覚醒
1.クランハウス-居間
モグラさんぬいぐるみと一緒に居間で経験値稼ぎをしている。
先日、ョ%レ氏の血の効果で俺はレベルアップした。
レベル2。レベル1の実に二倍だ。だが、ここで満足してはいけない。俺は【ふれあい牧場】ただ一人の生産職にして、先生に鍛冶を託された男なのだから。
まぁクラン潰しとの兼ね合いで正式に所属している訳ではないし、レベル低すぎてウチの子たちに見合う武器は作れないけども。大切なのは日々の積み重ねさ。レベル3になれば大分違ってくるしな。サブウェポンくらいなら作ってやれるかもしれない。
俺は一心不乱に藁人形を編む。
レベル上げの遣り方は人それぞれだ。モンスターをブッ叩くのが一番早いが、俺は鍛冶屋だ。このゲームの本質はキャラ育てゲーなので、戦闘ばかりやってると知らず知らずの内にアウトドア派に転向してしまうかもしれない。一流の職人を目指すなら何かを作ってレベル上げをするべきだ。かといってガラクタを作るのは出費が嵩む。その点、小物作りはコストパフォーマンスが良い。俺の場合は藁人形、五寸釘との相性が抜群だ。やっぱり気持ちが込もるのと、幾らあっても足りないからな。
ハッ。先生。先生が廊下からじっと俺を見つめている。
「…………」
先生はしばし俺を観察してから、トコトコと近寄ってきた。
「こんばんは。精が出るね、コタタマ」
ええ。やりますよ、俺は。ウチの鍛冶屋は俺だけですからね。いつまでもJKに甘えてる訳には行きませんから。
ウチの子たちの武器のメンテはニジゲンがやっている。適当に武器を作って与えたりはしていないようだ。
強力な武器は修理費も高く付く。このゲームの装備品は普通にブッ壊れるので、強ければ良いというものではないのだ。
俺が座るソファの傍に立った先生が、完成品の藁人形をひづめに取る。先生のひづめは一応「指」という分類になっているらしく、くにっと湾曲して軽いものならくっつけて持てる。
先生は藁人形をしげしげと観察しながら、それとなく切り出した。
「時に、コタタマ。少しそこの柱に背を向けて座ってくれないかな?」
チョイスした話題は割とダイレクトだったが、俺に否やはない。柱に背を向けて床に座る。こうですか?
「うん。いいね」
先生はコクリと頷き、縄を持って柱の周りをぐるぐると回る。俺を柱に縛り付け、手錠をチラッと見せる。俺に否やはない。両手を差し出した俺の手首にガチャリと手錠が嵌められた。
先生。これは一体?
先生は膝立ちになって俺をじっと見つめた。
「コタタマ。正直に言って欲しい。キルペナルティはどうなってる?」
うっ……。
痛いトコを突かれた。
……キルペナルティ。プレイヤー、つまりゴミを始末した時に生じる殺害点だ。
キルペナには謎が多い。ゴミカスを殺しすぎたクズは殺人衝動を抑えられなくなる。複数人の証言が一致し、またキャラクターデリートが確認されたことから断定していいだろう。よほどの事情でもない限り、プレイヤーはキャラデリしない。キャラデリは溜め込んだ経験値と資産をドブに捨てるに等しく、ゲームに飽きたならログインしなければそれで済む話だからだ。
キルペナルティはメニューから確認できる。健全なキャラクターは青で表示され、キルペナが嵩むごとに緑、黄、赤と段々変化していく。俺のキルペナは……。
念のためにメニューで確認してみる。うむ。ここ二、三日は大人しくしていたのだが、キルペナは積み重なるほど解消に日数を要する。
俺は逡巡の末に正直に告げた。
イエロー……いえ、やや赤みが強い、ですね。どちらかと言えば赤寄りで……。
「レッドゾーン……?」
先生は目を丸くした。思っていたよりも悪かったらしい。
「いや。そうか。デサントの【戒律】か。しかし、そこまで症状が進行しているとは……。見誤った」
で、でも先生。結構前からそんな感じでしたし、俺は大丈夫ですよ。自分でも驚くくらい冷静なんです。
先生はひづめを立てた。
「コタタマ。ヘ号案件だ。私は、解決不能と思しき問題点を抽出する作業に一枚噛んでいる。アリ地獄……。キルペナの危険性は倍々で進む」
殺せば殺すほど、キャラクターの嗜好は殺人に染まっていく。中毒のようなものだ。
「キルペナルティの項目がメニューで閲覧できることから、ヘ号案件は早期の段階で危惧されていた」
イロハニホヘトチリヌルヲ。殺人中毒案件は六番目に登録された要注意事項である。しかし先生の言によれば、実質的にはロ号、あるいはハ号に等しいトップクラスの危険性を帯びているらしい。そういう案件は多い。
気付くのが遅れた、実験環境が整っていなかった……それらの要因で危険事項の序列は簡単に入れ替わる。
ヘ号案件がまさしくそれだ。キルペナが嵩むとプレイヤーは一体どうなってしまうのか。それを知るためには、実際に誰かがやらかすのを待つのが一番だった。ネトゲーにあり得ないなんてことはあり得ない。放っておけば勝手に誰かが危険域に足を踏み入れることは分かっていたのだ。
だが、それゆえに得られた結果には偏りがある。早期の段階で危険視され、実際にアホどもが取り返しの付かないことになったので、キルペナを警戒しているプレイヤーは多い。
つまり俺のようにやむなくゴミを始末してきたプレイヤーがどうなるのかは未知数な部分がある。
そうさ。仕方なかったんだ。未必の殺意というよりは、目障りだったから。ゴミどもが俺の運気を吸い取るから。仕方なく……。
しゅんとする俺に、先生は悩ましげにひづめを頬に当てた。
「キルペナには不明な点が多い。しかし、コタタマ。君を人柱にはさせないぞ。君には私の授業を受けて貰わねば」
せ、先生。お、俺も先生の授業を受けたいです! 俺はどうしたらいいんですか?
「私が君を監視する。君は私の監視下に入り、経験値を稼ぐんだ。魔石は渡せない。不自由な思いをさせることになるが……」
願ってもない話だ。むしろ俺はそのためにキルペナを稼いだと言っても過言ではない。
そう、俺は先生の下で生まれ変わるんだ。何事にも手遅れということはない。しかしどうしようもないクズってのは居るもので……。
「先生〜。居るかー?」
ピエッタだ。俺と先生の二人きりの時間を邪魔しに来やがった。
「あ、居た」
ウチの丸太小屋に無断で踏み込んで来た似非ティナンが、てくてくと居間に上がり込んでくる。
何しに来た。帰れよ。
「ちっ、崖っぷちも一緒かよ。なんで縛られてる? ついに見限られたか?」
見限られる要素なんてねえだろ。俺と先生は一心同体なんだよ。
「一心同体ではないが……。ピエッタ、どうしたのかな?」
「おお。先生。聞いたぜ。ウサギ小屋とはオサラバなんだろ?」
「うん。コタタマに協力してくれたみんなのお陰だ。ありがとう」
先生はぺこりと頭を下げた。
先生は礼には礼を尽くす。そういうトコが俺からしてみると危なっかしくて仕方ない。
衣食住足りて礼節を知る。満腹になった肉食獣は獲物を襲わないとよく言われるが、それは嘘だ。人間と動物の行いに大きな差はない。そして先生は最上級の獲物だ。巨額の資産を持ち、人の善意を信じている。
俺はピエッタを見つめ、ゆっくりと目に力を込めていく。
先生のチャックに指一本でも触れたなら、俺はピエッタにセクハラする。見た目がガキンチョでも関係ねえ。今更の話よ。マーマレードさんにセクハラした今となってはな。
ピエッタはジト目を俺に向けて、
「おい。こっち見んな。相変わらず気色の悪ぃ目ぇしやがって。そんなに睨まなくたって先生から金を騙し取ったりはしねえよ」
詐欺師め。そいつは廃業宣言か?
「お前はこの羊さんを単なるイイ人だとでも思ってんのか? こちらの白い毛玉さんはな〜。人畜無害な顔しちゃいるが、ネフィリアのお師匠さんだぞ。私はお前なんかと違って負ける勝負はしないんだよ」
負ける勝負だと? バカめ。どんな天才だって百戦百勝とは行かねえだろうよ。100戦して50勝50敗とするなら、最初に50連敗することもあらぁな。そいつは勝った負けたを交互に繰り返すことと何も変わらねえんだぜ。
「バカはお前だ。そういうのを机上の空論って言うんだよ。50連敗するようなアホが残り50戦を一度も落とさないなんてことあるかよ」
あるね。俺がそうなのさ。ここから先、俺は一度たりとてミスはしねえ。そしたらどうする? ピエッタさんよ。その時はお前の負けだ。当然、俺の要求に従って貰うぜ。さて、罰ゲームは何がいいかな。メイド服でも来て給仕して貰うとするかねえ? くくくっ……どうする? 今なら謝れば許してやらんでもないぞ?
「じゃあお前がミスったら罰ゲームだな。それならいいぜ。受けてやるよ」
言ったな。随分と強気じゃねえか。だがピエッタよ。連敗を重ねてる俺が同条件ってのはフェアじゃねえ。それがお前の言い分だったよな? じゃあこうしよう。勝負の土俵に上がるのは俺じゃねえ。ウチのジャムジェムだ。お前、ウチのジャムジェムから金を騙し取ってみせろよ。やれるもんならな。そしたら俺は潔く負けを認めるぜ。
「本当にお前は口だけの男だな。ハードルを一気に落として来やがった。別にいいけど、私が勝ったらジャムも罰ゲームだからな」
いいや、やめよう。この話はナシだ。俺は即座に撤退を決めた。
……ジャムだと? この詐欺師、いつの間にかウチの赤カブトと知り合いになってやがる。それはマズい。勝ち目が一気に薄くなる。俺は負ける勝負はしないのだ。
しかしピエッタさんは納得してくれなかった。
「ダメだ。もう決まりだ。お前も男なら自分で言ったことには責任を持つんだな。ホモ野郎」
誰がホモだ。ややや、やってやらぁ! ウチのジャムのポテンシャルを舐めんなよ!
そういうことになった。
2.ピエッタvsジャムジェム
ルールは単純だ。
赤カブトがログインしないと話にならないので、それまでピエッタは先生と世間話をする。
ピエッタは世間話を続けながら、ログインしてきた赤カブトに詐欺を持ち掛ける。赤カブトが突っぱねたら俺の勝ち。金を渡したらピエッタの勝ち。一発勝負だ。
赤カブトはまだログインしていない。
先生とピエッタの世間話スタート。
「それで、ピエッタ。今日はどうしたのかな? 私に用があるという話だったね」
先生とピエッタはソファに座っている。似非ティナンのピエッタは三人掛けのソファを持て余し気味だ。足をぷらぷらさせながら相槌を打つ。
「そう。そうだったな。危ねえ。何しに来たのか忘れるところだった。コンビニ弁当買っといてレンジに置き去りするようなもんだぜ。これだから崖っぷちと話すのは面倒臭ぇんだ」
コンビニ弁当と一緒にするなよ。置き去りにした弁当からコンビニ店員との恋が始まることもあらぁな。お客さ〜んってな。現代社会に残された数少ない野伏戦法だぞ。
「お前は黙ってろ。そこで柱と同化してろよ。お似合いだぜ」
ちっ、何だってんだよ。だがルールだからな。俺は俺を縛り付ける柱との一体化を試みる。
先生はピエッタの用件が気になっているようだ。耳をぴこぴこと動かしてピエッタの言葉を待っている。
ピエッタが切り出した。
「先生さ。次から一緒に学校に出るんだろ? それで少し気になってるんだけど、学校行事とかあるのか?」
なにそわそわしてんだ、コイツ。
ははん? そういうことか。ピエッタめ。コイツ、学園モノとか好きなんだ。意外、でもねえか。前にピエッタの種族人間バージョンを見たことあるけど、女教師って感じだったもんな。そういうの嫌いじゃないってことだ。
先生は少し間を置いた。ああ、こりゃダメだな。期待薄だ。先生の頭の回転の速さは俺なんかとは比べ物にならない。その先生が即答を避けるのは、ピエッタへの思い遣りの表れだろう。
思った通りだ。先生はひづめに鼻を置いて言葉を濁した。
「どうかな。あまり期待はしないほうがいいかもしれない。私の見立てでは、GMの目的は一貫しているように思える。プレイヤーの戦力底上げだ」
文化祭でチャラチャラと出店を並べて売り上げを競うだの何だの、祭りの〆には気になるあの子とキャンプファイヤーだの何だのとゴミどもがはしゃいだところでGMマレには一切メリットがない。やるとすれば、もっと殺伐とした行事になるだろう。
しかし絶対にないとは言わないのが先生の優しさである。
「もちろん、私はマレではないからね。彼女の内面までは分からないし、気が変わるということもあるだろう。ピエッタ。君からマレに提案してみるというのも面白いかもしれない。日本には義務教育制度がある。学校という教育の場において逸早く適応したのが学生であることは疑うべくもない。そうした事実をマレは疎かにはしない筈だ」
「いや、私は別に……」
ピエッタは出掛かった言葉をごにょごにょと口の中で転がした。萎んだ言葉尻には隠しても隠しきれない学校マップへの期待がある。ふん。仕方ねえな。助け舟を出してやるか。
先生。何なら先生がロードマップを引いてやったらどうですか? ピエッタに有り金を巻き上げられたプレイヤーは多いですからね。ピエッタ主催じゃ角が立つ。でしょう?
「私が、か。そうだね……。皆が望むなら、それもいいだろう。私は救われた身だ。しかし、できることなら……。ピエッタ。君にも協力して欲しいな。学び、体験に興味を持つこと。それはとても素晴らしいことだ」
だが本題はそこではない。
赤カブトがログインしてきた。鼻歌なんぞ歌いながらとんとんと階段を降りてきて、柱に縛り付けられている俺と目が合う。
ダメだ。勝てねえ。俺は結論を下した。あの間抜け面を見ろよ。答えはいつでも結果の前に来る。呑気に生きてるウチのくまさんじゃ狡猾なピエッタの手管には抗しきれない。
ならば俺は逃げる。試合に勝って勝負に負けたなんつー言葉もあるが、しょせんは敗者を飾り立てて客を納得させてるだけだ。試合に勝ったならそいつが勝者さ。だから俺は勝つ。負けを踏み倒して俺が勝つ。
俺は肘で柱を探って仕込みの蓋を開いた。ウチの丸太小屋は色んなところに魔石を隠してある。柱の仕込みはその内の一つだ。
しかし俺の手は空振りに終わった。魔石が転がり落ちてこない。なんだ? 内部で引っ掛かったのか? いや、引っ掛かる余地なんざない。そんなふうには作っていない。だとすれば……。
「魔石は私が回収した」
先生……。
先生はピエッタから視線を外さず、耳だけを俺に向けている。
「いつか、こんな日がやって来ると思っていた。……自らのテリトリーに巣を張れ。日常の中に有利性を見出せ。ネフィリアにそう教えたのは私だ」
……あの時だ。
山岳都市で祭りがあった、あの日。奇しくも今と同じピエッタとの対決の日。
あの時、先生はポチョとスズキに俺を拘束するよう命じた。それは免罪符をバラ撒いた俺への罰だと思っていた。しかしそうではなかった。
見張りも立てずに遊びに行った女どもを俺は甘いとあざ笑った。しかし、そうではなかった。
甘かったのは俺だ。
あれは布石。全ては今この瞬間のため。
柱に仕込んだ魔石を取り出した俺を、あの日あの場所で、先生は見ていた。そして、ずっとそのことを覚えていたんだ。
か、勝てねえ。勝てっこねえ。こんなさり気ない、使えるかどうかも分からねえようなトラップを張る人に。もしくは引っ掛かることすら期待していない……。そんなことがやれる人に、俺は一体どうやって対抗すればいいんだ?
ゾッとした。敵いっこない。そう思った。
けれど、俺は笑っていた。どうして笑ったのかは自分自身でも分からない。ただ、目の前にそびえる高い山がある。その事実に打ちのめされて、しかし一方では高揚していた。
「先生っ……」
俺は……先生に勝ちたいと思っているのか?
分からない。それこそネフィリアに仕込まれた敵愾心なんじゃないか? 分からない。分からないことだらけだ。
ただ、いつか聞いたネフィリアの言葉が頭の中をぐるぐると回っている。
(いずれはヤツと決別する時がやって来る)
馬鹿げてる。俺は鼻で笑った。先生と敵対するだって? そんなこと、俺はこれっぽっちも望んじゃいない。
しかし俺の中の冷静な部分はこう告げるのだ。
俺は、先生のチャックの中を見たい。
「ああ……」
知らず知らずの内に溜息が漏れた。
自覚しなければ、幸せなままで居られたのに。
俺の肥大したキルペナをかろうじて堰き止めていたのは、先生への想いそのものだった。
メルメルメ……。
(俺は……死出の門の向こうを見た)
そういうことだったのか。
お前はブン屋だから、特ダネをすっぱ抜くためにホシに張り付いてたんだな。それで、現場に出食わしたのか。バカだよ。お前は。漫画でもよくあるパターンじゃねえか。どうしてもっと自分を大事にしねえんだ。
……このゲームは、プレイヤーとプレイヤーの争いを助長する作りになっている。
キルペナルティの向こうにあるのは、罰じゃない。祝福だ。
【門】の向こう側が見えた。
独りでに開いた扉の向こう。真っ赤な世界が広がっている。命の火が燃えている。
その根元にあるものとは、一体何なのか。プレイヤーは死んでも蘇る。それは。
原材料が別にある、ということだ。
火を燃やすためには【薪】をくべなくてならない。
まるで生贄のように。
燃えているのは世界か。あるいは……【目口】か。
プライベートルーム。
個人部屋。
外界と途絶された牢獄に囚われている怪物が、身じろぎをする。
だが……。
バタン。
俺は扉を閉めた。
シンプルな理由だ。俺のプライベートルームに居るのに、プレーリードッグに似ていなかった。部屋を間違ったようだ。
そう、誰にでも間違いはある。おそらくはシステムが案内をミスったんだろう。
俺は何も見なかったことにした。
でも、そうだ。俺は先生と戦いたい。
未だ見ぬ俺のプレーリードッグなら分かってくれる筈だ。
そうだよな? 俺はこれまでに数え切れないほどのゴミを始末してきた。斧を振りかざすだけが殺しじゃない。もっと上手い遣り方がある。俺は、ずっとそうやってきた。結果は上々だったろ? だったら俺に任せておけよ。
俺を縛る縄がぷつりと切れた。鋭利な刃物で切り裂いたような感じだ。OKってことか? 茶目っ気がある。さすがは俺の本体だ。
おっと、少し目を離した隙に赤カブトが財布の紐をゆるめている。
「もうっ。ちゃんと返してくださいねっ」
「悪ぃな」
言葉とは裏腹にピエッタはにこにこ笑顔である。ちっとも悪びれた様子がない。
俺はダッと居間から逃げ出した。
「あっ! 崖っぷち、テメェ!」
すかさずピエッタが追ってくる。
ふん。甘いぜ。死にな。
俺は廊下で待ち伏せして斧を振り上げた。いや、待て。斧だと? うっ……。斧が手から生えている。プレーリードッグが貸し出してくれたようだ。
俺の手から斧が生える現場を目の当たりにしたピエッタが目を見開いて硬直している。
「崖っぷち。お前……」
ぴ、ピエッタ。俺は。いや、俺に近寄るな……。ヤバい。甘く見てた。俺のミスだ。キルペナルティってのはこうまで自然と意思を捻じ曲げてくるのか……。今、どうして俺はお前を殺そうとした? ここでお前をやっつけるのは俺の流儀に反するってのに。
くそっ。プレーリードッグめ。抜け目のねえやつだ。納得したふりをしやがったな。
頭の片隅で【目口】がせせら笑っている気がした。いや、お前は関係ねえだろっ。引っ込んでろ!
「ペタさん!」
追ってきた赤カブトを先生が押しとどめている。
「ジャム。下がりなさい」
先生……。
先生はひづめに持った縄の切り口をじっと観察している。
「……断面が綺麗すぎる。暗器ではない。コタタマはクランハウスの中では武器を持たない。キルペナルティ……」
いいぞ。さすがは先生だ。目の付け所がいい。取捨選択のセンスがある。けど悔しいな……。俺は先生に何か一つでも勝る点があるのかな?
それを知るために俺は旅に出よう。
「先生。しばしの別れです」
先生がハッとした。
「ダメだ。コタタマ。行くな」
いいえ。それは無理です。
このままここに居たら、俺は先生を殺してしまう。俺は、そんな勝ち方は望んじゃいないってのに。
ジャム。お前は……。
「ペタさん。私から逃げるのは無理だよ?」
そうかもな。でも、やってみなくちゃ分からない。だろ?
「分かるよ。無理だもん」
無理じゃない。俺は力を手に入れたんだ。今までの俺とは違う。
「私の言うこと聞けないの?」
いや、うん。そうですね。
赤カブトさんがヤバい。俺の中のプレーリードッグが俺を見捨てようとしてる気配を感じる。待てよ。そこは「力が欲しいか……」とか言って、暴走した俺が赤カブトさんをコテンパンにやっつける場面と違うんか?
ままま、待て。ジャム。近寄るな。うん。分かった。ちょっと様子見しようか。俺、キルペナがアレで理性が溶けてるけど、それを差し引いても様子見という結論に至ろうとしている。
俺はキルペナ込みで命乞いを始めた。くそっ、何なんだよ。俺のキルペナはこんなもんなのかよ? もはや魂まで屈してるレベルじゃねえか。冗談じゃねえぞ。赤カブトめぇ……!
だが、リミッターをカットした赤カブトさんは強い。強すぎる。ここで逆らっても無駄に死ぬだけだ。ならば雌伏の時を待つ。好機を待って襲い掛かるのが俺のキルペナルティだ。
へへ……。俺はへこへこと頭を下げて赤カブトさんのご機嫌を伺った。
赤カブトさんはガラス玉みてえな目ん玉で俺をじっと見つめている。
「お出掛けしなくていいの?」
ええ。そりゃあもちろん。ジャムジェムさんの手元に置いて頂けたらと。へへ。今後も一つよしなに。
しかし赤カブトは俺を見ているようで見ていない。こ、コイツ。まさか俺のプレーリードッグが見えてるのか?
くそっ。マズい。このままでは殺される。いつものパターンだ。何かないか。何か……。
あっ、ポチョがログインしてる。強い強い言われてるけど、新入りの覚醒赤カブトさんと比べたら雑魚と言わざるを得ないサブマスターのポチョりんだ!
「ポチョさんが〜。ポチョさんがログインしたよ〜。サブマスターだよ〜」
ポチョさんログインの歌だ。不必要なまでにサブマスターであることを主張しつつ金髪が階段を下りてくる。
ポチョ〜。ポチョ〜。
俺は、とててとポチョに駆け寄った。
「むっ。コタタマ〜」
両手を広げて受け入れ体制万全のポチョに、俺はジャンプ一番。死ねぇーい! 手から生やした斧をポチョに振り下ろしオートカウンターに弾かれて衝撃で半回転してすっぽりとポチョの腕の中に収まる。
くそっ、ポチョは赤カブトさんと比べて雑魚だが、俺はもっと雑魚だった。何なんだよ、この身体ぁ! レベル低すぎだろ俺よォー! 今まで何やってたんだよ! セクハラしかしてねえじゃねえかっ。目に経験値持って行かれてるじゃねえかよォー!
くそがーっ!
俺はポチョの腕の中でじたばたと暴れた。
3.捕獲成功
プレーリードッグと意識が融合したらしい俺は監禁されることになった。
搬送された行き先は【敗残兵】のクランハウスである。
そこでは、サトゥ氏が手ぐすね引いて待ち受けていた。
「やあ。コタタマ氏」
貴重な被検体であるこの俺を、サトゥ氏は手厚く歓迎してくれた。俺の肩に腕を回して暗い室内へと誘う。
「事情は聞いたよ。大変だったな? けど、もう安心だ。俺に全て任せてくれ。さ、中へ……」
もるるっ……。
これは、とあるVRMMOの物語。
破滅の引き金を引く筈が、レベルが低すぎて使い物にならなかった。
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