日記の盗み読み、継続の決心
「ただいま帰りました」
ドアを開ける音に続き、澄んだ声がした。
その時には、既に貴樹は速攻で日記を本棚の奥へ戻している。
次に、なるべく音をさせずに瑠衣の部屋のドアを閉めると、さりげなく階下へ降りた。
「おかえり~」
声の調子を変えずに、挨拶などする。
ちょうど、靴を脱いだ瑠衣が玄関から廊下へ上がるところで、貴樹を認めた瑠衣は輝くような微笑を広げた。
「はい、お兄様。お兄様は先に帰宅なさったのですね」
「まぁね、うん」
貴樹が頷くと、なぜか瑠衣が小首を傾げた。
腰まであるさらさらの髪が流れ、揃えた前髪の下で、切れ長の瞳がじっと貴樹を見つめる。真新しいセーラー服が恐ろしいまでに似合っている。
まだ中学生になったばかりなのに、相変わらず現実離れした美貌だった。
瑠衣を知らない人に「この子はアイドルなんで」と紹介しても、簡単に信じること請け合いである。というか、瑠衣曰く、下校時によくその手のスカウトから声をかけられるらしい。
もちろん、貴樹は「無理もないな」と思いつつも、瑠衣本人には「拉致監禁魔かもしれんから、名刺を受け取るくらいはともかく、間違ってもついていくな」と厳命してある。
「……どうかしまして?」
なぜか瑠衣に訊かれた。
「え、どうして? 俺、なんかおかしいか?」
内心でぎくっとしたが、それでも貴樹はトボけた。
「いえ……なんだか、緊張してらっしゃるみたいで」
「いやいや、ただ単に見とれてただけだ。瑠衣のセーラー服姿、似合うよ」
わざとらしく破顔して言ってやると、瑠衣ははにかんだように微笑し、貴樹を見つめ返した。
「ありがとうございます。お兄様のブレザーの制服も、素敵ですわ」
「お愛想、どうも。……ていうか、そろそろその他人行儀な話し方、やめにしない」
百七十三センチの自分と、数センチくらいしか身長の違わない瑠衣の頭を、貴樹はわざとらしく撫でてやる。瑠衣のさらさらの髪があまりにも手触りいいので、つい手が出て始めたことだが、最近では本人もさほど恥ずかしがらなくなり、むしろ気持よさそうにしている時もある……と思う。
今も瑠衣は、微笑んだまましばらく目を閉じていた。
「この話し方は癖なのですわ……どうぞ、お許しを」
吐息のような声が耳をくすぐる。
この他人行儀で丁寧な話し方も、元々自分が異世界人のためか……などと、貴樹は今やあの日記の内容を信じ始めている。
「まあ、そのうち改めてくれると期待している。兄妹なんだし」
貴樹があえてそう告げると、長いまつげが震え、憂うような瞳が露わになった。困ったような表情の妹が、貴樹をじっと見つめる。
「……そう、ですわね。本当にそのうち」
その悩ましい顔に思わず声が出そうになり、貴樹は慌てて瑠衣の頭から手を放す。
今までたまに見せるこの憂い顔……もしかして、こいつがたまに見せるアンニュイな面のせいかと思ってたけど、あの日記を読んだ後で見ると、全然感想が違ってくる。
「お兄様?」
感情の変化を読み取ったのか、瑠衣がまた首を傾げる。
「――いや、ほら」
だが、まさか日記について問いただすわけにもいかない。
やむなく貴樹は身を翻し、「俺も着替えるから」と答えるに留めた。
そのまま本当に階段を上り、自分の部屋へと直行する。
そうだ……日記のことは秘密にして、なるべく確かなことを調べていこう……密かにそう決心した。それはもちろん、今後も妹の日記を盗み見る、ということに他ならないのだが。
「だが、必要なことだよな」
部屋で乱暴に制服を脱ぎつつ、貴樹はこっそり独白した。
なにかの間違いだと思いたいところだが、あの日記が億千分の一にも真実だったとしたら……もはや自慢の妹は妹ではなく、単なる赤の他人ということになる。
しかも、あの日記内容からして、ここにいる理由もひどくきな臭いように思うのだ。