契約の日
「ま、マジっすか」
貴樹は感激するやら申し訳ないやらで、いっぺんに身を縮めた。
「それなのに、家を訪ねたら自称妹が出てくるなんて! 危なくあの子を殺しかけたじゃないっ」
「おいおいっ」
話すうちに腹が立ったのか、ロザリーの瞳が薄い赤色から、見事な真紅に染まっていく。
「だいたい、そこまでして自分を騙している相手の力になろうなんて、貴樹はなにを考えているのかしらねっ。ま、まさか、あの王女に、き、気があるんじゃないでしょうねっ」
なぜか後半でドモりつつ、ロザリーが迫る。
よほど訊きたいのを堪えていたらしく、テーブルにどばんっと両手をつき、身を乗り出して貴樹に迫ってきた。
ここで貴樹が、「一年前はほぼ平らだったのに、今や平均越えだなぁ」とかうっかり茶化すと、首をねじ切られそうだった。
実際この子のパワーなら、その程度は楽勝なのだ。かなりの太さの鉄棒だって、易々とねじ曲げるのだから。
「い、いやほら……気があるとかない以前に、少し前までは妹だと思ってたわけで、それが違うとわかっても、俺としてはやっぱり情ってものは残るだろ? 誰も味方がいないみたいで、苦労してるようだし、貞操の危機と命の危機の二重奏だし」
しどろもどろな貴樹の言い訳を、ロザリーは顔をしかめて聞いていた。
「なに? つまり、憐憫の情だと言いたいのかしら。危険な新薬まで服用したのも、それが原因だってこと?」
そこまで突っ込んで訊かれると貴樹も困るが、まあ、そういう感情も理由の一つではあるだろう。もちろん、瑠衣への好意もないとは言えない。
しかし、いくらロザリー相手でも、好意がどうのまで認めるのは少し気恥ずかしく、貴樹はわざと冗談に紛らせようとした。
「まあそれとほら……俺も年頃の男の子だし、強くなりたいって感情もあるだろ? さすがに、いつまでも弱い自分のままでいるのは嫌だし」
本音の半分にも満たない返事だったが、なぜかこの答えはロザリーのお気に召したらしい。
不機嫌だったのに、少し表情が和らいだ。
「……そうね、貴樹が強くなることについては、わたしも歓迎したいわ。契約相手としては、その方が相応しいし」
「はあ」
え、今ので納得するのかよっと思ったが、この際貴樹は、余計なことは言わずにおいた。
幸か不幸か、ロザリーは微妙に話を戻してくれた。
「うちの家でも、まだ侵攻実験の具体的な内容までは掴めずにいるわ。日時と大まかな場所しかわからない。危険だから避難した方がいいんだけど、貴樹は今のところ、逃げる気はないわけね?」
「俺は逃げない。瑠衣を助けると決めたから」
途端に、またぐっと身を乗り出し、ロザリーが顔と顔を付き合わせた。
「ほんっとうに、愛情からじゃないのよねっ」
「顔が近いぞっ。事情は、さっき話したろ」
「……ふぅん?」
じっとりと十秒以上も見られたが、貴樹が気を張って見返すと、ようやくロザリーは席に戻ってくれた。
「わかった。そういうことなら、わたしも協力してあげる。でも、まだ六月一日まで少し間があるし、また新薬を受け取らないとも限らない。その度にあたしがリカバリーしてあげるのは、効率が悪すぎるわね」
なぜかそこで、ロザリーは血色のよい唇を引き結んだ後、やたらと緊張した顔で呟いた。
「ちょうど、前々から考えていたこともあるし、これはよい機会かもしれない」
「な、なにが?」
「……貴樹、わたしと契約した時のことを、覚えているかしら?」
「もちろん!」
話が逸れた気がするが、貴樹は懐かしくなって頷いた。
あれは、貴樹が九歳でロザリーが八歳の時だったはずだ。
その前の年、この屋敷の近所で偶然にもロザリーと出会った貴樹は、その頃にはもう随分と親しい仲になっていて、屋敷内に出入りが許されていた。
貴樹は当時から、小学生でありながらほぼ一人暮らしも同然だったので、学校から帰るとすぐにロザリーの屋敷に出掛け、カーテンを閉め切った彼女の部屋で、よく一緒に遊んでいた。
たまには裏山の廃ホテルの探検もしたが、まあほとんどの出会いは屋敷内だった。
……契約のことを持ち出された夜のことは、本当によく覚えている。
ふかふか絨毯の上に二人で並んで座り、大画面での対戦テレビゲームをしていた時だ。
何度目かの対戦を終え、ふと押し黙って貴樹を見つめたロザリーが、やたらと思い詰めた顔でこう言ったのだ。
「貴樹……ロザリーとこれからも一緒にいてくれる?」
無論、貴樹に否やはない。
というか今も昔も、貴樹の親しい知人と言えば、ロザリーだけだ。
「もちろん」
「そう! あ、でもね、前にも少しお話ししたけど、ロザリーは本当は人間じゃないのよ。だから、貴樹と一緒にいるためには、ある契約が必要なの」
「契約?」
「あまり難しくないわっ。お、お約束みたいなことっ……少なくとも今の段階では」
いつも強気の子なのに、この時のロザリーは随分と焦って手を振った。
「ロザリーは貴樹と一緒にいるのは楽しいんだけど、ロザリーの召使い達や実家のお母様は、なぜか人間との交流を喜ばないの。だからね、貴樹がうちに来る理由が必要なのよ。『なるほど、それなら一緒にいても仕方ない』と思えるような」




