お触りも可
1.エッダ水道
泣いて馬謖を斬る。
世は三国の時代。街亭の戦いで魏軍に惨敗した蜀の武将馬謖を諸葛亮は斬首に処し涙したのだという。諸葛亮にとって馬謖は親友の弟であり、また自身の愛弟子でもあった。
「え……?」
どん。崖から突き落とされたアットムの信じられないといった面持ちが目に焼き付いて離れない。
自分で突き落としておいて何だが、アットムが伸ばした腕に俺は思わず手を差し出していた。
「アットム……!」
でも届かなかった。届かなかったんだ。あと一歩。あと一歩踏み出せていたなら、きっと違った筈なのに。
「アットムー!」
やったのは俺だ。それは間違いない。だが人間ってのは簡単じゃねえんだな。アットムの野郎が伸ばした手を、俺は本気で掴んでやりたかった。助けてやりたかったんだ。
けど救ってやれなかった。アットムが底の見えない深い闇に吸い込まれるように落ちていく。
「ひゃっんぅ……!」
スズキと一緒にキャッキャと飯ごう炊さんなどしていたポチョがアットムを追って奈落に身を投げる。速い。【スライドリード】だ。
長い髪を纏めていた布が解け、淡く輝くようなブロンドが翼のように広がる。サンダル履きの白い足が岩肌を蹴るごとにぐんぐんと加速していく。凄まじいの一言に尽きるね。
だが、残念だったな。アットムが【スライドリード】による落下速度の低減を試みていないのは、それ相応の理由があるんだよ。
「駄目だっ、来るなポチョ!」
ついにアットムに追いついたポチョが怪しいガスマスク男の腕を掴み、崖の斜面に剣を突き立てた。
チェックメイトだ。
岩肌にびっしりと張り付いたモンスターが自ら寄ってきたエサに飛び掛かる。
「ふぇっ、〜っ!」
どうしてもエロい声を出すのが嫌だったらしい。無理やり声を抑えようとして余計変な感じになったスズキが矢を放った。矢の軌道がおかしい。加速の仕方も妙だ。初速を終速が上回っている。【スライドリード】なのか? なるほどな。後衛にも何らかの発展形は用意されているとは思っていたが、こいつが狩人の【スライドリード】か。
この俺でも目で追うのがやっとだった。スズキが放った矢はポチョに飛び掛かろうとしていたモンスターに的中し、あまつさえその巨体を岩肌に縫い付けた。
おっかねえ女だな。いつの間にそんな物騒なスキルを身に付けたんだよ。
もっとも俺の計画に狂いはないがね。
壁伝いに崖を這い上がって来たモンスターの群れが、俺を無視してスズキへと迫る。
モンスターは同族に攻撃した人間を優先的に襲う。こいつをリンクって言うのさ。武装した人間はその次だ。こんな時まで剣を手放さない、ポチョは律儀な女だ。そういう意味では手ぶらで出歩くことを何とも思っていないアットムが一番厄介だと考えていたんだが、俺に気を許したが運の尽きよ。
無言で見下す俺に、スズキが目尻に涙すら浮かべて俺をキッと睨む。
「どうして私たちを!」
賢い子だ。冥土の土産ってのは俺の流儀じゃないんだが、いいだろう。お前らは俺にとって特別だからな……。
「生き残るのは一人だ。常にな」
人間は弱い。頼りになるのはどちらかと問われれば、軍配が上がるのはモンスターのほうだ。それも圧倒的に。
変に刺激されちゃあ困るのさ。
ここエッダ水道に巣を張っているタコさんたちは俺と相性が良いモンスターなんでね。
お前たちはまんまと誘い込まれたという訳だ。
「お、お前絶対殺す!」
負け犬の遠吠えだな。捨て台詞を吐いたスズキが崖に身を投げた。せめて最後は仲間と共に散ると決めたか。健気なことだな。
しかし、だからお前たちは俺に負けたんだ。俺の可愛いタコさんたちを前にして人間などゴミクズに等しいからな。
俺は、崖の斜面でタコさんたちに囲まれた三人を見下ろして、さっときびすを返した。
火勢が弱まった焚き火を踏み消し、にやりと口元を歪める。スズキとポチョが作ってくれたカレーは美味しかった。ちと水っぽいが、それも飯ごう炊さんの醍醐味だよな。これはこれで。
食事を終えた俺は、這い寄ってくるタコさんたちを引き連れてエッダ水道の奥へと歩を進めた。
2.エッダ水道-深部
エッダ水道は海岸沿いにある洞窟であり、夏の肝試しイベントなんかにはぴったりなロケーションだ。
リンクがリンクを呼び、今やタコさんの群れは中規模に達しようとしている。途中で俺の可愛いタコさんを殺そうとしていたプレイヤーを圧倒的な物量で押し潰したことで、タコさんたちの俺を見る目も変わってきた。不味そうなエサからエサを釣るルアーに昇格を果たしたぜ。やったぁ。
さて、最深部まで行ってしまうと苦労して獲得した親権がレイド級に一発で持って行かれるので、ここらで腰を落ち着けるとしよう。頭のおかしい女どもが死に物狂いで追ってくるだろうから、ほとぼりが冷めるまでタコさんたちと一緒に暮らすんだ。
俺とタコさんたちが織り成すハートフルストーリーの舞台となるのは、タコっぽい何かの石像を祀った広場だ。天井は空洞になっていて、地上から差し込む日の光が巨大な石像を照らしている。
このゲームのモンスターは道に落ちているものであれば何でも食べる。俺がタコさんたちのゴハンをせっせとクラフトしていると、俺とタコさんの指先がそっと触れ合った。
「あ……」
いやラブコメってる場合じゃねえ。タコさんたちの様子がおかしいぞ。この目は不味そうなエサを見る目だ。親権を、取り上げられた……?
まずい。こんな半端なことができるのは人間しかいない。そして俺の知る限り、モンスターのヘイトを間接的にコントロールするなんて離れ業をやってのけるプレイヤーは一人しかいない。
「心の中ではいつも他人を見下して馬鹿にしている」
おっぱい。いや違う。そうじゃねえ。
俺は脚フェチだが、女の胸や尻が嫌いって訳じゃねえんだ。むしろ好きだな。
タコっぽい石像の上に一人の女が立っている。
俺の理想をそのまま形にしたような女だ。
例えば胸だ。俺は巨乳派の中でも全体のバランスを重んじる穏健派に属している。大切なのはバランスであって、大きすぎても小さすぎても駄目なんだ。だから巨乳ロリを信仰する過激派の連中とは決して相容れることがない。
その点、あの女は完璧だった。いや、完璧なんてあるもんか。俺は内心で強がった。完璧ってことはそこが限界ってことだ。俺は限界を超える男。限界なんて言葉は俺の辞書にはない。
俺は噛み付くように吠えた。
「ネフィリア!」
ネフィリアは俺を見下して、ふいっと顔を逸らした。くそっ、お高く止まりやがって。でも、そういうところも好きだ。
おっと求愛してる場合じゃねえな。俺というものがありながら他の女にうつつを抜かしたタコさんたちが俺に襲い掛かってくる。反抗期か。悲しいもんだな。何しろ自分自身も通ってきた道だから放っておくのが一番と理解を示しつつも危なっかしくて目が離せないという二律背反だぜ。
「他人の不幸を眺めるのが好きだ。混沌とした環境に身を置くことを好むが、一方で他者に干渉されることを嫌う」
なんだよ、心理テストか? 俺のことを言ってるんだろうが、悪いがそいつは的外れだな。俺は少し不器用なだけだ。何より生きることがな。人間誰だって一皮剥けば似たようもんよ。だから俺は人を信じる。俺が実は人一倍優しい人間だってことを誰よりも俺自身が一番よく知ってるんだ。
「並外れた自己愛」
おぅ、今はタコさんだ。集中しよう。
俺は【スライドリード】を連続で小出しにしてタコさんたちの攻撃をひょいひょいと避ける。生産職は二段階目の【スライドリード】を使えないが、一段階目だけでも慣れれば慣性を無視した気持ち悪い動きができる。急制止と急旋回。例えるならばゴキブリのような動きだ。いや、ゴキブリを超えたと俺は自負している。
俺はタイミングを見計らってタコさんに俺の腕を一本くれてやった。モンスターのヘイト傾向は種によって様々だが、タコさんの場合は深手を負った獲物を軽視する。戦力比が自分たちへと大きく傾いており、敵意がほぼ拮抗している元気な獲物が居る状況下において、彼らのヘイトは逆転する。
くるりと反転したタコさんたちが一斉に石像に取り付き、ぺたぺたと登っていく。
あの女ばかりは生かしておけない。あの女を生かしておくと俺の全てが嘘になる。
親権を取り返した俺はタコさんたちに命じた。
「殺せ!」
ネフィリアは笑った。
「コタタマ。お前は私には勝てない。何一つとして」
怖かった。
俺はあの女には勝てない。何一つとして勝てる要素がない。
「何故ならば、お前に生き残るすべを仕込んだのは私だからだ」
でも信じれば夢は叶うんだ。死んで欲しいと願えば、きっと……。
強い気持ちと、二度と関わり合いになりたくないという願い。
いつかきっと夢は叶うと信じて疑わない強靭な意志があれば……!
俺はいつも常備している呪いの藁人形をぎゅっと握り締めて祈った。
ネフィリアが杖を振るう。
「あはあっ……!」
光の輪が放たれ、タコさんたちは全滅した。
ネフィリアは魔法使いだ。
そして俺にMPKを仕込んだおっぱいでもある。
快感に潤んだ瞳をネフィリアが俺に向けた。
「私のクランに来い。歓迎しよう。お触りも可」
俺の黒い歴史を知る女だ。
魔女と。そう呼ばれている。
だがネカマだ。
これは、とあるVRMMOの物語。
人は決して過去からは逃げられない。どれほど振り解こうとも、まるで影のように付き纏い、ふとした瞬間に底無しの沼と化す。失敗とはそうしたものだ。決して消えてなくなりはしない。
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