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71話 温もり

 夕方頃に眠ってしまった俺が目を覚ましたのは、まだ日も昇らない真夜中だった。月明かりが牢屋の中を照らす以外の明かりは消されており、この暗がりの中では、レイラの姿も確認できないくらいだ。


 上半身を起こし暗さに目を慣らし、置きぬけの頭が覚醒するまでしばらくぼ~っとして過ごすと、徐々に暗がりに目が慣れ、思考もはっきりしてくる。


 そうして蘇るのは夕方の記憶……俺がメイドの女を殺し、そのメイドを大切に思っている人達から憎悪と悲しみの視線を向けられた事だった。


 その事を鮮明に思い出し、殺した感覚……メイドの首を刎ねて肉を割いた感触までが蘇り、両手が小刻みに震える。



 正直、黒き衝動でここまで心に及ぼす影響が違うとは思わなかった……死んだメイドの生首と目が合った時の記憶が頭から離れない……



 両手を見つめ、嫌な光景を振り払うように頭を振る。


「喉が渇いた……」


 水を飲む為ベットから起き上がろうと足を動かそうとすると重みを感じ、そこでふと気付く。暗がりに慣れた目で腰の辺りを見るとリアネが腰にしがみついた状態のままですやすやと寝息を立てていた。


 床にはもう冷めたであろう食事が置かれている。きっと夕飯を持ってきてくれた時に俺の事を心配してそのままずっとついていてくれていたのだろう。


「前にもこんな事があったな……」


 確かあれは俺が魔法の練習をして倒れた時だ。その時もこうして俺が起きたら寝ていたっけ。あの時と違うことと言えばリアネの目に涙の後がない事だ。おそらくあの後大きなトラブルは起きなかったのだろう。


 ディアッタやエヴィやクルエ……みんなはどうしているだろうか……?多分もう寝ているだろうが、具合が悪くなったりしていないだろうか?子供達は夕方の出来事を思い出して泣いていないだろうか?


 メイドを殺した事よりもみんなを心配する気持ちが強くなる。



 殺した事は忘れられない……忘れてはいけない行いだ。アルにそう教えられた。



 でも……俺が前のように見逃していれば、今回のように皆が傷つく結果になったはずだ、またきっと同じ事が繰り返されていたと思う。


 あのメイドじゃない違う誰かが、今後、リアネ達を傷つける可能性が出てきたかもしれない。だからアルが行った牽制というものは正しかった。そういう風にも思う。


 まだ少し頭の中がぐちゃぐちゃで、殺しを肯定する自分、否定する自分が鬩ぎあっている。


「皆に会いたい……」


 ふと自分の口からそんな言葉が漏れた。何気なく呟いた自分の言葉に驚き……理解する。今ほど人のぬくもりを欲しいと思ったことはない。自分の漏らした一言にそう気付かされた。


 自分でも気付いていない気持ちを自覚すると余計にぬくもりが欲しくなりリアネの方を見る。俺の専属メイドにして、いつも俺を気遣い、俺の為に怒ったり泣いたりしてくれる少女。


 自然とリアネの頭に手を伸ばしかけ、そのまま寝入ってしまった事を思い出す。俺は血のついた顔や手をそのままにして眠ってしまった。こんな汚れた手で彼女に触れるのはためらわれる。


 そう考え自分の手を見て、汚れ一つない事に気付き、次に自分の顔をぺたぺた触ってみると顔にも血の後が消えていた。こんな事をしてくれる人物など目の前の少女以外いない。


「だからリアネはこうしてここにいてくれたのか」


 ずっと俺の事を見てくれていた少女は察しただろう。俺がメイドを殺した事を……その事を彼女はどう思ってるのだろう?怯えられるだろうか?


 もしリアネに怯えられたらと考えたら途端に怖くなった。


 今まで親しげだった彼女から突然怯えた目を向けられたらと思ったら殺した時とは違う恐怖で俺の体が震える。



 怖い!怖い!怖い!こんなに人に嫌われる事に恐怖した事はなかった。それほどまでにリアネに嫌われる事が怖い。



 しばらく自分の体を抱きしめ怖がっていると、ゆっくりとリアネの瞼が動く。


「イチヤ……様……?」


 目覚めた彼女が俺の名を呟き、定まらない焦点は徐々に彼女が覚醒すると同時に合ってくる。


 ついさっき感じた恐怖が残った状態のまま、最悪の未来を想像して、俺はぎゅっと目を瞑る。


 もしもリアネに恐怖の目を向けられたらと思ったら彼女と目を合わせる勇気がなくて目を閉じたまま顔を俯ける。


 怯えた子供のように肩も縮こませ、親に叱られるのを覚悟するように、じっと、リアネの反応を待つ。


 しかし、しばらくそうやってリアネの反応を待っていたが、リアネは言葉すらかけてこない。


 彼女の反応が気になり、おそるおそる目を開けようとすると、突然ふわっとした感覚が俺の体を包み込む。


 その事に驚いた俺は驚き、目を見開いた。


「大丈夫ですから」

「リアネ……?」


 そう言って易しく抱きしめてくれるリアネに抱きしめられた恥ずかしさよりも優しい声と感触に心地よさを感じてしまい、離れる事が出来なかった。


「あの後……ベラさんを……殺したんですよね?」


 リアネの確信を持った質問を聞き、彼女の胸の中でビクッと体を震わせる。


 俺は彼女の質問に答える事が出来なかったが、この反応が答えだ。


 それに俺に付着した血を拭い取ったのがリアネなら今の質問の答えも知っている事だろう。



 殺した事についてリアネはどう思っているのだろうか?

 

 リアネ達の為に殺したと言えば聞こえは良いが、人を殺した事には変わりない。


 俺は人殺しだ。この国の法で許される行為ではあったがその事実を変える事は出来ない。



「イチヤ様」


 突然抱きしめる腕に力が込められた。


「私は何があろうとイチヤ様の味方です。イチヤ様が何処で何をしようと……だからそんな風に怯えないでください……あなたに怯えられると私は悲しいです」

「リアネ……」

「イチヤ様がベラさんを殺した事に心を痛めている事はわかります。ですが、私にはどれだけお辛いかまではわかりません……わかりますなんて安易な言葉をイチヤ様に言いたくありません。私がイチヤ様に言える事はたった一つです」


 リアネに抱きしめられた状態で顔だけを動かして彼女と目を合わせる。


 すると彼女は目から涙を流しながらも俺に微笑みを浮かべてくれていた。


「私の大切な人達を守ってくれて”ありがとうございます”」


 ありがとうございます。その一言で重くなった心が徐々に軽くなるような気がして、彼女の言葉を聞き、思わず涙が頬を伝う。


 お礼の言葉がこんなにも心に響くとは思わなかった……こんなにも救われる気持ちになるとは思わなかった。


 心を満たしていくありがとうという言葉に、俺は嗚咽をもらして再びリアネの胸に顔を埋める。


 泣くところを見られたくなかった。本当はこうなる前に自分でなんとかしたかった。彼女に弱いところを見せたくなかった。そう思っていたのだが、もう彼女の前で感情を押し殺すのは無理そうだ。


 リアネに泣き顔を見せないのは、気になっている女の子に泣き顔をみせたくない男としてのちっぽけなプライドだ。正直もう遅い事を自覚しているが……最後の抵抗だ。


 そんな俺の気持ちなどわかっているのだろう。リアネは俺の頭に手を置くと慈しむようにして撫でてくれる。


 しばらく撫でられこの場に俺の嗚咽の声だけが響き渡っていたが、感情が少しずつ落ち着いてくると今度は眠気が襲ってきた。


 かなり眠ったはずなんだが、罪悪感に押し潰されそうだった心が彼女の言葉で軽くなった事で徐々に精神的疲労を自覚する。


 次第に瞼が重くなり、俺はリアネに抱きしめられたまま、まどろみの中へと身を投げた。


「おやすみなさい……イチヤ様」


 最後にその言葉を聞いたような気がするが俺は返事を返せなかった。

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