乾杯
1.ティナン姫の屋敷
という訳でね、やって参りました武家屋敷。
地下の座敷牢にブチ込まれて以来の訪問ということになる。
前回は門番ティナンに取り次いで貰った訳だが、さすがは飼育員さん。顔パスである。「やあやあ。お勤めご苦労様」と気さくに手を振るコニャックに、門番ティナンは憐憫の眼差しを俺たちに向けるのみであった。
……大丈夫だよね? 飼育員さんは言葉巧みに俺をヤサに連れ込んで解剖したりしないよね? 今更ながら不安になって来た俺だが、客侍の間に通されたのでホッと一安心である。
マーマレードを待っている間、暇だったので囲炉裏の灰をいじくる。ううむ、指先がぶるぶると震えて狙いがうまく定まらない。畜生どもに都合三度のデスペナを食らってステータスが低下している。デサントの【戒律】でデスペナが倍加しているので、実質的には六回分ということになる。そりゃあ身体の調子がおかしくもなるわな。
隣に座るマゴットがくいくいと俺の裾を引っ張ってくる。あん? どうした?
「……なんか、その、ゴメンなさい。ウチのペスが。ふ、普段はさー。人を噛んだりしないんだけど。てか噛んでるの見たことないんだけど。こっち来るとちょっと元気になるっていうか……」
おお。それな。俺はぽんと手を叩いて迎合の意を示した。先生が言ってたんだけどよ、このゲームのキャラクターはリアルよか運動神経いいらしいぜ。ペスもそうなのかもな。そいつ、結構いい歳なんだろ? やっぱ嬉しいんじゃねえか。思い通りに身体が動くってのはよ。
スピンと打ち解けてたのも気に掛かるな。ひょっとしたらNPC扱いなのか? サトゥ氏辺りは何か掴んでそうだが……。俺はあえて聞かねえぜ。分かるか、マゴットよ。それがゲームをするってことなんだよ。お前もゲーマーの端くれならそういう物の見方を身に付けねえとな。
「えー……? せっかく謝ったのに完全にスルーされてるんですけど……」
あ? お前も妙なトコで律儀だな。お前よー。ネフィリアとはどうなんだよ? 俺ぁよ、正直お前とネフィリアがあんまり合うとは思ってねえんだよな。けど、ちょっと期待してる面もあるんだよ。なんかあったら、いっぺん俺に相談しろよな。
「ちょっ、待て……。ちょっと私に喋らして」
いや、今は俺のターンだから。会話ってターン制だからね。まごまごしてたらターン終わるから。ハイ終わりー。お前のターン終わりー。じゃ、俺のターンね。
「私のターン短くね!?」
そこはほら、やっぱステータスが影響するわな。レベル上げねえと。お前レベル幾つよ? いや待て。当ててやろうか。二桁には行ってなさそうだが……。いや? 魔法使いだからな。案外……。
おっとタイムアップだ。おいでなすったぜ。ティナンの首魁がな。
よう、マーマ。今日はメープルは一緒じゃねえのか?
「相も変わらずよく喋る……。コタタマ。お前、もう少し私を敬え。私にも立場というものがあるのだ」
なんだよ、知らねえのか? マーマ。お前みたいに周りから傅かれて育ったやつはな、対等な友達ってのに憧れてるもんなんだよ。それが王道ってもんだ。仕方ねえなぁ。俺がお前のダチになってやんよ。くくくくっ……まぁそれは冗談だが。くくくっ……ふはははははは!
俺は貞淑な妻のようにおしとやかに微笑んだ。
なんだよ、マーマ。お前、さっきから何チラチラと見てんだよ。ペスか? ペスが気になって仕方ないんか? ん?
「ふ、ふん。世迷い事を。私は山岳都市の王だ。私の国を得体の知れない生物がうろついている。看過できる問題ではない。それだけのことだ」
くくくっ……本当にそうか?
他人を陥れることに夢中な種族人間ですら、毛むくじゃらの魅了には抗えないやつが居るってのによ。
コニャック。やれ。
元からその予定だったのだ。コクリと頷いたコニャックがペスさんを抱えて運び、マーマの前にぽんと置いた。
ペスさんは背中が痒いらしく、座敷にごろんと寝転がる。左右に身体をねじってから起き上がり、後ろ足でがしがしと頭を掻いた。ぴしっとお座りしてマーマをじっと見つめる。
マーマはそわそわしている。
「ち、小さいな。思ったより小さい。こ、これは赤ん坊なのか?」
マーマさんよ、先生から話は聞いてるんだろ? 俺らの世界じゃ体長10メートルを越えるような怪獣が陸地をうろついてるなんてことはねえんだよ。2メートル級ですら滅多にお目に掛かることはねえ。
ペスさんは立派な大人さ。どちらかと言えば大型の部類に入る。それ以上は大きくならねえんだ。
「あ、あ、あ……」
むっ、どうした? マーマの様子がおかしい。
「マズい!」
コニャックがマーマに駆け寄って背中をさする。
「感情が漏れ出している……! 殿下の克己心とペスを抱っこしたい気持ちがせめぎ合っているんだ!」
いや、抱っこすりゃいいじゃねえか。
だが事はそう単純ではないようだ。
ゆらりと立ち上がったマーマの全身から禍々しい光が発散される。これは……。
【GumS Gem……】
おっと【NAi】のナレーションが入ったぞ。
【それは無限の力を秘めるとされる大いなる菓子である。溶けない飴。噛んでも噛んでも味が消えないガム……。様々な種類がある。美味】
それ前に聞いたよ。
こ、こいつのナレーションに懸ける情熱は一体何なんだ……?
いや戦慄してる場合じゃない。マーマは明らかに正気を逸している。このままではペスさんが殺される。俺はペスさんに飛び付いて畳の上を引きずった。ペスさんが悲鳴を上げて俺の手首を噛み砕く。このワン公。手こずらせやがって。ふんぬっ。俺は白い毛むくじゃらをマゴットに押し付けた。
必死にマーマを宥めていたコニャックが弾き飛ばされる。
「うあっ!」
畳の上を転がったコニャックは、素早く体勢を立て直して手でメガホンを作った。
「誰か! 誰かある!」
スパッとふすまが開いた。
廊下に立っているのは黒尽くめの怪しい人影であった。背格好からいってティナンだろう。ヤバいことになっているマーマを一瞥し、黒装束をバッと脱ぎ捨てる。
俺の知らないティナンだ。
しかし一角の人物であるらしく、コニャックが喜色に弾んだ声を上げる。
「ラムレーズン!」
また美味そうな名前してやがんなぁ。
ラムレーズン。わんぱく坊主といった風体のティナンである。ベリーショートの髪。綺麗な顔立ちをしちゃいるが、ティナンの顔面偏差値は極めて高い水準にある。
ラムレーズンは禍々しい光を放つマーマを悲しそうに見つめている。
「またか。殿下……」
マーマはこれまでに何度かやらかしているらしい。
そのたびにラムレーズンとやらが何とかしてきたのかもしれない。
コニャックはもう安心だと言うように俺たちにラムレーズンを紹介する。
「火の武将、ラムレーズンだ。殿下が連れて来たナイ教信徒の一人さ。戦いが大好きでね。こういう時はとても頼りになる」
ああ、ジョゼット爺さんをやっつけた時に姫さんと一緒に居たティナンか。火の武将というのは……。
俺が尋ねるよりも早く、命の火が燃え上がった。【心身燃焼】だと? ラムレーズン、なのか? ティナンが魔法を……。
いや、そうか。これはガムジェムの力だ。おそらくはマーマが側近に力を分け与えたのだろう。
回復魔法を使えるティナン。火の武将、ラムレーズンか。好戦的という話だし、どうやら何とかなりそうだな。おお、ラムレーズンがマーマを睨んでいる。
「さすがにキツいぞ……! こうも連日のように……!」
だが威勢だけのようだ。いきなり弱音を吐いた。
ちょっと。飼育員さん。話が違うじゃないですか。
しかしびっくりしたのはコニャックも同じのようだ。
「えっ。ら、ラム? キミは戦うのが大好きなんだろ? 自分でそう言ってたじゃないか」
「言った。確かに言ったが……。ツラいものはツラいんだ。今は後悔している……。こんな力、欲しくなかった」
ちょっと。飼育員さんっ。俺はコニャックを急かした。
「ううっ……。た、確かに最近はあまり乗り気じゃなさそうな感じはしてたけど。ら、ラムレーズン! キミはそれでいいのか!? キミの求道心はこんなところで終わっていいというのかい!?」
「やるよ。やるけど……」
ラムレーズンはぽつりと言った。
「オレは、オレよりも少し強いくらいの相手と戦いたいんだ。程々がいい。程々で……」
戦う前から心が折れていた。ガムジェムの力を持て余したマーマとは、戦闘狂に言うほどそうではなかったと自覚させるほどのパワーを持っているようだ。
マーマは動かない。己と必死に戦っているようだ。
まだ少し猶予があるようなので、ラムレーズンはむすっとして俺を見る。
「大体、何だそいつは。コニャック。お前が連れ込んだのか? 人間じゃないか。何しに来た?」
おいおい、冷たいこと言ってくれるじゃねえか。ラムレーズンとやら。お前さんは【NAi】を崇め奉る信者なんだろ? いつも女神像の周りに居る黒尽くめはお前さんのお仲間と見たぜ。違うかい?
「違わないが。……オレは、お前たちのことを神が遣わした聖戦士だと信じていたんだ。なのに、実際にはどうだ?」
どうとは?
「口を開けば、女の服を脱がすだの脱がさないだのと……!」
返す言葉もねえわ。
「品性、下劣、極まりない……!」
仰る通りで。
「返せ! オレの信仰心を返せよ!」
仕方ねえなぁ。ちょっとどいてろ。
俺はラムレーズンを押しのけてマーマの正面に立った。
「え……?」
ぽかんとするラムレーズンに、俺は口をひん曲げた。
ぼさっとしてねえで、さっさと逃げろよ。ここは俺が持つ。言っとくが、別にお前のためじゃねえぞ。とある爺さんとの約束があってな。俺はマーマと話をせにゃならんのよ。このままじゃ話にならんから、俺が食い止める。ま、期待しないで待っててくれ。ダメだったらそん時は頼むわ。
おや、マーマの戦闘準備が整ったようだな。光の放出がより一層激しさを増したぜ。
さて、どこまで通用するかな。
俺は目に力を込めた。
脚照ッ!
「ッ……!」
出端をくじかれたマーマが硬直する。どんなにティナンが強かろうと、ありとあらゆる生物は初動に反動を要する。額を押さえられると椅子から立てないのと一緒だ。
脚照ッ! 脚照ッ! 脚照ッ!
俺は脚照を連発して姫さんを封じ込める。
目の奥にずきりと疼痛が走った。ちっ、あまり長持ちしそうにねえな。
俺の不調を察したか、ラムレーズンが上擦った声を上げる。
「お、お前っ……! ここで死ぬ気か!?」
俺は一度だけ肩越しに振り返り、ふっと微笑した。未練を振り切り、前に出る。光の奔流に呑まれるかのようだ。俺にさようならは似合わない。言った。
「セクハラだけが人生だ」
これは、とあるVRMMOの物語。
このあとメチャクチャ殺されてデスペナが嵩んで使い物にならなくなったので帰って寝た。
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