コタタマ、最後の戦い
カイワレ大根の化身が遂に動く。
「退けぇー!」
サトゥ氏が叫んだ。
言われるまでもねえ。儀仗兵ってのは国家元首が出席するレベルの式典に供する兵隊のことだ。儀は儀式。仗は長物。儀仗で儀礼に用いられる武器を意味する。そりゃあつまり馴染みのある言い方をすれば宮廷魔術師ってことになるんじゃねえか?
このゲームは、クラスチェンジしても新しいスキルを覚えたりはしない。ただ、出来ることが増えていく。聖騎士が回復魔法とアクティブスキルを使えるように。
だからプレイヤーの終着点は、全スキルと全魔法を使える職業なのだろうと推測されている。
儀仗兵はおそらく魔法戦士だ。
回復魔法を使えるかどうかで状況は変わってくるが……。【スライドリード(速い)】を使える魔法使いとか破滅の予感しかしねえ。
まずは有効射程を見極める。中途半端が一番マズイ。俺はマレに背を向けて全力で逃げる。
リチェットが肩越しに振り返った。なんだ?
「サトゥ!」
なにっ、仕掛けたのか!?
単身残ったサトゥ氏がマレに迫る。いや洗脳された聖騎士も残っている。無謀だ。マレは異教徒じゃない。むしろ敬虔な信徒の部類に入る。迎神教が祀っているのはョ%レ氏の偶像だ。強制執行に落ちた聖騎士の標的はサトゥ氏に絞られることになる。
いや違う? だから今なのか? 数的優位を得たマレには魔法を使う理由がない……!
俺とはまったく異なる発想。サトゥ氏が吠えた。
「アアッー!」
肉薄したサトゥ氏の渾身の一撃をマレは素早く身を屈めて躱す。
「ほうっ」
さも楽しげに目を細めたマレが間髪入れずに反撃を返した。これをサトゥ氏は飛び上がって躱す。マレが目を見張った。
「避ける!?」
しかし口振りとは裏腹に愉悦の笑みを貼り付けたままだ。後退したマレをサトゥ氏が追う。聖騎士どもが背後からサトゥ氏に襲い掛かる。無音で迫る刃にサトゥ氏が超人的な反応でカウンターを放った。独りでに加速した刃がサトゥ氏の身体を振り回しているかのようだ。聖騎士どもを一蹴した国内サーバー最強の男がマレと対峙する。一対一だ。
息を荒げたサトゥ氏がマレに剣先を突き付ける。
「一つ聞きたい!」
「良いでしょう。何なりと」
マレには余裕がある。
対するサトゥ氏は明らかに消耗している。魔力の限界が近い。
「GunS Guilds Onlineとは何だ!?」
GunS Guilds Online。事あるごとに挿入される謎のゲームタイトルだ。
このゲームはガンズ何ちゃらなんていうタイトルじゃない。
マレはゆっくりとサトゥ氏に歩み寄っていく。
「単なる言葉遊びです。……ョ%レ氏の言葉を借りれば、ですが」
付け加えた一言は、あるいはサトゥ氏の実力を評価してのものだったのかもしれない。
「くそっ、別のこと聞けば良かった……!」
「ふふ。そうですね」
後悔は先に立たず。
マレは非武装だ。薄いカーテンを幾重にも身体に巻き付けたような丈の長い羽衣を身に纏っている。所々に【NAi】と共通した意匠が施されている。武器を隠し持っているようには見えない。
羽衣の裾を引きずって迫るマレにサトゥ氏が突進した。マレがダンスのステップを踏むようにくるりと回った。ゆったりとした羽衣がオーロラのような残像を引く。
突撃をいなされたサトゥ氏の全身から血しぶきが上がった。剣を杖に片膝を付いたサトゥ氏が投擲の構えを取る。しかし傷は深かった。ぐらりと大きく体勢を崩して血の海に沈む。
「無、詠唱……」
ョ%レ氏もそうだった。おそらく魔法やスキルを無詠唱で発動するのは不可能ではないのだ。
国内サーバー最強の男を下したマレが俺たちを見る。やり残した仕事を見つめるような冷めた瞳だった。
「私は、あなた方プレイヤーがいつか辿り着くかもしれない可能性の一つです。そして、これは言うまでもないかもしれませんが……それは今すぐではない。辿り着けない可能性も、当然ある」
つまりマレは俺たちが知らない手札を持っているということだ。
サトゥ氏は死んだ。失われたものは戻って来ない。そんな当たり前の現実が、今改めて俺たちに突き付けられている。
マレが艶やかに笑った。
「ふふ。滑稽です。私一人が怖いのですか?」
言ってろ。くそがっ。
マレが歩を進めるたびに、俺たちは引き下がる。
どうする? サトゥ氏亡き今、指揮権を継ぐべきはリチェットだ。いや、俺が心配することじゃなかったな。サトゥ氏とちょっと親しいからといって俺が出しゃばる場面じゃない。
百戦錬磨の【敗残兵】にとって指揮官の脱落なんてよくある修羅場の一つでしかない。リチェットの周囲に集まってきた幹部連中が口々に軽口を叩いた。
「また死んだね。サトゥがまた死んだ」
「最強の男とか言われて最近ちょっと調子に乗ってたからね」
「説教だな。説教確定」
「欲を掻いたな。無欲なら勝てた」
「これだから物欲センサー搭載の旧型はダメなんだ」
「あいつの武器は予備なしで精錬すると99パー折れる。これメモな」
トップクラン【敗残兵】を支える屋台骨。ゲームの勝利の為にリアルを棄てた六人の勇士たち。こいつらは勝つ為とあらば何でもやる。
人呼んで円卓のネカマ。
【目抜き梟】に対抗するべくキャラクリし直して性転換した廃課金の雄だ。
課金が戦力に直結しないこのゲームでは割と無能であると評判だが、極端な話、俺たちは指揮官に有能さを求めない。
もうダメだと思った時、これまでかと諦め掛けた時、どってこたぁねえと笑い飛ばしてくれさえすればいい。
リチェットの目が燃えている。俺たちのリチェット隊長が戻ってきた。強い隊長が戻ってきた。
「オマエら、ギ何とか兵って何だ」
隊長殿は残念ながら儀仗という漢字が読めていなかった。もるるっ……。
円卓のネカマが知恵を出し合う。
「知らん。兵ってことは戦士の三次職じゃないか?」
「違うって。杖だよ」
杖って言ってんじゃん。違うよ。儀仗兵。ギジョーヘイだ。トップクランの幹部が頭悪すぎたので俺は堪らず口を挟んだ。簡単に言うと偉い魔法戦士だ。分かったか、アホどもめ。
「いや俺は知ってたよ。要はロイヤルガードだろ?」
儀仗兵だっつってんだろ。なんで無理やり横文字に当て嵌めようとするんだよ。いや、もういい。キョトンとするな。分かった。それでいい。ロイヤルガードのことだ。俺は諦めた。
「魔法戦士か……」
漢字ってのは本当に凄いよな。信じられるか? こいつら、杖っぽいからっていう理由でマレの魔法を警戒してたんだぜ。頼もしすぎて泣けてくるよ。
リチェットがマレ対策を募った。
「総員突撃するというのはどうだ?」
「Non。一網打尽にされる」
「波状攻撃」
「Non。そんな連携は無理だ」
「魔法使いを一人ずつ突っ込ませる」
「Non。【スライドリード】で殺られる」
まず大前提として俺たちは本職の軍人じゃない。魔法使いに関してはある程度運用をシステム化しているが、それは絶対数が少ないのと運用次第で戦局を打破できると見込んでいるからだ。細かく指揮系統を組めば波状攻撃も可能なんだろうが、イベント当日に居るか居ねえか分からん連中に高望みしたところで始まらねえ。そもそもマレのトップスピードがサトゥ氏を上回ってるなら戦力を小出しにしたところで意味がない。本陣に突入されて終わりだ。
俺はアットムを手招きして、ある作戦を託した。作戦っていうか、なんだ、今後の身の振り方というかね。
アットムが目を見開いた。
「コタタマ……」
そういうことなんだわ。頼むな。
アットムは俯いて、小さくコクリと頷いた。悪いな。お前くらいにしか頼めねえ。
つまるところ女神の加護なしに俺たちがマレに勝つのは無理だ。そして、そのことを誰よりも一番よく知っているのはマレ本人だった。
「作戦会議は終わりましたか?」
余裕綽々だな。
「ええ。あなた方に勝ち目はありません。いささか理不尽でしたか。その点については申し訳なく……何ですか?」
おっと、すまんな。つい目を丸くしちまったよ。
理不尽ね。なるほど。そんな風に考えていたのか。
おい、リチェット。気まずそうな顔してないで言ってやれよ。お前が頭だろ。お前らが適当なことばっかり言うから変な勘違いさせちまったんだぞ。
「え、嫌だよ。オマエが言ってやれよ。私は他人の悪口を言うの好きじゃないんだ」
俺だってそうだよ。俺が悪口言うの好きみたいに言うのやめてくれる?
ただ、隊長殿の命令とあらば仕方ねえな。
俺はカイワレ大根っ娘の勘違いを正してやろうと一歩進み出た。
やい。マレ。
「……何ですか?」
悪かったな。
「は?」
とりあえずプレイヤーを代表して謝罪した俺に、マレはキョトンとした。……可哀想に。本気で分かってねえのか。
俺は溜息を吐いた。
確かに俺らは事あるごとにこのゲームをクソゲーだのハードモードだのナイトメアだのと罵ってきた。それは認める。
だがな、それはリップサービスみたいなものなんだ。むしろ、その、なんだ……。俺は心から申し訳ないと思っていることを誠心誠意伝えるべく白目を剥いた。
俺らは本当はこう思ってる。このゲームはヌルゲーだ。理不尽さで言えば下から数えたほうが早いんだ。
だってお前ら、別にカリウを投げつけて来たりしねえしな。
マレは呆然とした。
「ヌルゲー……」
おうよ。俺は殊更明るく告げた。
このゲームはクソゲーなんかじゃねえよ。まずバグが見当たらねえってのが凄えし、セーブデータが勝手に消えたりもしねえ。それだけでも驚異的なのに、クソ長いパスワード打たなくても続きから始められる。いや、パスワード打てばコンティニューできるってこと自体がな、もう画期的だった訳よ。
世界は広いぜ、マレ。俺は遠い目をした。世の中にはな、超能力がないとクリアできないようなゲームもあるんだ。人間様にそんな高尚なもんが備わってる筈がねえって分かり切ったことなのにな。本当になんで作ったんだろうな。何を目的としていたのか、未だ分からねえよ……。
だからよ。な? マレ。お前は自信を持っていいんだ。お前は立派な雑魚だよ。何しろ一発でクリアできる中ボスなんて滅多にお目に掛かれねえからな。
「私が……雑魚……」
あれ? なに、この言っちゃったよみたいな空気。あーあと溜息を吐いたアホどもが俺を見ている。何だよ。
ああ、そう。そういうことですか。お前らっていつもそうだよな。マレみたいな綾波系っつーかタバサ系にマジで甘いよな。不遇な世間知らず系っていうかさぁ。何なの? マジで。自分だけは味方だからね〜みたいなさぁ! 俺はキレた。
アホどももキレた。
「お前、言っていいことと悪いことあんだろ!」
「確かにマレちゃんは雑魚だけどさぁ! お前もゲーマーなら察しろよ! どう見ても成長していく系だろうが!」
知らねえよ! 味方になったら弱くなる典型的なタイプじゃねえか! 終盤に仲間になられても邪魔なんだよ!
「それ言う!?」
「サイテー! 信じられなーい!」
黙れ! くそがっ!
俺の扱いが雑なんだよ! もっと俺に優しくしろよ! 腐れゲーマーどもがっ!
俺へのブーイングが凄い。
マレと戦うよりも先にアホどもに殺されそうだ。これまでかと俺が死を覚悟した時、期待の森ガールがハッとした。
「一発でクリアできる……? そう言ったのですか?」
おっと、ちょいと口が滑ったかね。
俺はてへっと自分の頭を小突いて、人差し指をじっと見つめた。
「何を……」
んー。俺は人差し指を見つめながらぽつりぽつりと呟きを零していく。
レ氏な。俺のこと嫌ってるみたいなんだよ。不当な報酬を得たからって言われてもよ、困るよな。
で、何のことかなーってずっと考えてた訳よ。アビューズ行為に走ってもお咎めねえし、それ以上のことって何だ? まぁチートくらいなんじゃねえか? ところが俺は身に覚えがねえと来てる。つーかこのゲームでチートは無理だろ。VRMMOっつージャンルからして俺が生きてる間にプレイできるとは思ってなかったんだぜ?
俺らにチートは無理だ。じゃあ誰ならできる? そう、【NAi】だよ。お前が出て来たのは最近だしな。【NAi】絡みで何かあったっけなーって思い出してったらさ、ティナン堕ちさせられたこと思い出した訳よ。そうそう、あんなことあったねって。
でさぁ。よくよく考えてみたら、俺、元に戻れた時の記憶ないんだよ。
だからさ、こう考えた訳よ。俺がレ氏の不興を買ったのは、ナウシカ事件の前後なのかなって。
おっと、すまん。少し話が前後するけどよ。前回のイベントな。ウチの先生がこんなこと言ってたんだよ。マールマールとスピンドックの対立はそうひどいことにはならないってさ。その時は俺、まぁゲームだしなって思って片付けたんだけど。俺らの見立てじゃマールマールはかなりヤバイ力を持ってる。けど先生はさ、確信もなく憶測で物を言ったりしないんだ。人命が関わってるなら尚更だよな。だもんで、俺はもうちょっと深く考えてみたんよ。
なあ、マレさんよ。レイド級の制限時間って、ありゃあ何だ? なんできっかり一時間後、二時間後にレイド級が撤退するって分かるんだ?
そうだよな。お前らが命令してるんだろ?
【戒律】は祝福であり呪詛でもある。レ氏の言葉だ。お前らはレイド級に命令を下せる。だから先生はマールマールとスピンドックの衝突がティナンの危機には直結しないって知ってたんだ。でも、それだけじゃねえよな?
レ氏はこうも言ってたぜ。正当な評価は下されなければならないってな。
じゃあレイド級は、お前らから何を貰ってるんだ? 【戒律】ってのは一方的なもんじゃいけねえっつー決まり事があるんだろ?
俺ね、ぴーんと来ちゃった訳よ。
……ああ、タマ。タマよ。お前、俺を仲間にしたかったんだな。俺をティナンと勘違いしてたのか。
よう、マレ。地獄のチュートリアルにお前らが使徒を用意したのは、使徒がお前らの命令に絶対服従だからなんだろ? 他のレイド級じゃ無理なんだ。
見返りはなんだ? 俺はこう考えたよ。使徒に与えられた特権。それは子供を作ることなんじゃねえのか?
魔石の紋様ってのは指紋と似てる。多分プログラムのようなものなんだろうな。
ああ、全部思い出したよ。だから先生は何も言わなかったのか。
レ氏が俺に刻んだ【戒律】は、記憶を奪う代わりに俺の寿命を延ばしてたんだな。
でも、俺はもう思い出しちまったから……【戒律】は成り立たなくなる。
マレ。俺の勝ちだ。チートなんて要らねえ。つまらなくなるからな。それは俺の流儀じゃねえんだ。
俺の人差し指が淡い光に包まれている。かつてタマがしゃぶっていた指だ。
淡い光が指を伝って俺の全身を包み込んでいく。それは、おそらく【NAi】がョ%レ氏を出し抜くために用意した切り札だったんだろう。でもゴメンな、【NAi】。ここで使うよ。チートを抱えたまま生きるのは俺の流儀じゃねえんだ。
俺の身体が縮んでいく。そうか。こうなるのか。
【警告!】
突っ込んで来たマレの一撃を俺は腕で受けた。もう以前のひ弱だった頃の俺とは違う。
【レイド級ボスモンスター出現!】
まさか卑怯とは言うまいね?
レイド級に先に化けたのはお前だぜ、マレ。
【勝利条件が追加されました】
【勝利条件:レイド級ボスモンスターの討伐】
【制限時間:00.00】
【目標……】
【鍛冶師】【コタタマ】【Level-104】
やったぁ。レベルアップしたぞ。
【条件を満たしました】
【パッシブスキルが発動します】
一度は失った加護が降る。
【NAi】。あの時、お前は死ぬなと言ったな。生きろとも言った。
だが、そうじゃねえだろ。今度はうまくやれよ。
【女神の加護】
【Death-Penalty-Cancel(負けないで)】
【Stand-by-Me!(勝って!)】
よくできました。
さあ、おっぱじめるとしようや!
【警告!】
【キャラクターデータに想定外の不具合が生じました】
【メモリ破損の危険性があります!】
だろうね。
俺は、こんなこともあろうかとアンパンからブン取っておいたヤバいクスリを静脈注射した。こいつぁキクぜぇ!
俺はマレの頭を地面に叩きつけて、片手を広げた。
「ハイポーションだ」
これは、とあるVRMMOの物語。
こんなに可愛くないティナンは生まれて初めて見た。
GunS Guilds Online




