コゴローとショコラ
Chapter1.偽りの平和
血は呪いだ。
コゴローはそう思う。
コゴローに母と呼べる人間は居ない。
それに関しては納得していた。不幸とも思わない。両親が居るティナンばかりではないからだ。
ティナンは魔石から生まれる。だから彼らにとって血縁と運命は似た意味を持つ。役目の違いだと考える。
コゴローはどちらかと言えば幸運に感謝している。物心付いた時、傍らで自分を見守ってくれたのが先生だったこと。それはとても運が良いことだ。最近は出張ばかりしていて、それが少し不満かもしれない。しかし先生の事情も理解していて、不満を帳消しする為にたくさんの本を読んでいる。
そういう意味では、エノキの不満を解消するのは自分の役目だと思っている。先生の代役……と言うほど気負ってはいないが、一緒に遊んで、喜びや悲しみを共有できれば、きっと良い結果になる。大切なのはティナンと共に在ることだ。
なのにゴミのような種族人間がオッという顔をして無遠慮に絡んでくる。
「コゴロ〜。キノコマンと一緒か? ドコ行くんだよ〜。守ってやるよ」
「オメェーは俺らの王サマになるんだぜ? ちょっくら自覚が足りてねんじゃねーか?」
「感じろ。俺を。お前ならやれる」
強い力を宿した金属片が飛んでくる。近距離型のギルド堕ちが放ったものだ。距離が遠い。失速する。それらをコゴローは精密に操作し、自分の支配下に置いた。力を取り戻した金属片がゴミどもの全身に突き立つ。吐血したゴミどもが満足げに笑う。
「そういうパターンもあるのか……!」
「コゴロー……! オメェーは、間違いなく、俺らの、王ッ!」
「その素質……嬉しいぜ……」
どうと倒れ伏したゴミどもをコゴローは一顧だにせずに歩いていく。
……今の金属片は? いや、誰であろうと関係ない。どうせ新手のゴミだろう。種族人間には「廃人」と呼ばれる強い個体が居る。活動時間が長く、人間性が破綻したヤバい連中だ。関わり合いになるのはゴメンだった。……しかし頭には留めておこう。種族人間はティナンにはない力を持っている。侮れば、いずれ手痛いツケを支払うことになる。
謎の協力者と共に、コゴローは次から次へと絡んでくるゴミを排除していく。どいつもこいつも言うことは似たり寄ったりだ。何がゴミの王だ。下らない。そんなものになって堪るか。あいつらと話していると(ほとんど無視しているが)頭がおかしくなる。種族人間はダメだ。比較的マシな女たちですら血縁上の父親そっくりな自分を面白がって要らんちょっかいを掛けてくる。コゴローが自分らしく在れるのは仲間の子ティナンたちと一緒に居る時だけだ。得難い友人たち……。
ところが、その友人たちの様子がおかしい。
エノキを連れて集合場所に向かうコゴローは途中でハッとして足を止めた。
いつもの集合場所で、子ティナンたちが一人の女の子にあれこれと質問を浴びせている。
あまり街で見掛けない感じの女の子だった。照れたようにはにかんで、俯き、ボソボソと応答している。未成熟ながら整った顔立ちをしていて、何気ない仕草や所作には隠しきれない気品があった。
そして頭にはツノが生えていた。
ショコラ……! 地獄の妹……!
コゴローには出来の良い妹が居る。凶暴で、金にがめつく、この世で自分が一番偉いと思っている妹だ。人格的には終わっているが、まぁしょせんは子供のやることだ。大人になるにつれて落ち着いていくだろう。知恵を身に付け、より悪辣になるのではないかという恐れはあるが……。
そして、その恐れが今まさに現実になろうとしていた。
悪鬼のごとし粗暴さを持って生まれたショコラは普段から力を持て余しており、暴力で他者を支配したがる。ギルドの不死性を持つコゴローや種族人間は雑に扱ってもすぐに再生するのだが、格下のティナンに対してはあまり無茶なことはしない。
王族の一員であるショコラは、おそらく勅命の力をその身に秘めている。支配の対象となる平民ティナンのことなら直感的に大体のことが分かるのだろう。だからこそやりづらい。そう思っていたハズだ。その気になれば簡単に従えることができる相手はつまらない。
だが、兄の友達というなら多少は興味がある。
子ティナンたちの質問にボソボソと答えていたショコラが、通りの向こうで硬直しているコゴローを見つけてパッと顔を上げた。ニコッとはにかんで小さく手を振る。
コゴローはゾッとした。自らのコミュニティに猫を被って潜り込んできた妹に言い知れない不気味さを感じたのだ。傍らに立つエノキに言う。
「……エノキ。俺がヤられても手出しするなよ。お前じゃヤツには勝てない」
視線を向けることはしない。ショコラは兄のコゴローを自分の所有物と見なしているふしがあった。もう一人の兄、ティナン王子のオリーブに対して冷たく当たるのは、たぶん何をしても喜ぶのがつまらないからだ。
今すぐ回れ右して帰りたかったが、妹の出方が気になる。仲間を見捨てることはできない。義理人情を重んじるコゴローは決断を下し、慎重にショコラに近寄っていく。いったん妹の演技に乗ることにしたようだ。軽く手を上げて、
「よう。ショコラ。街で会うのは珍しいな。オリーブは一緒じゃないのか?」
コゴローはショコラと違ってオリーブを「兄弟」と呼び、頼りにしている。オリーブはショコラが可愛くて仕方ないらしく、妹に対しておざなりなコゴローをあまり良く思っていないようだが……。いざという時は助けになってくれるだろう。そういうヤツだ。尊敬に値する。なのに、何故ここには居てくれないのか。こんなにも自分は困っているのに。オリーブ。お前さえ居れば俺は……!
コゴローのオリーブに向ける感情は重い。ショコラを上回る強い力と、ショコラにはない慈悲の心を持つ自慢の兄弟だ。
ショコラはしゅんとした。
「オリーブ、ずっと勉強ばっかり」
兄に構って貰えなくて寂しがっている妹姫という演技を難なくこなすショコラに、コゴローは先ほどから悪寒が止まらない。鳥肌が立ってきた。
「……まぁ順当に行けば次の王サマはアイツだからな」
ティナン社会の王は原則的に未婚の王族が務める。
今でこそ王族は世界中に散って各都市を治めているが、それは安住の地を求めて旅した結果で、かつては王が臣下にガムジェムを託し、個々の資質に見合った固有スキルを与えるという仕組みになっていた。
ティナンの固有スキルは【王権神授】と呼ばれるもので、スキルの核をなす王位は子に渡っていく。つまり結婚し、親になることで資格を失ってしまう。任意で譲渡することはできないという条件の下で成り立つ強力なスキルだ。
現王のマーマレードと、その妹ハニーメープルはいい歳したティナンなので、いずれは伴侶を見つけて王位を失う。その場合、オリーブかショコラのどちらかが新たな王となる。まずオリーブだろう。
そういった複雑な仕組みを把握しているのは貴族ティナンくらいで、この場に居る子ティナンにとっては縁遠い話だった。彼らにとっての関心事は降って湧いたようなコゴローの妹がお姫様という衝撃の事実だ。
女児ティナンが興奮した様子でコゴローを出迎える。
「コゴローくん! コゴローくんって王子さまなの!?」
「いや、違う……」
「人間さんがコゴローくんのこと王さまって!」
「それも違う……」
「お姫さま、かわいいね!」
「……見た目はね」
否定的なコゴロー。垂れて地を這う尻尾が悲観的な心情を物語っていた。
「……俺の親父、知ってるだろ。アイツがヨソの男と作ったガキが俺だ。だから俺は王サマにはならない。そもそもティナンじゃねーし」
人聞きが悪すぎる。
より人聞きが悪いことを言うなら、コゴローは実験的に誕生した人型ギルドだ。結果は成功したとも失敗したとも言える。ギルドの形質は遺伝したが、ギルドの正体に迫ることはできなかった。ギルドが一体増えただけ。ただし【指揮官】の素質はあるらしく、場合によっては何かの役に立つかもしれない。
男児ティナンは女児ティナンと比べて内気な子が多く、コゴローへの質問を諦めてエノキの身体を小さな手で掴んで登っていく。
「エノキー。エノキはお姫さまのこと知ってた?」
「エノキはセンセーの子どもなんだよね?」
「コゴローくんの弟なの?」
エノキは発声器官を持たない。言われたことに特にこれといった反応を示すこともなかったが、男児ティナンは気にせず話し掛けていく。
エノキの体長は種族人間の成人女性ほど。短い足が特徴的だ。細く長い腕は筋肉質で、アスリートのように引き締まっている。
山岳都市は異種族の坩堝だ。我が物顔で街をうろつく種族人間、ポポロンの眷属ポーキー、ギルドの【歩兵】、テイマー職の召喚獣である犬猫。新たに参入したキノコマンは今後どのようにして山岳都市に関わっていくのか。
女児ティナンに容姿を褒められてもじもじしていたショコラがスッと表情を消した。チラリと視線を振って物陰に潜むタルをじっと見る。
……人の往来が激しい道の土汚れを気に留めるものは居ない。同様の理屈がタルにも当て嵌まる。たとえ天高く積み上がっていようとも「昨日までこんな壁あったかな……?」と少し不思議に感じる程度だろう。
ショコラが片手を上げてチョイと指を曲げた。来いと仰せだ。
ハイッ。
そう、俺である。
俺はタルから足を生やしてササッとショコラさんに身を寄せた。ショコラさんが端的に用件を告げる。
「女が邪魔」
ハイッ。
親は威厳を以て子に接するべきだと俺は考えているが、逆らったら一瞬でミンチにされてしまうので、ついつい甘やかしてしまう。へへっ、結局は俺も人の親ってコトかね。俺はショコラさんの機嫌を損ねないようペコペコと頭を下げながら彼女の前を通った。タル越しにギルドパワーを集中してブサイクな人形を宙に浮かべる。コゴローと楽しそうにお喋りしていた女児ティナンたちがハッとして人形に飛び付く。この世界の生き物はギルドと反発する性質を持つ。それは街で暮らす歩兵ちゃんと仲良くやれる程度の微々たるモノだが、どういう訳かギルド化した俺のことは見過ごしてくれない。俺は金属片で編んだ人形をとっさに散らす。四散した小石ほどの金属片を追って女児ティナンが空中でとんぼを切る。ごふっ。俺の口から血が垂れる。何割か持って行かれた。強い力で練り上げた金属片はジョジョのスタンドのようなものだ。破壊されると本体にもダメージが及ぶ。
化け物め……!
本気で動くティナンは、もはや俺の目でも追えない。身体ごと見失うことはないが、手足の末端部が揺らいで消える。音速を越えてるんじゃないか……? 音の壁を突き破ると破裂音が鳴るって漫画で見たけど、ありゃあ眉唾モンかもな。衝撃波とかも特にない。もしくは……ノーマルモードか? 変わったのは魔物だけじゃないのかもしれない。世界そのものが。
俺は金属片を追加してブサイクな人形を再構築。破壊衝動に身を委ねる女児ティナンたちをコゴローから引き離していく。
命懸けの子守りをしている俺をヨソに、ショコラがテテテとコゴローに小走りで駆け寄って、そっと伸ばした手でコゴローの指をへし折った。
コゴローは痛覚をカットできる。元々ギルドに痛覚があるようには見えないから、ギルド的な感覚と人間的な感覚を二つ持っていて、切り替えができるのかもしれない。コゴローが無事なほうの手でショコラの頬を摘む。小声でボソボソと、
「何しに来た。なんのつもりだ」
「会いに来ただけ」
「……そうなのか?」
コゴローも大概ショコラに甘い。まぁ仕方ない。俺のガキだからな。女に甘い。妹ならなおさらだ。家族の情が湧く。血は争えねェ……!
そしてショコラもまた……俺のガキ……! 見てくれはやたら良いしろくすっぽ喋らねーってんであんま俺に似てねーなと思っちゃいたが……。
俺は女児ティナンどもに追い詰められながらニッと笑った。訓練された猟犬のような動き。両翼のメスガキを囮に跳んだメスガキの手が霞んでブサイクな人形の心臓部を抜き取った。強い力を遠隔操作するには核が要る。核とはすなわち擬似惑星であり、愛だの勇気だのといった得体の知れないエネルギーを生み出すエンジンだ。核を抜き取られたブサイクな人形がガクガクと震えて自壊し、俺の全身から血が吹き出す。一方、俺の目はショコラに釘付けだった。
受け継いでくれたか……! 息をするように嘘を吐く、ろくでなしの血……!
ショコラが懐から何か取り出し、輪になっているゴムを指で広げて頭の後ろで括った。
……!
もぐらっ鼻!?
妹の奇妙なファッションにコゴローが戸惑いの声を上げる。
「……え。せめてウサ耳じゃね……?」
モグラ帝国とウサギ王国の醜い争いはほとんど定期イベントのようなもので、山岳都市に暮らすものならば誰でも知っている。
通りを歩く種族人間たちが、まるで示し合わせたかのように一斉にシンボルを身に付けた。
もぐらっ鼻たちがコゴローに迫る。
「コゴロー! お前もっ……!」
ゴミの熱量に気圧されたコゴローが後ずさる。その両肩を、膝を揃えてしゃがみ込んだウサ耳がそっと受け止めた。別のウサ耳がコゴローの頭にウサ耳バンドを付ける。コゴローがギョッとして振り返る。
「ハァ!? なにを……」
もぐらっ鼻がひっ迫した声で叫ぶ。
「コゴローッ!」
不快なダミ声で名前を連呼されてコゴローが反射的に怒鳴り返す。
「るせー! だぁーってろ!」
ショコラは黙っちゃいない。
「やっぱり女に付くんだ」
「やっぱりって何だよ!」
ショコラに余計なことを吹き込んだゴミが居る。種族人間の言葉に耳を貸すようなタマじゃないが、可能性があるとすれば……アットムか? アットムくんはゴミじゃない。何か考えがあるんだろう。
何が起こってる? 俺は素早くタルから這い出た。全身血まみれの俺にコゴローがギョッとするが構っていられない。
ショコラの身体がフッと掻き消える。王族の血を引くショコラは平均的なティナンを大きく越える力と速さを持っている。身体ごと消えた。いくら俺でも実の娘をそういう目で見ることはできず、直感的な目の使い方ができない。せめてつるぺたじゃなければ遣りようもあるんだが。俺はおっぱいの残像を追うことを諦めて頭を左右に振った。視界の確保。
しまった、エノキ……!
ショコラがエノキの腹に両手のひらを押し付けてぐっと持ち上げていた。エノキは抵抗しない。
やや遅れて事態を把握したコゴローが叫ぶ。
「エノキ!」
俺の声には反応しなかったエノキが、コゴローにサッと手のひらを向けた。待てと言うように。
ティナンからしてみれば巨体と言ってもいいエノキを軽々と持ち上げたショコラがぴょんと大きくジャンプしてティナンの家の屋根に着地した。眼下のコゴローをチラッと見てから、家を挟んで反対側の通りに飛び降りて姿を消す。エノキが攫われた……! 俺の娘に……!
……まぁでもヤろうと思えばヤれたろうし、たぶんショコラの狙いはコゴローだろう。囚われのキノコ、エノキはコゴローを誘き寄せる為のエサだ。ウチのツノ娘は一体何がしたいのやら。
もぐらっ鼻とウサ耳は今にも殺し合いを始めそうな雰囲気で睨み合っているものの、武器を抜くには至っていない。サトゥ氏とリチェットの和睦宣言が効いているようだ。
一方でこうも言える。
和睦など誰も信じていない。両国の兵力差は今や逆転し、先の耳鼻戦争で完全敗北を喫したもぐらっ鼻は虐げられる定めにある。
モグラ帝国は存亡の危機に立たされていた。
ショコラとコゴロー。妹と兄は帝国と王国に分かたれ、種族人間の醜い争いに巻き込まれていくことになる。
コゴローがウサ耳を揺らして叫んだ。
「エノキーーー!」
これは、とあるVRMMOの物語
ショコラたん……もぐらっ鼻を付けてても可愛いよ。お口わるわるなティナン堪んね〜。コタタマめぇっ。でかしたと言わざるを得ないっ……!
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