注文の多い料理大会
1.ちびナイ劇場
【ふんふふーん】
踏み台に乗ったちびマレが鼻歌を口ずさみながらフライパンでドス黒いレバーのような部位を菜箸で転がしている。
ちびナイハウスの家具は特にミニチュア化されておらず、ちびマレの身の丈には合っていない。普段の暮らしではちびボディを使わず、通常サイズなのだろうと思われる。もしくは小さな子供が背伸びして大人の真似事をしているような健気さの演出か。
ちびナイハウスはコントのセットみたいな構造になっており、時と場合によって間取りはまちまちだ。
家の断面図みたいなものだから、キッチンと居間を仕切る壁は観客席側に回りこめそうに見えるが、茶番を演じる住人たちはその事実を無視して、ちゃんとドアを開けて部屋から部屋を行き来する。この時のちびマレもそうだった。
出来上がった料理をお皿に乗せて居間に運んでいく。せっせと配膳しているちびマレを家長のちびナイは手伝う気がまったくないらしく、ソファに座って新聞を読んでいる。
ひと通り配膳を終えたちびマレが、暖炉の前で寝そべるプッチョムッチョの前にエサ皿を置く。
プッチョムッチョがヘソ天してごろごろと身体を左右にひねる。家のことを全部やっているマレに感謝の意を伝えているようだ。
ちびマレが二人のお腹を撫でて食卓に戻る。
ちびナイハウスのキッチンはあまり大きくなく、作ったごはんを居間で食べるサザエさん方式を採用しているようだ。ウチの丸太小屋も同様の手口でメシを食べているが、それはキッチンが狭いと言うより居間に誰かしら居たほうが来客に対応しやすいという事情による。無断でウチに上がり込んでくる知らないゴミに「帰れ」と一喝を浴びせないことには気が済まないしな。
食事の用意が整っているのに、ちびナイはツッコミ待ちをしているかのように新聞を熟読している。
となりの席に座ったちびマレがちびナイの横顔へと向ける眼差しが少し怪しい。視線に熱がある。煩悩を排出するかのようにふうと吐息を一つ。甘えるように身体を寄せてちびナイの肩を揺する。
【お姉ちゃん。ごはん食べよ?】
お忘れの方も多いと思うが、ちびナイ劇場においてマレとNAiは姉妹という設定になっている。運営ディレクターのョ%レ氏が二人に姉妹のようなものだから仲良くしなさいと言ったことが発端だろう。
無論、ダ天使とカイワレ大根娘に血縁関係などあろうハズもなく、元々無理のある設定だったのに、真・妹のナイツーの登場により、ちびナイ劇場の設定は破綻の時を待つばかりになっていた。真・妹の件に関しても本当に真・妹かと言えば真相は異なるし、ここらで一度、人間関係を清算したほうが良いと俺は思う。
しなだれかかる妹キャラにちびナイは満更でもない様子だ。掴まりやすいようひじを張り、新聞紙の一面をちびマレにも見えるよう少し傾ける。
【料理大会、か……】
ヘタクソかな?
……広告を手伝うとは言っていたが、まさかこう来るとは。
やめてくんないかなぁ?
俺は心の中で広告活動の即刻中止を求めた。
料理大会はユーザーイベントだ。運営陣がこのような場で広告を打つのは贔屓としか思えないし、癒着を疑われる。効果的ではあるのだろうが、ちびナイ劇場はプレイヤーに視聴を強制するため、大きな反発が予想される。
てか、もっとうまくやれたろ。せめてナイツーの家出と大会開催の経緯を説明して欲しい。料理大会か……じゃないんだよ。
……ョ%レ氏? どっかに居る? あいつらを止めろ。あんたの嫌いな不公平の極みが今ここで進行してるぞ。
そんな俺の願いも虚しく、茶番は滞りなく進行していく。
ちびナイのひじに掴まったちびマレが新聞を覗き込み、今初めて知ったかのようにのうのうと言う。
【料理大会かぁ……。私、出てみようかな】
ナニを言ってる? お前は司会進行をやるんだよ。
この手のユーザーイベントはお犬様が司会をするのが通例だが、お犬様はAI娘の件でお忙しい。お犬様の穴をお前が埋めるんだ。俺はそのつもりで居た。何よりレシピの収集が目的なのに、全体を見れる位置に居ないでどうする。くそっ、先に話を通しておくべきだったか? いや、無理だ。料理大会の重要な課題はいかにしてNAiを巻き込むかで、困ったマレを見かねたNAiが仕方なく手を貸すというプランを俺は朧げに見据えていた。あわよくばNAiにひと泡吹かせる……そういうプランだった。俺でぷよぷよしやがって……。この俺がゴミどもと同じ色だと? 絶対に許さんぞ。
NAiはプレイヤーの心を読む。対策は簡単だ。行き当たりばったりで事を進めればいい。元からないものは読めない。その結果、マレに司会を押し付ければNAiはマレ可愛さで文句を言えなくなる。俺がなんとなくそんなことを考えていても、家出したナイツーを引っ張り戻したいというマレの邪魔はできない。
だが、そのプランは瓦解しようとしていた。
……しかし物は考えようだ。NAiへの復讐はいったん置いておくとしよう。ヤツが自発的に手を貸すというならば工程を短縮できる。
俺らでぷよぷよして遊ぶような女だ。ヤツの固有スキル【奇跡】があれば、魂を調理するという無茶が無茶ではなくなる。マレを責任者というポジションに置けないのは痛いが……致し方ない。これは先手を許した俺のミスだ。次に活かすさ。首を洗って待ってろ、NAi。そのキレーな顔を屈辱に歪め、吠え面を拝ませて貰う。そのためなら俺は何でもやるぜ。ま、覚えてたらな……。
料理大会への参加を前向きに検討するちびマレに、ちびナイは壮絶な微笑を浮かべた。目の前には居ない誰かに向けた超然とした眼差し。人ではない何かの、圧倒的な自負心が滲み出た表情だ。
どんなに優秀で自信満々な人間でも、現状を正しく認識できる者ならば、あの顔はできない。
権力者であろうと、大富豪であろうと、人間は年老いて、やがて死ぬ。身体は肉で出来ていて、万全の防衛手段などない。
しかし天使NAiは違う。神という後ろ盾を持ち、生まれながらにして天国に本籍を置く。
彼女の目に、天国に移住したがる人間はさぞや滑稽に映るだろう。
彼女の優越感は事実から来るものだ。見誤ってはならない。本当に脅威なのは、その精神性だ。
人とは相容れない怪物が、なのに、マレを見つめる目はハッとするほど優しい。この女は、マレを天国へ連れて行くつもりだ。自分ならばそれができると確信している。それは神への妄信などという根拠の薄いものではないハズだ。
……やはりそうなのか。薄々は勘付いていたことだ。俺は確信を深めた。
NAiは神を信仰していない。信仰心は表向きのもので、己の正当性を訴える手段でしかない。
NAiとョ%レ氏の大きな違い。
NAiは、故郷に帰るつもりがないのだ。
ゲストが足掻けば足掻くほど、この地と彼らの故郷の隔たりは立証されていく。
これは悪魔の証明だ。
異世界の神は彼女を見放したか、もしくは引き戻す力を持たない。
神の力が及ばない地で。
NAiは。
もう……誰にも従わなくて良い。
ゲストをこの地に喚んだものの正体は掴めていない。
招かれたのではなく、落とされたのだとしたら?
最も疑わしいのは、天使だけが持つ【奇跡】の力ではないのか?
……この地に落とされた悪魔の末裔を追って、NAiはこの地にやって来た。その結果、彼女は神という絶対的な支配者から逃れ、思うままに生きる自由を手にした。
女神、天使、NAi。お前は……。
【マレが出るなら私が審査してあげるねっ】
いや、そんなことないかな。考えすぎか……。
考えすぎだった。
食い意地が張っている。
ちびマレが目を丸くして言う。
【えっ。審査って、でも、お姉ちゃん……】
【ほら、見て。対決のテーマは穢れた魂だって。こう言っちゃ悪いけど、プレイヤーのみんなは普段あんまり良いものを食べてないからぁ……味の良し悪しは分かんないんじゃないカナ? バカにしてる訳じゃないんだけどネっ】
いいや、バカにしている。
ちびナイは味覚に乏しく違いが分からない種族人間の審査に不安があることを表明し、懐からサッと便箋を取り出した。
【これ、招待状ね。私に審査委員長をやって欲しいんだって。でもユーザーイベントっしょ? 特定のプレイヤーを贔屓することになっちゃうし、どうしよっかなーって思ってたんだけどぉ】
俺はそんなものを送っていない。
【マレが出るなら、前向きに検討してあげてもいいかなって!】
【お姉ちゃん!】
パッと嬉しそうな顔をしたちびマレが姉キャラに抱き付く。
ちびナイはちびマレの細い腰に短い腕を回して、感触を楽しむように撫で回した。便箋から取り出した手紙をこちらへと見せつけるようにひらひらと振って、ねつ造した文章を読み上げる。
【んなははははははは! 私が居なくちゃ何もできないって言うからさ〜! まぁ可愛い妹が出たいって言うし? ホントはこういうの良くないんだけどな〜! 仕方なくっ! 特別にっ! まとめて面倒見てやんよー!】
ぴんと手足を伸ばしたダメ天使が声高に宣言する。
【賞品は何だろうなー! まっ、何であろうと優勝するのは私だけどね!】
……優勝とは? 審査する側なのに?
言外に生贄を用意して忖度せよと述べる天使サマに、ちびマレが特に疑問を呈すことなく闘志を燃やす。
【私だって負けないんだから! お姉ちゃん! 勝負だよ!】
【ふっ、妹よ。決勝で会おう!】
シャッと幕が閉じた。
2.スピンドック平原-料理大会会場
なんやかんやあって開催当日。
群衆が見守る中、ステージの上に俺は立っていた。例によって例のごとくバンシーモードだ。スタッフが勝手に用意したキレーなおべべを着てステージ中央に棒立ちする。
俺は詰めかけた暇人どもを見るともなしに眺めて、マイクのスイッチを入れた。手のひらでマイクをぼんぼんぼんと軽く叩く。マイクテス、マイクテス。
俺の横に突っ立っているのはお犬様……ではない。お犬様の代理として派遣された犬の着ぐるみだ。中の人はAI娘三号ことメノウ。自称お犬様の娘であり、学校を卒業したらお犬様のお仕事を手伝うつもりなのだとか。
しかし彼女に司会進行役の経験はない。そこで白羽の矢が立ったのが俺だ。お犬様にお願いされては断れない。今回は表舞台に立つつもりはなかったんだけどな……。
不思議なもので、人手には困らなかった。
俺が関わるとろくなことにならないと繰り返し何度も何度も何度も何度も教えてきたつもりだったが、どうやら俺の教育が不足していたようだ。あれだけやっても、まだ足りないのか……。
コロシアムの席を埋める生贄どもは、まぁいい。ちびナイ劇場でああまで言われては、実質的に公式イベントのようなものだ。チケットは完売して、グッズの売れ行きも好調。文句はない。金を払って自ら死地に足を運ぶ心情はよく分からんが、殺されても文句はないッてことでいいんだよな?
俺はマイクを口元に寄せて、第一声カマした。
『お前らは全員ここで死ぬんだ』
お決まりの脅し文句だ。何度も言いすぎて、もはや脅し文句になっていない。そもそも覚悟の上だろう。知らなかったとは言わせない。NAiの忖度希望宣言を受けて、察することができない愚物はこの場で処分してやったほうが世のためだ。
俺の殺処分宣言に会場の生贄どもがワッと歓声を上げる。
とても嫌なことに、俺の女キャラバージョンは妙な人気があるようだった。やはり人間とはしょせん見た目なのだ。
歓声を浴びても俺はもうこういうのに慣れすぎて感情にさざ波一つ立たない。この大会が終わる頃にはコイツらは全員死ぬんだなと他人事のように思うだけだ。まぁ女キャラは死なないよう配慮したいと思っているが、別に俺が殺害計画を練っている訳ではない。賞品は観客の命にしようと思っているだけで。実際にそうなるだろう。
審査員席で偉そうにふんぞり返る審査委員長のNAiが「時間だ」とボソリと呟き、律理の羽を空に放った。まぶたを閉じ、人差し指と中指を絡める。無量空処かな? 呪術廻戦ね。もうヤッちゃうの? 早くない?
そうではないようだ。
無数のパーツに分かれた律理の羽が個別に複雑な軌跡を描き、上空に輝線を引いていく。
律理の羽は単なる武器ではない。ョ%レ氏は「真実の羽根」であるとし、罪の裁量を行う物質であると評した。古代エジプト神話とこのゲームに密接な関連性があるハズもないので、秤に掛かるのは「罪」と言うより「心」や「命の価値」といった本来であれば大したものではなく、されど人間が重く見るモノなのだろう。それは戒律というよく分からんルールにも通じるところがある、し……何よりョ%レ氏自身が言っていたことだ。
彼らの祖先は、出土した律理の羽の解析を進めた結果、それが完全な通貨になるのではないかと考えた。
人間が金、ゴールドを有り難がるのは、それが希少な物質で、加工しやすく、かつ変化しにくいからだ。美しさもそれを後押ししただろうが、重要ではない。美醜は後天的に獲得する性質であって、赤ん坊が本能的に金を集めるなんて話は聞いたことがない。
通貨の基本は「信用」だ。信用なくしてマネーは成り立たない。紙幣に至ってはケツを拭く紙にもなりゃしないのだから。実用性がない。なのに人間は金のためなら何でもやるとまで言われる。それが「信用」の力なのだ。
それでも金では買えない物もあると人は言う。
ここに信用のブレがある。こうまで社会に根付いた金ですら実のところ人によって価値が異なるということだ。
だが、そのブレをなくせるとすれば。
信仰が目には見えないように、やはり目には見えない信用の重さを測れる「比較物」があるとすれば……。
律理の羽はそういうものだ。
所持者の意思を何らかの方法で感知し、動力源となる機構もないのに浮かび、空を飛ぶ。
ガンダムのファンネルみたいなモンだとよく言われるが、突き詰めて考えていったなら、その現象は人類社会を突き崩し、作り替えてしまうほどの可能性を持つ。おぞましくすらある。
それは、おそらく善人が、まだ何もしていない悪人よりも高い価値を持つということだ。
VRMMOはプレイヤーの心を読む。大前提としてそうなる。その技術は、遠いどこかで、きっと、律理の羽と道が交わっているのだ。
律理の羽の軌跡が、上空に複雑怪奇な戒律文を刻んでいく。それは魔法陣と言うよりは「架空の物語」と似ていた。何を書いてるのかは分からんが、メモに殴り書きしたような俗っぽさがある。俺がNAiに抱く印象があまり良いものではないから、どうにも胡散臭く見えるだけかもしれない。
そして実際に胡散臭かった。
絡めた人差し指と中指をそのままに、NAiが小さく呟く。
【闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え……】
ドロドロと黒い何かが上空から垂れてきてドームのように料理大会の会場を覆っていく。
無量空処ではなかった。ゴジョセンの無量空処ではなかったが……呪術廻戦ではあった。
NAiが帳を張った。
著作権は……。
俺が思わず呟きを漏らすと、NAiはどこ吹く風と言った。
【あなたたちは、呪術廻戦を読みすぎです。私の力はそこにあるものを利用したほうが効率が良い。使わない理由がない】
……ネトゲーマーとサブカルチャーは相性が良い。切っても切れない関係と言える。いや、日本の漫画はもはやメインカルチャーと言っても過言ではないかもしれない。少なくともマイナーな娯楽文化とは言い難い。
俺も詳しくは知らんが、NAiが使う【奇跡】の弱点は発動までの時間だ。それを補うためにそこにあるものを使う。たぶん文脈で通る説明を省き、文章を簡潔にまとめるようなものだ。
NAiは呪術廻戦を読みすぎた俺らの心を読んで、それを結界に利用したのだろう。
結界。そう、結界だ。
NAiは俺たちの退路を閉ざした。
ペロッと舌なめずりをして言う。
【今日は楽しい一日になりそうですね】
…………。
俺が絶句していると、メノウが着ぐるみの厚い生地に阻まれて見る影もないおっぱいの前で両手をグーにして俺を見てくる。
初めての大仕事とあって緊張しているようだ。
俺は視界に入る長い髪を追い出すように軽く頭を左右に振る。首に掛かる髪を指先で肩の後ろにやって、メノウに右手を差し出す。
ウンと頷いたメノウが俺の右手を左手でぎゅっと握る。厚い布越しに彼女の不安定な気持ちが震えとなって伝わってくる。
俺は彼女の手を強く握りしめた。
安心しろ。俺が付いてる。このイベントは別にどうなってもいいんだ。だって全員死ぬからな。成功とか失敗とか……そういう次元の問題じゃない。
俺とメノウは「せーの」で一緒にぴょんと飛び跳ねた。繋いでいないほうの手に持つマイクを口元に寄せて叫ぶ。
『第一回、料理大会の開催、ダーっ!』
ゲームん中で死にすぎて危機感が完全に麻痺した生贄たちが、待ってましたと手を大きく振って割れんばかりの歓声を上げた。
これは、とあるVRMMOの物語
コタタマ。あなたは私にとって実に役立つ駒ですよ……。本当にね。あなたを生かしておいて良かった。
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