侵攻実験の謎
下着のまま唐突に寝込んでしまった瑠衣を抱き上げ、部屋のベッドまで運ぶだけで、貴樹はかなりの気力を消耗した。
いや、瑠衣の体重など知れているので、問題はそこではない。
この短い距離を運ぶ間だけでも、自制心を試されたということだ。なにしろ貴樹の中で悪魔サイドの心が「瑠衣は眠ってるし、ちょっと下着脱がせておっぱい見ても、わからないぜ?」などとそそのかしやがるので。
幸い、終始前屈みではあったものの、なんとか良心担当が勝利を収め、貴樹は瑠衣にパジャマを着せて、ベッドに寝かせるミッションを成功させた。
心底疲れ、自分の部屋に戻ろうとした……が。
例の日記のことを思い出し、またこっそり危険な隠し場所を確かめ、日記を引き出してみた。
もはや慣れてしまったページを撫でる動作の後、一番新しい記述を確かめる。
やはり、瑠衣は今晩、既に日記を書いていたようだ。
☆五月十二日☆
預かった強化薬? を飲まねばなりません
でも瑠衣は、このお薬はどこか怪しいと思います。
本国の兄上が保証するような効能もあるのかもしれませんが、あの初対面の少佐が、瑠衣がこのお薬を受け取る時、なんだか嫌な笑い方をしたのです。
本音を言えば、あまり飲みたくありません。
でも、王国内の魔法使いが、一昔前に比べてずっと少なくなったらしいのも、事実です。
瑠衣は……瑠衣は王室の末席に名を連ねる者として、その義務を果たさねばなりません。
たとえ、危険があろうと。
とはいえ……時に、お世話になっているこの家の貴樹さんに全ての事情をお話しして、助けて欲しいと思う時があります。
でも、貴樹さん――いえ、貴樹様は侵攻される側の住民さんなのです。
瑠衣が救いを求めるのは、見当違いもいいところです。
それどころか、貴樹様に殺されても文句は言えないところです。瑠衣はまぎれもなく、侵略する側の敵なのですから!
そうでなくても、いつの日にか、貴樹様に全身全霊で謝罪しないといけません……それだけのことをしているのですもの。
でも、瑠衣は贖罪として差し出せるようなものを、何一つ持っていません。本当になにもないんです……この身以外には、なに一つ……哀しいことですね。
日記を二度読み返した後、貴樹はため息をついて元の隠し場所へと戻した。
なるほど、それであの偽薬を一気のみした挙げ句、酔っ払って脱いだのか。
「おまえ、真面目すぎるぞ、瑠衣」
ベッドですやすやと眠る瑠衣の方を見て、貴樹はぽつんと告げる。
「俺に謝罪なんかいるかよ。子供なんだから、もう少し周囲に頼ろうぜ……まあ、俺が頼りがいありそうに見えないのは、認めるけどさ」
自分もガキに過ぎない身だが、それでも今は瑠衣に手を差し伸べている。
まだほとんど役に立っているとは言えないものの、少なくとも黙殺したり、どこかに通報したりはしていない。
ていうか、どうせどこに通報したって、誰もこんな話は信じないだろうが。
「少なくとも、『自衛手段以外の理由で、この世界の人間を殺すことはありませぬ』とか、あの馬鹿たれ少佐は言ったよな」
昨晩の密談を思い出し、貴樹は呟いた。
救いがあるとすれば、そこか。とにかく、間近に迫った侵攻実験とはどんなものか、気付かれないように観察しよう。
こんな時、せめて幼馴染みのあいつがいてくれたら、もう少し動きようもあるんだが。