妹の日記を盗み読み
☆五月一日☆
任務に就いた日
浸透作戦を拝命してから半年が過ぎ、ようやく実地試験が始まりました。
事前に、この日本という見知らぬ世界のことを十分に学習した結果、ルイはこの草薙家に入り込むことに成功しました。
なぜなら、草薙家は親一人子一人の家族構成で、特に親戚付き合いもありません。
擬態魔法で入り込むには、かなり恵まれた環境だと思えたからです。
しかも、ご当主の草薙昭夫殿は、会社とやらの都合でほぼ出張ばかりであり、好都合です。
長男の草薙貴樹さんを騙すのは心苦しいですが、これも任務なのでやむを得ません。
この方には、あくまでルイがご自分の妹だと思ってもらう必要があります。
一応、ルイが構築した貴樹様の模造記憶に穴はないと思いますが、それでも本当の兄妹じゃないからには、いろいろな齟齬が生じるかもしれません。
なんとしても、任務に支障がでないようにしないと。
なぜなら、この大規模な浸透作戦の結果如何で、我が王国の運命は決まるからです。
ごめんなさい、昭夫殿に貴樹さん……貴方達を騙すことになるのは胸が痛みますが、これもやむを得ないことなのです。
「おい、待たんかいっ」
パタッと妹の厚い日記を閉じ、貴樹は思わず口走った。
「え、なんだよ、これ? これなんだっ。俺を担ぐための冗談か?」
しかし、あの真面目すぎるほど真面目で礼儀正しい妹が、こんな冗談をやらかすだろうか? もう十二歳だというのに、アニメのヒロインみたいに、貴樹を「お兄様」と呼ぶ少女である。
それになにより、貴樹がこの日記を見つけたのは、全くの偶然なのだ。
……話は、二分前に戻る。
草薙貴樹が帰宅した時、妹の瑠衣はまだ帰っていなかった。
貴樹が高校に入学して間がないのと同じく、瑠衣もまた、中学に入学したばかりである。
帰宅部一択の貴樹とは違って、部活の勧誘でも受けているのかもしれない。あいつもあまり社交的とはいえない性格だが、少なくとも小学校の時は図書部に入っていたので、そっち系の部活に興味があるかもしれぬ。
とはいえ、小学校では部活必須の方針だったらしいが。
二階の自分の部屋に入る前に、貴樹は一応、ノックしてから正面の妹の部屋を開けてみた。
断言するが、このことに深い意味はない。
もしかしたら、また室内に閉じこもってヘッドフォンで音楽でも聴いているのかも、と思ったからだ。それなら、貴樹の「ただいま」が聞こえなかった可能性はある。
しかし、あいにく部屋は空だった。
貴樹が吸い寄せられるように室内へ入ると、いつもながらなんともいえないよい香りがした。
もちろん、これは瑠衣が使うシャンプーとかの香りだと思うが、必ずしもそうとは断言できない。たとえ妹と同じシャンプーを使おうが、貴樹自身はこんな香りに無縁だからだ。
「妹のほのかな体臭にどぎまぎする兄とか、変態かと思われそうだよな」
性格のよい妹はともかく、クラスメイトの悪ガキ共からは。
貴樹は首を振り、カーペットや壁紙など、全てが薄い水色で統一された部屋から、出ようとした――が。
ふと視界に気になるものを見つけ、思わず歩み寄る。
というのも、女の子にしては立派な木製本棚の中に、タイトルのない背表紙の本があったからだ。普通ならスルーしたかもしれないが、ちょうどその本が一番隅の奥に押し込まれるようにしてあったので、気になったのである。
あたかも、妹自身が無理にぐいぐいと奥へ押し込んだようにも見える。
「……なんだ、これ?」
苦労して本棚から取り出して見ると、ノートよりやや厚いくらいの、ハードカバー製の本だった。ただし、ページをめくった1ページ目には、印刷された文字で「日記」とあった。
「ま、マジか!」
慌ててパタンと本を閉じたが、戻そうとして貴樹は思わず迷う。
……あの、上品で兄思いの人形じみた完璧少女が、一体どんなことを考えているのかと。留守がちな父のお陰で、ほとんど兄妹で暮らしているのも同然だが、貴樹は未だに瑠衣の性格を掴み切れていないのだ。
特に、昔のもっと幼い頃の妹の記憶が、どうも曖昧である。
記憶があるにはあるが、今一つ詳しく思い出せない。どうでもいい父の記憶や幼馴染みの記憶は強いというのに。
だからこそ、あいつ(妹)のことをもっと知りたい……そう思った。
檻の中の熊よろしく、六畳間を行ったり来たりした挙げ句、貴樹は結局、足を止めてまたページを開いた。誘惑に負けてしまったわけだ。
しかし、日記と印刷された次のページはたんなる空白……つまり、真っ白なページだった。
「なんだよ……買ったばかりか?」
せっかく背徳感でドキドキしてページを開けたのに、白紙とは何事か!
そんな理不尽な不満から、貴樹はなんとなく真っ白なページを撫でた……撫でてどうなるものでもないのだが、これはまあ、未練の表現みたいなものだ。
――ところが。
二度ほどすりすりと掌で撫でた途端、それまで空白だったページに文字が浮き上がったのである。
「う、嘘っ」
貴樹は目を瞬いて見直したが、どう見てもさっきはなかった文字群がずらずら浮かんでいる。しかもこの嘘みたいに綺麗な字は、妹が書いたもので間違いない。
こんな綺麗な字を書くヤツが、そこらにごろごろいるわけない。
「……さ、最近の日記には、こんな機能がついているのか!」
魔法じみてて、すげー!
なにか違和感を感じていたのも事実だが、とりあえず貴樹は「日記の新機能」ということで納得することにした。
そんな些末な問題より、日記の内容の方が百倍は気になる。
当然、むさぼるように読み始める。
最初の日付は、ほぼ一年前だった。
「それが、読み始めたら内容がこれってか?」
貴樹は唖然として首を振った。
まだ、なにかの間違いじゃないかと疑っているが――。
とにかく、真実を探るには日記の続きを読むしかない。
というわけで、ページを繰ろうとしたまさにその瞬間、階下でドアの鍵を開ける音がして、貴樹は飛び上がりかけた。
い、妹が帰ってきた!
俺魔も完結しましたし、イヴだけど特に用事もないしで、ちょうどいい頃合いかと思い、新たに連載始めます。
どうかよろしくお願いします。