黒星とスク水
1.黒星
俺は瞬時に抵抗を捨てた。目に力を込めて情報を叩き込んでいく。【黒星】というスキルの詳細が分からずとも、いつかこうなるという予感はあった。力尽くで来られたら敵わないし【黒星】が俺のオフ会の最大の障害になることも分かっていたからだ。俺は攻略にさして興味はないがオフ会の為なら何でもやるという覚悟はあった。ベムトロンですら成すすべなく吸われたほどの引力だ。もしも俺がベムトロンに優る点があるとすれば、それはこの目だ。
まず足元の感覚が消失した。浮遊感。エンフレは空を走ることができる。移動中は空を飛んでいるという感覚はない。引き込まれる。エンフレ特有の万能感が散る。強制的にエンフレを引き剥がされた。落ちる。景色が変わった。タイムラグはほぼゼロ。落下の感覚はあったが、物理的な距離は無に等しい。コンマ数秒のタイムラグはたぶん人間の反射速度の限界から来るものだ。
人間は猿から進化した生き物なので落下に対して反射的に身体が動く。地面は? ある。着地したという意識はなかった。死出の門を潜った時の感じに近いか? デスペナは付いていないが……。どんなに些細なことでも脱出の手掛かりになるかもしれない。素早く頭を巡らしながらバッと顔を上げて左右に首を振る。
ソファに寝そべったベムやんと目が合った。
なっ……! えっ!?
俺は二度見した。
ベムやんが言った。
「私がゲストの追跡を振り切れると思っているなら、それは大きな勘違いだぞ」
いやいや……え!? オメェー吸われたんか!? いつ!?
ベムやんはフッと不敵に笑った。
「クロホシされるのは初めてか? 慣れれば良いところだぞ。何よりギルド保育園と無縁で居られる。本気を出せば一時的に外出できるしな」
そ、そうか。それは……アレか? 肩にトゲを生やすとか、そういう感じで?
ベムやんは寝そべったまま悩ましげに長い髪を掻き上げた。芸術的な腰のくびれと絡んだ生足の張りが目を惹く。言った。
「まさしく」
……聞いた話によると、クロホシ住人の召喚基準は雑なことが多く、元社長の好みに依るところが大きい。肩にトゲを生やしていると「強い個体」と見なされて召喚される機会が増えるのだとか。
ともあれベムやんが居てくれて良かった。彼女は最古帯のギルド堕ちであり、この星について豊富な知識を持つ。
ここはベムやんの家か。ペペロンの兄貴のポスターやらフィギュアが目に付く。
俺だったら絶対に見られたくないけどな、このグッズの数々……。ベムやん的にはライバル研究の一環らしいけど。
ベムやんがソファの上で寝返りを打つ。腹ばいになって足をプラプラと振りながら、
「フフフ……! 気になるか? やぶさかではないぞ……! 解説は……! やぶさかではない……!」
……? ベムやんの態度に少し違和感がある。
だが、そんなことは些細なことだ。真に重要なのは、うつ伏せになったベムやんのおっぱいが窮屈そうにしていることだった。
俺はフンと鼻を鳴らした。
俺も暇な身じゃない……! 分かるだろ……! クロホシされてンだ……! 家でゴロゴロしてたらッッなんてシチュじゃないわナ……!
俺は忙しい身だ。とはいえ、ここでベムやんの機嫌を損ねるのはうまくない。人差し指を立てて続ける。
だが……! 興味がないと言えば嘘になる……! だから一つだけ……! 一つだけ聞きたい……!
そう言いながら俺はペペロングッズを吟味した。完全武装した兄貴のアクリルスタンドも劇場版っぽくて気になるが……ここはやはり水着のフィギュアで攻めたい……!
「フフフ……! 好きモノめ……! いいだろう……!」
ベムやん恒例のペペロンエピソ〜〜〜ドっ!
ペペロンの兄貴が存命の時代。
すなわち七土全盛の時代の出来事である。
スキルというのは時代が下るにつれて弱体化していく傾向にあるらしい。
それはスキルの複雑化が原因で、条件が噛み合えばハマるが、ステ振りが散らかっているため、威力や射程は落ちていく。
結局のところ、単調なスキルを超人的な技量で無理やり当てるプレイヤーが一番強い。そりゃそうだ。それができたら苦労はしないという話なのだが……七土全盛の時代にはそういうことができる変態的なプレイヤーがたくさん居た。
そのうちの一人がペペロンの兄貴だ。
2.ベムトロンの回想
ベムトロンは怒りに燃えていた……!
ベムトロンは母星を愛する平凡な軍人である。
戦地で初めてペペロンを目にした時の鮮烈な感情は忘れ難い。それは嵐に似て、ベムトロンの人生観を粉々に粉砕せしめるものであった。
それ以来、ベムトロンは執拗にペペロンを追い掛け、彼女の撃墜にひとかたならぬ執念を燃やしていた。愛国心、敵愾心、功名心……思い付く限りにおいて全ての理由を並べ立てたなら、どれ一つとして嘘にはなるまい。特筆すべき点があるとすれば、それはベムトロンの真面目さにあった。
ペペロンという脅威を取り除かねばならぬ。
冷静沈着なベムトロン。食卓に好物がずらりと並んでも眉ひとつ動かさない彼女が、この日は怒りに燃えていた……!
茂みに潜んだ彼女の視線が向かう先では、海水浴に興じるペペロンの姿があった……!
行き過ぎなくらい職務に忠実なベムトロンは休日をペペロンの監視に費やすことが多い。秘蔵のショットを数多く所有するベムトロンであったが、燦々と照りつける太陽の下、惜しみなく肌を晒すペペロンの艶姿は殿堂入りを検討せねばなるまい。
軍人にも休息は必要だ。
ペペロンは公私の切り替えができるタイプの女性で、たびたびベムトロンの前で無防備な姿を晒すことがあった。最初は単なる偶然かと思っていたのだが、
(あの女は私を誘惑しているのではないか……?)
ベムトロンは沸いた頭でそのように考えることがままあった。
色仕掛けとは……! 見損なうなッ!
宿命のライバルに「女」として見られることはベムトロンにとり耐え難い屈辱である。
ペペロンに友人らしい友人は居ない。彼女自身の他と隔絶した才覚が、彼女の人生に駆け足を強要した。そのため、同世代の人間と共に学ぶという経験に乏しかった。双子の姉、ポポロンの妹に対する偏愛もそれに拍車を掛けた。
ペペロンは自分の容姿に無頓着だ。見栄えの良い顔貌をしているという自覚はあるだろうが、これまでに打ち立ててきた華々しい戦歴に対して、顔面の造作など瑣末なことであった。初等教育を終える頃には美貌の戦乙女などと称され誌面を飾っていたから、物の見方が多少ひねくれた部分もあったろう。
他人を羨むことがない人生は異質だ。常人には量れない。
ベムトロンはライバルの弱体化を許容しない。彼女の目に映るペペロンは日焼け対策を怠っているように見えた。ペペロンの肌を焼くものは太陽ではなく、自分であるべきだという自負があった。
土蜘蛛どもの軍部は一体ナニをしている……? あの女を野放しにするなど。ヤツのプライベートは厳格に管理するべきだ。見ろッ。足を止めて見惚れる男どものだらしなさと来たら……!
ペペロンに友人は居ないが熱狂的なファンは数多く居る。パニックになっていないのが不思議なくらいだ。非公式ファンクラブが水面下で動いているのかもしれない。ベムトロンもそこの会員だが、いかんせん歴が浅く、重要な指令を入手できる立場にはない。新参にしては骨のあるヤツという扱いだ。いずれは親衛隊に登り詰めてみせる。
タコ型の浮き輪を腕に通したペペロンがウキウキした様子で砂浜を歩いていく。戦士として身に付けた所作は不安定な足場を物ともしない。最速最短を行く歩行術は女性的な魅力を強調するものではなかったが、生命力に満ち満ちて、走り出すのを我慢している子供のようにも見えた。
ペペロンはどこに居ても何をやっていても目立つ。潜入や暗殺といった任務にまったくと言って良いほど向いていない。やる必要もない。派手な戦争に放り込めば派手に活躍して人心を惹きつけ士気を高めるような存在を、どうしてわざわざ人目に付かない場所に置くだろうか。
ベムトロンは怒りに燃えていた……!
ペペロンの水着がそこら辺でテキトーに買ってきたような紺色の地味なものであることも許し難い。
天才肌のペペロンは服装のセンスも決して悪くないのだが、駆け足の人生を送ってきた弊害によるものか、少女のような感性を残している。あまりに特別すぎて、将校扱いされているのも良くなかった。共同の更衣室を使う機会など皆無に等しく、衣類のアップデートが進んでいない。そんなペペロンを男どもは萌えとかいう良くない目で見るのだ。
「ぬぅあッ……!」
ベムトロンのひたいから血が垂れる。発達した頭蓋の一部が皮膚を裂き、血に濡れた角が露出した。
戦闘形態に移行したベムトロンの身体機能が増大し、著しく視力を増した目が、ペペロンの瑞々しい肢体を隈なく観察する。
「オッ、オオッ……!」
角の民の変身は身体への負担が大きい。それだけに殺傷能力の向上は凄まじい。バッと血しぶきが舞い、突っ伏した両手の甲を突き破って角が伸びる。
変身種族は進化の過程で長命を放棄した生物だ。
力が弱い幼体の頃はまだいいが、長じるにつれて栄養補給が追いつかないほどの莫大なエネルギーを、生きているだけで消費するようになる。
そうして得た圧倒的な力で天敵を駆逐し、厄災を乗り越えてきた。
さらに天災を知恵と科学で克服した彼らは、長い歳月を経て己の力を抑え込むすべを獲得していく。
一説によると、睡眠とは生物の常態である。
生き物が眠るのは、睡眠が絶対不可欠な要素だったからではなく、生存競争の中で覚醒する能力を獲得したからだ。
変身種族とは「第二の睡眠状態」を獲得した生物であり、それはたぶん生物として不自然な覚醒状態を二つ持つよりも易しく、自然の摂理に沿っている。
莫大な力を抑え込んだ浅い眠りから目を覚まし、覚醒したベムトロンが全身全霊でペペロンを観察する。苦しげに砂を掻く爪が厚く鋭く伸びていく。
首をもたげた短命の宿業が徐々に身体を蝕み、死のカウントダウンが始まる。
観光客の注目を一身に浴びるペペロンが、砂浜の上で童女のようにぴょんぴょんと軽く跳ねている。波が押し寄せたタイミングを見計らって、タコ型の浮き輪を両手でポンと海に投げる。それっと軽い掛け声を上げて、ぴょんと大きくジャンプした。空中で器用に身をひねってタコ型の浮き輪にお尻を乗せ、着水。キャッキャと海面を手で叩いて波間に揺れる。
ベムトロンは……。
ニッと会心の笑みを浮かべた!
敵を知り、己を知れば百戦危うからず。
ペペロンが海で子供のようにハシャぐ姿を見ることができた。
このことはベムトロンを勝利へと導く一手となるだろう。
具体的にどういう場面でどのようにして役立つかは、その時になってみなければ分からない。もしかしたら無駄に終わるかもしれない。
だが、ベムトロンは今後も監視の手を決してゆるめない。
ペペロンに勝つ、その日まで……!
3.黒星-ベムトロン邸
ベムやんの話を聞き終えて、俺はウンウンと頷いた。
やはり俺の目に狂いはなかった。なんだかトクした気分だ。
スク水を着てタコ型の浮き輪にお尻を乗せたペペロンの兄貴のフィギュアを見つめて、自分の判断の正しさを誉める。ヨイショも忘れない。
相手の嫌がることをするのは戦闘の基本だ。喜びを知れば自ずと見えてくるものもある、か。道理だな。
まったく無関係な気もしたが、まぁ……搦め手には使えるかもしれない。
ベムやんは己の過去の所業に何ら恥じ入ることはないとばかりに堂々としている。話しているうちに熱が入ってきて、身振り手振りを交えて熱演したため、今はソファに寝転がるのをやめて、ちゃんと座っていた。俺の言葉に一つ頷き、
「話をしていて、私も幾つか分かったことがある。お前は私を知っているな。友好的で、私の扱いを心得ている。未来の住人か」
……ああ、そういうことか。
ここは時間の流れがおかしいんだな。
以前にも似たようなことがあった。
今ここに居るベムやんは、俺から見て過去のベムやんだ。彼女はまだ俺を知らない。俺という人間を、俺の目を……知らない。
何の前触れなく訪れたセクハラボーナスチャンスに俺はぶるりと武者震いした……。
これは、とあるVRMMOの物語
黒い星。その身に同じ【工兵】を宿した男と女。過去と未来が交錯する……。
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