【スライドリード】事件
1.クランハウス-工房
さて事件だ。
先日、山岳都市ニャンダムを舞台に繰り広げられたナウシっいや名作だよなぁ事件。国内初となる無告知領地戦をやらかしておきながら、それすら霞んだと言われる例のニャンダム大戦のことなんだが。ナウシ(略)事件の余波は大きかった。
具体的には、若干数の近接職がアクティブスキル【スライドリード】の二段階目を発現した。
ポポロンに決死の突撃を繰り返していた最中の出来事だったらしい。聞いた話によると、上位の攻略組は元々【スライドリード】を慣性を削って無理やり軌道を捻じ曲げる用途で使っていたようだ。
それが、何がきっかけになったのかは分からないが、プレイヤーの肉片が血の雨に混ざって降るような絶望的な戦況において、突如として覚醒した。
完全消音とCG処理はそのままに、魔力の消費を伴った爆発的な膂力の上昇と五感の先鋭化。これが覚醒した【スライドリード】の効果だ。
発現したとされているのは三名。内、二名は終戦と同時に逃げた。少しでも頭が回るプレイヤーなら誰だってそうする。立場が同じなら俺だってそうする。
しかし最後の一人は逃げなかった。いや逃げられなかった。他の二人と違ってヤサが特定されているプレイヤーだったからだ。
つまりサトゥ氏である。
いや荒れたね。荒れたよ。まったく使い道がないと言われていた【スライドリード】の活用法を上位のプレイヤーが秘匿していた件についても問題視されたが、より深刻だったのは覚醒した【スライドリード】によって近接職が二つか三つくらい上の次元に行ってしまったことだ。
現在、このゲームには空前の近接職ブームが押し寄せている。
サトゥ氏の指導を受けて覚醒したプレイヤーが動画サイトにアップした、【真スライドリード】でモンスターと互角以上に渡り合って早々にガス欠を起こしてボコボコにされる動画が話題を呼び、ユーザーを震撼させたのだ。
俺も動画を見たけど、あれは確かに凄い。ほとんど別ゲーと言ってもいいだろう。それほどまでに人間離れしている。
お分かりだろうか。これまでゴミだゴミだと蔑まれていた種族人間が、燃えるゴミから燃えないゴミへと歴史的な昇格を果たしたのである。
まぁ……動画を締めくくった視聴者コメントの「結局肉壁じゃん」という心ない発言が全てを物語ってしまったのだが。
とはいえ、肉壁が動ける肉壁に劇的なクラスチェンジを遂げたのは大きい。近接職ならば誰だって自分もと夢見るだろう。
ところが、である。ここからが問題だ。
覚醒の条件が不明。
先走った相当数のプレイヤーが当日の状況を再現しようとポポロンに挑んだが、一秒で全滅した。
はっきり言って【女神の加護】抜きでボスモンスターと戦うのは無意味である。最深部まで歩いて行く手間と時間を考えたら、もはや無意味を通り越して懲役刑の領域に達している。
かくして【スライドリード】を二段階目に持って行く条件は今もって判明していない。
だが、一つだけ。【真スライドリード】を用いたプレイヤーと模擬戦を行うことで、覚醒に成功した人々が現れた。現れてしまった。
つまりサトゥ氏のクランメンバーである。
この情報が流れた時、プレイヤーたちはひどく冷静だった。
彼らは、知っていたのだ。ゴミの再利用には多少の忍耐力と計画性が必要であることを。
彼らは、日本国が世界に誇る高い民度を以ってしてサトゥ氏の今後のスケジュールについて話し合いを始めた。
その結果、サトゥ氏はリアルに空のペットボトルの常備を命じられたのである。
まぁ俺には関係のないことだ。【真スライドリード】は生産職には使えないしな。
ん? それは確定してないんだったか? ああ、ポチョが職種に応じて解放されるとか言って……いや、事件当日俺はポポロンの森に行ってないんだから気の所為だな。忘れよう。
という訳で俺はクランハウスの工房で粘土をこねている。クラフトするだけなら別にどこでも出来るのだが、製品テストを部屋でやる訳には行かんからな。ハンマーでぶっ叩いたりするんだぜ。自分の部屋でそんなことやらかした日には頭のおかしい女どもにキルされちまうよ。ただでさえ、たまにキルされてるのによ。冗談じゃねえ。デスペナ付くと身体が重く感じるし指先は震えるしでろくなことがない。ひどい時は幻覚を見るなんて話も聞くからな。
俺は完成した斧をハンマーでぶっ叩く。結局、自分で作ることにしたんだ。他の武器と比べて斧は市場に流れる数が異様に少ない。
知り合いの鍛冶屋に尋ねたところ、どうも地獄のチュートリアルの影響らしい。
となればβ組かつ初日組でもある先生に聞けば話は早いんだろうけど、先生は地獄のチュートリアルについてあまり多くを語ろうとしない。大活躍したらしいからな。先生はシャイなんだ。
作成した斧が景気良くへし折れたところで、次の試作に移る。
俺が粘土をこねていると、工房の扉が外から乱暴に開けられた。
工房に踏み込んできたのは、時の人のボトラーであった。
ばっちぃな。帰れよ。俺は内心そう思ったが、口には出さなかった。
サトゥ氏は鬼気迫った様子で血走った目玉をギョロギョロと動かして室内を隈なく見渡してからこう言った。
「先生は」
「出張。しばらく戻らないよ」
俺は、トイレで用を足すという人間としての最低限のマナーすら守れない男を先生に会わせたくないと思い嘘を吐いた。
「嘘だッ!」
もう二日くらい寝てないらしい。追い詰められてやがる。
血を吐くような絶叫を上げたサトゥ氏が、急にしょんぼりとした。
「俺には分かるんだよ……先生は近くに居るって。感じるんだ……。この感覚だよ、分かってるんだろ? 見えている筈だ、お前にも……。なあ、どうして先生を隠すんだ?」
やめろやめろ。一人で勝手に新人類へと至る扉を開くんじゃない。
ちっ、仕方ねえなぁ。俺はサトゥ氏の肩を抱いて工房を後にした。
ばか、隠してないって。いいから、ちょっと寝ろ。先生ならすぐに戻ってくるよ。おい、泣くな。なんなんだよ、一体……。
2.クランハウス-客間
帰ってきた先生とサトゥ氏がテーブルを挟んで向かい合っている。
今の追い詰められたサトゥ氏を先生と二人きりにするのは不安だったので俺も同席している。いや、正確には工房に戻ろうかどうしようか悩んだのだが、何故かサトゥ氏は俺の裾をしっかりと握ったまま離そうとしなかったので、考えるのが面倒臭くなった俺は、この哀れな覚醒者製造マシーンの隣に座った。
サトゥ氏の置かれた境遇に関しては、先生も憐憫の情を抱いているようだった。
「……サトゥ、本当につらいならログアウトしなさい。周りが何を言おうとも関係ないだろう。身体を壊しては元も子もない」
もっともだ。しかしサトゥ氏は首を縦に振らない。俺をちらっと見て、
「ポポロンの子を抱いたティナンを見たというプレイヤーが居ます」
マジかよ。ああ、そういえば居たわ。
だが、俺だとは特定できない筈だ。いや……何かあるのか? 事実、サトゥ氏は俺に目星を付けている。
「お前、ティナンの姿でピエッタに接触したろう。あいつは悪い意味で目立ちすぎた。スクショを撮られてる」
……プレイヤーを侮りすぎたか。
「話題になったらマズイ。俺が堰き止める。俺は、友人を決して売らない」
お前、いいヤツだなぁ。俺なんか放っておけよ。自業自得なんだから。
真面目な話が終わった。びっくりするよな。終わったんだよ。
サトゥ氏は先生に視線を戻した。
「でも、そんなことはどうでもいいんです」
おい。
「先生、知恵を貸してください。あなたには魔法の使い方を普及した実績がある」
そうなんだよね。少し調べれば簡単に分かるんだ。よく言うだろ、人の口に戸は立てられないってさ。
今回の【スライドリード】騒動がそうであるように、このゲームに魔法やスキルの使い方を懇切丁寧に教えてくれるNPCなど居ない。ナビゲーターの【NAi】ですら何も教えてくれなかった。
人間で最初に魔法を使ったのは別のプレイヤーだが、使い方を適切にまとめて周知徹底したのは先生だ。
地獄のチュートリアルで講師を務め上げたから、先生と。そう呼ばれる。
サトゥ氏が提案している知識による【スライドリード】の伝播。
おそらく先生ならば可能だ。
「先生!」
ぐっと身を乗り出すサトゥ氏に、先生は、
「…………」
つぶらな瞳を、ゆっくりと閉ざした。
「……!」
俺はハッとした。
瞑想だ。
先生が瞑想に入った。
これは先生が何とかしてやりたいけど事情があるのか何なのか、とにかく何とかしてやれなくて、けど何とかしてやれないのかと答えを模索している時の仕草だ! つまりどうにもならないんだよ!
俺は席を立ち、サトゥ氏の肩に手を置いた。
「お引き取りを」
「そんな!? 先生!」
悲鳴を上げるサトゥ氏。しかしどんなに叫んでもダメなものはダメだ。
俺は先生に掴み掛かろうとするサトゥ氏を羽交い締めにし客間の出入り口に引きずって行く。ええい、往生際の悪い。
「待ってくれっ、コタタマ氏! お前でもいい! 頭の中につまみがあるだろ? そいつをひねるんだ! さあ!」
は? ねえよ。
「ある! やるんだよ! ほらっ、いつもみたいに脳をぎゅっとして? そしたら見えるから。ひねって押して? ひねるの大事よ。さん、はい! ぎゅっ!」
なんなんだよ、頭悪ぃなぁ……。表現に知性を感じねえ。
はいはい、分かりました。分かりましたよ。やってみるけど……。
いや、ねーわ。やっぱり俺の脳みそちゃんにそんな怪しげな器官は備わってねえ。
俺は、サトゥ氏の肩を優しく叩いた。
「お前、疲れてるんだよ。な?」
「あるもん!」
もんって。
……コイツはもう駄目だな。しばらくは使い物にならねえ。
仕方ねえなぁ。分かったよ。俺が何とかしてやる。
俺は請け負った。
「要は、地獄を見せてやればいいんだろ?」
「え?」
3.マールマール鉱山-山中
ざっ、ざっ、ざっ、ざっ……
俺たちは、深い深い穴を掘る。
俺たち二人で穴を掘る。
大きな穴だ。
穴は多いほうがいい。
「……コタタマ氏、いくら掘っても穴が足りないよ……」
「足りないから掘るんだ」
「……掘り終わったらどうするの?」
「知らないのか?」
遠くで雷が落ちた。遅れて雷鳴が轟く。
俺はスコップを地に突き刺して言った。
「また穴を掘るんだ」
これは、とあるVRMMOの物語。
人には為すべき役割というものがある。為すべき役目を終えた時、彼らはどこへ行くのだろう。楽園か。それとも……。
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