ネフィリアさんの日常
セーブポイントの女神像は例外なく地下にある。よほど後ろ暗い過去があるのだろう。モョ%モ氏も天使は殺戮人形とか言ってたしな。地球にはない宗教観だ。
その女神像がある地下からドーンと光の柱が立つ。天地を結んだ光の柱をゴミどもが呆然と見ている。
つまり俺はペガサスローリングクラッシュみたいなのを食らって死んだ。
まぁそれはいい。
問題は、赤カブトのリスキルは不安の表れなのではないかということ。ゴミどもに正体がバレたからな。ペガサスローリングクラッシュというチョイスも俺から離れたくないという気持ちの表れだろう。
赤カブトは指を絡ませてもじもじしている。
「……今の、どうだった? き、気持ち良かった?」
気持ちいいとは?
言っている意味はまったく分からないが、俺は赤カブトの不安を拭い去るために連れ回すことにした。
正月だからな。お年玉行脚をするのだ。
女から金を貰って遊ぶのが俺のプレイスタイルだ。食いついたら離さないぜ。隙を見せたら負けなのさ。この俺の前ではな。
1.スピンドック平原
ネフィリア率いる【提灯あんこう】一行は原っぱで球遊びをしていた。
サッカーだ。
厳密にルールを決めてやっている訳ではないらしく、身体を動かすのが好きなウチのくまさんが「私も混ぜて〜」と、てててと小娘どもに混ざる。
俺は困惑していた。腕組みなどして監督しているネフィリアの横に並ぶ。
あけおめ。これ何してるんだ?
「サッカーはコミュニケーションのスポーツだ」
……?
「それはどの団体競技にも言えることだろうが、足は手ほど器用には動かないからな。思い通りにはならないという点が似ている」
……よく分からんが、何かの訓練か?
「サッカーが世界的な競技になったのは、意思を繋げるスポーツだからだ。私はそう考えている」
見ろ、とネフィリアがピッチを駆ける小娘どもを指差す。
「楽しそうだろう。アイツらは別にサッカーが特別好きという訳ではない。しかし、このゲームのキャラクターに先天的な運動能力の差はないからな。そこそこのレベルがあれば身体は動く」
なるほど。しかし近接職とそれ以外の差はあるだろう。
「いや、ないんだ。少なくともこうして見ている限りでは劇的な差はない。身体の使い方が多少上手いくらいか。それは、例えばゲームメイクや洞察力で覆せる程度のものでしかない。もちろんスキルを解禁すれば話は別だろうが。さすがにそれではゲームにならないからな」
ふうん。……しかし、だから何だと言うのだろう。小娘どもも不思議には思っているようで、ゲームの合間にちらちらとこっちを見てくる。俺もちらっとネフィリアの横顔を見る。相変わらず綺麗な顔をしている。男ならば誰しもが理想のタイプを持っていて、ネフィリアは俺にとってのそれだ。たまに優しい人が好きとか笑顔が可愛い子が好きだのと腑抜けたことを言う男も居るが、それは嘘を吐いているかホモかのどちらかだろう。つまり女に興味がないと言っているも同然であり、本心からそう言っているなら直ちに自分を探す旅に出たほうがいい。早い段階で結論は出るだろう。ホモだ。
ネフィリアはじっと小娘どもを見つめている。
「なんだ。人の顔をじろじろと見るな」
あっ、コイツ……。俺は察した。
コイツ、迷走してやがる。何か特別な考えがあってサッカーをやらせてる訳じゃないんだ。もっともらしいことを言って体裁を保とうとしている。
ネフィリアはぺらぺらと口を回した。
「大切なのは意思を共有することだ。アイツらがこの先も私に付いてくるつもりならば、足りないものは幾らでも出てくるだろう。お前のような他を圧倒する悪意が備わっていないなら尚更だ。手段は選ばれる。団結力は重要な要素になるだろう」
悪意って何だよ。
俺もぺらぺらと口を回した。
俺は着実に更生の道を歩んでいるぞ。俺は怒りを捨てた。この前もサトゥ氏のために色々とがんばったしな。分かるか、ネフィリア。友情だよ。俺は友に忠実な男だ。この俺ほど仲間に尽くせる男もそうは居ないだろう。確信したよ。俺はもう以前の俺とは違う。スポーツマンになったんだ。
「……スポーツマンは呪いを撒き散らして周りの人間を皆殺しにしたりはしないだろう」
呪いだと? ブラッククリスマス事件のことか。あれは違う。あれは、俺の意思じゃなかった。冤罪だ。俺は悪くない。
「コタタマ。お前は本気でそう思っている。だから悪なんだ。お前は、この私の最高傑作だ」
人は変わる。ネフィリア……。俺は、先生の近くに居るとしばしばこう思う。俺は光の中に居る。俺は正しい側に居るとな。だから強いんだ。正義は強い。
俺は歯列をギラつかせて吠えた。
俺が正義だ! ネフィリアぁぁぁ。お前もこっちに来いよ。先生と和解すればいい。簡単なことだぞ。お前が従える【ギルド】には妙な愛嬌がある。歩兵だからだろうな。そして、お前が裏でスマイルの旦那と通じてるのも分かっている。
同盟を組むんだ。俺たちと、お前たちとで。
ネフィリア。お前がやるんだ。
お前が、ジャムジェムを守れ。
そうすれば、お前は先生と協調できる。最強のコンビが生まれる。先生とタメを張れるのはお前くらいしか居ないからな。
ネフィリアは俺をじっと見つめている。唇を歪めて笑った。
「嫌だね」
そこを何とか。俺は食い下がった。
「嫌だ」
何でだよォー! 俺は吠えた。
「一緒に居てイライラするからだ。あの着ぐるみは子供に甘すぎる。時間を無駄に使う」
それはそうだが……。俺にも心当たりがあった。
ネトゲーに年齢制限はない。あっても無視できる。そしてガキンチョは遠慮というものを知らない。これをくれだのあれをしろだの平気で言ってくる。女キャラならまだ可愛げもあるのだが、ヤツらは直球でイケメンキャラに仕上げてくる。そういう奴らだ。俺なら殺す。ガキンチョは役に立たないからだ。経験不足。思考能力が出来上がっていない。しかし先生は、そういう連中を育てようとする。まだ早いと考えればリアルにリリースしようとする。ネフィリアにとって、先生のそうした活動は時間の無駄なのだ。俺くらいの人格者になれば、二度と這い上がってこれないよう心を鬼にして千尋の谷に突き落とすこともできるのだが。騙くらかして身ぐるみを剥いで川に蹴り落としてやったりな。将来を思えばこその苦渋の選択であり、貴重な収入源の一つだ。ガキンチョを騙すなんて簡単だぜ。
ネフィリアさんよ。お前さんにはそういう心の余裕が足りてねえなぁ。
「お前のそれは心の余裕ではない。心の狭さだ。お前の好きなジャンプヒーローが真っ先に排除に掛かるような腐った人間性だな」
そうかな? 俺は親御さんに強く支持されると思うがね。よく言うだろ。ゲームばっかやっててもろくな人間になれねえってよ。だから全力リリースしてやってるのさ。無論、授業料は貰うがね。ガキはガキ同士、鬼ごっこでもして遊んでればいい。そういうプロセスを飛ばしちまうと、ああいう感じになる。宰相ちゃんだ。こっちに向かってゆっくりと歩いてくる。
「コタタマー!」
メガロッパさんが吠えた。
「私を放置してこんなところで何やってるんですか……」
いっけね。そういえば、打倒エッダに向けて作戦を練るって話だったな。完全に忘れてたぜ。くそっ、こんなところで殺されて堪るかよ。俺は小娘どもに指令を下した。
ヤツを止めろ!
ピッチを横切って迫ってくる宰相ちゃんに小娘どもがドリブル突破を仕掛ける。
「動きが単調です」
宰相ちゃんはあっさりとボールを奪取した。素人の動きじゃない。サッカー部員か?
ネフィリアが言う。
「レベルが高い。経験者かどうかは知らないが、このゲームのレベルとはそういうことだ。レ氏に近付くということだ」
レ氏に? ネフィリアは頷いた。
「トップクラスのアスリートでもアレには勝てない。アレはそういう生き物だ。競技としての複雑さを肉体的なスペックが上回っている」
まぁそうなんだろうな。高次的な作業を無意識に行えるというのはそういうことだ。俺らの尺度で言うなら、生まれながらにして才能が開花しているようなものだ。
そのョ%レ氏に、プレイヤーはレベルアップすることで近付いていく……?
「代償は時間。そして成果だ。ヤツらの目的が【ギルド】の対抗戦力を作ることだと言うなら、最初から高レベルのプレイヤーを量産すればいい。GMマレのようにな。それが出来ないから、プレイヤーは経験を重ねてレベルアップする仕組みになっている。これは【戒律】だ。おそらくGMマレにドレインスキルの能力は備わっていない」
やはり仲間になったら弱くなるタイプのキャラだったのか。残念だ。俺はマレに同情した。将来性がないキャラクターはベンチ入りできない非情な世界なのである。思えば哀れなヤツよ。
だが、俺はもっと哀れな目に遭いそうだ。小娘どもを軽くあしらった宰相ちゃんが華麗にリフティングしながらこちらに歩み寄ってくる。
待て。分かった。PK勝負と行こう。俺は文字通り命を懸けてゴールを守る。お前がゴールを割れたなら煮るなり焼くなり俺を好きにするといい。それでどうだ?
宰相ちゃんはぽっと頬を赤らめた。
「に、煮るなり……?」
俺、煮られる!
くそっ、マジかよ。一体どうなってる。煮るなり焼くなり好きにしろと言って実際に煮込まれたなんて話は見たことも聞いたこともねえ。だが、これはチャンスだ。俺は強気に出た。
なあ、メガロッパさんよ。知っての通り、PKってのは蹴る側が有利だ。勝負は公平であるべきだよな? 代わり番こにボールを蹴っぽろうっていう話じゃねえ。一発勝負だ。だったらお前は何を賭けてくれるんだい? こうしようや。俺が勝ったなら、お前は一日俺の専属メイドになるんだ。面白そうだろ? その高慢ちきな鼻っ柱をへし折ってやる。まぁ裸エプロンでも俺は一向に構わんがね。さすがにそれは勘弁してやるよ。へへへっ。どうだい?
宰相ちゃんは唇を引き結んで俺をじっと観察してくる。そして念を押すようにこう言った。
「……本当に煮てもいいんですね?」
正直それは嫌だったが、今更になって後戻りはできない。いや、言うだけ言ってみるか。俺はヘタれた。
焼くのじゃダメか?
焼かれるのは慣れている。同じ死ぬでも恐怖の度合いが大分違う。そう思っての提案だったが、宰相ちゃんは俺を煮込むことに強い拘りを見せた。
「この場で私に殺されるか、負けて煮込まれるか。二択です」
……いいだろう。やってやるよ。男に二言はねえ。
そういうことになった。
2.PK勝負
俺の釜茹でを賭けた一本勝負だ。
PKは蹴るほうが有利。しかし俺には勝算があった。
PKはキッカーとキーパーの駆け引きだ。コースさえ分かっていれば止めることはそう難しくない。いや難しいが、これはゲームだ。キャラクターの身体はリアルのそれよりも良く動く。
宰相ちゃんは確率論信者だ。頭でっかちの典型だな。確率論信者は何かと具体的な数字を出そうとする。攻略組の一ヶ月はミドル層の五ヶ月に相当する、とかな。いつだったか宰相ちゃん自身が口にしたことだ。
ならば、真ん中に蹴り込んでくることはない。まず左だろう。俺は右利きだからだ。そこには俺なりの理屈があって、人間の家は右利きの住人を想定して建てられている。例えばドアノブの造りだったり冷蔵庫のドアの向きだったりな。それは右利きの人間が多いからだ。普通に暮らしていく上では右利きのほうが有利なのさ。だから俺は、キャラクターを右利きにした。一方、アットムくんなんかが左利きなのは対人戦を意識しているからだ。右利きの人間が多いから対人戦でサウスポーは有利に働く。大抵の人間が右利きで、左利きの対戦者は少ない。慣れていないからだ。宰相ちゃんは両利きだろう。計画的にキャラクターを育てる時間の余裕があり、常に意識して動く手間を惜しまないなら両利きにしておくに越したことはない。
宰相ちゃんが俺から見て左上コーナーにボールを蹴ってきたなら、俺は不慣れな左手で叩き落とすしかない。だから宰相ちゃんはそこを狙ってくる。そういう理屈だ。
へへっ……。俺はベロリと舌舐めずりして両手を左右に広げた。一発勝負だ。来いや!
「行きます」
宰相ちゃんが片手を挙手した。ネフィリアがピーッとホイッスルを吹く。
結論から言うと、宰相ちゃんはド真ん中に蹴り込んできた。俺の読みは外れたし、ルールの詰めが甘かった。
軽やかな助走から左足を振り上げた宰相ちゃんが嬌声を上げる。
「ふあっ、やっ……!」
いつ誰が人外サッカーを許可したよ!?
くそがぁっ! 横っ飛びし掛けていた俺もまた人外サッカーの領域に足を踏み入れる。
必殺のアブソリュート・ゼロだ!
【スライドリード(速い)】を発動した宰相ちゃんの脚力は人間のそれを上回る。そうなるとコーナーを突くよりも枠に入れることのほうが重要になる。たとえキーパー正面だろうと俺ごと吹っ飛ばすことが可能だからだ。
「んあっ……!」
宰相ちゃんが鼻に掛かった甘い声を上げて左足を振り抜く。冗談みたいなブレ球が俺に襲い掛かってくる。力が強すぎて空気抵抗がアホみたいに大きくなったのだろう。抑えの効いた良いキックだった。慣性を押さえ込んでその場にとどまった俺の土手っ腹にもはや凶器と化した弾丸ボールがめり込む。かはぁっ……!
俺のアブソリュート・ゼロは、全ての運動力をこの身で余すことなく受け止める必殺技だ。俺は血反吐を撒き散らしながらもゴールを死守した。そして爆ぜるように死んだ。
「こ、コタタマー!」
ふわっと幽体離脱した俺は、がくりと両膝を屈して悔しがる宰相ちゃんにニコッと笑いかける。
いい……勝負だったよな?
そう心で語り掛けて、天に召されていく。
優しい風がピッチを撫で、さあっと草花を寝かせていく。波打つ緑一面の海原に、一輪の真っ赤な花が咲いていた。屍肉を漁る鳥たちが大空を舞い、飛び散った俺の肉片が、風に乗ってどこまでも飛んで行く。どこまでも、どこまでも……。
これは、とあるVRMMOの物語。
勝負に勝って試合で死んだ。
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