マゴット
1.居酒屋-火の車
俺はギャン泣きする小娘を【火の車】に連れ込んだ。
二人きりで泣いてる女と斧をぶら下げてる俺なんて構図は最悪だ。プレイヤーに目撃でもされようものなら、またろくでもない悪評が流されちまう。
……いや、言い訳だな。
殺して山に埋めるべきってのは分かっていた。そうしなかったのは、ネフィリアが心配になったからだ。
奇妙な話だが……俺はネフィリアに絶対的な悪であって欲しかった。しょせん俺なんて小悪党に過ぎないと証明して欲しかったんだ。
欲を言えばヒュンケルだな。先生の下で研鑽してゆくゆくは光の使徒と呼ばれるようになりたい。
それなのに、ミストバーンが急に改心して仲間入りしたら妙な具合になっちまうよ。俺はネフィリアに唆されて悪事を働いた被害者でありたいんだ。実際その通りだしな。
ぐすぐすと洟をすする小娘を連れ込んだ俺は大層目立った。転がり込んできたネタに、朝っぱらから飲んだくれてるクズどもは鬼の首を取ったみてえに大喜びよ。
「おいおい崖っぷち。女の子を泣かせちゃダメだろ。お前は本当にクズだなぁ」
「なんつーか、人としてやっちゃダメなことってあると思うんだよな。お前にはがっかりだわ」
「おら、何があったのか報告してみろよ。俺たちに報告してみろ。相談に乗ってやるから。情報は共有しねえとな」
「おら、お得意の口八丁はどうした? ん? 黙ってねえで何とか言えよ。どーん!」
小突いてくるクズどもに殺意が湧いたが、これでちょっとは小娘の溜飲も下がっただろう。見れば、小娘はキョトンとしていて俺と目が合うなり吹き出した。
「やっぱそのモブ顔ウケるわ」
泣いたカラスが笑った。
つーか後ろのモブがうるせえ。調子に乗りすぎだろこのクズども。
「つーか崖っぷちよ。免罪符はひでぇ。最悪だったぜ。お前、ちょっと前に自分はネフィリアとは違うって言ってたのは何だったんだよ」
「俺はネフィリアとは違う……! キリッ」
「ふはっ。似てる」
似てねえよ。殺すぞ。
くそっ、【火の車】に連れ込んだのは失敗だった。モブどもが目障りで仕方ねえ。
見ろよ。笑ったカラスが早くも便乗して調子に乗り始めたじゃねえか。
「コタタマ! 私と勝負しろ!」
あ? 勝負だ? 別に負けてやるのは構わねえが、俺はもう完全にお前を格下と見なしてるからなぁ。正直ここから逆転するのは難しいと思うぜ。
まぁ座れよ。お前の事情は聞かなくても大体分かってるつもりだ。どうせネフィリアから俺ならこれくらいは簡単にこなした〜だの、お前たちは物覚えが悪い〜だのと言われたんだろ? それで俺と直接対決して勝てばネフィリアに認めて貰えると思って俺を待ち伏せした。そんなところか。違うか?
違わないらしい。小娘は瞳を輝かせてぐっと身を乗り出した。
「当たってる。スゲー! 何で分かんの? カリスマ占い師じゃん。マジかよ。ブーム来るわ」
来ねえよ。俺はな、お前と違って色々と考えながら生きてるんだよ。少し考えればこれくらいのことは簡単に分かるんだよ。テンプレ通りの行動を起こしやがって。逆に外れていて欲しかったくらいだぜ。
はっきり言ってやるよ。お前に足りないのはな、そういう変化球を放ってやろうっつー意識だよ。
俺が頭を抱えて溜息を吐くと、小娘は不満げに唇を尖らせた。
「マゴット」
あ?
「私の名前。お前、お前って馴れ馴れしいっつーの」
……あのな。そういうのをやめろって言ってるんだよ。名前ってのは個人の特定に結び付く最たる情報だぞ。
俺やネフィリアの名前が売れちまったのは派手にやり過ぎて隠しようがなくなったからだ。フレンド登録すればどうあっても本名は隠せねえ。偽名で通すメリットをリスクが上回ったんだよ。
しかしマゴットね……。なんかのネトゲーで見た覚えがあるぞ。マゴットってのは確かウジ虫のことだ。ウジ虫ってお前……。
するとウジ虫さんは聞いてもいないのに自分語りを始めた。
「キモ可愛くない? 私、本当はリアネをキャラネにしてたんだけどさー。ネフィリアさんにリアネはヤメロって言われてー。じゃあコードネームみたいなのくださいっつったら名札くれてー。今日からお前はマゴットだって。シビーよなー。ネフィリアさんマジ」
名札ってのはキャラクターネームを変更するために必要な課金アイテムだ。
無能にコードネームを要求されたネフィリアは、お前ごときはウジ虫で十分だという意味を込めてこのアホにマゴットという名前を贈ったのだろう。
くっ、ネフィリア……! 何やってんだお前はっ……! 空回りも空回り……! スピンオフのネフィリアさんの日常みたいな感じになってるじゃねーか……!
モブどもがハッとした。マゴットという名前に心当たりがあるらしい。
「【提灯あんこう】のサブマスターか。崖っぷちの後継者っつう噂だったが……」
提灯あんこう? なんだそれ。
え? もしかしてネフィリアのクラン名なの? 嘘だろ? 何かの暗喩か? いや、それにしたって……。
俺はハッとしてマゴットを見た。
……マジかよ。このガキンチョ、なんつードヤ顔してやがんだ……。
「あ、分かる? やっぱ分かっちゃうかー。私がクラン作りましょうよーって言ったらさー。ネフィリアさんが好きにしろって言うからー。私がクランネ付けました。テーマは〜あえて言うなら悪の帝王って感じかな!」
悪の帝王ってお前……。
悪の帝王っていうか……深海の生き物じゃねーか……。
呆然とする俺にモブが言う。
「崖っぷち。お前、掲示板は見てねーのか?」
……掲示板か。まぁ、な。
俺は渋々と頷いた。
お前らが俺についてあることないこと好き勝手にレスするもんだから顔真っ赤にしてコタタマさんを擁護してたら無駄に有能なお前らにID追跡されて別のスレで主婦のお悩みにキメ顔で回答してたのバレて俺の男前レスを晒されて以来、二度と掲示板には顔を出さないと誓ったんだ。
「あれはやはりお前本人だったのか……」
「無茶しやがって……。降臨するならするでもっとうまくやれただろ……!」
「ゴメンな。お前のキメ顔AA製作したの俺なんだ……」
ブッ殺すぞ。
まぁいい。過ぎたことだ。それで? 掲示板がどうしたってんだ。
「本当に知らないのか。つい先日のことだ。ネフィリアの【提灯あんこう】は、姫クランの認定が下った」
「姫クランだと……?」
姫クランってのは、中心人物となる姫キャラを他のクランメンバーがちやほやして親衛隊を結成するに至ったクランのことだ。
何しろ周りが見えてないもんだから凶暴性が高く、姫キャラの手腕次第ではトップクランに名を連ねることさえある。
だが、ネフィリアはお姫様なんてガラじゃない。他人の吠え面を眺めるのが趣味と言って憚らないような女だ。弟子とはいえ、クランメンバーの顔色を伺うなんてことはしないだろう。
「ネフィリアの弟子については謎が多い。表に出てこないからだ。クランを立てたにも拘らず、ネフィリアは単独で動いている。むしろ頻度は増しているようだ。つまり……」
そこまで言ってモブは言いにくそうに口ごもった。
……なるほどな。弟子が使えないもんだから単純作業だけを与えてるのか。
それは……なるほど……姫クランだな。
だからか。
俺は全てを悟った。
だからネフィリア、お前は俺をクランに誘ったのか。お前は、使えない弟子どもに囲われて、そこに安寧の地を見つけちまったんだな。けど、このままじゃダメになると思って、それで俺を……。
ああ……。
ままならないことばかりだ。世の中ってのは。
そしてどうにも、俺たちのご先祖様が多大な犠牲を払って築き上げた社会ってのは、アホに優しく出来ているらしい。
話の流れでアホの子認定が下ったマゴットが、【火の車】の品書きを吟味しながらあっけらかんとしてのたまる。
「まー確かにあんたはそこそこ使えるかもしんない。うん、私の兄弟子ってだけのことはある。やっぱさー。ライバルって大事だと思うんだよね。なんて言うか、互いに互いを高め合うっつーの? アツくね? いわゆる二世モノ? その序章が開けたなー。幕を開けた」
だが、その幕を開けた二世モノの序章とやらで、俺の自称ライバルは金を持ってないというので、飲み食いの代金は俺持ちとなったのだ。
2.ポポロンの森
もう今日は家で大人しくしていよう。
そう決意した俺は、来た道を引き返してクランハウスへと向かった。
アホの子がさも当然のように俺の後に付いてくる。
……なんだよ。お前の家はこっちじゃないだろ。帰れよ。
「へ? なんで? いいじゃん。偵察だよ、偵察。偵察は大事だってネフィリアさんも言ってたし。ネフィリアさんのライバルだっつー羊さんに私チョー興味あんだよね。あんたさ、ちょっと私に紹介してよ」
……偵察ってそういうものだっけか。コイツ、俺の常識を軽々と飛び越えていくトコがあるな。図々しいっつーか、アホすぎて暗黙の了解が通用しないのだろう。
いいや、もう面倒臭い。連れてっちゃおう……。
俺が諦めの境地に達していると、道の向こうから第二の刺客が歩いてくる姿が見えた。
ネフィリアだ。アホの子を迎えに来たらしい。
ぱあっと表情を明るくしたアホの子が忠犬よろしくネフィリアに駆け寄っていく。
「ネフィリアさん! 私、やりましたよ! ごはん奢って貰いました! あいつ私にメロメロっすよ。なんか照れるなー。そんなつもりじゃなかったんだけど、やっぱデキる女はつれーわー」
ちょろちょろと纏わり付いてくる弟子を、ネフィリアはガン無視した。
しかしそんなことはお構いなしにピーチクパーチクと囀るマゴットを、俺とネフィリアは互いに居ないものとして扱う。
俺とネフィリアは、ただ正面を見据えて平行線を行くように道をすれ違った。
決定的に違えた道を、言葉だけが行き来する。
「コタタマ。お前に日の当たる場所は似合わない。いずれはヤツと決別する時がやって来る」
「それでも日の光ってやつに焦がれるのさ。俺たち人間はな」
いつかお前を救ってやりたいって願うのは俺の傲慢か? なあ、ネフィリア……。
人を殺して、恨みを買って。その先に一体何があるってんだ? 何もありゃしねえよ。
人間ってのは笑えるから綺麗なんだ。つまんねえからって一人で拗ねても仕方ねえだろ。
「ネフィリアさんシビー! 今日もスゲー決まってっし! 黒魔コーデっつーの? 写メっていースか? 基地戻ったら私も合わせんの。ペアルックも悪くないかもしんねーけど、そこはやっぱ個性出してきたい派だからさー。あ、そーだ。基地もデコんないと。ネフィリアさんのセンスに横入れる気はねーんだけど、チョット地味くね?っつーかぁ。悪の美学?みたいなのあると思うんだよねー」
これは、とあるVRMMOの物語。
道は違えた。かつての師弟は敵対し、それでも互いを求め合っている。再び手を携える時はいつかやって来るのか。あるとすれば、共に闇へと落ちるのか。それとも……。
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