」と貴樹を見る。
「い、いや……なんだか太陽が眩しくてな」
半分本当のことを告げて、ごまかしておく。
実際、半ばヴァンパイア化したせいか、やたらと陽光が気になるのも事実である。別に害はないが、若干圧迫感を感じるのだ。
まあ今は、それどころではないが。
こっそり周囲を見渡したが、ここは都道で、周囲は建物が密集している。
声がするだいたいの場所はわかるが、どこに身を隠しているかまではわからない。
この際、腹でも痛くなった振りをして帰ろうとかと貴樹は思ったが、既にバスが走ってきたのを見て、そのまま駅前まで行くことにした。
家にいても、襲われる時は襲われるに決まっている。
頭が痛いのは、この連中が完全に誤解していることだろう。
瑠衣は、この謎の連中が思うほど、詳しい事情に通じているわけではないのだ。
会話を洩れ聞く限り、ほとんど連中と同じくらいの情報しか持ってない。なのに、拉致られた挙げ句にゴーモンでもされたら困るっ。
その刹那、貴樹の脳裏にある光景が浮かんだ。
下着姿に剥かれてロープで厳重に縛られた上、巨大な樽に満たされた水の中へと、逆さ吊りでぶっ込まれている妹の姿である。
別になにかの予兆ではなく、単なる貴樹の妄想だが。
……さすがに、そんな江戸時代みたいな拷問はないにしても、近いことはあるかもしれない。
バスの中で瑠衣に話しかけれても、貴樹はどうにも集中できず、上の空になってしまった。
妹は全然気付いていない様子だし、ここは貴樹がどうにかするしかない。
だいたい、こいつらはかなり下準備してきているらしい。
というのも、バスの後ろから、最初に感じた女の気配が遅れずについてくるのだ。車もちゃんと用意してあったようで、実に笑えない話だった。
こうなると、映画館はやめた方がいいかもしれない。
劇場の中で囲まれたら、逃げようがないからだ。
そこで貴樹は、駅前でバスを降りると同時に、そこのバス停にあった広告を見て、とっさに決断した。
「なあ、瑠衣。映画はまた今度にして、この……近くの博物館でやってる、秘宝展とかに行かないか? ローマ時代の遺跡から出たものが展示されてるらしい」
「楽しそうですわ」
瑠衣は貴樹を見返して、とろけるような微笑を見せた。
「お兄様が行きたいところなら、瑠衣にとってもよい場所に違いありません」
「そ、そうか……」
胸が熱くなってしまったが、浸っている場合ではないことも、貴樹にはよくわかっている。というか、妹の目を盗み、ロザリーにも応援を頼んだ方がいいかもしれない。
とりあえず今は――
「人通り多いから、はぐれないように手を握ろうな」
早口で声をかけ、問答無用で瑠衣の手を握る。
普段なら、決心するまでに三時間はかかったかもしれないが、状況柄、今は貴樹らしくもなく、さらりと握れた。
背後で「……あっ」と声がして、瑠衣が顔を赤らめていたのだが、もちろん貴樹は、それにすら気付いてない。
この後どうするかで、頭が一杯だったからだ。




