強制執行
人間とは物を考える生き物だと思っていた。
少し俺の考えを話そうか。
人間関係というのは「騙す」という言葉一つで説明が利く。正しいかどうかは分からない。ただ少なくとも俺はそう考えているし、今までそれで不都合を感じることはなかった。
例えば、俺は先生になら騙されてもいいと思っている。言い換えれば忠誠を誓っているということになるだろう。
アットムはどうか。俺はアットムを騙しても許されると思っている。ちょいとばかり照れ臭いが、これは信頼だな。
というように、自分の感情を整理する時は余計な言葉を使わずに一つの物差しで計るのが俺のスタイルだ。自分を騙したっていいことなんか何もありゃしないんだからな。
そう考えていた。
ところがだ。やはりと言うべきか、俺は間違っていたらしい。いや、間違っていたと言うよりは偏っていたと言うべきなのか。
この俺のスタイルにまったく当て嵌まらないヤツが現れたのさ。
無理に当て嵌めれば騙しても仕方ないやつということになるんだろうが、それだと俺の中じゃ犬猫と同じカテゴリーに入っちまう。そりゃあどう考えたっておかしいだろうと思う訳だな。
つまり俺の妹弟子、マゴットのことだ。
1.クランハウス-居間
「こいつはマゴット。ネフィリアの弟子で、まぁ……俺の妹弟子ってことになるか」
普通に訪ねてきたアホを、俺はウチの子たちに紹介した。
ウチの子たちは呆然としている。
まぁそうだよな。分かるよ。一応、先生とネフィリアは敵対関係にある。
先生はネフィリアを危険視しているし、ネフィリアは先生を邪魔者と考えている。
二人の因縁はβ時代まで遡り、これまでに何度も衝突を繰り返してきたが、未だ決着が付いていない。
当然ながら先生のクランに属する俺たちは反ネフィリア陣営ということになる。
となればネフィリアの弟子とも疎遠になるのが普通だ。
実際、俺はマゴットにそう説明した。けど、このアホは俺の言っていることをまるで理解してくれなかった。お前は俺たちの敵なんだと言ってやっても不思議そうに「なんで?」と首を傾げるばかりで、一向に引き返そうとしない。
俺は匙を投げた。もう知らん。好きにしろ。
「マゴットでーす。ヨロ」
人前で憚ることなくアホっぽいポーズを取れるのは子供の特権だよなぁ。原形を留めないほど変形したピースサインを披露したアホが、ばちっとウィンクした。
なんだこれ、俺が恥ずかしい。いたたまれない思いを何故か俺がしている。一体どういう感情なんだ、これ。いや、あれか。言ってみればネフィリアブランドの失墜を目の当たりにして俺が貶められているように錯覚しているのか。多分そうだ。
アホの子は自分が完全に浮いていることなど歯牙にも掛けず、俺に文句を垂れてきた。
「つーかあんたさ、約束が違うじゃん。羊さん居ねーじゃん。あ、もしかしてこの人たちの誰かが中の人なの? サプライズかよー。びびるわ」
先生に中の人なんて居ない。そもそも約束なんてしてないし、お前が一方的に押し掛けて来ただけだろ。
本当は先生は別室に待機しているのだが、俺はこのアホを先生に会わせるなんてとんでもないと考えている。先生は子供に甘いからなぁ。
その点、俺はガキだろうが何だろうがネットに足を踏み入れた時点で容赦はしないと決めている。俺たちは別にままごとをやってる訳じゃないからだ。使えるか使えないか、それだけがユーザーの価値を量る絶対的な物差しであり、そこに年齢という要素が割って入る余地はない。
「ちっ、使えねーなー。アポ取っとけよなー。あんたがミスるとさー。ライバルの私までそういう目で見られんだよ。そのへん分かってる? 自覚が足りないんだよ、自覚がー」
悪うござんしたね。
ハイハイと適当に頷く俺に、何やらウチの子たちがギョッとした。
いや、ライバルじゃないよ。コイツが勝手に言ってるだけだからね。訂正するとまた面倒臭いことになりそうだから言わないけどさ。
ぼーっとしていたスズキがハッとして口元を押さえた。
「あっ。これ不良が捨て猫拾うやつだ」
いやおかしくない?
別にギャップとかないでしょ。俺はいつだって優しいよ。捨て猫拾うのルーチンワークと言っても過言じゃないし、何なら物理法則に含めてもいいくらい自然な行いだよ。
……いや、そうじゃないよな。分かってるよ。自覚はあるんだ。どうも俺はこのアホの子が相手だと調子が狂うっつーか、覇気に欠けるっつーか、やる気がなくなる。開始一分で完全決着したから今更どうこうしようっつー気にならないんだろうなぁ。
俺は肩を落としてソファに腰掛けた。当然のように隣に座ったアホにエサを与える。まぁ菓子でも食ってけよ。先生と会うのは、お前がもう少し大きくなってからにしようや。
「うい、ゴチ。食べても太んないのはいいよなー。VRマジパねえっつーか、レ氏ヤバくね? でもログアウトすると普通にお腹空くからなー。そのへん甘いわ。メルっといた」
メルんなよ。ゲームの中でメシ食ってリアルに反映されたら、いよいよデスゲームの兆しじゃねーか。ただでさえ、いつかデスゲーム始まるでしょこれって俺ら軽く諦めてるんだぞ。
「つーか、あんたとばっか話してても仕方ねーし。気ぃ利かしてよ。私、この人たちの名前すら知らないかんね。人見知りするほうなんだよ。ここであんたのホストテク披露しないでいつ披露すんのさ」
ホストテクって何だよ……。
ああ、ダメだ。やる気が起きねえ。俺は言われるがままにウチの子たちを紹介した。
「そっちの綺麗な髪してるのがポチョ。ウチのサブマスターだ。そっちの可愛い系がスズキ。恥ずかしがり屋なところがある。そっちのなよっとしたのがアットム。やる時はやる男だ」
「やるじゃん。テクい。きゅんとした」
……いや、きゅんとしたっていうか、俺は今ぞっとしてる。
ポチョさん? なにカレンダー凝視してるの? あ、時計? 今度は時計が気になるの? おや、急にそわそわし始めたね。どうしたのかな?
ポチョさんが、スッと静かに涙を零した。
嘘でしょ……。
今? 今ここでなの? それはどうしても今じゃなきゃダメなの?
くそっ、定期イベントか。忘れてたぜ。つーか、ポチョ本人ですら覚えてないノルマなんて知らねえよ。
一瞬にして張り詰めた空気にマゴットが怯えている。
「え? なに? なんで泣いてんの、あの人? えっとー。だいじょぶ?」
俺は歯を食いしばった。悔しかった。なんでだ、ポチョ……。どうしてお前は先生の言いつけを守ろうとしない……。
無防備にポチョに近寄ろうとするマゴットを、俺は制止した。痩せっぽちの腕を掴んで押しとどめる。俺は言った。
「聖騎士の【戒律】だ。カウントダウンが始まった」
上級職には【戒律】と呼ばれる制限がある。
聖騎士は近接職でありながら回復魔法を使える優秀なアタッカーだが、それゆえに【戒律】も厳しい。
行動制限。一定のノルマを期限内に達成しなかった場合、職を剥奪される。
ノルマは選択制だ。定期的に教会に通ってボランティアに励んでもいいし、要求された物資を集めて納めてもいい。善行、清貧の【戒律】だ。そしてもう一つ……
カウントダウンが始まったのち、救済措置として強制執行の権限を与えられる。
【警告……】
俯いたポチョがゆっくりと立ち上がる。
俺はマゴットの手を引いて後ずさる。
アットムがポチョの前に立ちはだかった。
「コタタマ。マゴットさんを。その子は少し育ちすぎている。その子を庇いながらでは、僕は全力を出せない。頼んだよ……」
アットム。お前は本当に頼りになるやつだ。お前ならば、あるいは……。
「勝てるのか?」
俺の問い掛けに、アットムは笑った。顔は見えなかったけど、そんな気がした。
「先生は怒るかもしれないけど、ただで殺されてやるつもりはないんだ。その時は……」
俺も笑った。
「ああ。ポチョは廃業だ。無職だぜ。ざまあねえな」
ポチョが顔を上げた。
視界が真っ赤に染まる。サイレンが鳴り響いた。
【強制執行】
【異教徒の粛清】
【勝利条件が追加されます】
【勝利条件:聖騎士の殺害】
【制限時間:39.89…88…87…】
【目標……】
【聖騎士】【ポチョ】【Level-12】
異教徒。つまり俺ら。
強制執行に入った聖騎士は、見境なくプレイヤーに襲い掛かる。
意識だけは、そのままに。
涙を流して艶やかに笑うポチョは美しかった。お世辞抜きにそう思った。
「それでいい。私を殺せ」
お前は簡単にそう言うがな……。
ノルマをすっかり忘れていた、もしくは最初からノルマなんて無視するつもりだったバカ女がすらりと剣を抜いた。
アットムが吠える。
「行け!」
クランハウスを舞台に惨劇の幕が開く。
「パねえ」
マゴットがぽつりと呟いた。
2.クランハウス-先生の居室
俺はマゴットを連れて先生の部屋に駆け込んだ。
俺たちの足でバーサーカーと化したポチョから逃げ切るのは無理だ。迎撃するしかない。
マゴットは魔法使いだ。あるいはコイツならアットムと連携してポチョを殺すことができたかもしれない。
だが、その場合一つ大きな問題がある。
聖騎士という職業は呪いに近しい。人から人へと渡り、増殖していく性質を持っている。
アホの子には荷が重すぎる。しかし先生ならば。
「先生っ……! ポチョが……」
先生はこちらに背を向け、自室の中央に座っていた。
先生の部屋は畳敷きの和室だ。先生の落ち着いた人柄がよく表れている。
階下よりスズキの悲鳴が聞こえた。
「ポチョ! ばか! どうしていつもノルマ無視するの! ばか! ばか! あうっ……」
バタバタと室内を駆け回る音。
ポチョさんの生き生きとした声が聞こえた。
「スズキ! 今のは惜しかった! お前は天才だ! しかしまだだ! お前はもっと強くなれる!」
「ばかー! ぎゃーっ!」
スズキが殺られた。
先生がしゅんと肩を落とす。
「ポチョはね、私たちとは少し……感性が異なるんだよ」
いえ、少しというか……もはやリアルで殺人を犯さないことを祈るばかりですよね。
「先生、あの女はもうダメです。殺しましょう。俺が食い止めます。先生の手で葬ってやってください」
「それはできない。ポチョを廃業させてしまっては、他の聖騎士が犠牲になる」
聖騎士の叙勲。聖騎士にクラスチェンジする条件は、決闘に敗れた聖騎士の死を看取ることだ。
つまり聖騎士を探し出して殺せばいい。いやそれは頭おかしいだろと俺は思うのだが、実際そうなのだから仕方ない。
よってポチョを廃業させた場合、聖騎士という響きに酔っているあの女の手によって最低でも一人の聖騎士の儚い命が散る。先生はそれを認めない。
そろそろと先生に忍び寄ったマゴットが先生のチャームポイントにそっと手を伸ばす。
すかさず先生の手が機敏に動き、アホの手を叩き落とした。
ハッと我に返った先生がアホの手を取って優しくさする。
「君は、ネフィリアの……」
「羊じゃん! マジ羊! パねえっ。やべっ、テンション上がる。中どうなってんの? ねっ、中どうなってんの? 見してっ」
素早く這い寄るアホを、先生は投げ飛ばした。ころころと転がったアホを、先生は押し入れに仕舞った。
「ここに隠れていなさい。あと、これを。飴だ。舐めると甘い」
「甘い。えっ、何これ。軽く未知との遭遇なんですけど。これ何味?」
「醤油味だ」
先生はふすまをぴしゃっと閉めた。
……醤油味の飴なんてあるのか。しかも甘いだと?
俺も一つ貰えないだろうか。いや、そんなことをしている場合ではないのは重々承知しているのだが。気になる。
こちらを振り返った先生が俺に歩み寄ってくる。
「コタタマ。あと二人だ。あと二人でポチョのノルマは達成される」
あと二人。スズキは殺られた。ならアットムと俺で二人だ。
「先生。なら俺が」
しかし先生は首を横に振った。
「今のアットムでは、まだポチョには届かない。【スライドリード】の制限が緩和された今となっては……」
先生のつぶらな瞳が入り口の方を向いた。
俺は振り返る。アットムがそこに立っていた。
やったのか? アットム。お前、ついにあの女を……!
アットムはニコッと笑った。
「強い……。こ、これほどとは……」
アットムの腹から剣が生えた。
やめろよ。ホラーじゃねえか……。
崩れ落ちるアットム。
あと二人……。アットムを除いて、なのか? 先生……。
アットムの背からぬっと姿を現したポチョが、俺を見て頬を赤らめた。
「確かにアットムは強くなった。だが、私のほうがもっと強い。もっと殺せる」
狂ってやがる。そうまでして俺の血が見たいのか。
先生が進み出る。
「ポチョ。私を殺しなさい」
そう言うと思ったぜ。先生はそういう人だ。
けど、やらせねえぞ。いっそ押し入れに隠れてるアホを人身御供に捧げたいところだが、先生は許しちゃくれないだろう。
ならばせめて俺は先生よりも先に死ぬ。
俺は先生に抱き着いた。
……そして許されるならば、先生の胸の中で死にたい。
先生の耳がぴこぴこと動いている。ラブリーだぜ。
「ほう……」
あっ。ポチョさんが剣を収めてくれた。
俺と先生の美しい師弟愛が奇跡を起こしたんだ。やったぁ。
ポチョが片手を上げた。ゆらゆらと残像が浮かんでは消える。
何だろうね。俺は唐突に理解したよ。
名は体を表す。【スライドリード】は前にサトゥ氏が言っていた頭の中のつまみをスライドするスキルだ。
一段階目の【スライドリード】は最低値につまみが固定されているから、移動速度が最低値にとどまる。
つまりあれだ、魔法やスキルの段階解放をリードするためのスキルなんだね。
で、二段階目とは言うけれど、実質的にはもっと細かく調整が利くんじゃないか。電子レンジみたいに。
さてお立ち会い。俺が思うに、【スライドリード】の最大出力は人間の手足の長さや体重に見合ってない。もっとうまい使い方がある。
助走だ。要はデコピンの要領だな。最大限まで力を溜めて溜めて……
見よ。妖気と見紛うばかりに立ち昇るポチョの残像を。
まだか? 俺はぐっと身を乗り出した。もっと溜めるのか! お前にはそれができるんだな、ポチョ……。
俺は自分でも気が付かない内に泣いていた。零れた涙が一滴、畳に落ちて弾けた。
「綺麗だ」
俺は呟き、
「ふあああああーっ!」
もはや目で追うことなど到底叶わない速度で放たれたポチョの手が、俺の頭をもぎ取った。
俺は死んだ。
「パねえ……」
これは、とあるVRMMOの物語。
もしも生命が偉大であるというならば、死もまた崇高でなければならない。命が散るその瞬間、人は人足り得るか。もしくは……。
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