光の戦士
1.エッダ水道-【提灯あんこう】秘密基地-居間
ネフィリア率いるクラン【提灯あんこう】の秘密基地は、エッダ水道の深部にある。
暗く冷たい洞窟内部は種族人間不利の地形だ。そしてクソ虫どもにとっては過ごしやすい快適空間ということになる。エッダの眷属は脅威だが、ウサギさんやモグラさんほど素早くはない。全力で走れば逃げ切れるというのは重要なことだ。
クソ虫どもは暗視スコープを標準装備しているようなので、暗所でも正確に種族人間をスナイプできる。俺がネフィリアの隠れ家にホイホイと立ち入れるのは道順を把握しているのと、クソ虫さんたちが見逃してくれるからだ。ネフィリアからそういう指示が飛んでいるのだろう。
無論、俺は光の勢力の一員なので、ネフィリアに身内扱いされる謂れはない。しかしおっぱい。いや、おっぱいが俺に気を許しているならそれを利用しない手はないだろう。俺は表向きネフィリアの片腕として動いている。ヤツの油断を誘うために数え切れないほどのプレイヤーを血祭りに上げてきた。誰よりも尽くしてきたつもりだ。
その俺がデサントに戻りたいと願っているのに、ネフィリアは首を縦に振らない。一体どういう了見なのか。魔女め。
ネフィリアの主張はこうだ。
「コタタマ。お前はデサントに向いてない。デスペナルティ、キルペナルティ倍加の【戒律】。クラフト技能を段階解放して少しは生存率が上がるのかと思って見ていれば、まったくそんなことはないようだ。どうせ死ぬなら一次職のままで居たほうが幾らかマシだろう」
正論であった。
言われてみればまったくその通りだったので、さしもの俺もとっさには反論できなかった。
ネフィリアは頬を緩めた。
「お前は実に優秀な弟子だよ。コタタマ。お前が派手に動いたことで、各クランは警戒心を強めている。予想を上回る成果だ。手当たり次第の勧誘は鳴りを潜め、プレイヤーは慎重さを学びつつある。しかし本来そうあるべきなのだ」
そう言ってネフィリアはテーブルの上に整形チケットと金の入った封筒を置いた。それらを俺はそそくさと懐に入れ、ネフィリアに問い掛ける。
お前は……このゲームで何をしようとしてるんだ?
「楽しいことさ。コタタマ。お前も感じているだろう。ゲーマーの質は変容しつつある。私はGoatとは違うぞ。マナーだの良心だの……。死すら生ぬるいゲームでそんなものを期待すること自体が間違っている」
ネフィリアは席を立ち、居間を後にする。通り過ぎざまに俺の肩をぽんと叩いてこう言った。
「オンラインゲームは間違った方向に進化した。私はずっとそう思っている。正しい方向に進んだならどうなったか。混沌の時代。その続きを私は見たい」
ネフィリアが去っていく。俺は振り返らずに言った。
「俺じゃダメなのか。お前を止められないのか。ネフィリア……」
ネフィリアは答えなかった。
2.【提灯あんこう】秘密基地-廊下
集金を終えたらもうここに用はない。てくてくと玄関に向かって歩いていると、マゴットのリア友と遭遇した。名前はクリケット。コオロギのことだ。【提灯あんこう】のクランメンバーのキャラネは虫にちなんでいる。
「あ、タマっちじゃないスか。マゴっちとはもう会いました?」
クリケットは元気な小娘だ。【提灯あんこう】では少数派の近接職で、ぴょんぴょんとよく跳ねる。
普段なら愛想良く応じる俺だが、ネフィリアとの遣り取りが引っ掛かっている。俺はずんずんとクリケットに近付き、腕を下から上へ。居ない居ないばあの要領で表情を急変させてニカッと笑った。
やあクリケット。タマっちだよ!
コオロギ女がびくっとした。
「な、何スか? さては何か良からぬことを企んでるっスね?」
ああ。その通りだとも。俺は認めた。
なに、簡単な用事だ。すぐに済む。クリケットよ。俺にパーティー申請を飛ばしてくれないか。デサントに戻りたくてな。
ネフィリアはああ言ったが、俺はやっぱりデサントに戻りたい。確かにデスペナ倍加の【戒律】はキツいが、それを理由に諦めるのは負けた気がしてならない。俺は鍛冶屋だ。平穏な日々を過ごすのにキルペナ、デスペナが絡んでくる要素は一切ないのだから。
しかしコオロギ女は俺の提案に渋い顔をした。
「え〜? ダメっスよ。ネフィリアさんに止められてるんで」
だろうな。だがクリケットよ。こうは考えられないか? 俺はぺらぺらと口を回した。
ネフィリアが本気で俺をデサントに戻したくないなら、もっと徹底する筈だ。でも実際にはそうじゃない。あいつは頭のいい女だ。俺も先生を見ていて思ったんだが、あのクラスになると100%の結論ってのはないらしい。分かりやすく言うと、はい、いいえの単純な二択でも必ず揺れがある。それだけ多くの選択肢が見えてるってことだな。
クリケットよ。ネフィリアが口頭で注意するにとどまったのは、俺のデサント復帰を阻むのが本当の目的じゃないからだ。
俺はネフィリアとの付き合いが長い。だから分かる。あいつはお前らに選択権を委ねたんだ。どうしてそんなことをしたか分かるか? そうか。分からないか。それはな、お前らに考えさせるためだよ。それはゲーマーに必要な資質だ。そしてお前らに不足している要素でもある。
なんで俺がお前にこの話をしたか。俺はお前に期待してるからだ。見たところ、お前ら【提灯あんこう】のメンバーで全体の意見にちょっと待ってと言えるやつは限られてる。リアルの人間関係を引きずってるんだろう。
少し真面目な話をすると、ネフィリアはこの先どんどん忙しくなる。傘下のクランは少しずつ増えているし、自然と頭目のネフィリアじゃないと下せない決済も多くなる。少しばかり危うい状況だ。今は俺が抑えているが、そもそも俺は【提灯あんこう】のクランメンバーじゃねえからな。
はっきり言うとな。クリケットよ。ネフィリア傘下のクランの連中ってのはお前らを下に見てるんだよ。ネフィリアには従うが、お前らに従う義理はねえと思ってるのさ。おそらく近い内にお前らの待遇について不満が上がる。まぁそいつらは既にまとめて皆殺しにしたが……。それはよしとしよう。問題は、お前らは狙われる立場に居るってことだ。いざって時にお前は仲間を守れ。友達なんだろ? 近接職のお前が適任だ。危ないと思ったら舵を切れ。それだけでいい。あとは俺がやる。
話を戻すぞ。ネフィリアはお前らに俺をデサントに戻すなと言った。そうだな? 理由は聞いたか? そう、俺はデサントに向いてないからだ。だがネフィリアの中にも迷いはある。正直にそう言ったなら、お前らは条件次第で俺をデサントに戻してもいいと考えただろう。だからネフィリアは戻すなと言った。お前らに考えさせるためだ。
ネフィリアが迷ってるのは、俺を一次職に置いておくのは損失かもしれないという考えがあるからだ。
つまりこうだ。クリケット。俺は国内サーバーで誰よりも先にデサントになったプレイヤーだ。それは偶発的な要素によるものだったが、こうも言える。もしも三次職が見つかるとしたら、そいつは多くの偶然に頼ることになるだろう。偶然にもデサントになれた俺が、三次職に最も近い位置に居るかもしれない。ネフィリアはそう考えているのさ。
クリケット。お前はネフィリアとは違う。ネフィリアはお前らの中から脱落者が出ても仕方ないと考えているぞ。だがお前はそうじゃない筈だ。学校の教師はお前らに将来のことを考えろと言うだろう? でもそうじゃないよな? ズレてるんだ。教師ってのは大人で、公務員だからな。
俺は両手の指を広げた。
十年だ。クリケット。教師ってのは十年先の話をする。だが、お前らが十年後にどうなってるかなんてヤツらには分からない。誰にも分からない。お前らにとって大切なのは、十年後じゃない。今だ。こう考えろ……。お前らは人生の絶頂期に居る。十年後、お前がどうなってるのかは分からない。俺にだってそんなことは分からない。だが、今だからこそ手に入るもの。繫ぎ止めることができるものはある。友達だよ。
クリケット。お前は口うるさい連中から仲間を守れ。ひどいことを言われることもあるだろう。理不尽な目に遭うこともあるだろう。ネフィリアはお前らを守ろうとするだろうが……。無理にしがみ付くことはないと考えるだろう。だが俺は違うぞ。俺はお前らと一緒に居て楽しいし、脱落者が出たら何だそれってなる。つまんねえってなるぞ。だからこの話をした。俺は俺のためにこの話をしてる。それはお前の利害と一致すると判断した。
さあ、クリケット。パーティー申請を寄越せ。俺に恩を売っておけ。お前が断ったとしても、俺はお前の友達に同じ話をする。だが、それは俺やお前にとって一番の結果じゃないな。おっと脅してる訳じゃないんだ。誤解しないでくれよな。ただ、お前にとって本当に大切なのは何なのか。考えてほしいのさ。簡単だろ?
「ううっ、詐欺師に……! 詐欺師に丸め込まれそうになってるっス……!」
とはいえ、だ。俺は両手をぱんと叩いて両腕を広げた。自分を大きく見せる、常套のテクニックだ。
ネフィリアの言いつけを破れってのも酷な話だ。そこで俺は考えたよ。こうしよう。今から俺がお前にパーティー申請を投げる。お前はそれを受諾してくれればいい。ここで俺が話したことも全部ネフィリアに話していいぞ。お前には迷いがあった。だから、つい受諾してしまった。それで行こう。考えなしじゃないぞ。それはネフィリアが怒る。そうじゃない。お前はお前なりに考えて、俺の言うことにも一理あると思った。とっさに仲間の顔が過り、俺に恩を売っておくのは有効な手段だと判断した。お前は近接職だ。瞬間の判断を躊躇うな。最悪の選択ってのは大半のケースで何もしないことだ。失敗したらってのは実はそうでもない場合が多い。近接職は迷うな。考えるのは後衛の仕事だ。最前線に立ってるお前らに全体を見ろってのは無理な注文だからな。
ああ、そうそう。マゴットとはさっき会ったよ。ペスの件で少し進展があった。まぁ続きはパーティーチャットで話そう。吹聴するのもどうかと思うし。
俺はコオロギ女にパーティー申請を飛ばした。
「あっ、えっ?」
コオロギ女は戸惑いながらも俺のパーティー申請を受諾した。
心が傾いていれば身体もそっちに動く。計算通りだ。
【条件を満たしました】
【イベント】【戦場の槌】【Clear!】
【Class Change】
【ペタタマ さんがデサントにクラスチェンジしました!】
デサントに戻れたぞ。やったぁ。
おっとネフィリアがダッシュで駆け寄ってくる。俺の動きを読んだか。だが少し遅かったな。
「コタタマ……! クリケットを丸め込んだか! お前というやつは!」
俺は大袈裟に肩を竦めて、ネフィリアに歩み寄る。通り過ぎざまにネフィリアの肩をぽんと叩いて、言った。
「ネフィリア。いくらお前でも口じゃ俺には勝てねえよ」
俺はネフィリアとコオロギ女に背を向けて歩み去っていく。懐から取り出した封筒の中身を数え、後ろに軽く手を振った。
「また来る」
これは、とあるVRMMOの物語。
ヒモ、次なる戦場へ……!
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