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真人と旧人・一





 魚籠びくの中に、三匹目の〈ハナマス〉を入れて、僕とイノリは釣り竿をしまった。


「今日のお昼ご飯はこれですね」

「ああ。新鮮な魚が捕れてよかったよ」


 内訳は、二匹がイノリで一匹が僕だ。僕があちこち場所を変えて試行錯誤を繰り返す横で、イノリは一度決めた場所からじっと動かずに釣り糸を垂らしていた。

 どうやら、イノリの方法が正解だったようだ。僕の方はあちこち歩き回って、魚に警戒されてしまったらしい。けれども大きさから言うならば、こちらのハナマスの方が大きい。小さな事実を取り上げてプライドを保とうとする自分が、少し嫌になる。イノリはそんなこと、まったく気にしないだろうというのに。

 生活するのに必要な分だけ取るのが、先人の習わしだ。一日の食事の分が採れれば、それで充分に満足する。もちろん、冬に備えて保存食を作ったり、あらかじめ蓄えておくことにもぬかりはない。けれども、決して余ってしまって捨てるほどの量を、自然から奪うことはないのだ。

 川を遡上する〈オオサケ〉を捕る時は、産卵を終えて弱った個体を優先して捕らえる。野山で野草を採取する時は、塊茎や根を食べるもの以外は根こぎにしない。そうした事細かな決まりを、先人は守り続けてきた。僕たち日本人がかつて有していたけれども、いつの間にか失ってしまった、自然との共存共栄が今もここでは守られている。


「魚はどうされますか?」

「焼き魚がいいな。僕が火をつけるから、さばいてくれるかな」

「はい。すぐに取りかかりますね」


 早速イノリは、平たい石の上に湖から汲んできた水をかけてから、腰の小刀を抜いた。石を皿代わりにして魚から手早く血を抜き、腹を開けて内臓を取り出していく。

 てきぱきと作業を進めていくイノリから遠ざかると、僕は仮小屋の入り口付近にしゃがみ込んだ。予想通り、この仮小屋も戸を開けてみれば、自由に使ってよい道具や薪、それに保存食が置いてあった。とりあえず鍋と鉄瓶だけを借り、ほかのものには手をつけていない。自分で適当な大きさの石を集めて円を作り、集めておいた薪と枯れ草を積む。

 後は火種となる鳥の巣と〈発火石〉で火がおこせる用意がととのった。こういった特殊な作用を持つ〈貴石〉は、異邦における生活のあらゆる場所で使用されている。夜になると発光する蛍光石。冷蔵庫代わりになる〈冷却石〉。食物の腐敗を抑えられる〈防腐石〉。そして発火石。高純度の貴石を地球では〈セレナイト〉と命名し、異邦から輸入している。

 よろめき谷周辺の人々の生活は、科学文明とは縁がないものではあるが、決して劣悪ではない。貴石という動力源にしてデバイスの役割を果たす鉱石が、ヒ国の生活を基礎から支えていた。そして地球の生活もまた。現在、異邦産のセレナイトは発電所で動力として用いられている。その生み出す膨大な電力は、原子力の比ではない。

 発火石の上に置いた鳥の巣の一部に、小さな火がついた。火種を薪に移し、そっと息を吹きかけて火を大きくしていく。薪もよく乾いていて、見る見るうちに小さな火がたき火へと変わっていく。


 一息ついてから、僕は立ち上がって周囲を見回した。ここが目的地の一つ。雪解け川がたどり着く場所、鏡拾いの湖だ。

 変わった名前だが、それは先人が語り継ぐある伝説による。村の娘が嵐の後に湖畔を歩いていると、岸辺でこの世のものとは思えない、美しい鏡を拾ったというものだ。その鏡は実は湖の主の持ち物であり、やがて娘はその鏡を嫁入り道具の一つにして、湖の主に嫁ぐこととなる。日本にも子細は異なるものの、似たような伝説はあったはずだ。

 それにしても、「鏡」拾いか。どちらかというと、この湖そのものが鏡のようだ。明るいシラカバの林を抜けた先の、ぽっかりとできた広大な空間にこの湖は収まっている。形自体がほぼ円形なもあるけれども、同時に風がほとんど吹かないため、湖面が鏡のように真っ平らなのだ。案外、ずっと昔は鏡の湖と呼ばれていたのかもしれない。

 いつからか、よその土地で言い伝えられてきた異類婚姻譚がよろめき谷にも持ち込まれ、それが地元の風物に当てはめられる過程で、鏡「拾い」に改名された可能性もなきにしもあらずじゃないだろうか。僕は民俗学の専門家ではないからよく分からないけれども、想像するだけならば無害だろう。


 たき火から少し離れ、僕はやや離れた場所にある、大きな岩の上に立った。飛び込み台のようにして、岩の突端は湖面に向かって突き出している。先程、イノリが釣り糸を垂らしていた場所だ。膝を付いてから下をのぞくと、ちょうどそこは深みになっていて、ハナマスが何匹か泳いでいるのが見える。

 まだまだ大きなハナマスがいるようだ。僕が釣り上げた奴よりも、さらに二回りくらい大きな個体が悠々と泳いでいる。あれくらい大きければ、さぞかし食べ甲斐があるだろう。少しだけ、自分がそのハナマスを釣り上げた様子を想像してしまったその時だ。突然、黒い影が深みの底の方から、ぬっと姿を現した。

 人の姿形をしているように見えた気がする。その影は、滑らかな動きで手を伸ばす。決して電光石火の早業ではない。けれども、のろのろとした鈍くさい動きでもない。ただ、手を伸ばしただけだ。その広げた手の中に、あらかじめ予定していたかのようにして、深みで一番大きかったハナマスが収まった。

 ハナマスを握りしめたまま、黒い影は一気に水面に向けて浮上する。素潜りをしていた人間にしては、肌の色が明らかに違う。水しぶきを上げて、その頭の部分が姿を現した。


「うわっ!」


 突然の出来事に、自分でも情けない声がもれた。思わず上体がのけぞって、そのまま僕は尻餅をつく。


「雪人さん! どうしました?」


 僕の声に驚いたのか、小刀とさばきかけの魚を両手に持ったまま、イノリがこちらに駆けてきた。エラの辺りから、薄い赤色の血が地面にぽたぽたと垂れている。

 水面に上がってきたものを見て、僕は一瞬とある妖怪を連想してしまった。キュウリに目がなくて、頭の上に水の入った皿があって、背中に甲羅があって、尻子玉を抜く妖怪。そう、河童だ。

 全体の色は、まさに河童を連想させる深い緑色。目を凝らせば、細かい鱗に覆われている。つるりとした頭部には毛は一本もなく、あちこちに棘のような角のような突起がある。じろりとこちらを見る目は黄色だ。瞳孔は丸く、昼行性であることが分かる形をしている。長く突き出した顎と、長い首。


「旧人の方ですか?」


 イノリの呟きの通りだ。

 よく見れば、その姿は河童とはまったく異なる。トカゲそのものの姿形と言っていい。僕は、声もなく水面から顔を出した相手を見つめていた。


「驚かして、すまなかった」


 先に沈黙を破ったのは、向こうの方だった。その口が開くと、聞こえてきたのは流暢なヒ国の言葉だ。低い声音は耳に心地よく、熟練した声優のように滑舌がいい。

 一言そう言えば、後は構わなくても大丈夫と判断したのだろうか。僕たちから目を逸らすと、彼は平泳ぎで岸へと向かう。身にまとっているのは、下半身を隠す下帯だけだ。水をかく補助なのか、それとも舵の役割を果たしているのかは分からないが、腰の辺りから伸びた尻尾が左右に振られている。

 ただのトカゲではない。そう表現するのは失礼だ。もし彼がトカゲならば、僕たちは毛のないサルもどきということになるだろう。異邦では度々見受けられる旧人の〈トカゲ人〉だ。岸にたどり着いて立ち上がると、完全にその姿はトカゲとはかけ離れている。爬虫類のように四足歩行でも、恐竜のような前傾姿勢とも違う。人間と同じ直立二足歩行だ。

 軽く体を振って水を散らすと、彼はこちらを向いた。外見こそ人間とは異なるが、異邦では彼らの〈魂〉と呼ぶべきものは、人間と何ら変わりないものとされている。あらゆる点において、彼らは人間と同等の権利を有している存在だ。他にはヤマネコ、オオカミ、それにウサギにヒツジなどの旧人が、異邦では生活している。


 ヒトの体に獣の頭部というのは、地球人である僕にとっては異形でしかないのだが、異邦の人たちにとってはさほど驚くには値しない。肌の色や髪の色、背格好や文化の違いのレベルでしかないようだ。エルフが語り継ぐ神話によると、世界というものは四度創られては破棄され、今の世界は五度目の世界だそうだ。

 五度目の世界が創られた時の〈最初の夜〉と呼ばれる闇の時代。その際に滅びた世界から、ヒトの魂を獣の体に隠してこちらの世界に持ち込んだものがいた。彼らは四度目の世界では人間だったのだが、五度目の世界ではヒトと獣の混じった姿で生きていくことになった。それが、旧人の始まりである。エルフたちはそう説く。


「すまない。本当に驚かすつもりはなかったのだ」


 余程僕が驚いたように見えたのだろう。彼はこちらに近づいてくると、軽く頭を下げた。


「人の気配はしたのだが、てっきり俺の雇い主だとばかり。不作法な真似をしてしまった」


 よく見ると、爬虫類の顔だがきちんと表情があり、目付きが全然違った。感情と理性があることが分かる目の形をしている。


「いえ、気になさらないで下さい。少し、突然だったので驚いただけです」


 あまり謝られても、逆にこちらの方が恐縮してしまう。僕は話題を逸らしたくて、言葉を続ける。


「雇い主というと、もう一人近くにいらっしゃるんですか?」

「ああ。少し周囲を散策すると言っていたのだが…………」


 彼がちょうど首を左右に振って、周囲を伺った時だった。


「いや~この辺りはいいねえ。ただ足の向くままのそぞろ歩きをするだけで、実に詩作のための思索が刺激されて仕方がない。うん、万々歳だ。気に入ったよ!」


 無遠慮そのものの大声と共に、丈の高い草を掻き分けてこちらに向かって誰かが歩いてきた。おまけに背が非常に高いため、一目見てすぐにそこにいると分かる。

 服装も、外見も、先人たちとはまったく違う。出で立ちは、古風な西洋の服装と、中国の服装が混じったような、洋の東西がキメラ化した格好だ。胸元やズボンの腰の辺りは洋風なのに、袖口や襟の形は中華風という、非常に不思議な形としか言いようがない。金色の長い髪の毛も、奇妙な形で大きく結ってまとめてある。

 けれども、見慣れないのはその服装だけではない。その男の人は、何もかもが尖っている。長く伸びて顔から突き出した耳の先端。吊り上がりつつもぎょろりと開かれた目。薄い唇の両端。長く突き出した下顎。さらには左右に出っ張った頬骨から、長い五指とその爪まで。ありとあらゆる部分が、尖っているのだ。

 一目見て分かる異相。よく言えば人間離れした、悪く言えば宇宙人めいたその外見を有するのは、見間違えようがない。〈真人〉、僕たち地球人がエルフと呼ぶ人間だ。エルフと言っても、決して絶世の美男子ではない。旧人に比べればずっと人間に近い顔形なのだけれども、地球人のどの人種とも似ていない不思議な顔付きだ。


「おや、これはこれは。こんなところで魚釣りとは。君たちも随分と風流なようだね。私と気が合いそうだ。いや、確実に合うね!」


 エルフの男性は、その異相とは裏腹に、僕たちに向かってなれなれしいほどに親しげに話しかけてきた。先程のトカゲ人の声質が落ち着いた低いものならば、こちらのエルフは笛のようにかん高くてオクターブが高い。

 ただ普通に喋っているだけなのに、両手を広げたオーバーアクションと相まって、もの凄く芝居がかっている。そのくせ、顔付きだけは不可思議な造作なのだから、非常にミスマッチだ。あまりフレンドリーに接してこられても、ちょっと反応に困る。


「そこの少女、どうやら魚は釣れたようだね?」

「……あ、はい。これです」


 有無を言わさぬ勢いに飲まれたらしく、イノリが機械的に手を突き出す。その手の中で、血を滴らせはらわたを抜かれたハナマスが、口を開けてエルフを睨んでいた。


「なんと! なんと惨いことを! 釣りというものはもっと繊細に、もっと洞察を巡らせ、もっと賢明に純粋に利発に、自然と己との甘美な一体感を楽しむものではなかったのかい!」


 これからありがたくその命を食という形でいただこうという時に、エルフの男の人は何を思ったのか目を見開いて悲鳴を上げた。


「釣りは言わば手段だ! 方法だ! 目的ではない! 湖面に釣り糸を垂らして思惟にふけるその贅沢! ああ、それはまさに何ものにも代え難い恍惚の極み!」


 勝手にこの世の終わりのような顔をしているエルフを、イノリは完全に宇宙人を見る目で見ている。


「それらを余すところなく味わったのならば、魚は再び湖に帰してあげるべきではないのかな! ヒ国の先人は、もっと自然と共存していると思っていたのだが、まさかこんな場面に出くわすなんて!」


 彼の主張が、徹頭徹尾理解の埒外なのだろう。

 フィッシングがレジャーでもある日本出身の僕は、彼が言わんとすることが分かってきた。このエルフは、僕たちが遊びで釣りをしていると思い込んでいるようだ。だとするならば、釣り上げた魚はキャッチアンドリリース。古代中国の太公望よろしく、釣りをしながら思索にふけることも多々あることだ。けれども、僕たちの目的はレジャーではない。


「いえ、この魚はこれから昼食のおかずにしますので。そもそも食べるために釣ったのですから、何も問題はありません」


 ぽかんとしているイノリの横で、僕はエルフの男の人の思い込みを正そうとしてみた。


「あ、そうなのかい?」

「ええ。まあ、娯楽ではあるかもしれませんけれども、きちんと釣ったものは食卓に並べますから」

「そうなのか。済まないね。私の勘違いだったよ」


 思いの外あっさりと、エルフの男の人は僕たちの主張を受け入れた。


「アトリヘル殿。釣りを娯楽に位置づけるのは、生活の糧を得る手段が他にあるものか、隠者に身をやつした賢者でしょう。先人にとって釣りとは生活の糧を得る手段でありますし、賢者などおいそれと見つかるものではありません」


 ここに来てようやく、トカゲ人が口を開いた。相変わらず声音が渋くて、普通に話しているだけなのに含蓄があるように聞こえて仕方がない。


「実際、こちらも魚を一匹捕まえた次第。これを今日の昼食としていただくとしましょうか」


 彼の雇い主とは、このエルフのようだ。トカゲ人は、手の内でまだもがいているハナマスをエルフの鼻先に突き出す。

 彼の鋭い爪が魚の鱗を貫き、血が滲んでいる。


「おお、これは随分と大きくて美味しそうじゃないか。素晴らしい。君はやっぱり優れた案内人だよ」

「――恐縮です」


 先程まで、イノリのさばきかけのハナマスを見て、惨いと言っていたのはどの口か。エルフの男の人は、興味津々といった様子で、その高い鷲鼻をハナマスに近づける。

 まあ、同行者の捕まえた魚を素直に誉めるのは、正しいことだとは思うのだけれど。


「あの…………」


 どことなくコントに似たやり取りをする二人に、イノリが話しかけようとした。


「んん? どうしたのかね」


 屈託なくこちらを見るエルフと、不必要な警戒もなければ、無遠慮な親しみもない目で見るトカゲ人。

 まったく種類の違う視線にさらされて、一度イノリは深呼吸してから言葉を続けた。


「もしお昼を召し上がるようでしたら、ご一緒にどうでしょうか。火をお貸ししますよ」


 そう言ってから、イノリは自分が一人で決めたことに気づいたようだ。


「雪人さん、よろしいでしょうか?」


 即座に彼女はこちらを向いて、僕の判断を仰ごうとする。

 妻として、夫の決定に従おうということだろう。僕だって断る気はないし、何よりもイノリが決めたことをひるがえしたくもなかった。


「もちろん構わないよ。旅は道連れ世は情け、と僕の国では言うからね。せっかくだから、ご一緒願おう」


 エルフの男の人は即座に、トカゲ人の方は彼が了解するのを待ってから、その誘いに応じてくれた。

 ちなみにエルフの男の人の本名は、アトリヘル・ノフィス・フェニトゥム・ルールースという随分と長い名前だった。その名を誇りに思っているのか、彼は胸を張って堂々と名乗った。一方トカゲ人の方は、ヒダルキという自分の名前を、表情も変えずに僕たちに教える。でこぼこのようでいて、奇妙に釣り合いが取れているように見えるコンビだった。





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