オフ会したい男
1.プロローグ
俺は強くなったと思う。
初めてポチョと会った時、牙突零式みたいなのをブチ込まれて、漫画じゃんって。人間業じゃねーぞって思った。けど、このゲームの仕様なんかろくに知らなかった頃だったから、そういうこともあるのかなっていうくらいの認識だった。ギャグ漫画に人間の身体はそういう構造になってませんとマジレスしても仕方ないように。
でも今は違う。今だからハッキリと分かる。
当時の彼女の実力は異常だった。
誰なら勝てた? 誰も勝てなかったんじゃないか?
ポーション。アメリカサーバーのプレイヤーはポチョをそう呼ぶ。
おそらくそれは通り名のようなもので、「ポチョ」というキャラネはそれをもじったものだ。
……これは残酷な予想だ。
彼女を弱くしたのは俺たちだ。
俺たちは世界最高峰の才能を腐らせた。
そういうこともある。
ぬるま湯に浸かっていると失われる。
才能というのはそういうものだ。
2.決戦
思い出が。
……心に色が付いて舞い上がるかのようだ。
血と言うには淡く、火と言うには濃く、……それは根源的なもので、何かに例えて表現するのは難しい。
戦闘に必要なものだけを残し、最適化した結果、余剰した生命力は発散し、宙に溶けていく。
エンドフレーム生成の工程を終えたポチョの機体が戒めを解かれたように猫背になって一歩踏み出した。
ズシンと重たげに踏み下ろした右足が自重でわずかに沈み、地表にひびを入れる。
美しいエンドフレームだった。
地球人プレイヤーのエンフレは心を映し出す鏡と言われることがままある。
それは種族的な平凡さの証明だ。
俺たちは特にこれといった特徴を持たない種族だから、心などというあいまいなものに縋ることしかできない。
俺たちは生まれついてのモブキャラなのだ。
何者にもなれないから、背景に彩りを与える程度の意味しか持たない。
何ができるのかと問われて、答えを持たないから、俺たちのエンフレには統一性がない。
そんな俺たちのエンフレの外観は形成時期も大きな影響を及ぼす筈だ。
世間一般のエンフレへの理解が進むにつれて認識も変わっていく。
ならば、原初の形をとどめているポチョのエンドフレームは世界最古の歴史を持っている可能性もあった。
……かつて彼女がアメリカサーバーで何をやったのか、俺は知らない。
知りたくなかったのだ。
彼女は普通の女の子で、俺なんかでも手の届く女性だと思いたかったから。
彼女は、たぶん、どこまでも強くなれる人だ。
俺は……彼女の凡才を証明したかった。
ギルド化が進むごとに、俺の変身は、もう隠す必要はないのだと言わんばかりに暴力的なものに変異していく。
肉と皮膚を裂いて表出した金属片が俺の四肢を引き千切り、細かく分割して引き離していく。
頭蓋に突き刺さった十数もの棒が俺の中に残った余計なものを削ぎ落としていく。
俺という存在そのものがドロドロに溶けて、別の何かに作り変えられていく。
それは昆虫の蛹がかえって成虫になるのと似ていた。
完全変態を終えた俺は一歩踏み出し、ポチョと対峙した。
ポチョは動かない。
……いつだって俺の近道は遠回りだった。
楽な道を選んできた。
地道な努力を避けて生きてきた。
それじゃダメなんだと分かっていたのに。
ゲストが築き上げてきた最短ルート。そのレールに沿って進むのが正しい道なのだと想像は付いた。
俺は「道」を外れてばっかりだ。
けれど、それが間違いだったとは認めたくない。
ここが天王山なのだと感じた。
彼女を打ち倒すことができたなら、きっと俺は自分を誇れる。これまでの自分を、これから先の自分を肯定してやれる。
ポチョは動かない。
俺は慎重に歩を進める。
……合成技ならイケるか? いや、ダメだ。連続して使えねーってのがどの程度のモンなのか分かんねえ。疲れたとか腹が減るとか目安になるモンが何もねーし練習なんてクソダリィことも一切してねえ。失敗すると反動か何かで身体がボロボロになるしよ。ぶっちゃけ練習だろーが何だろーが何度も使うと良くない気さえしてる。具体的にはたぶんギルド化が進む。そんでダルい。訓練とかマジでダルい。つまらん。一発で成果が出りゃあ多少はヤル気も出るんだけどな……。
努力なんてアホらしいぜ。
俺はどんな時だって楽な道を歩んできた。
よく見える目を有効活用しようとしてきたし、困った時は他人任せにして、ギルドの力が良さげに見えたモンだから取り込んで、都合が悪いことはエンフレでブッ潰してきた。
メガロッパ辺りは地道な反復練習が一番とか言うけどよぉ……俺だって俺なりに積み上げてきたモンがあるんだ。
俺の力はニセモノなんかじゃねえ。
決戦の場となったポポロンの森は、俺らが地球に行く前と何か変わったようには見えなかった。
人体に有害な胞子が霧のように森を覆っている。
その霧を掻き分けて俺は微速前進していく。
俺の意を汲んだウッディが装甲の隙間から顔を出してポチョへと砲口を向ける。
俺のエンフレは通常のそれよりも大きく、レベル補正も高く付く。ギルド化が進むごとに補正は上がり、現在の俺のレベルは1500を越える。ベムトロンにも同様の補正が付いていることから、俺のエンフレは完成の域に達したと見ていい。
ポチョにレーザーが当たるとは思えない。距離を詰めて回避モーションに追い込んで着地を狙う。あのジョンにすら通用した戦法だ。ポチョがそれを上回るというなら、その時は一か八かの合成技に頼る。高機動戦では勝てない。問題はどこまで距離を詰められるか。
ポチョは動かない。
一歩踏み出した姿勢で停止している。
……何故動かない?
正常個体のエンフレは例外なくオート戦闘の機能を積んでいる。
自動操縦だから成長しないとか、戦術的な動きができないとか、そんな甘っちょろい仕様じゃない。強制執行時に近いハズだ。と言うより、そのものだろう。
仮に……。仮に、今のポチョが不活性時のペペロンの兄貴に近い状態だとしたなら……俺は勝てる。意思が眠った状態のエンフレは怖くない。単なるデクノボウだ。
しかしポチョの固有スキルはオートカウンター。後の先を取るのが彼女の戦闘スタイルだ。迂闊に仕掛ければ一撃で倒される。
……ポチョは動かない。
すでに遠距離攻撃で仕留めるという距離ではない。あえてそうしたのか? 撃って来いと誘っている? 俺は選択肢を間違えたのか? いや、それはない。ポチョはステラ機を動かしたことがある。あの時の動き。遠距離戦はダメだ。エンフレは恒星間移動を想定したもので、5kmや10kmなんていう距離はあってないようなもの。特に上位層のプレイヤーはそうした傾向が強い。
奇妙な話だが、俺は砲撃タイプなのに、勝機は近接戦にしかないのだ。自分を信じろ。迷うな。
狂おしいほど勝利を欲していた。
負け犬のような人生に見切りを付けたかった。
どんなに自分は「特別」だと吠えても、本当はそうじゃないと分かっているから、なんの慰めにもならない。
目に見える成果が欲しかった。
俺はゆっくりと着実に距離を詰めていく。
中距離戦のラインを踏み越える。
手を伸ばせば届く距離。
……近くで見ても、やはり彼女は美しかった。
同じ人間だろうに、何故こうまで違うのか。
美しいかんばせに走るひびは非装甲型のエンフレに共通する特徴だ。
非装甲型の別名は女性型。
厚化粧が剥がれるように、肌がひび割れ、ボロボロと破片が零れ落ちていく。
脱落した皮膚の隙間から漆黒のフレームが覗く。
俺の目は彼女の赤い唇に引き寄せられた。
抱き締めて口付けしたいと思った。
ふと伸ばした手が、ぞっとするほど冷たい鉄で編まれていて、煮えたぎる欲情が瞬時に冷めていく。
鋼鉄の身体は戦うためにある。
それ以外には何もできない。
俺は引き絞った触手を絡めて強く握り込んだ。
彼女のぴたりと閉じた赤い唇が、ひび割れるようにわななく。
【……コタ、タマ】
俺は。
……俺は、触手を編んだ拳をほどいて、彼女の頬にそっと触れた。
【……なんで、俺なんだ……?】
俺は、彼女の前に現れるべきじゃなかったんじゃないか……。
俺は、ずっと自分を騙してきた。
結婚イベントが実装されていないからと、鈍感なフリをして彼女の願いに気が付かないフリをしてきた。
俺は、恐ろしかったのだ。恐ろしくて、恐ろしくて、堪らない。
俺は、ゲームに恋愛を持ち込む輩を見下して軽蔑してきた。
けれど、本当はそうじゃないと気付いて、ゲーマーとしてのプライドはズタズタに引き裂かれてしまった。
彼女たちの眼差しが、自分に向くたびに、本当の俺はこうじゃないと心のどこかで悲鳴を上げていた。
……それなのに俺は愛して欲しかった。
俺は頭を抱えてうずくまった。
地球に行って、そこに俺が居ないと知ってホッとした。リアルとの繋がりなんか要らなかった。リアルの俺は大した人間じゃないから、「コタタマ」との落差を知られるのが恐ろしかった。サトゥ氏に二人でこっちに行こうと誘われて、最初に思い浮かんだのは、それでも俺はリアルで愛されたいという、どうしようもなく分不相応な願いだった。
これこそがVRMMOというゲームの最深部に横たわる闇だった。やってることはMMORPGと何ら変わりないのに、グラフィックが違うというだけで、目の前に居る人たちをデータと割り切ることがどうしてもできない。
何のことはない。俺は凡庸なプレイヤーで、ゲームが好きなのではない。リアルが嫌いでゲームをやっているのだ。
数え切れないほど嘘を吐いてきた。
俺は嘘を吐きすぎて……もう、何が本当なのか分からない。
なら、もういい。
決着を付けよう。
俺はポチョに勝って【ふれあい牧場】を出ていく。先生の下で修行を積んで煩悩を断ち切る。
俺は握り拳を固めて叫んだ。
ウッディ!
ウッディがレーザー光線を放つ。ポチョが側転して躱した。俺の拳がポチョの腹部を打つ。硬い。が当たる。ポチョの動きが鈍い。正常個体の機体だから強いと思い込んでいた。そうじゃない。このエンフレは出来損ないだ。
死に戻りしたスズキとジャムが森の中を駆けている。ポチョの巨体を仰ぎ見て、大きく息を吸うと、大声で声援を飛ばした。
「ポチョー! がんばれー!」
「負けないでー!」
俺の拳を浴びて後退したポチョの両目に赤い輝きが灯る。顔を上げると、きらめく双眸が真紅の残照を引いた。
俺の追撃。うなりを上げて迫る拳をポチョが目で追う。俺の拳が根本の触手ごと刎ね飛ばされた。ポチョのひじから曲刀が生えている。揺れ切りか。剣を満足に振る隙間はなかった。
捻流最高峰の剣技。揺れ切りは、軌道が揺れて見えることからそう呼ばれる。どんな形であれ、刃を当てさえすればいいというワザだ。
スライドリードの慣性制御には慣性の保存と揺り戻しという独特の工程を踏む。その現象を利用すると理論上は静止状態からでも硬い骨を絶てる。それは武器にエンジンを積むようなもので、まるで律理の羽のようだった。
左腕を失った。俺は右拳を振りかぶる。ポチョは覚醒した。右拳は囮だ。多節棍のような舌をジャラジャラと伸ばして舌の先端に俺を生やす。舌の先端で俺が黒魔石と魔石を融合する。カーチェイス。
ポチョは俺の右拳を触手ごと断ち切った。両手を下方に突き出し、擬似惑星を五つ射出する。
なに? 何故そんなことが、という思考を俺は強引に打ち切った。有刺鉄線を引き絞って黒桔梗の首根っこを抑える。距離が近すぎる。黒桔梗がポチョに向かったのは単なる偶然だった。それとも俺の知らないヘイト値があるのか。ポチョが叫ぶ。
【Stella! 行こう!】
彼女の頭上に浮かんだ五つの擬似惑星が旋回する。俺は訳も分からず叫んだ。
【Hard-……!】
俺の固有スキルで何をどうするつもりだったのか。自分自身にも分からない。ただ何かしなければならないと感じた。しかし間に合わなかった。
ポチョのオートカウンター。彼女は腕の各部位から様々な武器を生やせるようだった。牙と似た黒桔梗の花弁をハンマーで叩き、噛み砕かれた曲刀を再生しながら飛び上がってとんぼを切る。跳ね上がった黒桔梗がポチョを追う。ポチョの足に食い付くも、びくりと震えて崩壊していく。
時間制限か……!? クールタイムが十分ではなかった。そう解釈するしかない。
ポチョが俺の頭上を取る。速すぎる! 思考が追い付かない! 俺は何ができるのか分からん固有スキルに頼るのをやめた。こんな時に頼りになるのは相棒だ。ウッ、ディー!
俺の真ん丸ボディの背中がバリッと破けてウッディが羽化する。ポチョの刃が迫る。羽化したウッディがハエと似た体躯を揺さぶる。
ウッディの兵科、【工兵】の真骨頂は金属片の操作にある。レーザー光線やレーザーメスはベムトロンの因子によるもので余芸のようなものだ。
金属片で組み上げた大鎌がポチョの刃と噛み合う。
(シンイチ……!)
ウッディの慌てた声。
ポチョが大鎌の先端に立っている。
手のひらをこちらへ向けて。
俺の周囲に黒い金属片が浮かんでいた。
見えてはいた。見えてはいたが……。
……ウッディ。お前のじゃないのか?
な、なんで……?
金属片を操るのは、ギルドの特権だと思っていた。
しかし……エンフレはギルドの……。
俺は四方八方から金属片で串刺しにされた。
甚大なダメージを負った俺は地に屈した。俺からのエネルギー供給が途絶え、ウッディがボロボロと自壊していく。
スッと地表に降り立ったポチョがゆっくりと歩み寄ってくる。
俺の眼前で立ち止まると、手のひらから槍を生やし、穂先を俺へと向け、もう片方の手で長柄を掴む。
ま、待て……。
俺は地べたを這って逃げようとするが、ポチョさんは待ってくれなかった。
俺はウッディが出てきた敏感なトコロを突かれて死んだ。
これは、とあるVRMMOの物語
やはり……負けたか。
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