タンク
まったく使い道がないと言われていた【スライドリード】に「その先」があることが分かって一時は立場を危ぶまれたのが魔法使いだ。
彼らの中には地味な肉壁を嫌って近接職から転向したプレイヤーが一定数居たことは確かだろうし、今更になって近接職の地位が向上するとなれば面白くないだろう。
まぁ結局、魔法使いの地位は揺るがなかったので一安心といったところか。
巷でもそのように言われている。近接職は【スライドリード】で巻き返しを図ったが、魔法使い一強の牙城を突き崩すことはできなかったと。
でも、そうじゃないんだ。
供給の目処が立って終息に向かっていると言われている【スライドリード】騒動だが、この事件には続きがある。
最大の被害者であり、真の主役が居たんだ。
それは、タンクだ。
1.居酒屋-火の車
このゲームには様々なプレイヤーが居て、クランハウスを店舗に見立てて商売を行う人たちも居る。
クラン【火の車】のマスターもそうした一人だ。
クランハウスを持つためにクランを設立して、クラン名を屋号にする。人手が欲しい時は従業員としてクランメンバーを募集するっていう寸法だな。
【火の車】はとにかくメニューが豊富で毎日のように通っていても飽きないので俺も贔屓にさせて貰っている。ここの客はロールプレイってのを分かっているプレイヤーも多いしな。
ここ数日ほどサトゥ氏の手伝いでMPKに明け暮れた俺は、段々人間がただの肉袋に見えてきたこともあり、まだ焦る時間帯じゃないと思い【火の車】のカウンター席で軽食を摘んでいた。
ちょうど昼時ということもあり店内は荒れくれ客で混み合っている。【火の車】は客層が偏っていて野郎ばかりだから落ち着く。
俺には昔、痴情のもつれでネカマと死闘を繰り広げた苦い過去がある。悪意の塊のようなネカマだった。それ以来、どうも女は苦手だ。
店内で殴り合いを始めたプレイヤーを肴に一杯やっていると、一人の男が【火の車】を訪れた。
男はマスターと簡単な遣り取りをして店内を横切っていく。
店内が一瞬静まり、ざわざわと騒がしくなる。荒れくれ客は仲間内で固まり、ぼそぼそと噂話を始めた。
「【野良犬】のクランマスターだ」
「【野良犬】の? 解散したって聞いたぞ」
「いや解散はしていない筈だ」
「ぼっちクランかよ。落ちぶれたもんだな、あの【野良犬】も」
いたたまれなくなった俺は【野良犬】のクランマスターに声を掛けた。マスターと言ってもクランに所属しているメンバーがマスターしか居ないのだが。とにかく声を掛けた。
「ヴォルフさん!」
「ん? ああ、コタタマくんじゃないか」
うっ、すっかり人相が変わってしまっている……。俺は内心おののいた。噂には聞いていたが、感情とはこうまで人間の容貌にダイレクトに関わってくるものなのか……。
タンクは群れない。
孤独だけは自分を決して裏切らないと知っているからだ。
話しぶりだけは以前と変わらず穏やかなヴォルフさんは、俺の誘いに応じてカウンター席に腰を落ち着けた。
「マスター、私にも彼と同じものを」
「マスター! 俺と同じのね!」
しばし歓談などしていると、嫌でも荒れくれ客どものツイートが耳に入ってくる。
「あいつ、まだタンクなんてやってるのか?」
「タンクは落ち目だよ」
「つーか元々タンクなんて職業ねーし」
俺はカッとなった。
「あいつら……!」
「コタタマくん、いいんだ。さ、座って。乾杯しよう」
いきり立つ俺を、ヴォルフさんが穏やかな声で宥めた。
かんぱーい。
だが俺は憤りを隠せなかった。
「ヴォルフさんは悔しくないんですか! あんな……!」
このゲームのMOBは全般的に生物としての格が人間よりも上であるため、如何にして数的優位を確保するかが重要になる。群れから孤立した魔物をパーティーで囲って順番に殴っていくのがプレイヤーの基本戦術だ。そこに魔法使いの効率的な運用が絡んでくる。
魔物のヘイトをコントロールし、肉壁となって味方を守るタンクは戦場の花形であった。……【スライドリード】が宴会芸だった、かつては。
ヴォルフさんは過去の栄光を懐かしむように目を細めた。
「悔しいも何も、彼らの言っていることは事実だ。私は古い人間だよ」
彼自身はそう言うけど、俺は到底納得できない。
栄光の時代は確かにあったんだ。タンクが居ないと狩りにならないだの、タンクが来てくれたから結婚できましただのと散々持ち上げておいて、需要が下がったと見るや手のひらを返しやがって……。じゃあタンクを見るとその日は幸せになれるっていう言葉は何だったんだ? 一度、本気にして頭のおかしい女に強気に出たらキルされたじゃねえか。俺は絶対に許さねえぞ……。
「……ヴォルフさん、メシが終わったら一緒に狩りに行きませんか?」
俺の突然の誘いに、ヴォルフさんは目を丸くした。
「狩りに? しかし私はタンクだ。役に立てるかどうか……」
俺は言い募った。
「見せて欲しいんです。あなたの、いやタンクの狩りを」
そして証明して欲しいんだ。
タンクはまだ終わっちゃいないってことを。
2.スピンドック平原
MMORPGというジャンルのゲームには大抵お約束というか決まった流れのようなものがあって、最初に辿り着く街から外に出ると起伏の少ない平坦なマップが広がっており、そこをノンアクティブモンスターが呑気にうろついていたりする。
このゲームに関してもその基本的な流れは押さえようとしたらしく、山岳都市ニャンダムの正門を潜って外に出ると一面に草原が広がっていて、マスコットキャラクターに成り損なったようなガタイをした兎さんがぴょんぴょんと跳ねている。
ティナンたちがスピンと呼ぶモンスターだ。
額に生えている小ぶりな角がキュートなスピンはとても臆病なモンスターで、プレイヤーが近寄るとびっくりして前脚で殴ってきて人間は死ぬ。
もう殺されることに慣れすぎて死に戻りしたプレイヤーが熊かよと苦笑を漏らしたという、ここスピンドック平原が今日の狩場だ。
岩陰に身を潜めたヴォルフさんは、慎重にスピンの様子を窺っている。
どのようにして獲物を狩るか、タンクは過去の経験を基に、多角的な観点から成功率が高い手法を選択する。
一般的に広く知られているのが、魔物を誘き寄せて狩る方法だ。タンクの大きな特徴として、タウントスキルと呼ばれる数々のスキルを持っていることが挙げられるだろう。
挑発する、煙に巻く、威圧する。相手によって有効なタウントスキルは変わるし、気候や天候にも気を配らなくてはならない。
ヴォルフさんは遠目に見える一つの群れに目を付けたようだ。
目線はしっかりと獲物を捉えたまま、唾液で湿らせた指を立てて小さく呟く。
「風下か」
ヴォルフさんは腕を組み、一つ頷いた。
「今日は諦めて帰ろう」
「ヴォルフさん!?」
タンクはリスクを冒さない。
自身の死がパーティーの全滅に直結すると理解しているからだ。
とはいえ、それでは困る。いきなりの帰宅宣言に思わず俺は叫んでいた。
ヴォルフさんは怪訝そうに眉をひそめ、
「どうしたんだい?」
「い、いや、口出しをするつもりはないんですが……」
俺はそう前置きしてから、行動計画の細部の修正を提案した。
「例えば、こんなのはどうでしょう。まず俺が奇声を上げながらヤツらの群れに突撃します。連中の行動パターンは完全に把握していますから、軽く同士討ちさせて残り一体までは持って行けると思います。そこから先は俺にはどうしようもありませんから、ヴォルフさんにお任せしたい。途中、邪魔が入るようなら俺が皆殺しにします。不測の事態が起きた際には即時撤退して戦域を離脱、二手に分かれて追っ手を撒いてから女神像で合流する。ざっくりとですが、こんな感じでどうでしょうか」
俺は知ってるんだ。
ヴォルフさんはタンクだけど戦士としても一流のプレイヤーだってこと。【スライドリード】だって自力で習得している。
この人には、今すぐにだって最前線で活躍できるくらいの腕前がある。本当ならもっと脚光を浴びてもいい筈なんだ。
しかしヴォルフさんは首を横に振り、
「コタタマくん、君のMMKは確かに強力だ。慣れれば誰にでもできると君は謙遜するが、決してそんなことはない。もっと誇っていい。……しかしどんなスキルも万能ではない。覚えておいて欲しいんだ。もしも仲間が危機に陥った時、君はどうするんだ?」
見捨てて逃げます。
俺は即答し掛けて思いとどまった。
血も涙もない人間だと誤解されては困る。俺は思いやりにあふれた男だから、そんな俺に相応しい返答が探せばある筈だった。ユーモアが利いていて、それでいてウイットに富んだ……。
俺が答えを模索していると、その迷いを見透かしたかのようにヴォルフさんが小さく笑い、
「もしも迷っているなら、それが今の君の答えなんだ。自分を縛り付ける必要はないさ。君は、もっと欲張りになっていいんだ」
ヴォルフさん……。
彼が何を言っているのかはよく分からなかったけど、欲張りになっていいというフレーズが気に入った俺は感動した。
3.居酒屋-火の車
その日、俺とヴォルフさんは二人で飲み明かした。
話すことは幾らでもあった。運営への愚痴、頭のおかしい女どもへの愚痴、成功談もあれば失敗談もある。
「こんなことがあった。あれは激しい雨の降った翌日の出来事だ……」
タンクとして様々な経験を積んできたヴォルフさんの話はどれも興味深く、話し終えるとその場には居なかった俺もまるで一緒に冒険したかのような気分になった。
クラン【野良犬】の元メンバーについても話をした。
彼らは、何かこれというきっかけがあって【野良犬】を離れた訳ではないのだという。ただ、色々とタイミングが重なって構成員がごっそりと欠けたものだから、狩りが難しくなって、ついにはヴォルフさん一人になってしまった。
不仲という訳ではないから、今でもヴォルフさんは元クランメンバーと連絡を取り合っている。
俺は少し気まずい思いをした。その連絡は徐々に頻度を減らしていき、いずれは自然と途絶えるのだろうなと予想が付いたからだ。ネトゲーマーの繋がりは細く脆い。
話題を変えたいということもあり、俺はずっと気になっていたことをヴォルフさんに尋ねた。
「ヴォルフさんはどうしてタンクを続けるんですか?」
悔しいが、タンクが時代遅れになりつつあることは確かだ。
発展した【スライドリード】は近接職の運動能力を劇的に高め、魔法使いを手榴弾のように魔物の群れに放り込む新たな狩りの手法が確立されつつある。そこにタンクの出番はない。
それでもヴォルフさんはタンクを辞めない。それは何故なのかと理由を問われた彼は首をひねり、
「どうして、か。何故だろうな。こうして改めて聞かれると、自分でも何と言っていいのか……」
ヴォルフさん本人はそんなことを言っていたけど、俺には分かった。
だってヴォルフさんは、以前の彼のように笑っていたから。
タンクはタンクであり続ける。
タンクはジョブではなく、生き方だからだ。
生き方は変えられない。
これは、とあるVRMMOの物語。
不器用な人間たちで彼らの社会は成り立っている。誰も彼もが賢い生き方をしてしまえば、泥を被る者が居なくなってしまう。損益を度外視した生命の指針を、人は信念と呼ぶのだろう。
GunS Guilds Online