ヒミツの懺悔
1.ポポロンの森-居酒屋【火の車】
サトゥ氏が手をゆったりと揺らすと、グラスをたゆたう琥珀色の液体が揺れ、溶けゆく濃淡が夕暮れ時の空を思わせた。
サトゥ氏の濡れた唇からフッと薄い吐息が漏れる。それは自嘲の笑みだったのかもしれない。
「コタタマ氏。記憶はネジだよ。ボルトでもいいかもしれない。締めて、固定するってことだからな……」
カラン、と氷が音を立てた。
俺は微苦笑し、静かに頷く。
……あまりにも何を言っているのか分からなかったので、ヘタに反論したら殺されるんじゃないかと思ったのだ。
コイツはもうダメだな。感性だけで喋ってる。たぶん日本代表の座を追われて常識人ぶる必要性を見失ってしまったのだろう。
……この日を境にサトゥ氏はナイマレの間に挟まろうとするのをやめた。
特に俺からヤメロと言った訳ではないのだが、……何なんだろう。サトゥ氏が奇行に走り始めたのもこの頃だ。レベル上げをするでもなく、ネフィリアの秘密基地にお邪魔して歩兵ちゃんと戯れる等だ。
ネフィリアはびびっていた。
「……お前、サトゥ。どうやって来た?」
サトゥ氏は抱きかかえた歩兵ちゃんの腹を撫で回しながら「んあ?」と腑抜けた返事をして、
「ああ……どうだったかな。でも、まぁ、ギルドの監視網を抜ける遣り方はあるんだ。教えてやろうか?」
ネフィリアは憤慨した。
「……バカにしてるのか?」
サトゥ氏はへらへらと笑っていた。
「そんなんじゃないよぉ。お前さ、ネフィリア。レベルいくつ? 20は越えてるよな? 40からはキツいぜ〜?」
レベルを聞かれて素直に答えるのは危機感が足りないプレイヤーだけだ。よほど身長差がない限り、レベル20のプレイヤーはレベル21のプレイヤーに走っても一生追いつけない。このゲームにおいて他人にレベルを教えるというのは、運動テストの結果を丸ごと渡すのと同意義だ。
ネフィリアはそれ以上サトゥ氏と言葉を交わすのをやめて足早にその場を離れた。去り際に俺にボソリと耳打ちしてくる。
「……今のサトゥに関わり合いになるな。き、危険だ。何かヤバい」
サトゥ氏は遠ざかっていくネフィリアに親しげに声を掛けた。
「ネフィリアぁ。お前とは色々あったけどさぁ、同じβ組じゃんか。仲良くしようぜ。なぁ」
俺はお師匠様の忠告を無視した。サトゥ氏は頭がイカれちまったらしいが、俺はずっとコイツにキツいならトップの座なんて降りちまえと言い続けてきた。
……俺はたぶんサトゥ氏と普通に遊びたかったのだ。その思いが、やっと通じたようで嬉しかった。今は少しばかり腑抜けているが、どうせ長続きはすまいという読みもあった。
サトゥ氏よぅ。監視網の抜け方ってのはどうやるんだい? 俺には教えてくれるんだろ? こっそりな。
「へへっ。いいぜ。簡単だよ。ネフィリアは完璧主義だからな〜。ギルドに注文を付けすぎて一部のレベル低いヤツは追っつけてねーんだよ。で、ギルドってのは死なねーだろ? あとは簡単だ。ネフィリアが敷いたシフトは何があろうと変わんねえ。多少シャッフルしてるが、あいつは何でもかんでも自分でやろうとするから法則性が出来ちまってるんだよ。ウチにはそのデータがある。いざって時にあいつを出し抜くためのモンだ」
おっほ〜! お前ら、おっかねぇなぁ。他にはどんなデータがあるんだよ? ひょっとして俺に関するデータとかあんのか?
「あるぜ〜。お前はデカいイベントがあると、そのあと使い物にならなくなるだろ。でも、それは半分演技だ。ダルい日ってのがあるんだろ? そいつはレベルの前借りみたいなもんで、経験値稼ぎをしてるとある程度は周期が遅くなる。お前がクランハウスでせっせと内職してるのはその為だよ〜」
マジかよ。いや、それは知らなかった。NAiは目を使った反動とか言ってたが……。レベルの前借り?
サトゥ氏は俺以上に俺に詳しかった。
「そりゃあ反動は反動なんだろうよ。コタタマ氏〜。レベルと経験値をバラバラに考えちゃダメだぜ。お前の経験値はマイナスから始まってる。借金には利息が付きもんだ。利息分が一定の値を越えた時にお前はダルくなるんだ。つまり擬似的なレベルダウンだよ」
ん? つまり一時的なレベルダウンで利息分を支払えるってことか?
「そういうこと」
マジかよ。良心的じゃねーか……。
やはりこのゲームはヌルゲーだったのだ。いや、頭では理解していた。女をエサにされたら俺らは大抵の困難を乗り越えられる。運営ディレクターが紳士ぶっている所為でそうなっていないだけだ。つまり俺たちは、かつて一度たりとて本気を出したことがない。余力がある。本気になった俺たちはどんなレイド級が襲い掛かって来ようとも退けることができるだろう。それは予感と言うより確信に近いものだった。何しろ俺たちは今まで本気を出すことすらなくレイド戦を制してきたのだから。
やはり種族人間は……。
俺は高揚するよりも先に虚しさを覚えた。
地球でもそうだったように……この星でも……本気を出せば生態系の頂点に君臨してしまうのか。
……プレイヤーはどんどん強くなる。
いつかはティナンにとって最大の脅威となり、この星にも居場所がなくなる。それが少し、寂しい。別れの時は近いと思った。そうなる前に……。
2.山岳都市ニャンダム-教会
大司教様。俺と一対一で戦ってくれませんか?
「……? どうしたんですか、突然?」
大司教様、いや、ポプラは首を傾げて俺を見上げた。
……どうしても確かめたいことがあるんです。
俺はそれだけ言った。
俺だってバカじゃない。ティナンが強いのは分かっている。俺が敵う相手じゃない。けど今の俺は完全ギルド化できる。以前はまったく太刀打ちできなかったポプラとの差は確実に縮まっている筈だ。
ポプラは成人ティナンの中では強いほうだ。アットムの武術の師でもある。
種族人間はティナンの脅威たり得るのか?
その答えの指標となるのは子ティナンだ。そしてポプラの周りにはいつも子ティナンが居る。俺がポプラと戦ってるところを見せて反応を窺いたい。さすがに子ティナンに直接喧嘩を売るのは無理があるからな……。女キャラに目撃された日には通報された挙句に過程をすっ飛ばされて男子児童に襲い掛かったネトゲーマー男性なんつーレッテルを貼られてネット上でそういうやつは死刑にしてもいいとか言われるんだぜ。さしもの俺も秘匿死刑は堪える。別に両面宿儺の器って訳でもないのに。呪術廻戦ね。
毎週金曜日深夜アニメ放映中の呪術廻戦はともかく、俺はポプラの返事を待たずに完全ギルド化した。全身の皮膚を突き破って黒い結晶が咲き乱れ、浸食した金属片が俺の身体を作り替えていく。肉は裂け、骨は砕ける。流れる血の色が黒く染まっていく。
変貌した俺に子ティナンが喝采を上げた。いつの時代も変身ヒーローは子供たちの人気者なのだ。
だが俺はどちらかと言えば大きなお友達向けのダークヒーローなので、公転運動を開始した擬似惑星上では妻に浮気がバレて刺されたマッチ棒みたいなのが献身的に介護してくれている看護師らしきマッチ棒と急接近しており、今にも大人向けの機能訓練を始めてしまいそうだ。最低だよ。お前は俺か? また刺されても知らんぞ。
悲恋、悲劇の結末を予感した俺の佇まいには、禍々しい形状とは裏腹にどこか悲壮さを感じさせるようだ。
ポプラは何も言わずに構えてくれた。
……ティナンはイイ奴らばっかりだ。それが、俺は堪らなく嫌だった。いつだって損をするのはそういう奴らで、悪い奴の食い物にされる。
ポプラ……。お前は弱い。もしも俺が子ティナンを人質に取ったらどうするんだ……? その時、お前は戦えるのか……? お前は、俺がそんなことはしないとハナから決め付けてる。それがティナンの弱さだ。
だから……お前らは最後の最後には人間に負ける。
俺はかぶりを振って、ハッキリと思い浮かんだ勝利のビジョンを振り払った。
……今はそうじゃない。どうあってもティナンの善性を曲げることはできない。俺が何をやっても無駄だった。俺があれだけ種族人間は信じるなと身を以て言い聞かせてきたのに。
俺は言葉少なに告げた。
「行くぞ」
コクリと頷いたポプラが教会の床を蹴って俺の懐に飛び込んでくる。
「やぁっ!」
ティナンは徒手空拳で戦う。ジョゼットは未だ武器を使う段階にはないからだと言っていた。その考えに俺は懐疑的だ。矮躯のティナンはリーチも短い。常に敵の殺傷圏に身を置くことになる。無論、そのことが何から何まで不利だとは言わない。ティナンに懐に飛び込まれたら俺は長い手足が邪魔で何もできない。ポプラの、いや、大司教様の掌底は俺の鋼の鎧を容易く砕き、その衝撃で俺は血反吐を撒き散らしながら水平に吹っ飛ぶだろう。だが、その先はどうする? 戦闘不能に追い込んだ俺にとどめを刺せるか? 刺せやしないさ! そして目を丸くした大司教様はこう言う。
「えっ……。た、立てないのですか?」
立てやしないさ!
……どうした? 殺さないのか?
大司教様はさっと青褪めた。タッと俺に駆け寄ってきて、おろおろするばかりで勝手に戦闘は終わったものと決め付けている。たとえ、ここが戦場でも同じことをするんだろう。本当にどうしようもない。救いようのない甘ちゃんだ。種族人間は死んでも何度でも蘇ると何度言ったら分かるんだ……?
大司教様は、そっと俺の胸に手を当ててポロリと涙を零した。
「し、死んじゃ嫌です……」
ウッディ?
(お、おう)
俺の体内をウッディが這い回り、ダメになった内臓を補助してくれた。
ぐぅんと立ち上がった俺は大司教様を高い高いしてあげた。
イヤだな、この程度じゃ俺は死にませんよ〜。ほーら、高い高ーい。
「や、やめなさいっ」
大司教様を抱き上げてくるくると回っていると、群がってきた子ティナンどもがキャッキャと俺の外装を指で剥がして千切りとっていく。
ははっ、こらこら。鎧みたいに見えてるかもしれないけど、それフツーに俺の肉みたいなもんだぞ〜? おいおい。だからって俺の指を取り外してイイってことにはならないだろ〜? くるくるって回して簡単に取ってるけど、それ別に最初から外れる構造になってるとかじゃないからな?
俺はぶるぶると頭を振って凶悪なチビっ子生命体どもを振り落とした。吠える。
凶暴ッ!
続けて小脇に抱えている大司教様を問い質す。
アンタどういう教育をしてんだ!? なんでコイツらガキンチョどもは会うたびに俺の身体を破壊しようとするんだよ!?
「そ、それは……ゴメンなさい。私たちは小さな子供の内は力の加減があまり上手くなくて……。あなたたち冒険者の身体は……なんと言いますか……程良い感じなのです。ちょっと、つまみたくなる、のかも。今の、コタタマは……ちょっと硬そうですね。少し、くらいなら……」
へあっ?
素っ頓狂な声を上げた俺の脇腹に、大司教様のたおやかな指先がそっと触れる。
くにっと摘まれた。
「あ、思ったよりも……」
これは、とあるVRMMOの物語
ティナンよりも自分たちの心配をしたほうがいいのでは?
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