黒星脱獄計画
りんごは、赤い。
誰が見てもそう見えるから、俺たちはさも世界の真実のように捉えがちだが、本当は違う。人間の目では、そう見えるだけのことだ。
絶対不変の真実などというものが仮にあったとして、もしも人間がそれを知ったとしても、全人類がまったく同じように捉えることはないだろう。
何故なら視覚や聴覚は錯覚と誤認を利用して情報を得る機能なのだ。
そのぶん真実から遠ざかる能力を、人類は進化の過程で磨いてきた。正確でなくとも、大雑把で分かりやすいほうが生きるのに有利なんだろう。使えるエネルギーに限りがある以上、不要な能力は削ってしまったほうが他に力を回せる。
そういったことをあれこれと考えていくと、俺たちはひどくあいまいな世界を生きているのだなと感心する。
宇宙誕生のビックバンにしたって、実はそんなものはなかったという説があるくらいだ。
それと比べたら歴史の違いなんてものは微々たるものでしかない。
なので、別に改ざんされても大して困らない。
そういう理屈でこのゲームは動いている。
レイド級の今日のおやつが、何千何万ものプレイヤーの生死よりも重く扱われる。
【称号】とは、世界の中心に近付くためのものであるらしい。
まぁ……言われてみればそうか?
普通、オンゲーで称号なんてトロフィーだからな。百回死んだ記念にステータスがちょっと上がるとかその程度のモンなので、あまり深く考えなかったが……むしろそんな軽いモンじゃないだろと言われたら、まぁそうだねってなる。
俺は悪くない。ちゃんと説明してくれないクソ運営が悪い。赤ん坊に一人で生きていけと言うのと変わりない暴挙だ。イチから十までちゃんと説明しろ。文書にして配布しろ。たぶん読まないけど。事前に配布されてたら読まなかったコッチが悪いねっていう気にもなるだろ。ならんけど。
もうさぁ、面倒臭いからカワイイ女の子だけコッチに寄越してキャッキャするだけのゲームにしてくれんかな? そのほうが人気出ると思うぞ。無駄に豪勢なVR技術をエロに全振りしちゃおうよ。こういう技術がありますってプレゼンしてクラウドファンディングしたら国家予算規模の開発費が集まるだろうに。
しかし誠に残念ながらGGO社はモテない俺らに巨額の投資をしてくれるつもりはないようだ。センスないね。俺らに無限の可能性を感じないんだ? 怖いんだ? 新時代が。
人を動かすのはエロだよ。そんなことは言われんでも分かっているだろうに。真面目なフリをして性搾取だの何だの言ってたら人間はどんどん困窮していく。何故なら大部分の人間はモテなくて、ゴミなのだ。ごく一部のモテる人間だけがトクをする世界にしても大した意味はない。彼らは指示を出す側の人間だからだ。指示を出す側の人間だから当然、手足になる人間次第であることは自覚はしているだろう。でも彼らは肉体労働をするのが嫌だから、本気を出して世界を変えようとはしないのだ。
ならば仕方ない。俺が本気を出してあげよう。
この俺が歴史を変えてやるッッッ。
1.黒星-ベムトロン邸
脱げば売れる。俺の単純明快なプランをベムやんは一蹴した。
「ふざけるな。なんで私がそこまでやらなくちゃならない」
落ち着け、ベムトロン。なにも脱げとは言ってない。ダメ元で言っただけなので俺は冷静に切り返した。
「言っただろ」
ベムトロン。俺は地球人だ。宇宙人の流行なんて知らない。だが、この手のビジネスに食い付くのは男だ。それは全宇宙共通ルールだと思っている。その確認をしたかった。仮にお前が脱いだとしたらリスナーは食い付くか? どう思う?
「……脱ぐ人間によるだろ。私は別にそんな美人じゃない。他を当たれ」
俺はそう思わないってことさ。ベムトロン。あんたはイイ女だよ。とはいえ、誤解しないでくれよな。俺にだって独占欲はある。あんたの肌を有象無象の男どもにタダで見せてやるのはイヤだね。
「なんで私は今ナンパされてるんだ」
ひとまず俺らはコンビだ。俺はこう見えてアイドルのプロデュースをやったことがある。わざとらしくない程度にお色気路線で攻めていこう。他に何か特技とかあるか? あれば参考にしたい。
「私が出演する前提で話を進めるな。コイツ……なかなか頭がおかしいな」
協力してくれると言ったじゃないか。俺は見ての通り冴えない男だ。誰がどう考えてもお前が配信をやったほうがウケる。それとも人前で喋るのが恥ずかしくてイヤなのか? それは性格じゃなく慣れの問題だぞ。俺の母星にも配信者は居るが、どんな性格のヤツでもクソ緊張して舌が回らないのは精々が最初の一ヶ月くらいだ。ましてお前はそういうの気にならないタチだろ。三日で慣れるよ。
「ペラペラペラペラ……よく喋る。チェンユウ。お前はさっさとここを出て行きたいんだろ。なら、片方が裏方に回るのは無駄だ。バラバラに活動すればいい」
むっ、一理あるな。その案は……アリだ。
思ったよりもベムやんが真剣に考えてくれていて、俺は感心した。
ベムやんはキャラが立っているから、正直言って俺がプロデュースする必要はない気もしていた。他人に言われて諾々と従うようでは彼女本来の味が出ないかもしれない。
……配信ってどうやるんだ? ゲストルームを使うのは知ってるが……。
「簡単だぞ。今のプレイヤーはサラの技能で作られた【聴衆】を母体にしているからな。元々そういう機能が組み込まれている」
実はその辺もよく分かってない。ギルドに対抗するためにエンフレが必要なのは分かるが……どうして最高指揮官を捕まえて母体を作らせるなんて発想が出てきたんだ?
「……? いや、そうか。お前がここに居るということは、GGO社はそれなりに成功したんだな」
過去を生きるベムやんに言わせてみれば、俺の感じる疑問こそが理解し難いものだった。
「ギルドに転んだ私が言うのも何だが……私たちは七土が負ければそれまでだと思っていたんだよ。ギルドに母星らしきものはない。なのに日に日に増えていく。どんどん新種が出てくる。終わりが見えないんだ。そういう戦いはキツイぞ。ならば目には目を……。ギルドにギルドをぶつけるしかない。やれるかどうかじゃない。やるしかなかったんだ」
実際、エンドフレームには様々な候補があったらしい。無人兵器、有人兵器、生物兵器……。紆余曲折あってプレイヤーの拡張版に落ち着いたのは、最高指揮官・サラのコレクションがたまたまうまく使えそうだったからだ。ギルドに転んだ人間の存在が、奇しくも人間とギルドの親和性を証明していた。心身への侵食を防ぐことができれば、ギルドの力を利用することができる……。
そこまで説明して、ベムやんはニヤッと笑った。
「実験の過程で相当数のプレイヤーがギルドに転んだ。私もその一人だ。あの女の非公式ファンクラブに潜り込んでいたのが上にバレてな……。親衛隊に抜擢されてグッズの販促に関わったのが良くなかったのかもしれん」
それは……良くないね。
最後に。ベムトロンさん。あなたにとってペペロンさんは何ですか?
「私の人生をメチャクチャにした女だ。同じくらいメチャクチャにしてやりたいと考えるのは当然だろう? 復讐……とも言えるが。私はきっと……あの女と二人でメチャクチャになってドロドロに混ざったら満足できる気がする。私であって、私でない、変な生き物になりたい」
そう言って、ベムトロンさんは少し寂しそうにフッと笑った……。
2.配信準備
俺とベムやんは各々で配信活動を始めた。
目的は【賢者】を探すことだ。
賢者の称号持ちは、ログイン地点を変えることができる。その恩恵に俺が預かれるとは思えないが、賢者の称号持ちならば現状を打破しうる良い案を出してくれるかもしれない。
つまり他力本願なのだが……それくらいクロホシから自力で脱出するのは困難で、それこそイョママかョ%レ氏が何とかしてくれるのを願うしかなかった。
並行して、俺はベムやんに内緒で間諜兵の同志を探すことになる。平凡なプレイヤーの俺にもしもクロホシ脱出の目があるとすれば、それは属する兵科の特殊性ということになるだろう。
幸い、整形チケットはクロホシでも使うことができた。女キャラに化けた俺は、ベムやんのレクチャーを受けてゲストルームを配信用に作り変えていく。
俺のゲストルームを内見したベムやんいわく、
「お前のゲストルームは設定を自由に変更できるが、それは未熟ゆえでもある。完全に固定しろとは言わんが、ある程度は方向性を統一することだな」
プレイヤーが持つ聴衆の性質は根っこにあるものなので、上っ面を取り繕っているとあまり表面化して来ないものらしい。
キャバクラかなぁ。いや、居酒屋か。
キレーなチャンネーを金属片で組むのは無理なので、キャバクラっぽい空間を作っても虚しいだけで意味がない。酒に溺れたベムやんのゲストルームはオシャレなバーで、彼女は俺のギルドの師匠だ。ならば俺は居酒屋で行く。
俺がゲストルームの設定を調整している間にスタートしたベムやんチャンネルはなかなか好調なようだった。元々の知名度もあって再生数が順調に伸びていく。雑談がメインで、特に大きな企画をやるつもりはなさそうだ。
クロホシの住人は娯楽に飢えており、ヒマを持て余している。元社長に召喚されるのは大体決まったメンバーであることが多く、レギュラー陣とベンチ層には埋め難い温度差があった。
そんな中、七土種族出身のベムやんは中間的なポジションに居る。たぶん彼女は元社長に顔を覚えられていて、外に出したら何をしでかすか分からないと思われている。
俺もそんな気はしていたが、七土種族出身のギルド堕ちは極めて珍しい。戒律というシステムは強種族に有利に働くため、生まれ持った固有スキルを手放してギルドに転んでも旨みが少ないのだろう。精神的にも頑健であることが多く、ギルドの誘惑にそう簡単にはなびかない。
ベムやんは例外的なパターンだった。
ギルドに転んだら何がどうなるか分からず、ヘタしたら人格が消滅してもおかしくないと言われていた時代に、前人未到の領域に飛び込むだけの動機があった。口に出しては言わないが、彼女はきっと永遠にペペロンの兄貴を追っていたかった。生涯を賭して粘着したかったのだ。
クロホシは元社長が管理しているマイクラサーバーのようなものだ。脱出はできないが、住人が必要とするものは自動で補充される。過去の住人が色々と要望を上げたらしく、決まった形で金属片を組めば冷蔵庫と見なされて飲食物が庫内に生える。思考操縦の金属片を定型で長期間維持するのは難しいが、これもまた慣れだろう。
俺はギルド先輩に教えを乞う形で、徐々にクロホシでの暮らしに馴染んでいった。
ここでの暮らしもそう悪くないかもしれない……。住めば都という言葉もある。ベムやんの例もある。さすがに住人が全員男ということはない。俺は基本的に目上の人間に対して謙虚で、娯楽に飢える先輩たちは新入りの俺を歓迎してくれた。
クロホシの光景はトレーニングモードと似ている。金属片で組まれた景色はモノクロ調で殺風景に感じるが、特にこれといって不都合はなかった。
灰色の空の下、こっちで知り合った先輩たち(たぶん宇宙人)と道端でお喋りしている。
「脱獄かぁ……。応援したいが、成功した例を知らんからなぁ」
やっぱそうなんスね。
彼らは普通の人間に見えた。もちろんやろうと思えば完全ギルド化できるんだろうが、その姿になると精神がそっち側に引っ張られるという欠点があって、普段は人間の姿で暮らしているらしい。
「脱獄してやるって、みんな最初はそう言うんだ。でもコッチの暮らしが長くなってくると、だんだん……ナ」
「……成功例は知らん。が、記憶があいまいだからな。知り合いが脱獄しても気付いていないだけって可能性はある」
「クロさんは光の使徒を意識しているだろうからな。【黒星】のビルドにもそれは影響しているハズだ」
このゲームには限界突破のシステムがある。
同種のスキルを重ね合わせて改造していくのだが、スキルコピーを持たないゲストは自らに戒律を施して固有スキルを強化している。その工程で、おそらく本人の性質や願望が無意識に影響を及ぼすのだろう。狙い通りに行くとは限らない。
俺は……惚れた女に会いたい。それだけのことなんですよ。ゲームでしか会えない女も居る……。
「NPCに恋しちゃったのか」
いや……ちょっと事情が複雑でして。
「例外的なヤツか。そういう仕掛けをしてくる運営は……相当ヤバいぞ。特殊なことをプレイヤーにやらせようとしてくる」
「テンプレ式のほうが楽で成果も出やすいのに、わざわざ別の仕様にしてるってことだからな」
「……苦労して戻ってもろくなことにならないんじゃないか?」
そうなんだよな。それは、きっと、たぶんそうなる。今頃、先生やステラはどうしているだろうか。ダッドとの交渉はうまく行ったのだろうか。
リアルで調べれば分かりそうなものだが、何故か俺は積極的に情報収集しようとしなかった。ゲームはゲーム、リアルはリアルと割り切っている。不自然なまでに。
たぶん……ピンクちゃんだ。
キャラクターロストで記憶が消えるという仕様は、謎の発光物体が悪さをしていないと説明が付かない。VRMMOというゲーム形態からして、ユーザーの記憶をいじらないと成立しないのだ。それこそ実は異世界だったりしない限りは。
俺にはウチの子たちのことを忘れて、ここで幸せを掴むという道もある。だが今はまだ未練が強く、そこまで割り切ることはできなかった。
先輩らもかつてはそうだったのだろう。親身になって俺の話を聞いてくれる。
「賢者。賢者か……。探せば居ないことはないかもな」
ギルド堕ちはスキルを使えないが、称号に関しては別だ。実際、俺は二級臣民とかいう大して役に立たない称号を持っている。ギルド憑きという可能性もある。まぁギルド憑きは長くやっていると大概堕ちるらしいけど。
俺もその手の堕ち方をしたのでよく分かる。ギルド化が進んだ俺カッコイイみたいな感情が働いちゃうんだな。
「副官どのを見たっていう噂もある」
副官どのを……!?
ギルドマンの憧れの星、副官どの。
す、吸われたってことですか?
「いや……リソースが足りないハズだ。というか、吸えるならとっくに吸ってるだろう」
「最高指揮官も増えないしな。増やせるなら増やしてるだろう」
女神像の仕様から見て、どうもギルドには仲間と合流する機能が備わっているらしい。あれだけ自由に生きてて、集団で動くのは自壊すると仲間の近くで再生するから……なのか? その機能を使って副官どのはクロホシと外を自由に行き来できる……?
これは……意外と何とかなるんじゃないか?
クロホシをうろついていると、そこら中でギルドを見掛ける。俺もよく知らない兵科がうじゃうじゃ居る。こうして俺が出歩いているのも輜重兵パイセンを探し求めてのことだ。輜重兵パイセンはワープできるので、お願いすれば俺を外に連れ出してくれるかもしれない。そのまま脱走するのは難しいだろうけど……。
一時的に外出するだけなら召喚されるのと変わりない。一度クロホシされたら引力を振り切るのに特別な手順が必要なのだろう。せめてウチの子たちに俺は達者でやっていると伝えられたら良いのだが。
俺は情報提供してくれた先輩方に感謝の意を述べて帰途に着いた。
輜重兵パイセンは見つからなかったが、こうして先輩方に顔を売っておけば配信を見に来てくれるかもしれない。俺はベムやんと違って新参者のギルドマンだからな。配信を盛り上げるためなら、身内ネタでも何でも使えるものは使っていくしかない。
俺は決意も新たに灰色の空に握り拳を突き上げた。
待ってろよ、アットム……! 俺は絶対にお前の元に帰るからな!
ツギハギだらけの雲の向こうで、笑顔のアットムくんが俺の名を呼んで手を振ってくれた気がした。
たとえクロホシだろうと、俺たちの友情は引き裂けないぜ!
これは、とあるVRMMOの物語
恋愛感情はそこまで強く信じないのに……。
GunS Guilds Online