GunS Guilds Online
1.山岳都市ニャンダム
広場を埋め尽くした赤っ鼻を前にして、正直俺は内心ドン引きしていた。
こいつらマジか? 世の男どもはロリコンで溢れてやがる。
戦国時代ならいざ知らず、児ポ法ありし現代にロリコンだらけと来ればこれはもう日本の未来が詰んでるとしか言いようがねえ。
病巣は深いな。この国はいつの間にここまで病んでいたんだ……。
真っ赤なお鼻のロリコンどもが、終の棲み家を見つけたような落ち着きを見せている。どうしてコイツら心なし誇らしげなんだろうか。救いようがねえ。
だが、最高の変態たちだぜ。
時間だ。
ついにサンタさんと袂を分けたトナカイどもは俺が何か言うのを待っていたようだが、生憎とロリコンに掛ける言葉はねえ。ただ……。
俺は変態どもに背を向け、山岳都市の一等地を指差した。そこは、とあるティナンが住む豪華な屋敷だ。中腹にある城ではない。そちらは獣王ニャンダムの寝床なので間違っても足を踏み入れてはならない。
合法ロリ。待ってやがれ。この聖獣様が、今にお前の寝顔を拝みに行ってやるよ。
俺はロリコンの頂点たるアットムを従えて山岳都市の坂道を登り始めた。俺の後をぞろぞろとロリコンどもが続く。
悲しいかな、俺はミニスカサンタを完全に敵に回してしまったようだ。無理もないのかね。好きな男性のタイプはロリコンです、なんて生まれてこのかた一度として耳にした覚えがねえ。なんて罪深いんだ、ロリコンってやつは。そして俺はその代表格と目されている。
闇に紛れて襲い掛かってくるミニスカサンタを薄汚れちまったトナカイが迎え撃つ。
子供の頃、こうは思わなかったか?
世界中の子供たちに一夜にしてプレゼントを送り届けるサンタとは、一体どれだけの超人なのだと。同時にこうも言える筈だ。どちらかと言えばヤバいのはソリを引くトナカイのほうである。激務なんてもんじゃねえ。
この戦いはトナカイとサンタクロースの代理戦争という側面を持ち、あるいはブラック企業への声なき抗議でもある。
しかし一方で、ミニスカサンタとロリコントナカイはある一点において利害が一致していた。
それは、ティナンの眠りを妨げてはならないということ。
この俺へと残像を引いて高速で迫るミニスカサンタを、俺を追い抜いた赤っ鼻が音もなく接敵し連れ去っていく。
光の奔流の只中に居るかのようだ。
俺はとうに理解していた。【スライドリード】使用時に付与される完全消音効果は、ティナンの眠りを妨げないためにある。
これはゲームだ。だからNPCのティナンは、定刻になると家に帰って就寝する。唯一の例外が、王族の勅命による活動時間の延長だ。
月明かりの下、無数からなる【スライドリード】の灯火が街を照らしている。それはひどく幻想的な光景であったが、色濃く落ちた性癖の影が救いようもなく人間の原罪を浮き彫りにするかのようだった。抑えようもなく漏れ出でる喘ぎ声が聖夜を別の漢字へと塗り替えていく。
断言してもいい。これほど最低なイベントを俺は生まれて初めて目にした。どうしてこうなったんだと俺の理性が泣き叫んでいる。全ての始まりであり終わりでもあるアットムが俺に寄り添って歩いている。傍目から見ると俺の性癖に更なる1ページを加えてしまいそうな危険な距離であるが、とても悲しいことにこれが俺たちの完成した陣形である。
ロリコンが討ち漏らしたミニスカをアットムが軽くいなした。アットムと俺には共通する欠点がある。それは素早さだ。ミニスカサンタが俺をロリコンの首魁と見なしている以上、俺はアットムと肩を寄せ合って生きていくしかない。そうした事情を看破してくれるミニスカサンタは、この中に一体どれだけ居てくれるのだろう。俺の性癖が俺を残して一人未来へと歩いて行くかのようだ。一体どこまで登り詰めてしまうのか。このイベントが終わった時、俺は一体どうなってしまうのか。
淡い戦火がとめどもなく拡大していく。俺の殺害が困難であると知れ渡るにつれ、合法ロリの寝顔を巡る攻防は次第に乱戦の様相を呈していく。
赤っ鼻どもの戦う動機は必ずしも一致はしていない筈だ。騒ぎに乗じてお世話になったティナンに恩返しをしたいロリコン。イベントの完全遂行を以ってして俺に生き恥を晒して欲しいと願うロリコン。様々だろう。
それでも大きな指針として俺に後戻りは許さないという意志は一定の票率を満たしているようで、俺をロリコンへと駆り立てるロリコンロードが嫌な感じに誘導灯を灯していく。
よいしょとプレゼント袋を抱え直したアットムが、ミニスカとロリコンが描く軌跡にうっとりとして吐息を漏らした。
「綺麗だね……」
見てくれだけはね。本当、見てくれだけだよ。俺はとぼとぼと坂道を登っていく。走る気力なんて到底湧かなかった。
キャラクター作り直そうかなぁ。最近、本気で悩んでいる。レベルそんなでもないし、失うとすれば目とフレンドリストだろ?
目については、いっそないほうが幸せになれるんじゃないかと思うんだよね。俺が目を使うのはモンスターのヘイトを均一に保つためで、知識と技術でコントロールできる群れの規模はある程度限られている。もしも鍛えた目がなければ、俺はアンパンを殺せなかったし、大量虐殺に手を染めることもなかった筈だ。やれたとすれば、精々が免罪符の発行くらいだろう。人間には一つくらい欠点があったほうが愛嬌があると聞くし、免罪符くらいならうっかりで済まされたんじゃないか。今頃はドジっ子として愛されキャラになっていたかもしれない。
フレンドリストについてはどうか。俺はリストをフォルダ分けしている。大切な人フォルダと遊ぶ人フォルダは捨て難いが、数えるほどしか居ないので再登録に関しては難しくないだろう。その他大勢が占める頭おかしい人フォルダ、興味ない人フォルダ、殺すフォルダは捨ててしまえるなら捨ててしまいたいほどだ。
キャラクターデリートは選択肢としてアリだ。が、先生の秘書をしてたら結局はバレるんじゃないのという危惧がある。それじゃあ意味がないんだよなぁ。どうにかして引退を偽装できねえかな? 色々と考えているのだが思い付かない。いや、一つあるにはあるのだが、本当に偽装は完璧か?と問われると首を傾げざるを得ない。難しいよなぁ。もるるっ……。
俺は悲しげに鳴いた。
2.とあるティナンの家の前
で、こうなる訳だ。
ロリコンどもが総力を結集して俺の退路を潰してくれたお陰で、俺とアットムは無事に合法ロリが住まうお屋敷へと辿り着いた。
一言で言い表すならば、それは武家屋敷であった。
国内サーバー最高の頭脳集団、着ぐるみ部隊の知恵とティナンの労働力が奇跡の合致を果たして実現したファンタジーへの挑戦状である。
その門扉の手前に、ポチョとスズキが陣取っていた。結局はこうなるのか……。
俺は嘆息を漏らして二人の姿をやや遠目に眺めた。二人とも今日はちゃんとサンタコスに身を包んでいる。
ふん、なかなかやるじゃねえか。俺は鼻を鳴らした。ポチョの白い脚はもちろんのこと、スズキの意外とむちっとした太ももに目を奪われる。大抵の女キャラがやたらとガリガリなメイキングをしている中、あの半端ロリは心得ているなと俺を唸らせる。それだけにここで失うには惜しい太ももだぜ。
俺は二対の太ももに声を掛けた。
「お前らが最後の刺客という訳か」
どうなんだ? 正直、屋内に刺客が潜んでる可能性は捨て切れねえ。俺ならそうする。だが、俺にはアットムが居る。長物を振り回すには狭すぎる屋内戦ならアットム有利だ。元々武家屋敷ってのはそういう造りになってる。刀を振り回すにはスペースが足りないよう出来てるんだ。先生の監修が入ってるなら、まずそこは外さないと見ていい。ましてティナンは小柄ですばしっこい。そして薄い。くそっ、ここに来て既に目標を達成してしまった気分だ。帰るか? 今ここで。戦う理由を己の内に見出せずにいる俺に、白いのが吠えた。
「人の目を見て話せぇ!」
ポチョめ。出し渋っただけのことありやがる。癪だが認めてやるぜ。今日の優勝はお前だ。やはりサンタコスは洋モノの特権なのか。それは本場であるという俺の意識がそうさせるのか? 研究の価値は十二分にありそうだな。
しかし目を見て話せだと? ばかめ。お前はもう俺の術中なのさ。俺は勝つためなら何でもやる。宮本武蔵が巌流島の決闘でわざと遅刻して佐々木小次郎の逆上を誘ったように、俺は女と見ればセクハラして冷静さを奪う。逆に何故セクハラされないと思う? これは真剣勝負だぞ。戦いはもう始まってるんだ。俺のセクハラは敬意の表れだと思え。
「そんなだからお前は崖っぷちだのと呼ばれるんだ」
知るかっ。ロリコンリーダーよりは幾らかマシだろうがっ。俺は吐き捨てた。
ロリコンサブリーダーのアットムくんが俺に寄り添う。
「ポチョ。スズキ。こちら側に付かないか? 君たちに戦う理由はないだろう。僕は君たちがコタタマの大神聖ロリコン宣言を真に受けたとは思えない」
待って? 大神聖なに? なんだって? 俺、そんなこと言われてるの? 切ない。
いや、過ぎたことだ。忘れよう。ポチョとスズキを味方に引き入れるというのは良いアイディアだ。信用ならないから味方になったふりをして殺すということだな? アットムめ。なんて悪いやつなんだ。
アットムの意見に賛成な俺は、騎士キャラと元無口キャラに説得工作を仕掛ける。
「跪け! 命乞いしろ!」
「断る!」
ダメか。意志は固いようだな。
しかし何故だ? 何故お前たちは俺の邪魔をする? アットムはティナンのために泣いたんだ。どうして仲間をもっと大切にしてやれないんだ。コタタママ怒るよ。
するとポチョ子は例によって例のごとく日本語が通じているかどうか怪しい返答を寄越した。
「コタタマ。私は強気でぐいぐい引っ張ってくれるお前のほうが好きだ」
じゃあ俺の側に付けよ。メス豚が。
しかしポチョは不敵に笑うばかりだ。
「ふふん。何も分かっていないな。この鈍ちんめ」
ダメだ。コイツとは永遠に分かり合える気がしねえ。俺はポチョの勧誘を諦めた。
だが、スズキ。お前はどうなんだ? リクエストがあるなら応えるぞ。
スズキはにこっと笑った。
「コタタマはね、失敗してる時のほうが輝いてるよ。だから私が輝かせてあげるね」
ダメだ。コイツはどうあっても俺の味方にはならねえ。俺はスズキの勧誘を諦めた。
ポチョが言う。
「交渉決裂だな」
交渉のテーブルに着く前に狙撃された感は否めないが……。
ポチョは俺のボヤきを無視した。
「アットム。来い。あれからお前がどれほどやれるようになったか……私に見せてみろ」
スズキが待ったを掛ける。
「えっ。ポチョ? 逆だよね? アットムは【スライドリード】使わないんだから私のほうが相性いいよ。それか二対二。どっちか」
ポチョとスズキが揉め出した。
「えっ。それは困る。私はアットムの実力を見定めておきたい」
「それ今じゃなくちゃダメなの?」
「さ、サブリーダー命令だ!」
「出た。ポチョ、そういうトコある。困るとすぐそれ。サブリーダーってよく言うけど、私たちの中で一番メンバー歴長いってだけじゃん」
……前以って相談しとけよ。
こいつら、こういうトコあるよな。普段は仲良い癖して戦闘のこととなるとまったく意見が合わない。それでいて、なんとなく通じ合ってる気がする感覚で本番に臨むのそろそろやめよう?
「そそそそんなことはない。先生は私に言った。クランは家族なようなものだと。ポチョが一番お姉さんなんだから下の面倒を見てあげるんだよって。言ったもん!」
「ふーん。じゃ、私も二人のお姉さんってことになるの? お姉さんかぁ……それいいかも!」
「分かる!」
二人はキャッキャし始めた。
俺とアットムは目配せを交わす。もるっ。もるる? もる……。もるっ。頷き合った俺たちは、忍び足でアホ二人を迂回するルートを取る。もる語便利すぎて困るわ。
だがポチョに気取られた。
「話は後だっ。さっきので!」
「さっきのってどっちの! もー!」
スズキが折れた。
ぐだぐだじゃねえか。でも腕は確かなんだよなぁ。嫌になるわ。
スズキの放った矢が俺とアットムの仲を引き裂こうとする。やや俺寄りか。
ポチョ対アットム。俺対スズキの構図だな。それなら俺がスズキを引き付けたほうがいい。
「もるぁっ」
「もるるっ」
何言ってんのか分からねえが、俺とアットムは二手に分かれた。
腰の凶器を抜いたポチョがアットムに迫る。
「よし。アットム、来い。……ん? その袋は捨てろ。片手が塞がっているお前と戦っても意味がない」
いいや、ポチョさんよ。そいつは違うな。その袋はアットムの戦う理由そのものなんだよ。有利だの不利だのといった問題じゃねえ。
確かに片手が塞がってるのは不利かもしれねえよ。ましてアットムは徒手空拳だ。両手を空けたほうがいいに決まってる。だがな、今のアットムにとってはそうとも限らねえんだ。
スズキの矢が飛んで来た。【スライドリード】を使う気はないようだ。このくらいなら目を使うまでもない。俺は身体をひねって矢を避けた。パンチラゲットならず、か。太もも。腰から尻にかけてのライン。太もも。くびれを経由しつつの、ふくらはぎ。ニーソックスからはみ出た太もも。絶対領域。呪縛と解放のカタルシス。俺と目が合ったスズキが小さな悲鳴を上げた。
「目っ。目がヤらしい! その目やめろっ」
俺の目は種族の壁すら容易く乗り越える。魔物が本気で嫌がる視姦の魔眼だ。無論、劣化ティナンとて例外ではない。
そうか、スズキ。お前はポチョが勝つと信じてるんだな。お前らはいいコンビだよ。並んで立つとお前の貧相さがより一層強調されて目立つがな。俺は知ってるんだぜ。お前の腰がちゃんとくびれてることをな。
だが、スズキよ。お前は知ってるか? 達人ってのはな、死ぬまで戦ったことはないんだ。そりゃあそうだ。死んだらおしまいだからな。けど、これはゲームだから。何度でも死ねるんだ。全力で戦ってよ、死力を尽くすってのは言葉で言うのは簡単だが、一体どれだけのプレイヤーが実践してるんだろうな。
俺の目はそうやって鍛え上げたもんだ。ネフィリアは物を教えるのがクソ下手だからな。魔物の群れに放り込まれて死ぬまで追い駆け回されるんだ。もちろん丸腰だぜ。
俺の目は使いすぎると潰れる。リミッターが壊れてるんだろうな。
アットムも同じさ。ただ、あいつは俺よりもひでぇ環境だった。あいつには負けられねえ理由が常にあって、おちおち死んでもいられねえ事情があった。いつしかあいつは武器を使わなくなった。今なら分かる。多分、武器を手足のように使うってのは絵空事なんだ。あるいはそれすら単に修行不足なのか。定かじゃねえが……。神経が通っていて、硬く冷たい金属じゃない、血と肉と皮と骨で出来てる肉体でしか至れない領域ってのがきっとある。
アットムは前人未到の領域に足を踏み入れようとしている。
ポチョさんよ、お前は負けるぜ。今のアットムは神様だって殴り飛ばせる。
サンタクロースが担いでいるような白くて大きな袋を決して手放しはすまいと強く握りしめたアットムがゆっくりと歩き出した。のんびりとして見える足取りとは裏腹に、肌を刺す裂帛の気合いにびりびりと大気が震えるかのようだ。戦闘においてアットムは【スライドリード】を使わない。しかし、いや、だからこそ。
対峙するポチョもまた只者ではない。海を越えて国内に侵入した外来種。この国では異端とされる美貌を決して少なくない驚きが縁取る。
「……なるほど。分かった。お前はそのままでいい。ならば、見せて貰おうか」
ポチョが【スライドリード】を発動した。
「はっ、んっ……!」
もし奪わんと欲すれば、まず与えるべし。
もし弱めんと欲すれば、まず強めるべし。
もし縮めんと欲すれば、まず伸ばすべし。
而して、もし放たんとすれば、まずは内にとどめるべし。
ゆらりゆらりと沸き立つ幻影が魔人ポチョの輪郭を彩る。怪物め……!
この時、アットムは静かに涙を流した。その涙が一体何を憐れんでのことだったのか、あるいはアットム本人にとっても定かではなく……。
まるでそれが神に下された使命であるかのように、二人の戦士は激突の時を迎えた!
技という技! 奥義という奥義! 高次の闘技者たる二人の間で一体どれだけの応酬が交わされたのか、俺には知る由もない。
決着は一瞬であった!
交錯した二人が互いに背を向けて佇む。
ぱっと血の華が咲いた。アットムが腹を押さえて地に片膝を付く。一目で分かった。致命傷だ。アットム! 駆け寄る俺を、アットムは片手を上げて制した。
ポチョが、にいっと口の端を吊り上げて笑う。アットムの拳は届かなかったのか? いや、違う! ポチョの唇を、口元から滲み出した血が赤く染めた。それは、あたかも死化粧のように。
「人の、可能性っ……!」
激しく咳き込んだポチョが、手のひらを溢れんばかりの吐血を満足そうに見下ろした。そうして、糸の切れた人形のように、ポチョは死んだ。
「ポチョ?」
うつ伏せに倒れたポチョに、スズキがふらふらと歩み寄る。……スズキ。ポチョは死んだんだ。身体を揺すっても起き上がることはない。
「……こんなところで寝てたら、風邪ひいちゃうよ。ポチョ……」
ポチョの勝利を信じて疑わなかったのだろう。あるいは今も。ポチョの体調を気遣うスズキの言葉が今はこんなにも痛ましい。
ポチョは死んだ。壮絶な最期だった。
そしてアットムもまた……。
地面に仰向けになったアットムは、夜空を見上げていた。
「コタタマ、これを。君になら、託せる。君にしか、託せない。殿下に、これを……。彼女だって、普通の女の子なんだ。少しくらいの、我儘が許されたって、いい……」
分かってる。
不法侵入だけが、サンタクロースの実在を証明する唯一の足跡だ。
俺はアットムが最後の最後まで手放さなかった白い袋を受け取る。アットムの想いが詰まったプレゼント袋は驚くほど軽く、それだけにずっしりとした重みが俺の双肩にのし掛かった。
この深手だ。アットムはもう助からない。俺は一人になる。ここから先は、もう一人で歩いていくしかないんだ。
「お願いね。ふふ。その赤っ鼻。おかしいや……」
アットムは穏やかに笑って、眠りにつくようにそっと息を引き取った。
取り残された俺とスズキが、心の整理すら付かないまま、ただ遺された意志に衝き動かされるように立ち上がった。それだけが、逝ってしまった二人にしてやれることだった。
スズキは泣いていた。俺はどうかな……。男の子は泣いたら負けって教わって育ったからな。女の涙を拭ってやるのが男の甲斐性ってもんだろう。一緒になって泣いたって先へは進めねえんだ。遺されたものを、継いで行かなきゃなんねえ。たとえ生き残るのがたった一人だったとしてもな。
お前は。スズキ。ポチョの死に何を見た?
ぐすっと洟をすすったスズキが弓に矢をつがえる。そうか。それがお前の答えなんだな。だったら俺はもうとやかく言わねえ。お前は俺よりもずっとポチョと一緒だったからな……。
だが、スズキは俺にどうしても言いたいことがあるらしい。涙声で俺に問うてくる。
「どうして?」
何がだよ。
「……コタタマは、私には勝てないよ。だってコタタマは、生産職だもん。どんなに目が良くたって、私には勝てないよ」
そんなのやってみなきゃ分からねえだろ。
「分かるよ。だって」
スズキはつがえた矢をこちらに向けた。
「ポチョが言ってたもん。私のこと、天才だって」
……いいや、お前のそれは才能なんて生易しいもんじゃねえ。
生粋のゲーマーだ。一体どれだけのクソゲーを踏破してきた?
俺はな、お前らを詮索したりはしねえ。だが、どうしたって透けて見えちまうもんはある。
なあ、スズキ。スズキよ。お前のキャラクターネームはな、βテスターにしか取れねえもんなんだよ。スズキシリーズの盟主、純スズキの座は長らく空席だったらしいな。
だが、そんなことはもうどうでもいい。お前にも事情ってもんがあるだろうさ。詮索はしねえよ。俺が言いてえのは、たった一つだ。
積みゲーの数なら負けてねえ。
あと、こいつも言っとくぜ。
聖剣伝説4は、まだ発売されちゃいねえ。
スズキが笑った。
「そうだね。まだ発売されてないね」
戦いの第二幕が開く。
俺は奇声を上げて突進した。スズキは狩人だ。近接戦に持ち込めば勝機はある。だが裏を返せばそれしか選択肢がないということでもあった。
スズキは一定の距離を保ちながら矢を連射してくる。熟れた動きだ。襲い掛かってくるポチョと比べれば、俺なんて動物園でたまに動き出したパンダみたいなものだろう。
矢は見える。が、身体が追いつかねえ。何とかして距離を詰めたいが、近付けば近付くほど回避行動に回せる猶予はすり減っていく。
どうする? 考えろ。頭を回せ。俺はいつもそうやって逆境を跳ね除けて最後は結局死んできた。だが今回ばかりはそうも言ってられない。
こうなったら生き残りのロリコントナカイに声を掛けてスズキを取り囲むしかねえ。戦隊モノよろしく悪の怪人スズキをやっつけるんだ。しかし相変わらず俺のReal-Luck値は散々たるもんだ。肝心な時に限ってロリコンは俺の近くに居ねえ。談合でやらかした時もそうだった。アットムめ。やはり性癖の違いが俺たちの間に大きな壁となって立ち塞がるのか。
俺が周囲にロリコンの影を探っていることを察知したらしく、ロリコンの標的としてはやや育ちすぎたレッサーティナンが短期決戦を仕掛けてきた。
「ティナンのトコなんて行かせない!」
それは本能に刻まれたティナンへの忠誠が成せる業なのか? 俺には分からない。お前にとってティナンとは一体なんなんだ。単なる上位種というだけじゃないのか?
俺の可愛いサボテンさんが、俺の手を離れて飛び立とうとしている。訪れんとする鉢植えの時は、あまりにも切なく……俺の胸を甘く締め付けて……。
月下に、花を咲かせるか。
俺は目を使った。心臓が大きく脈打ち、眼窩が熱を帯びる。
スズキが【スライドリード】を発動した。
「だめっ、だめっ、だめっ……! んっ、〜っ!」
ダメだ。俺は悟った。
俺は……コイツには勝てねえ。
スズキが放った矢は、空中をゆっくりと進んでいる。第二射が第一射を追い抜いた。そんなのってアリなのかよ。
シフトチェンジだ。スズキは、矢の速度を変調できる。
ぞっとした。狩人ってのはここまで反則的な職業だったのか?
矢の速度を変えられるってことは、面の制圧ができるってことだ。
個別に都度調整が効くのか? だとしたら、もはや勝ちの目が見えない。人間の処理能力でそんなことが可能か? 賭けに出るには根拠が弱すぎる。こんなの逃げるしかねえ。さすがに空中で軌道を曲げることはできないって信じてる!
迫る矢の雨。流星群のごとし。俺は地を蹴って横っ飛びした。ごろごろと地面を転がって跳ね起きる。矢が俺を追尾してきた。スズキさん。矢で矢を弾いたのですか。狙いは違わずハートブレイクコース。過程がどうあろうと最終的には急所を狙ってくる天才性が怖い。
負ける。これは避けられない。体勢が悪すぎる。
死ぬのか俺は。何も成し遂げられないまま。
嫌だ。まだ俺は!
アットム……!
ああ、まただ。
眼窩の奥に疼痛が走る。
忌まわしい記憶の蓋が開く。
5.???
「二回のチャンスを諸君らに与える」
そう言ったのはリア充の権化だ。
俺の全身が叫んでいる。こいつは敵だ。
許すな。殺せ。それなのに身体が竦んで言うことを聞きやしねえ。真綿で首を絞めるような絶望の感触だけがある。なんだってんだ?
スーツのポケットに片手を突っ込んだまま、男が無造作に歩いてくる。ぴたりと足を止め、不審げに眉をひそめた。
「なんだ? 君は何をしている?」
男が見つめているのは先生だ。
どこからともなく差し込んだ光が先生の身体を照らしていた。もこもことした毛皮が淡く輝いている。絶望に抗う希望そのものであるかのようだった。
【条件を満たしました】
【イベント】【森羅万象の理】【Clear!】
【Class Change!】
【Goat さんがウィザードにクラスチェンジしました!】
ん!? よく分からないけど先生は凄いってことか?
この時、初めて男の顔から余裕が消し飛んだ。
「システムを欺いただと……」
先生は答えない。ネフィリアに対してすら向けたことがない無言の敵意を放っている。
男が笑った。先生を指差し、宣言する。
「稀有な資質。素晴らしい。Goat。君に称号を与える」
【条件を満たしました】
【Goat さんが称号を獲得しました!】
【賢者】
【ウィザード】【Goat】【Level-11】
やっぱり先生は最高だぜ。よく分からないけど、称号って凄くない? 凄い。
しかし先生はまったく嬉しそうではなかった。鉛を押し出すような苦々しい声で呟く。
「道化か……」
道化師じゃないよ。賢者だよ。先生は賢者様なんだよ。ま、言われるまでもなく俺は知ってましたけどね。
しかし先生の反応を男はいたくお気に召したらしい。ますます嬉しそうに目元を和らげ、よくできましたとでも言わんばかりにネタバレを始めた。
「【戒律】は祝福であり呪詛でもある。称号と職業は本質的には同じものだ。ただしレイド級を縛る【戒律】は【賢者】には適用されない」
もはや男の目は先生に釘付けだった。
「君は私を出し抜けるかもしれない唯一の可能性になった。評価は正当に下されなければならない。すなわち」
そこで一度言葉を区切った男が俺を見る。なんだよ。その目。気に入らないぜ。見下しやがって。
「不当な報酬を得た者の巻き添えで、ここに居る諸君らは【戒律】を刻み込まれることになる。他ならぬこの私の手によって。もしもそれが嫌ならば」
そう言って男は俺たち【ふれあい牧場】のメンバーを順繰りに見つめた。
「戦い給え。抗い給え」
3.とあるティナンの家の前
俺が一体何したってんだ!
【条件を満たしました】
【イベント】【聖騎士の叙勲】【Clear!】
【Class Change!】
【コタタマ さんが聖騎士にクラスチェンジしました!】
だが、まだだ。まだ足りない!
畜生! サトゥ氏! ばか! ボトラー! 説明が下手すぎるんだよ! 【高速スライドリード】ってどうやるんだよ!
サトゥ氏の言葉が脳裏を過る。
(いつもみたいにぎゅってして?)
してるよ! してるの俺は!
つまみなんかねえぞ! お前にはガッカリだ! 誰も彼もがお前みたいな変態じゃねえんだ! 俺はマニュアルがないとダメな男なんだよ! プラモを組み立てるのに説明書が入ってなかったらクレームもんだろ! 呆然とするわ!
(魔法はレイド級ボスモンスターが持つ力だ。彼らの真似をすることがもっとも正しく理に適っている)
先生! でも先生! 具体的に何をどうしたらいいのか分からないんです! 俺を導いてください! 迷える子羊・The・俺!
6.???
「戦い給え。抗い給え」
イケメンは死ね! 俺は奇声を上げて突進した。
ゲームの中で主役を張れるのは非リア充の特権だ。イケメンを殺して山に埋めることでしか俺たちの魂が安らぎを得ることはない。
「んっ! あうっ……!」
【スライドリード】を発動したポチョが俺を追い抜く。考えることは一緒か。
スズキの援護射撃が降り注ぐ。男はそれらを悠々とかわし、ポチョの斬撃を屈んで避けたと思った瞬間、掻き消えるように忽然と俺の視界から姿を消した。
俺は呆然とする。こんなことは初めてだった。ポチョは……どこだ? ポチョも居ねえ。連れ、去られ……。
後ろから呻き声が聞こえた。俺は振り返った。
苦しげに片膝を付いたポチョの白い喉を、男の指が抉っている。
なんだ、これは……。現実感がねえ。悪夢でも見ているかのようだった。
あのポチョが、まるで王に跪く臣下のように膝を屈している。
男は、苦しげに呻くポチョを見てすらいない。先生だけを興味深そうに見ている。
先生が男へと放つ敵意は、もはや殺意と見紛うばかりだった。だが動かない。己を律するように杖をきつく抱き、観察に徹している。
男は満足そうに頷いた。
「セーフティロックの度合いは国によって異なる。国民性と明文化された法律が定める表現上の規制を参考とした。国が違えば、スタート地点も異なる」
喉を貫かれたポチョがひゅーひゅーと呼気を立てている。
「あっ、がっ、あああああああああっ!」
喉が裂けるのも構わず剣を跳ね上げた。
一瞬で背後に回った男がポチョの首を指で跳ねた。【スライドリード】なのか? 魔法やスキルには二段階目がある。ポチョは確かにそう言った。しかしあまりにも……次元が違いすぎる。
返り血を浴びた男が、ゆっくりと中指を折った。
「彼女はあと一回で脱落だ」
4.とあるティナンの家の前
ポチョ!
俺は!
びきっと両目に不吉な感触が走った。
4.???
「玩具箱だ」
男が言う。まるで、そうでなくてはフェアではないというように。
「私はプレイヤーが到達しうる最高点だ。ただし飽くまでも私が理想的と考える環境での到達点であり、私と同じ域に辿り着くプレイヤーが現れるとは考えていない」
変化は唐突に現れた。
視界に赤い光が舞う。火の粉というには透明感があり、血というには薄く、輝く。それは命の色という他なく。
回復魔法? いや、違う。これは……。
アナウンスが走った。
【パッシブスキルが発動します】
緊急時においてはプレイヤーを死へと誘うチャットが、この時ばかりは儚く点滅していた。
【女神の加護】
【Death-Penalty-Cancel(死なないで)】
【Stand-by-Me!(生きて、また私と……)】
【NAi】なのか?
男が笑う。全てお見通しだとばかりに。
「良い子だ。ようやく尻尾を出したな」
【NAi】。お前は何を願ってる?
男は笑う。子供の駄々に付き合ってられないとばかりに。
「だが、読み違えたな。私はレイド級ではない。ルール違反だ、ナイ。被造物が創造主を上回ることはない」
言下に俺たちを包む真っ赤な光が砕け散る。大気に溶け込んでいく命の色が、まるで夢の終わりを告げるかのように小さく瞬き、
【パッシブスキルを停止します……】
【凍結……】【女神の加護】
泣き叫ぶようにアナウンスが走る。
物置小屋に閉じ込められた小さな子供が慈悲を請うているかのようだった。
【GunS Guilds Online】
【警告】
【強制執行】
【逆臣の処刑】
【消えゆく定め、命の灯火……】
【誰も救えない】
【王は一人】
【勝利条件が追加されました】
【勝利条件:君主の殺害】
【制限時間:00.00】
【目標……】
【英雄】
【君主】【ョレ】【Level-99】
プレイヤーの最高到達点。それが意味するところは一つしかない。
デバッグモードだ。
バグを取り除くための管理者コード。
ョ%レ氏は凄惨に笑う。人差し指と中指を立てて、二本の指を見せつけるように小さく振った。
「しかし祝福と呪詛……。二回だ。二回のチャンスを諸君らに与える」
5.とあるティナンの家の前
「うおおおおおおおおおっ!」
俺は【スライドリード】を発動した。正直何が何だか分からねえが、どうやら俺はとっくのとうに条件を満たしていたらしいな。
俺を縛り付ける何かがある。そいつを裏返しにして、くにっと摘んで引っ張る感じだ。
これが【スライドリード(速い)】。これが近接職が目にしている景色なのか。
急加速した俺の脇腹をスズキの矢がこそぎ取った。傷は深い。だが、俺は生きてる。ドロリと熱い感触が頬を伝う。俺の目がヤバい。視界の脱落が始まった。血眼とはまさにこのことである。
いきなりクラスチェンジして【スライドリード】に開眼した俺を、スズキが目を丸くして見つめている。身体がふらふらしてる。マナの枯渇が近いな。連射の代償か。
……俺に残された時間もあまり多くはなさそうだ。スズキに構ってる暇はねえ。というか、もういいだろ。これ以上、仲間が死ぬのは見たくねえ。俺は門扉を飛び越えて武家屋敷に侵入した。
しかしスズキはどうしても俺を殺したいらしい。コソ泥よろしくぴょんぴょんと武家屋敷の屋根を飛び回る俺に、最後の力を振り絞って連射を浴びせて来やがった。
正直、俺は調子に乗っていた。遅いぞ。遅い。このパワー! そして魔眼! 今の俺は無敵だ。誰にも止められねえ。無駄無駄ァ。
おぅ、シット。右目が潰れた。目が、目が〜。
着地点を見失った俺は武家屋敷の屋根から落っこちて全身を痛打した。うぐぐ……。スズキめ。見逃してやった恩を忘れてこの俺を撃つとは……。俺は内心で毒を吐いた。くそがっ、誰を撃ってる! 俺は聖騎士コタタマだぞっ。神に選ばれし光のパラディン様だぞーっ!
俺はずりずりと地面を這って合法ロリの寝床を目指した。
6.とあるティナンの寝室
姫さんが目を覚ましたようだ。
「だ、誰ですか?」
もるるっ……。
ふすまにもたれ掛かって座っている俺はホッと胸を撫で下ろした。
ああ、良かったよ。やっぱり王族は特別なんだな。ちゃんと起きれたね。偉いぞ。
俺は力なく笑った。内心でダチに詫びる。すまん、アットム。俺はここまでだ。もう一歩も歩けそうにない。姫さんの寝床に辿り着いて気が抜けちまったのかな……。出血は止まらないし、今ならお医者さんに生きているのが不思議なくらいですと言わせる自信がある。
なあ、アットム。お前は枕元にプレゼントを置くことに拘ってたけどよ。俺はお前とは少し違うことを考えてたんだよ。ティナンにはクリスマスっつー習慣がないからな。もっと別の、とっておきのサプライズがあるんじゃないか。それはお前だよ、アットム。ティナンを心から大切に思っているお前だ。だから、俺は……。
ああ、ちょっと部屋が暗いな。俺は夜目が利くほうなんだが。姫さん、どこにいる?
「あなた、目が?」
ああ、うん。そうだったな。もうほとんど見えてねえ。
姫さん。悪いけど、もそっとこっちに寄ってきてくれねえかな。もう動けそうにねえんだ。つーか、やることさっさと済ませて縁の下でひっそり死のうと思ってたんだが、このザマでな。あんたが起きてくれるんじゃないかと一縷の希望に縋ってもるもる鳴いてた訳よ。文字通り一生に一度のお願いってやつだ。頼むわ。
姫さんが寄ってきてくれたのかどうかは分からない。血を流しすぎたな。本格的に五感がイカれてきた。
まずい。これ以上は保たねえ。だけど、これだけは言っておかねえと。
姫さん……。あんたのために、死んだ男が居た。こいつは、そいつが俺に託したプレゼントだ。
俺がアットムに託された白い袋を掲げて見せると、姫さんがあっと声を上げた。
「クリスマス、ですか?」
ああ、そうか。先生から話だけは聞いてたんだっけな。
だったら話は早えや。助かる。これ以上は、もう……。
俺は袋の中身をまさぐりながら、意外と近くに聞こえた姫さんの声を頼りに彼女の顔を見つめる。
ふっ。姫さん、あんた綺麗な顔してんね。
ようやく探り当てたプレセントの中身を、俺は姫さんに差し出した。軽い。服か。アットム、お前らしいよ。俺はヒマワリ畑を駆ける姫さんの姿を幻視した。庶民臭いワンピースを着てさ。またこれが一山幾らの安物だ。けど楽しそうに笑っているよ、アットム……。これでいいんだな?
「メリークリスマス」
おぉ、このざらざらとした手触りは紛れもなく……。
スク水であった。
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………アットムくん。
俺は一夏を精いっぱい生きた蝉のように座敷に転がってコトリと死んだ。
これは、とあるVRMMOの物語。
ハッピーメリークリスマス。
GunS Guilds Online