勝利の定義
1.決戦
灰色の空の下、糸で釣ったベニヤ板のように薄っぺらい雲が浮いている。
モノクロの世界は水墨画のように濃淡で輪郭が描かれており、木々はコピペしたように同一の形状をしている。
良く言えば絵本の中のようで、悪く言えば予算をケチった学芸会のようだった。
俺の上で腹ばいになったノブヲが手足をバタつかせる。指先が地に触れたら、そこを軸にして俺を押さえ込むつもりだろう。そうはさせじと俺はごろごろと寝返りを打つ。
そうなんだ。俺はこういう戦いをやりたかった。
ワザとかスキルとか……色んな意見があるだろうけど、俺にとってそういうのはノイズだった。
泥臭く、素人丸出しで、不恰好に殴り合いたい。だって、それが本当の俺だから。
たぶん俺は負けすぎて、「勝ち」の定義がズレている。力に溺れるのは負けても笑って済ませるためだ。自分の尊厳を守りたくて道化を演じている……そういう面はあると思う。真面目にがんばって、それでもダメだったらどうしようと恐ろしくて仕方ないのだ。
やろうと思えば、たぶん俺はノブヲに圧勝できる。初めてエンフレを出したノブヲは動きがぎこちなく、攻防は単調で、無理にうまくやろうとしている。多くの手札を持つ俺が、律儀にそれに付き合っているのは負けた時の言い訳を考えているからだ。誉められたコトではないだろうが、そんな俺にだって言い分はある。ノブヲに華を持たせてやりたいという気持ちや、この場で彼女をボコって何になるという気持ち。俺はマシーンではないから、目の前の敵を倒すという目標に向けて全てのリソースを注ぐことはできない。今もそうだ。ノブヲのエンフレは変身型ではなく操縦型に見える。おそらくコクピットで全裸のノブヲが機体を操縦している。俺は無意識にそういう計算をしてしまう人間なのだ。
ノブヲの機体にゴンゴンと頭を打ち付ける行為に、コクピットの位置を探る意図がまったくないと言えば嘘になる。
操縦型のエンフレはパイロットが機体の外に出ても動き続けることができる。俺は変身型なので細かい理屈は分からないが、操縦型のプレイヤーは夢中になると機体の外に出て本音をぶつけたくなるものらしい。機体越しの音声は拡張されて不特定多数の人間に届くから、それを嫌ってのことなのかもしれない。
俺は、くそっ、こんなにも勝ちたいのに……! 同じくらいコクピットの位置が気になるし、ノブヲの本音を知りたいと思っている。その現実にどう立ち向かうか。
じゃれ合っているようにしか見えないだろうが、そこには当事者同士でしか分からない小さな期待や接触部を起点とする細かな応酬があった。
トントンとデイビスがテントを立て直しながら実況を続ける。
『そこだっ。違う、そうじゃない。ああっ、見ちゃいられない。チェンユウは何か狙ってるね。時間稼ぎかな? ハイエンドフレーム。変身種族の変身には時間的な制約がある。クレバーな立ち回りだ』
『そうかな? 僕には加減しているように見える。チェンユウの機体の型……あれはたぶん多機能型だ。手札を温存している。ノブヲさんを討つことに躊躇いがあるのかもしれない。とっておきの酒を、酒好きな友人の前では隠しておくようにね』
器材を抱えた傭兵部隊が二人と合流して、テキパキとテントを立て直していく。実況席の再建を彼らに託して、トントンとデイビスがようやく腰を落ち着けた。
しれっとした顔で椅子に座るデイビスの横顔を、トントンは信じられないといった面持ちで見つめて、
『デイブ。驚いたよ。まだそんなことを根に持ってるのか? 僕は君に謝罪したし、君は僕の謝罪を受け入れた。僕としてはそういう認識だったけど? この場で議論を再開するかい?』
『トントン。何度も言うが、あれは議論ではないよ。僕は謝って欲しいなんて言ってない。必要なのは……そう、君が自分のがめつさを認識して、正していこうと努力を続けることなんだ。つまり反省だね』
『反省? おいおい、デイブ……。それなら言わせて貰うが……』
トントンとデイビスが下らないことで言い争いを始めた。
俺とノブヲも負けじと舌戦に身を投じる。
【初めて出会った時から、お前とはいずれこうなる予感がしていたよ。ベムトロン様、ベムトロン様と、いちいち点数稼ぎしやがって……! お前の雇い主は俺だぞ!】
【そう言うあなたこそ、ベムトロン様に馴れ馴れしいんですよ! この前も頭を叩いたりして……!】
【それは……! アイツが叩かれたそうな顔して小ボケを入れてくるからだろっ! お前みたいなのが無条件に甘やかすから、あの女は安心しきって、よく練りもせずに思い付いた端から小ボケを入れるようになるっ!】
ネフィリアもそうだった。肩肘を張って生きてきた人間は甘やかされるとダメになる。それは……ひょっとしたら俺の所為でもあるかもしれなかった。俺は何かと口うるさく、細かいことが気になる性分なのだが、可愛い感じで来られると途端に全てを許してしまうという部分がある。そうした一面を女性はよく見ていて、知ってか知らずか利用するようになるのだ。
ネフィリアは美意識が高く、俺の前では体裁を取り繕おうとするが、ベムやんは俺を犬か猫みたいに思っている。彼女にとって種族人間は脅威たりえず、警戒するに値しないから、いつか下着姿で家の中をうろついてくれるんじゃないかと期待してしまう。だが、卑劣な色仕掛けに俺は決して屈しない。今後も継続して貰えるよう、鋼の意思で平静を装ってみせる。
なのにベムやんはなかなか下着姿でうろついてくれなくて……。
俺は、それがとても悲しい。
業を煮やしたノブヲが膝を曲げて俺の進路を妨害しつつ、両手で俺の真ん丸ボディをガッと掴む。俺は触手を総動員してブリッジの要領でノブヲを跳ね上げた。ぐるんと回って上下を入れ替え、今度は俺がノブヲに馬乗りになる。ノブヲが俺の真ん丸ボディに両腕を回して、ギリギリと締め付けてくる。彼女の機体は平均的なサイズで、俺の機体を拘束するには腕の長さが足りていない。肩幅より広く腕を伸ばした状態では大した力は出せまいと楽観視していたが、このパワー……! 俺の装甲がミシミシと不吉な音を立てる。俺は密着した状態から触手を伸ばし、ノブヲの頭に細かく打撃を浴びせていく。振りかぶって殴るには俺自身の身体が邪魔で、スペースが足りない。レーザー砲を使えばノブヲを倒せるだろうが、そんな勝利に一体何の価値がある?
……認めざるを得まい。俺は、ノブヲのハダカが見たいのだ。そのためなら負けたっていい。
俺は咆哮を上げた。
オオオオオオオオオオッ!
大地に触手を這わせ、踏ん張ってノブヲの機体をぐわっと持ち上げる。パワーボムの要領でノブヲを背中から地面に叩き付けた。衝撃で締め付けがゆるんだ瞬間に真ん丸ボディを引っこ抜く。触手を絡めて編んだ拳を振り下ろす。ノブヲが身体をねじった反動で地を削って姿勢を大きく変える。伸びた両足が俺の拳を絡め取り、ブンと上体を振るうや、ぐるりと回って俺の機体にまたがる。
……何だと? 今の動きは……。
俺がノブヲを肩車しているような姿勢だ。コイツ、こんなに動けたか?
ノブヲ機がコクピットを開放した。コクピットの内部で全裸のノブヲが大事なところを隠すようにしゃがみ込んでいる。興奮に潤んだ瞳で俺の真ん丸ボディを見下し、恍惚として笑った。
「あはっ!」
ノブヲ機の腕部の装甲が独りでに脱落し、フレームが露出した。指の先に鋭い爪が生えている。その爪でガリガリと俺の真ん丸ボディを引っ掻く。
このっ……! 俺は固く編んだ触手をバラしてコクピットへと伸ばす。操縦型の弱点はパイロットだ。ノブヲ機の動きが変わった。狭い足場で器用に身体をねじって避ける。当たらない。コイツ……! コイツの変身は……!
ノブヲは変身しても外見に変化が見られなかった。地味な変身だと思ったが、そうじゃない……! 暗殺者じみた特性……変身しない変身……! そんなのアリなのかッ!
ノブヲ機の装甲がどんどん脱落していく。脱落するたびに動きの質が変わっていく。
「ふふふ……」
ノブヲさんはすっかり興奮してしまっているようで、ちろちろと伸ばした舌で爪をペロペロと舐めている。肌を晒しても特に恥ずかしいとかはないようだ。むしろ悦びを感じているように思える。
彼女の流し目に挑発されていると察して、俺は触手を大きく引き絞った。内心で独りごちる。
ノブヲ。お前はやっぱりエンフレ戦の素人だ。装甲を捨てて身軽になって……良いことばかりじゃないよな? 俺との相性は最悪なんじゃないか? お前は自ら勝ちを捨てたんだぜ……?
サービスタイムは終わりだッ!
実況席のトントンが叫ぶ。
『マーモット!』
ナニッ。
俺と同じく新人王候補の一人。中でも優勝候補の筆頭格、ニョルポン星人のマーモットが完全変身した。
デイビスの解説にあった通り、五系に連なるものは明確な役割を持って生まれる。王には王の、料理人には料理人の役割がある。それは一部の人間が種族繁栄に重要な役割を担うということで、恐ろしく高いリスクを孕んだ社会構造だ。昆虫とはワケが違う。知的生物は大きな脳を持つ。重い頭を支える骨格と筋力。たくさん卵を産んで、運が良ければ生き残るという生存戦略を続けるには無理があるのだ。
にも拘らず、五系は昆虫じみた社会形態を持つ。極めて特殊な環境、特殊な条件を満たさなければそうはなるまい。
毛むくじゃらがスッと後ろ足で立つ。
エンフレとしては小柄な毛むくじゃらだ。
小さな前足に、進化の方向性をちょっと間違えたような気迫を感じる。
マーモットが獣のような咆哮を上げる。
【下剋上ゥー!】
向上心に満ちあふれている。
前足を天に突き上げ、小躍りしたマーモットがサッと四つん這いになってトッと地を蹴る。駆け出した一匹の野獣。その肩には一人の女が乗っていた。
ニャンニャンが短く命じる。
「殺すな。生け捕りにしろ」
これは、とあるVRMMOの物語
弱そう。
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