互いに補完する二人
これまでのような、定期的に提供される血をグラスで優雅に飲用するのとは違い、ロザリーにとっても本格的な吸血行為は初めてだったらしい。
そこらの無名のヴァンパイアは別だが、由緒正しい真祖の血を引くロザリーが無闇にガブガブやると、己の従者が無限増殖して、それこそ掛け値なしに世界の終末が見えてしまうからだ。
誓約のためとはいえ、初めて自分の牙ごしに吸血したロザリー曰く、「本格的な吸血行為は、耐えがたいほどの快感をもたらすとわかったわ」ということらしい。
だから、貴樹が失血死する前に彼女が我に返ってくれたのは、幸運だったということだろう。
ちなみに、儀式が終わった途端、二人揃って一気に恥ずかしさが込み上げ、争うように用意されたバスタオルを羽織り、それぞれダッシュでシャワーを浴びにいった……屋敷に浴室が複数あって、助かったというところだ。
なにしろ貴樹はもちろん、ロザリーも血まみれだったからだ。
しかも、彼女の場合は口元まで鮮血で彩られ、ホラー映画も真っ青の有様だった。
ようやく落ち着き、服を着替えた後、貴樹はそそくさとヴァランタイン家を辞した。さすがに今日は、もうロザリーと顔を合わせるのが恥ずかしい。
いろいろ見られてしまった気もする……一応、一番ヤバい部分は死守したと思うが。
そして――驚くべきことに。
目に見えるような変化はないかもしれないと思っていた貴樹だが、それは大外れだった。
変化は屋敷を出てものの数分で始まった。
まず、視覚と聴覚が異様なほど向上したらしい。
街中のいろんな物音が全方位から聞こえ、意識してカットすることを覚えるまで、「俺、死ぬまでこの騒ぎの中かっ。永遠に、脳内爆音上映かよっ」と戦慄したものである。
しかし、この003的な力は、いわばヴァンパイア独自の能力らしく、意識を逸らしてカットするコツを掴めば、後は別にどうということもなかった。
必要な時だけチャンネルを開けば、いつでも物音を聞き取れる……普段の数百倍の精度で。
そして、ほっとして歩みを再開した途端、貴樹は第二の変化に気付く。
「わっ。あ、足が……俺の足が壊れたっ」
ドイツ軍の行軍みたいに、歩こうとした途端に派手に膝が跳ね上がったのを感じ、貴樹はこれにも戸惑った。最初は言葉通り、「俺の足、どっかおかしくなったのか!?」とびびったが……踊るような奇妙な動作で歩くうち、ようやくわかった。
つまり、「なぜか、地球の重力が一気に弱くなっている!(貴樹比)」のだ。
実際には、貴樹の身体能力が一気に爆上げして振り切れた結果、脳からの指令――つまり、身体をコントロールする部分が追いつかず、以前のように普通に歩こうとしても、飛び跳ねるように歩いてしまうらしい。
屋敷を出る前にロザリーが「今宵から、貴樹にはヴァンパイアの能力が備わり、そしてわたしには人間の持つ抵抗力が備わった……お互いがお互いを補完したのよ」と教えてくれたが、彼女の言う通りだったわけだ。
なんとなく貴樹だけがボロ儲けの気もするが、そうでもないそうな。
ロザリーもまた、貴樹の影響を受けている。
普通の人間なら当然持つはずの抵抗力が備わった結果、ヴァンパイアとしての弱点がほぼ消えたも同然なんだと。
要するに、もはや大手を振って太陽の下に出られるようになっている――はずだとか。
「太陽光を克服したヴァンパイアか……今までだって人外モンスターの中じゃ最強クラスだって話なのに、今後はあいつ、鬼に金棒だよな」
……ひょっとして俺、とんでもないニュータイプ・ヴァンパイアの誕生に手を貸したのかも?
踊るような歩き方に苦労しつつ、貴樹はちょっと背筋が寒くなってしまった。ロザリーが自分の味方で、心の底から助かったと思う。
生来の弱点が消えたあの子に勝てるような存在が、この地球上にいるとは思えない。
「だけど……実のところ、それは俺も同じだよな」
貴樹は立ち止まって呟く。
誓約の儀式以前に、既に自分はあのクソッタレファッキンな薬品の力で、魔法の力を手に入れつつあった。さらに今、ロザリーの言葉を信じるなら、ヴァンパイアの能力をも得たはずだ。
「よし、ちょっと試してみるか」
奇天烈な歩き方をやめ、貴樹は力を押さえるより、むしろ全解放することを試してみる気になった。
「よぉし、この弱々しい重力の中で、とりあえず猛ダッシュ!」
言下に、貴樹の姿がその場から消えた。
耳元で風切り音がして、周囲の景色が恐ろしい勢いで流れていく。
紛れもなく人類最速ダッシュだと確信できるほどの、とんでもないスピードが出ていた。なにしろ、調子に乗って車道を走る車を追い越してしまったのだ。
それでいて、能力アップした視覚のお陰で、その気になれば全てを見分け、見落とすことがない。
脳内処理まで高速化されたのか、スピード感を感じつつも、ヘマしてどこかにぶつかるということもなかった。
「はははっ。もしかしてこれ、ジャンプ力も上がってるわけか!」
中二病的喜びに浸った貴樹は、人気の無い裏道を爆走しつつ、思い切ってその場で跳躍してみた。
「――ちょっ」
跳んだ、めちゃくちゃ高くまで跳んだっ。
かなり膝に力を入れたせいか、想定外の高さ――つまり、正面に建っていた郵便局の三階建てビルをあっさり飛び越え、その向こうに落下していく。
貴樹が下校時に使う都道が眼下にあり、歩道側に焦って着地した貴樹を見て、会社帰りのサラリーマンやらOLさんやらが飛び退いた。
「な、なんだっ!?」
「まさか、あそこから飛び降りたのっ」
「い、いえっ。誕生日が近いもので、ちょっと嬉しくてっ」
すいませんすいませんっと、ぽかんと口を開けた通行人達にペコペコ頭を下げ、貴樹は足早にそこを離れた。まだ歩き方がスキップするみたいに不自然なままだったが。
今後は、調子に乗らないようにした方がいいかもしれない……このパワーアップは、どう考えても目立ちすぎる。




