先生お籠り秘話
困難であるということ。
それは男が逃げる理由にはならない。
1.クランハウス-ジャムジェムの部屋
ぢょんぢょんとブーンがさえずっている。
もう朝か……。
俺は、布団の中で甘えるように身体を擦り寄せてくる赤カブトを起こしてしまわないようにそっとベッドから降りた。
俺を探すように赤カブトの手が布団の中でもぞもぞと動くが、目を覚ます様子はない。昨日は激しかったからな。ちょっと殺されてやっただけですっかり安心して身を委ねてくるんだからチョロいもんよ。
枕を抱きしめて人心地ついたAI娘の癖っ毛が絡まないよう少し整えてやってから、俺は部屋のカーテンをシャッと開いた。窓から差し込んだ白い朝日が床に付着した血の手形を浄化していくようだった。部屋の壁に立て掛けられた剣の刀身は女の肌のように白く、花びらのように散った血痕が、艶めかしくもどこか静謐な聖性を湛えていた。
窓ガラスを一枚隔てた向こうには、死を運ぶとされる凶鳥が樹の幹に寄り添うように枝にとまっていて、雨に濡れたまだら模様の羽毛がキラキラと輝いている。一夜明けて未だ色濃く匂う惨劇の気配に惹かれたかのように、こちらをじっと見つめている。
大きく、つぶらな黒い双眸に陽炎のように灯火が揺らめく。その瞳に映った俺の顔がゆらりゆらりとたゆたい、ふと昨夜の記憶と重なる。
2.回想-クリスマスパーティー
役者が違うとはこういうことを言うのだろう。
あわよくば先生を籠絡するという話だったのに、ウチの三人娘は先生の軽快なトークの虜になってしまった。
先生はひづめに持つ箸で冷ややっこを少し崩してやんわりと危なげなくお口に運ぶ。
「うん、うん。ああ、これは美味しいね。上に乗っているのは竹の子かな。下味の醤油がよく効いている。これを作ったのはポチョか。とても料理が上手になったね。うん、美味しい。食感がとてもいい。よくがんばったね」
先生はアニマルベースなので、種族人間のように気持ち悪くころころと表情を変えない。
しかしその穏やかな口振りや耳に心地良い抑揚は、十分な臨場感を以て先生の感情を伝えてくる。
先生に褒められてポチョは気恥ずかしそうに身をよじった。
「えへへ……」
スズキと赤カブトもすでに先生の話術を前にしてあえなく陥落していた。
……ダメだ。コイツらはもう使い物にならない。まったく先生の相手になっていない。まるで園児と保父さんだ。
ここはもう支配人の俺が行くしかない。ネフィリア仕込みの話術で先生を籠絡するのだ。
俺は、先生のもこもこした羊毛に癒されている赤カブトを押しのけた。どけ。
「やぁん。ペタさんずるいよぉ」
やかましい。接待する側が骨抜きにされてるんじゃない。
シャンパンが注がれたグラスをひづめに持った先生がテーブルに視線を落としてぼそりと呟く。
「ようやく真打ちの登場か」
おや、俺をご指名ですか?
俺もグラスを手に取る。
俺と先生のグラスの縁が触れ合い、チン、と澄んだ音を奏でた。
「聖なる夜に」
俺は口元に運んだグラスをくいっと傾けて唇を湿らせながら胸中で呟く。
……俺は三人娘ほど甘くはありませんよ、先生……。何しろ俺はあなたの孫弟子だ。手の内は読めている。
俺はグラスをテーブルに置き、トナカイスーツのジッパーに手を掛けた。
アツくなってきたナ……。
そう呟いてジーッとジッパーを下ろしてレベル2の初々しいもろ肌を晒しつつ、先生にしなだれ掛かる。
レベル差かな……。先生、思ったよりもたくましい身体をしてるんですね。憧れちゃいます。
「そんなことを言われたのは初めてだな。ふふ、嬉しいよ。ありがとう」
お上手なんだから。他のコにも同じことを言ってるんでしょう?
「まさか。君だけさ」
そう言って先生はソファの背もたれに引っ掛けていたサンタ帽をひづめに取る。
あら、お帰りですか? 夜はこれからですよ……?
サンタ帽を頭に乗せた先生がつぶらな目を悪戯っぽく細めて俺を見る。
「ふふ、君には敵いそうにないからね。退散だ」
ぴょんとソファを降りた先生がトコトコと歩いていく。遠ざかっていく丸い背中に二度と会えないような気がして、俺は慌てて席を立った。
待っ……。せ、先生! 行かないで……!
抱き着こうとする俺の機先を制すように、ぴたりと立ち止まった先生が振り返る。
ふわっとマフラーを俺の首に巻き、
「この季節、夜は冷える。楽しい夜をありがとう。私からのクリスマスプレゼントだよ」
俺の胸がトゥンクと高鳴った。
痺れたように立ち竦み、店を出て行く先生を見送ることしかできなかった……。
俺は、首に巻かれたマフラーを掻き寄せて先生のぬくもりに頬をゆるめた。
あったかい……。
ときめき泥棒の先生は俺の大切なものを奪って行ってしまいました、とさ。
いや完全敗北を喫してる場合じゃねえ!
俺は廊下に身を乗り出して叫ぶ。
先生! 先生ー! 一体ドコへ!?
小芝居を終えた先生がダッと居間に戻ってきて、ぴょこたんとソファに座る。俺もテーブルを挟んで向かい側の席に腰を下ろす。
ぐっと身を乗り出した先生がソファから転がり落ちて流れるように受け身を取って座り直した。俺たちの顔を順に眺めて、
「ポチョ。スズキ。コタタマ。ジャム。それと、ここには居ないが、アットムも。みんな。気を揉ませてしまったようだね。私はGGO社に就職するつもりはないよ」
せ、先生……!
パッと喜びに瞳を輝かせる俺たちに、先生は安堵したように胸を撫で下ろした。
「ああ、良かった。私の勘違いじゃなくて。なかなか言い出してくれないから、どうしようかと思ってたんだよ。しかし、どうやら私はそれなりに慕われているらしい。あまりクランマスターらしいことをしてやれなかったからなぁ……」
いいんですよ。先生は神に等しい存在であらせられる。あなたは地上をあまねく照らす光だ。日が昇り地上は光で満たされる。そうでなくては地上の生けとし生けるものは明日を迎えることができないのですから。
「コタタマ。お願いだから私を担いで妙な宗教を興さないでね?」
心得ました。
俺は心得た。
先生がこほんと咳払いをして続ける。
「人には為すべき役目というものがある。GGO社の社長の誘いはとても魅力的だが、そちらはコロリンさんに任せるとしよう。私は種を蒔き、どのような花を咲かせるのかを傍らで見つめたい。コロリンさんの分までね。それが私の責任だ」
……先生はオムスビコロリンと知り合いでしたよね。どんな関係なんですか? パンダマンというのは……。
赤カブトが過敏な反応を示した。
「パンダさん……!」
先生は面映ゆいといった様子で片方の耳を畳んだ。
「……ある日のことだ。私はリアルの都合で中国に出張してね。出張先でこのゲームにログインしたところ、私は気付けば見知らぬ土地に立っていた。あれには参ったな。まったくの予想外の事態だった。混乱はしたものの、幸い女神像が近くにあったからね。私はすぐに日本サーバーに戻ってくることができた……」
先生が自分の身に起こったことを訥々と語っていく。
拍子抜けするほどあっさりと日本サーバーに戻れた先生だが、元より知的好奇心が旺盛なお方である。
「年甲斐もなく要らぬ悪戯心を起こしてしまった……」と、先生は述懐した。いたく反省した様子で縮こまり、
「コタタマがよく口にするだろう。強くてニューゲーム、だったかな? 私もそういう気持ちになったんだよ。こちらの暮らしに取り立てて不満がある訳ではないが、新しいことに挑戦してみたくなってね」
先生はこの場で口にはしなかったが、着ぐるみ部隊のリーダーという立場に対する重責もあったのだろう。
先生は日本サーバーで業務をこなす傍ら、一人の新規ユーザーとして中国サーバーで活動を始めた。
まず最初に為されたのが変装だ。
その当時、いや、βテストの時点で海外サーバーに潜り込む手段は確立されていた。
セーブデータが真っ白な状態で現地に飛べばいい。リチェットが米国サーバーでスタートして情報収集したように、だ。
つまり中国サーバーにはすでにクソのような廃人の刺客が潜り込んでいる可能性が高かった。
そこで語学に堪能な先生は中国人に成り済ますことを思い付いた。整形チケットを使って人間の姿に化ければ、まず同一人物とバレることはない。
しかし先生はお茶目な部分がある。変装するならパンダだろう。そう思ったのだと言う。
そこまで話してから、先生は部屋から一枚の写真を持ってきた。恥ずかしそうにテーブルの上に置く。
こ、これは……。
パンダと言うよりパンダカラーの先生だ。大胆にも程がある。
可愛い!とハシャぐウチの子たちを横目に俺は震える声で尋ねる。
よ、よくバレませんでしたね……。遠目には確かにパンダに見えるでしょうが……。
すると先生はかすかな自信を覗かせた。
「ほら、よく見て。耳の形状がね、少し異なるんだよ。この写真には映っていないけど、尻尾もね。ふふ、丸くした」
な、なるほど。写真だとアレですけど、動いてれば別人に見える、かなぁ?
俺は写真をまじまじと眺める。パンダカラーの先生がカンフーを習っている場面だ。
……ん? この先生にカンフーを教えてるっぽい女キャラは……もしかしてオムスビコロリンですか?
「ん? どうしてそう思うのかな?」
外見年齢と髪の色は違いますけど……顔かたちに面影があります。ヤツが髪を黒く染めて大人になったら、ちょうどこんな感じかと。
「凄いな。正解だよ。コタタマ。君の、そのキャラクタービジュアルの引き出しの多さは強力な武器だね。霊力が高いとでも言うのか」
俺は先生に褒められて相好を崩した。えへ。
「思うにコロリンさんは私の正体を疑っていたんじゃないかな。最初に私が中国サーバーに現れた時、私の姿を目撃したプレイヤーが居たのだと思う。コロリンさんはβ組の一人で、広い情報網を持つプレイヤーだった。私がコロリンさんと出会ったのは偶然ではないだろう」
先生の話は続く。
素知らぬ顔をして先生に接近した残飯野郎だが、先生とフレンド登録することは叶わなかった。
何故なら、先生は君主だったからだ。
……俺もひょっとしたらとは思っていたが、先生は君主だった頃のョ%レ氏を倒している。
イベント、王位の簒奪の条件を満たしていたのだ。
だが腑に落ちないこともある。ョ%レ氏は先生にやっつけられたあとも、のうのうと君主を続けていた。
それは……先生が持つ【賢者】の称号によるものなのか?
多分そうだ。このゲームにおける君主というジョブは【戒律】を見るに暴君の性質が色濃い。
しかし、そこに【賢者】の称号が合わさったなら……【賢君】ということになる。
治世を敷き、良く民を導く名君のことだ。
俺の推測に先生はコクリと頷いて認めた。
「賢君と言うほどではないけどね。ウィザードと変わりないよ。と言うよりは……称号が強制執行の【戒律】を阻害するため、職性能による恩恵を十全に受けることができないようだ。君たちの助けを借りてレ氏を倒した時に、強制的な転職に強い忌避感を覚えて抵抗したのが原因なのかもしれない」
かくして日本サーバーの君主は二つに分離し……。
先生は君主でありながら君主ではない……ステータスの表記がバグった状態になっているらしい。
特に他者に影響を与える【戒律】は完全に機能しておらず、その代償なのか職性能はウィザードとほとんど変わりないのだとか。
ただし、君主に付いて回る二つの問題。ささやき不全とフレンドリスト破棄に関しては改善することができた。
マレが【戒律】を操作して直してくれたそうだ。
あのカイワレ大根娘が学校マップで先生を押し込んでいたウサギ小屋には、先生の身体を蝕む【戒律】を調整する意味もあったらしい。もっとも、それは半分が本当で半分が嘘だと先生は推測しているようだ。
「経過観察だろうね。こと【戒律】の操作に関して、マレは天才的な資質を秘めている。結果的に私はレ氏の職を剥奪することを拒んだ訳だから……。レ氏に命じられてのことかもしれないが、マレはできる限りのことはしてくれたように思う」
結果、先生のフレンドリストは特殊な仕様になっている。
潜在的な敵プレイヤーとはフレンド登録ができないそうだ。
潜在的な敵プレイヤーとは、つまり他国のプレイヤーと闇の勢力に属するプレイヤーだ。
もしも同盟を結ぶことができたなら登録可能かもしれない。
ささやきに関しては……。
【王は一人】という【戒律】は非常に強力なものであるらしく、マレも手を焼いている。半分は本当というのがそれだ。
先生の精神状態によってはいつ暴走しても不思議ではない、というのがマレの見立てだ。
俺がマレとの戦いでセーブデータを全損した時が一番危なかったらしい……。
これは、とあるVRMMOの物語。
え? 何このマレの株が上がる流れ……。
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