153話 元英雄と吸血姫 後編
ディーネの口からついて出た言葉は、アルにとっては予想外の事であった。
「……帝国と手を組んだ? 本当ですか?」
「本当じゃ……直接父上から聞いた言葉じゃからな」
驚愕の表情が崩れぬまま、信じられないと言った様子で尋ねるアルに、苦虫を噛み潰したように苦渋の表情を浮かべるディーネ。
「正直信じられませんね。同じ人族の国であるラズブリッダならまだわかります。ですが、どうして帝国と同盟を結んだのか」
「それに関しては我にもわからぬ。わからぬのじゃ……帝国が人族史上主義なのは有名じゃ。そんな国なんかと同盟なんぞ、我だけでなく他の者とて納得しない。いや、この場合はしなかったという方が正しいか」
「? どういう事でしょうか?」
ディーネの妙な言い回しに、アルが首を傾げつつ尋ねる。どうにも過去形で話すディーネの言葉、表情に嫌なものを感じるが、聞かない訳にはいかなかった。
「最初は父上以外の家臣全てが反対しておった。我も含めてな。だが日が過ぎるにつれ、その数はどんどん減っていき、最後まで反対していたのは我だけとなった」
「あきらかにおかしいですね。それに魔族領は、三王全員が賛成しなければ可決されないはず。他の二王が賛成しなければ可決しないはずでは?」
「その通りじゃ。確かに最初は他の王も猛反対しておったよ……しかし結果は他の者達と同様、賛成へと回った」
「……どう考えても、帝国が何かしら仕掛けたとしか思えませんね」
「うむ……おかしいと思い、何かの魔法にでもかけられたのかと調べてみたものの、そういった痕跡も一切なかった……それをつき止めようとしたところ、一服盛られてこの様よ……全てはあやつが原因なのは間違いないが、何をされたのか結局わからずじまいだった……父上達が正気でない以上、我を探してくれてるのかも怪しいの……」
「あやつ?」
誰かを思い浮かべたのか、ディーネが唇をかみ締める。ヴァンパイア族の犬歯があたったのかツゥっと顎へと血が流れ、地面へと垂れた。
彼女の様子から、あきらかに何かがあったのは、どんな人間でも察する事が出来る。その原因に、誰かが関わっているのは明白で、その人物が誰なのかをアルが訪ねる。
この世界の魔族の特性として、魔族はエルフと並ぶくらいに魔法に優れている。攻撃の魔族、防御のエルフと呼ばれるくらい、この二種族は魔法に特化しているのだ。
特に魔族の中でも、三王――――ヴァンパイア族、死霊族、ダークエルフ族――――の娘達、四姫と呼ばれる四人の姫達は、飛び抜けた魔法の才を持っていると言われるほどだ。
先程アルがディーネの事を『四姫』と呼んでいたが、ディーネもその四姫の一人である。そんな四姫の中でも、彼女は魔力察知に優れている。
その彼女が見破れなかった事にアルも驚きを禁じえない。魔法ならば、使えばディーネが看破するのも容易いだろう。
では、彼女が察知出来なかったところをみるに、何かしらの個人が持つ能力を使われた?
結論から言えば、それも否である。
能力であったとしても、使う際には僅かに乗る。一人目ならともかく、異変に気付いたディーネは警戒しているので気付かない訳がない。
一体どのような人物が、どのような方法で、洗脳のようなものを施したのだろうか?
その方法の答えはここでは出ない。ディーネはその答えを持っていないのだから。
けれど、その人物の情報を聞くことは出来る。彼女はそれを行なったであろう人物を知ってるのだ。聞かない手はない。
ディーネの話を聞く限り、明らかに警戒すべき人物だ。絶対に知っておいた方が良いだろう。
「名は確か……ラテンギルと名乗っておったか。くすんだ金髪で、目が細く、口が裂けんばかりの笑みをはりつけている男だ。今思い出しても、とても不気味で、吐き気がするほど気持ち悪い男だった」
「帝国には何度か行った事がありがますが、その名前は記憶にないですね」
その男を思い出したのか、ディーネが凄く嫌そうな顔をする。どうにも棘のある言い方だが、どんな人間にも生理的に受け付けない人間というのは存在するの仕方がない。
そんな彼女の様子を一瞥し、軽く自分の記憶を探るアル。実はこの男、察している人もいるかもしれないが、冒険者時代、人族以外の種族の国も、仲間と共に旅をした経験があり、色々とトラブルに巻き込まれた結果、他種族とも友好的に接してもらえるくらいにはなっている。ディーネと親しいのもそれが理由だ。
とりあえず、ディーネについては一度脇に置いておく。重要なのは冒険者として、様々な国を渡り歩いていたという点だ。
もちろんアルは他種族の国だけでなく、人族の治める地の一つ、帝国にも行った事がある。
そこでも他の種族の国と同じように、たくさんの事を見聞きし、色々な人に出会い、様々な事を知った。
知識の中には当然、有名な人物の情報もあるのだが、記憶を辿っても思い浮かばないらしい。
「あの者については我の方にも情報は入らなかった。アルドルなら何か知っているかもと期待したのだが、わからぬか」
「お役にたてず、すいません」
「いや、謝る事ではなかろう。それよりも注意しておけ。我ですら感知できぬ能力を持っておるのは確かじゃ。感じからして即かかるようなものではなく、じわじわと心を洗脳していく能力だと予想をつけてはおるが、確証はない。もしも出会う機会があった時は、警戒だけは怠るな」
「わかりました」
真剣なディーネの言葉に、同じように真剣な表情でアルが頷き返す。
王国との同盟を破棄した帝国に仕える使者なので、会う機会は限りなく低いが、アルは記憶にしっかりとラテンギルという名は刻み込んだ。
「して、もうお主の用件は終わりか?」
「正直まだまだ聞きたい事は山ほどありますが、もう日が昇る頃ですので次の機会にします。他の人間も起きだしてくる頃ですしね」
「なんじゃ、別に他国の情勢なんぞ聞かれても問題ないのではないか? 我は特に気にしないが」
「いや、あなたの国の事でしょうに……少しは気にして下さいよ」
「気にしたところで、今の我にはどうする事も出来ん……ならば聞かれようがいまいが、関係ないではないか……」
半ば諦めたかのようにそう語るディーネに、アルもため息を一つ。
確かに全く関係ない王国にいる現状、ディーネに出来る事はないが、自国の情報を流していいのかと思わないでもないアル。
だがしかし、アルがその言葉を発するような事はしない。
――――なぜなら。
「んっ、ひっく……っく」
嗚咽を漏らしながらディーネが泣く姿がとても痛ましかったから。
この場に監禁されて何日経っているかわからないが、その間、彼女は一度として涙を流した事はない。
イチヤと初めて出会った日も、泣いたり弱音を吐いたり等はしなかった。先程アルと再会した時と同じようにおどけた様子で接していた。その振る舞いこそが、彼女の心の雫が決壊しない為の防衛手段だったから。
別にディーネは魔族領をどうでも良いと思っている訳ではない。むしろ自分の祖国を愛していると言っても良い。それは家族も同様だ。けれど、今の自分には何も出来ない。そんな自分に不甲斐なさと無力感を改めて感じてしまう。今まで我慢していた感情が表に出てしまった。
「すまぬな。はずかしい所をみせた。出来れば忘れてくれると助かる」
「わかりました」
しばらくの間、彼女の泣き声だけが場を包むが、一頻り泣き終えると少し顔を赤くしながらも平静を保ったディーネが口を開く。
さすがにこの状況で、どんな言葉をかけて良いのかわからず、アルはそれだけを返す。女の涙に弱いのは他の男と同様、アルもかわらないようだ。
「とりあえず、聞きたい事は聞けたという事みたいじゃから今日はこのくらいでお開きにするか」
「そうですね」
「次に来る時は手土産くらいは持ってまいれ。美女の部屋に来るのに土産の一つもないのは無作法にも程があるぞ」
「ええ、わかりました」
「酒とつまみ……楽しみにしておるぞ!」
「それは女性とか関係なくないですかねぇ!?」
ニッという効果音がつきそうな笑顔でディーネが笑う。目元が腫れている事からわかるとおり空元気なのは誰の目からみても明らかだ。それがわかるからアルも普段どおりのツッコミを入れたのだ。
そしてアルが扉を開け、部屋を出ようとして――――立ち止まる。
「ん? どうしたんじゃ?」
「最後に一つ。今はまだ無理ですが、近い将来、魔族領の方も、良い意味で、どうにかなる。かもしれません」
「……どういう事じゃ?」
怪訝そうな表情でアルの後姿を見つめるディーネ。アルの真意を探ろうにも、彼の顔は扉の方を向いている為、その真意は窺えない。
「確定じゃないので、はっきりと言えませんが、今は辛抱してください。後、一つアドバイスをするなら、出来る範囲で良いので、イチヤに協力してやって下さい」
「おい、それはどういう……?」
ディーネの返事に答えず、アルが部屋を出て行く。一瞬、追いかけようとも思ったが、必要な事なら話をしてくれただろうと思い。ベットに体を横たえる。
「あやつは何が言いたかったのじゃろう……考えてもわからん」
一つ吐息を吐き出し、再度考える。けれど彼女が持っている情報は、どれもここに来るまでのもの。それを繋ぎ合わせたところで答えが出るはずもなく、考えるのを止めた。
「考えてもわからん以上、今出来る事をする……か。我がいなくなってからの他国の情勢もわからん。その辺も調べる必要があるな。後は、あやつのアドバイスに従ってみるのも悪くはないじゃろう。どうせ牢に入れられた時より悪い事にはならんじゃろうしな」
色々とやる事が出来たと握りこぶしを作り、瞳に宿した光が強くなる。内心、絶望で包まれていた先程より、幾分体も軽くなったように感じていた。
魔族領が良い意味で、どうにかなる。アルの残した言葉はどうにも要領を得ない。それでもアルが、嘘や虚勢で、相手を騙すような事をしないとディーネは知っている。その事にディーネは希望を見出した。
一つの希望が活力に繋がる。それを実感したディーネは、これから手探りで行動を起こしていく。