アットムの死闘
1.エッダ水道-迎神尊像
⚫︎REC
「何だと?」
「お触りも可だと言ったんだ」
⚪︎REC
エッダ水道の深部で俺は仇敵との再会を果たした。
お触りも可だと? 確かに言質は撮ったぞ……。しかし一体どういう風の吹き回しだ? 訝しむ俺にネフィリアは自分で言っておいてどうかと思ったのか今更のように頬を赤らめた。
「……信じられないか? 確かに私たちは一度は袂を分かった。原因は主にお前のセクハラだ」
どんな人間にだって一つや二つは触れて欲しくない過去がある。純真無垢だった頃の俺を悪の道に引きずり込んだ魔女が俺の視線から逃れるように身をよじった。
「そして今もセクハラされている……。だが、私にも思うところがあってな。あれから何人か弟子を取ってみたのだが、お前ほど非情に徹しきれる者は現れなかった」
それはお前に人を見る目がないからだ。俺がどうこうじゃない。俺は内心そう思ったが口には出さなかった。腸が煮えくり返ってそれどころではなかったのだ。
お触りも可だと?
俺がそんな色香に迷う男だとでも思っているのか。見くびりやがって……!
群れるのを嫌うあの女がいつの間にクランなんぞこしらえたのかは知らんが、おっぱいのクランに入るってことは【ふれあい牧場】を捨てるってことだ。
俺は舐めるようにネフィリアの肢体を見つめた。
見れば見るほどいい女だ。言うなれば俺の性癖に足が生えて歩いているようだった。あの女が俺の妄想の産物ではないことに違和感しか覚えない。
お触りも可……。
俺はネフィリアの誘惑に屈しまいと、散って行った仲間たちのことを思った。
ポチョ……。着やせするタイプだったんだな。お前のホットパンツから伸びる白い脚に俺は何度か躊躇ったよ。普段から無防備なところがあるから、少し心配だぜ。なあ、ポチョよ。俺な、本当はお前のこと……いつかラッキースケベなイベントを起こしてくれるんじゃないか、なんて思ってるんだぜ。へへっ、通報されそうだから面と向かっては言わないけどな。
スズキ……。お前は確かに幼児体型かもしれねえよ。自覚もあるんだろうな、今日だって身体の線が出にくい服装をチョイスしてただろ? けどな、自信を持てよ。お前のことをちゃんと見てくれるやつだって居るんだぜ。俺は知ってるぞ。お前が、屈んだりする時にさり気なくアウターの結び目の位置を調整してたり、ポチョの隣に立つ時はたまにこっそりと背伸びしてるコトとかな。
しかしお触りも可か……。
いや、お触りが何だ。俺は決して仲間を裏切ったりはしねえ。例えばこういうのはどうだ? ネフィリアが今更になって俺の前に姿を現したのは、俺に何か面倒事を押し付けようとしてるんだろう。だったら週二で手伝うってのもアリなんじゃねえか? つまり計算上お触りは14.28%割り切れないから四捨五入して20%更に新規サービスで今なら何と倍率五倍の実質的にはお触りMAXという計算になる。これなら俺は【ふれあい牧場】を抜けずに済むし、ネフィリアも気兼ねなく俺に無理難題を吹っ掛けられる。まさにWin-Winの関係よ。交渉の余地はあるな。
っ、おっと目眩が。血を流しすぎたな。今は亡きタコさんに腕一本を前払いしたおかげで俺の足元に血溜まりができている。
俺は止血するついでにフレンドの薬剤師が上納してくれたポーションを静脈注射した。薬剤師がクラフトできる薬草類はどちらかと言えば料理に近くて、身体が丈夫になったりデバフに耐性が付いたりするんだが、このポーションは一味違う。打ちすぎると禁断症状が出たりするらしいが、こいつぁキクぜ。
元気になった俺はさっそく交渉に入ろうとするが、いつもより敏感になった五感に何か訴え掛けるものがあった。何となく振り返る。
「…………」
広場の入り口に先生が身を潜めていた。まるでスパルタな父親に虐待紛いの猛特訓を科せられる弟を陰ながら見守る健気な姉のようだった。
ネフィリアが不快そうに目を細める。
「相も変わらず鼻の利く人だな、あなたは。何故ここに居る?」
先生はちらっとネフィリアを見た。
「…………」
「何か言えよっ。ムカつくな……!」
ネフィリアに怒鳴られて、先生は気が進まない様子でトコトコと近寄ってくる。
俺の隣に立った先生は、ついとネフィリアを見上げてぱちぱちと瞬きをした。
「そんなところに立っていては話がし辛いだろう。降りて来なさい」
ネフィリアが恐ろしく基本的な部分で叱られた。
「嫌だね。あなたが登って来ればいい。もっとも、そんな手で登って来れるとは思えないが。ろくに握力がないんだろう? 理解に苦しむな。そのような無意味な」
「分かっているなら早く降りて来なさい。そんなところにずっと一人で立っていても仕方ないだろう」
話の途中でネフィリアが叱られた。
むっとしかめ面になったネフィリアがふいっと顔を逸らした。
しかし五分後、本当にまったく話が先に進まなかったためネフィリアは渋々と石像の上から降りて来た。
「あ、どうぞ」
俺はネフィリアに着席を勧めた。この女が無駄に意地を張っている間に机と椅子をクラフトしておいたのだ。
ネフィリアはふいっと顔を逸らして机の横に立つ。座るつもりはないらしい。
先生が俺とネフィリアをじっくりと眺めて、ふむと頷いた。
「実に教え甲斐のある生徒だ」
「生徒? 勘違いして貰っては困る。私はあなたの授業には興味がない」
「私とて君のような愉快犯に情報を渡すのは本意ではないよ。しかし私とはまったく異なるアプローチを選択し、決して少なくない成果を挙げた君に期待していないと言えば嘘になる。これは取り引きだ、ネフィリア。情報交換と行こう」
「ぺらぺらとよく喋る……」
ネフィリアは着席した。
先生は頷いた。
「では、まず私からだね。おっと、話をする前にこれだけは言っておく」
先生は静かに凄んだ。
「質問がある時は挙手すること。これは絶対のルールだ」
もちろん俺に異論はない。ネフィリアは何か言いたそうな顔をしていたが、黙って話の先を促した。
先生は満足そうに頷いた。
「よろしい。それでは授業を始める」
「やっぱり授業じゃないか……」
「ネフィリア、私語は慎みなさい」
ネフィリアが普通に叱られた。
先生の授業が始まる。
「始めにネフィリアの質問に答えておこう。私が何故ここに居るのか。ネフィリア、君は自ら囮になって特定の人物の動きを制限しようとする時、行動がワンパターンに陥る癖がある。今後は注意しなさい」
ネフィリアは、罠に嵌めようとしていた先生に仕掛けの甘さを指摘された。
「う、うるさいな。下手に手出ししたら勘付かれると思ったんだよ……」
ネフィリアは見苦しく言い訳をした。先生は無視した。ネフィリアが手を挙げなかったからだ。代わりに先生は腕に抱えた杖でコンコンとネフィリアの机を叩いた。
警告だ。
授業の妨害と見なされる言動をした生徒は廊下に立たされる。それがこの教室のルールだ。
ネフィリアはβ組の一人であり、同じβ組の先生とは浅からぬ因縁がある。言ってみれば宿命のライバルのようなものだ。
実際、先生はネフィリアを高く評価しているようだった。先生は高揚すると瞬きが多くなる癖がある。無駄に才能を持て余している不良生徒を前にして興奮しているらしい。意外と熱血教師なのだ。
これは長丁場になるな……。俺は覚悟を固めた。
「毒を以て毒を制す。正しくは機を以て機を奪い毒を以て毒を制すと言う。まさしく君たちのことだ。私が思うに……」
先生は板書しようとして黒板がないことに気が付き残念そうな顔をした。じっと俺を見てくるが、すみません。黒板はクラフトできないっす。俺は頭を下げた。
すると先生は杖の先端で地面をぐりぐりした。
俺は瞠目する。これまでには見られなかった新しいパターンだ。あれはどういった意味を持つ仕草なのだろう。
俺の知的好奇心を刺激してやまない先生はぐりぐりするのをやめて続けた。
「私が思うに、オンラインゲームの大きな構造的欠点と言えるのが、賞罰のあいまいさにある。不正行為を取り締まるための規約が実質的にはまったく機能しておらず、本来であれば社会的な安寧を見返りとして得る筈の善意の三者が均一の扱いをされる。それを如実に示したのが近年におけるマクロの横行だ。つまり人間ではなくコンピューターがゲームをする時代になったんだね。とても興味深いことだよ。今はまだプレイヤーが利益を得ているが、実は利益を得るというのも一つの手間だ。遠からずキャラクターがキャラクターを操作しユーザーに成果だけを報告するようになっていくだろう。プレイヤーがモニターの中のプレイヤーを育てるという訳だ。分かるかな? つまりこのゲームがそうなんだよ」
さっぱり分からなかった。
俺は挙手した。
「はい、コタタマくん」
「はい。さっぱり分かりません」
俺は正直に述べた。
「正直でよろしい。まぁ根幹の部分だからね。ラスボス戦の直前にでも思い出してくれると嬉しい」
正直者の俺は先生に誉められた。やったぁ。
ちらっと隣の席を見ると、ネフィリアは憮然として机に頬杖を突いている。反抗的な態度だ。
地に落ちたな、魔女め。先生の教室に腐ったミカンは要らないんだよ。
俺が勝ち誇ったしたり顔などしていると、ふいっと顔を逸らしたネフィリアがちょこっと手を挙げた。
「はい、ネフィリアさん」
「……ラスボス戦って何だよ?」
腐ったミカンの質問に先生は感銘を受けたようだった。
「実に良い質問だ。本質的な問い掛けでもある」
先生の絶賛にネフィリアさんは微妙に嫌そうな顔をした。
先生は瞳をきらきらさせて、杖の先端で地面をぐりぐりした。
っ……! また出た。あの仕草は一体……。
ぐっと身を乗り出す俺。先生はぐりぐりするのをやめた。
「オンラインゲームに終わりはあるのか。あるし、ない、というのが私の考えだ」
先生の授業が続く。
2.一時間後
先生の授業が延々と続いている。
俺のライフはとっくにゼロだ。気付けば俺の本体は血溜まりに沈み、無事に幽体離脱した俺が机の下に潜り込んでネフィリアの美脚を横目に眺めている。
先生への対抗意識がそうさせるのか、ネフィリアは俺がクラフトしてやったノートにガリガリと授業の内容を書き込んでいる。もはや先生が何を言ってるのか頭に入って来ないのだろう。要点を纏めることすら出来なくなった様子だ。
俺を死に物狂いで追ってきた頭のおかしい女どもも授業に参加している。何しろ報復しようにも俺は既に出血多量で非業の死を遂げてしまったのでどうにもならなくなったのである。
退屈そうに授業を聞き流していたポチョさんがスズキさんにちょっかいを出し始めた。
先生、ポチョさんが真面目に授業を受けてません。告げ口をしてやりたかったが、肉体というしがらみから解き放たれた俺は発言ができない。
しかし先生は腐ったミカン二号の暴挙を見逃さなかった。
「ポチョ、廊下に立っていなさい」
ポチョは廊下に立たされた。
3.三時間後
「つまりラスボスという言い方は、実は正しくない。一方で限りなく正解に近い。そして現実的ではある」
…………。
「う〜ん、もうこんな時間か。光陰矢の如しとはこのことだね。時間と言えば、レイド戦の制限時間について気が付いたことはあるかな?」
…………。
「はい、ネフィリアさん」
「……い、いってん、ごばい。いってん、ごばい……」
「素晴らしい」
……いっ、てん……。
「ネフィリアさんの言う通りだね。レイド戦の制限時間は九十秒で一分という表記になっている。これはゲーム内の時刻と即しており、どうもティナンが言うところの一日は私たちにとっての三十六時間に相当することが分かっている。彼らの依頼を受ける際には注意して欲しい。二日後に依頼の品を持って来て欲しいと言われたら七十二時間後、つまり三日後だ。これを誤解したままにしておくと最悪の場合はクエスト失敗になる。もしくは何を生き急いでいるのかという目で見られる。まぁこれは笑い話だ。ふふふ」
ひゅふ……。
「さて、少し話が長くなってしまったね。ネフィリア……次は君の番だ。コタタマに何をさせるつもりなのかな? 返答次第では……」
「……帰る」
「なに……?」
「……眠いから帰る。こた、こた、またね」
ししょ、ししょー……。
4.翌日
ネフィリアは眠くなったので帰った。
だが、いつの日かヤツは再び俺の前に姿を現すだろう。
その日に備えて、今日も俺は藁人形を編み続ける。
邂逅の時は、近い……。
【Misson-Clear!】
【ティナン姫の依頼】
【Guildの調査】
【達成条件:No-Date】
【戦績発表】
【アットム さんがエッダ水道に足を踏み入れました】
【コタタマ さんがエッダ水道に足を踏み入れました】
【アットム さんが死亡しました】
【コタタマ さんが死亡しました】
【アットム さんがEight-Orderと遭遇しました】
【アットム さんがGuildと遭遇しました】
【コタタマ さんが依頼を受けたことを忘れて帰りました】
【アットム さんが死亡しました】
【コタタマ さんがクランハウスに帰還しました】
【アットム さんがGuildと遭遇しました】
【コタタマ さんが寝ました】
【アットム さんがGuildに勝利しました】
【アットム さんが???回路を獲得しました】
これは、とあるVRMMOの物語。
戦いの狼煙は上げられた。開幕のベルが鳴る。あるいはとうに始まっていたのか。走狗が走り、羊は微睡む。夢は見なかった。
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