花守の里・二
よろめき谷に朝が来た。笛吹山の隣に朝日が顔をのぞかせ、樹皮や茅でふかれた家々の屋根を照らしていく。僕は自宅の玄関を背にして、目の上に手で陰を作った。薄暗がりに慣れた目には、夜気に浸されていた空気を切り裂いて差し込む日の光は少し痛い。これから徐々に気温は上がっていく。けれども今この瞬間、空気は逆に冷たさを増していた。
春もそろそろ本番を迎える頃合いだろう。日本では朝晩も暖かくなってきただろうけれども、こちらの早朝はまだ涼しい。ここはヒ国でも北方に位置する。豪雪地帯ではないものの、冬の寒さはそれなりに厳しい。長く重かった冬の寒さを押しのけて、春の暖かさという名のつぼみはようやく開花を迎えつつある。
あれから二日が過ぎた。急を要する事態に見舞われることなく、僕たちは無事に新婚旅行を始められることとなった。と言っても、予定では一泊二日の小旅行だ。朝に里を出発し、雪解け川にそって歩きながら、お昼には鏡拾いの湖に到着。そこで魚釣りなどを楽しんでから、夕方にさしかかる前に出発すれば、夜にははずれの草原にたどり着く。
後は夜が更けていくのを待てば、流星草が種を飛ばす瞬間に立ち会えるという寸法だ。サンゴのように、流星草は数年に一回、決まった時間に種を飛ばす。その正確な生物時計がありがたい。調査ではずれの草原に数日留まるのは仕方がないが、イノリを何日も里から連れ出すのは気が引けるからだ。
「雪人さん、お待たせしました」
振り返ると、イノリが玄関から出てきたところだった。いつも来ている着物とは、材質や形が少し違うものを着ている。どうやら、樹皮から作った上着のようだ。確か虫除けの効果があると思った。一部の異邦の昆虫は、地球では自重で確実に潰れるほどに巨大化している。虫除けに先人が心を砕いたのも無理はない。
近づくと、イノリが結構気合いを入れてめかし込んでいるのが分かった。僕が支度を終えても、しばらく鏡台の前で自分の顔とにらめっこをしていたわけだ。普段見ない勾玉に似た形の石を取り付けたネックレスを下げているし、耳にはイヤリングだ。あちこちはねていたはずの癖っ毛も、今日は少ないようだ。きっと、念入りに櫛を入れたのだろう。
よく見ると頭にも髪飾りがある。見た感じ、イノリたちとは文化が違うようだ。邦人の行商人との交易で手に入れたのか、町の市場で購入したかのどちらかだろう。いくらめかし込んでいても、背中には樹皮製の背負い袋を背負い、肩からは同素材の籠を提げていた。たとえ新婚旅行でも、きっちりと採取は行おうという心構えが見受けられる。
「それ、素敵だね」
何はともあれ、イノリの気合いを無駄にはしたくない。さっそく僕は彼女の髪飾りを指差す。
「あ、気づいてくれたんですね」
たった一言で、彼女の顔に花が咲く。
「そりゃあ気づくよ。珍しい形だからね」
形としては、かんざしに近いだろうか。鳥の羽に似た丁寧な細工がされている。〈旧人〉もしくは〈エルフ〉の作品かもしれない。
「目立ちすぎますか?」
言い方がちょっと悪かったようだ。出で立ちの中で髪飾りだけが浮いていると思ったのか、イノリが心配そうな声音になる。
「違う違う。よく似合っているよ。だから素敵って言ったんだ」
安心させようと、僕はもう少し言葉を多くする。
「……ありがとうございます。嬉しいです」
イノリはすぐに僕の言葉を信頼してくれる。
「それ、どこで手に入れたの?」
せっかく目にしたのだから、出自を聞いてみた。一応先人の文化の調査にもつながる。
「兄にいただいたんです。町の市場まで足を運んだ時に、行商の方から購入したと言っていました」
「兄……っていうと、ユタリかな?」
「はい。わざわざ私のために買ってきてくれたんですよ。私の宝物です」
大事そうに、イノリは手を伸ばして髪飾りに触れる。決して安いものではないと分かる代物だ。あまり現金を持たないこの里の人間が、これを購入したのだ。きっと貯めておいたお金をつぎ込んだに違いない。
「いいお兄さんだね、ユタリは」
「はい。とっても立派な、私の自慢の兄さんです」
くすぐったそうな顔でイノリは言う。
家族を誇りに思えるのは、とても幸せなことだと思う。瞬間、かすかに思った。僕にとってのイノリは、そしてイノリにとっての僕は。家族としての範疇に含まれるのだろうか。一年後には、解消されると約束された家族の関係。僕は彼女を誇ることができるのか。そして彼女は僕を誇ることができるのか。
「じゃあ、そろそろ出発しようか」
一瞬脳裏をかすめた問いに、僕は答えを出さないままだった。
「はい。今日は一日、よろしくお願いいたします」
ぺこりと小さな体を精一杯に曲げて、イノリはお辞儀する。
「こちらこそ。いい新婚旅行になるといいね」
僕は言いながら、足元に置いてあったバックパックを背負う。
これも高機能スーツを開発したのと同じメーカーの試作品だ。外見はほとんど軍の備品に近い。中にはサバイバルに必要な器具がほぼ一式入っている。多目的ジャケットのポーチには方位磁針と通信機器。そして腰にはサバイバルナイフと、護身用の銃を収めたホルスター。猛獣相手に使わなければならない状況に陥らないよう、注意したいところだ。
一方イノリは軽装だ。背負い袋の横には小型の弓と矢筒。それに釣り竿。僕と同じように、腰からは小刀を提げている。背負い袋の中には恐らく、調味料や携行食、それにいくらかの調理器具が入っているだろう。これでも、いつもに比べればイノリは重装備だと言えるだろう。普段の彼女は、ほとんど荷物らしい荷物など持たずに採取に出かけている。
よろめき谷のあちこちに、狩りや採取に訪れたものが自由に使える仮小屋があるおかげだ。中に入れば、一通りの道具や備品は置いてある。鏡拾いの湖にも、確か同じようなものがあったはずだ。大きなバックパックを背負った僕の姿は、先人から見れば異質なのだろう。案外、イノリは僕に合わせてくれたのかもしれない。
さあ、そろそろ出発の時間だ。
◆◇◆◇◆◇
畑や山へと出発する里人たちと挨拶を交わしつつ、僕とイノリはよろめき谷を後にした。雪解け川のせせらぎに沿って歩いていくと、しばらくして開けた田園地帯へとたどり着いた。もうここは隣の村だ。といっても、花守の里との交流はよくあるし、仲も極めて良好だ。作物の収穫の時期や、狩りが盛況を極める時期には、お互い手を貸すことも多々ある。
花守の里にも畑はあるけれども、隣村の方が規模が大きい。植えてあるのは米、ソバ、ヒエ、それにアワなどだったはずだ。道沿いの畑を見ると、ヒ国特有の穀物がいくつかある。とにかく空いた土地に、ありとあらゆる穀類を育てている。その中でも、やはり米を植える田んぼは圧倒的に広く、大きい。
ヒ国でもやはり、国民の主食は米だ。といっても白米ではなく玄米、それもこの辺りでは、ヒエやアワなどの雑穀や、豆や芋などを混ぜて食べている。かさを増すための手段だが、同時に風味がよくなる。
田んぼでは、村人がウシやヤクに近い家畜を使って、畦を作っていた。日本の失われた原風景が、こんな遠く離れた場所にひっそりと息づいている。
「おや、誰かと思ったら――――」
草取りをしていた隣村の男の人が、僕たちに気づいて顔を上げた。いい色に日焼けした中年の男性だ。
「エトロナイの娘じゃないか。どうしたんだ、町まで行くのか?」
襟元を開いてわずかな風を入れつつ、男の人は僕たちに話しかけてきた。イノリの名前は出てこなかったが、彼女の父親の名前は思い出せたらしい。
「いえ、その、ちょっと、はずれの草原にまで行くんです」
突然話しかけられて、イノリはあたふたとする。人見知りな性格がこういうところにもかいま見えた。
「はずれの草原? そういや、そろそろ流星草が種をばらまく時期だな。なんだ、種でも拾いに行くのか?」
「まあ、そんなようなところです。どちらかというと、種をまく様子の観察ですね」
横から僕は助け船を出す。男の人の目がこちらを見た。始めて僕の存在に気づいたらしい。よく見ると片方の目が少し不自由らしく、半ば瞼が垂れ下がったまま動かない。
「ああ、あんたか。異人さんには、確かに珍しいものかもしれないねえ。ふうん。まあ、気をつけて行ってきな」
よろめき谷周辺には、今回の長期滞在より以前にも、何度か他の研究員のアシスタントとして調査に訪れている。こちらの畑作中心の村にもお邪魔して、いろいろ調査や記録を取らせてもらった。その時のことを思い出したのか、僕の姿を見ただけで何をするのかおおよそ合点がいったようだ。けれども、話はそれだけで終わらなかった。
「おお! そうだよ! そういえば、あんた結婚したそうじゃないか! で、お相手がその子ってわけか!」
突然手を打って、男の人は大声でそう言ってきた。心なしか目が輝いているように見える。変化と起伏の少ない山里暮らしでは、珍しい話にはすぐに食いつきたくなるようだ。
「ど、どうしてそれを知ってるんですか!?」
僕が何か言う前に、イノリがほとんど悲鳴に近い声で応じる。
「知ってるもなにも、噂ってもんは〈カザキリツバメ〉と同じくらいの速さであちこちに伝わるもんだぞ。もうよろめき谷の周りの連中ならみんな知ってるさ。何を思ったのか、よそから来た異人さんと里の娘が結婚したって話は」
「あ、あああ…………そんな…………」
両手を当てたイノリの顔が赤くなったり、青くなったりと忙しい。
「で、異人の兄ちゃん。またどうしてこの子と一緒になったりしたんだい? 随分と手が早いねえ。生真面目一点張りって顔しているくせに、手は早いんだなあ」
にやつきながら男の人は、僕を見て口笛を吹く。
「いつから目をつけていたんだい? 里の誰かに嫁に取られるよりはって、急いで告白したのかい? まったく、異人さんだからって隅にも置けないねえ。しかもよく見ればなかなかの優男じゃないか」
井戸端会議に興じるおばさん並のおせっかいだ。けれども、とりあえず誤解は正しておかなければならない。
「すみませんが、そちらには肝心なところが伝わっていないようですね」
なるべく丁寧な語調で、僕は男の人に話しかける。
「は? どういう意味だいそりゃ?」
「僕とこの子とは、祭の際のくじ引きで引き合わされた仲です。ご存じでしょう? 三年に一度この子の里で行われている、花乙女という女性を選出する春花祭を」
「あ、ああ、名前くらいなら知ってる、が…………」
「これから一年、この子はその花乙女の役を、そして僕が彼女の伴侶である若枝ノ君の役を演じます。つまり、正式に結婚したのではなく、一年間という限定された期間の間、仮の夫婦を演じる仲なんですよ」
僕はその場で、イノリと夫婦になった経緯を説明する。
隣の村では、春花祭は行われていない。イノリの里の住人は、どこかよその土地からやって来た人々の末裔らしいようだ。ヒ国のあちこちに花守の里と同名の場所があることからして、どこかに原点となる場所があり、そこから四方八方に住人が分散したのだろう。あるいは花守と自称する人々がヒ国を放浪し、各地に定住していったのかもしれない。
「なんだ。なんだなんだ。そういうことかよ。つまらんねえ」
手品は種を明かしてしまえば、思いの外単純なものだ。それと同じように、噂も真相を知ってしまえば面白くなくなる。先程までの目の輝きはどこへ行ったのか。すっかり興味の失せた顔になって、男の人は首を振る。
「俺はてっきり、異人さんが里の娘に惚れ込んで嫁に迎えたとばっかり思っていたぜ。いや、俺だけじゃないね。この噂を聞いた連中のほとんどは、そう思い込んでいるさ。でなければ、娘が異人さんに『故郷にお帰りにならないで! 私と一緒になって!』って泣き付いて、情にほだされた異人さんがそのままこっちに婿入りしたって思っているなあ」
「そんな……困ります。どうしよう…………」
いつの間にか、メロドラマのヒロインのような役どころにされてしまったイノリは、その場で頭を抱えてしまった。自分のことが、あることないこと尾ひれが付いて周りに伝わっていると思ったら、そうしたくなるのも無理はない。
「仕方がないさ。噂っていうものは、伝わりやすいように、面白くなるように、針小棒大にアレンジされるものだからね。仮に祭のくじ引きで僕たちが一緒になったって皆に伝えても、その皆が誰かに伝える時は、くじ引きの部分は削除されているよ。その方が、噂として伝えるのには興味をそそる形だからね」
口は災いの元。噂は真実よりも、面白さが優先される。ましてや、娯楽の少ない辺境だ。僕みたいな異人がやって来たことだって、大事件として扱われる。それに輪をかけて、異人が里の少女と結婚したのだ。よろめき谷の周辺に住まう人々にとっては、十年に一度の大ニュースとなるのは想像に難くない。
「気にしないことだよ、イノリ」
「そう言われましても……」
すがるような目付きのイノリを見ると、なんとしてでも慰めたくなる。
「僕たちの国では『人の噂も七十五日』ってことわざがあるんだ」
「人の噂も七十五日……。七十五日も噂が続くから、その間は我慢しろってことですか!?」
七十五日というあまりにも具体的な日数を提示されて、絶望的な表情をするイノリ。
「そうじゃないよ。イノリは大げさだなあ」
「す、すみません」
その大げさなところも、彼女の魅力でもあるのだけれども、気恥ずかしくてそれは口にできなかった。少なくとも、何を言われてものれんに腕押しな人物よりは余程人間味がある。
「人の評判や噂なんてものは、そんなに長続きしないって意味だよ。新鮮なうちはみんなその話で持ちきりかもしれないけれども、時間が経ったりもっと新しい噂が出てきたらそれで終わりさ。あっという間にそっちに鞍替えしてしまって、僕たちのことなんて記憶に留めもしない。だから安心して大丈夫だよ、イノリ」
僕がそう説明すると、イノリは半分くらいはほっとした顔をする。
「本当ですか? 本当に、本当に、人の噂も七十五日なんですか?」
「ああ、僕が保証するよ。もしそうじゃなかったら、昔から言い伝えられた来たこのことわざが、今まで残るはずがないからね。僕個人はたとえ信用できなくても、積み重ねられてきた歴史は信頼できる」
彼女の不安を払拭するために、僕は大げさに語る。もっとも、僕の故郷である日本では、人の噂も七十五日というわけにはいかないのだが。インターネットであらゆるデータが広範囲に拡散し、収拾が付かなくなってどれくらい経っただろう。対するここ異邦は、ネットなど存在しない世界だ。口伝えの噂など、少しの間待てば収束すると思いたい。
十年に一度の大ニュースでも、日常に忙殺されているうちに忘れられていくことを期待するしかない。
「分かりました。雪人さんがそうおっしゃるのでしたら、私も信じます」
イノリは心配しつつも、自分の中で合点が行ったようだ。両手をぎゅっと握りしめて、うんうんとうなずく。どうやらイノリのこの格好は、納得した時につい出てしまう癖らしい。
「おいおい。仮の夫婦だなんて言ってるわりには、結構仲がいいじゃないか」
僕たちのやりとりをじっと見ていた男の人が、横から茶々を入れてきた。
「二人とも、よくお似合いだぜ」
「かっ、からかわないでください!」
慌てて繰り出されたイノリの反論を、男の人は柳に風とばかりに受け流す。
「からかってなんかいないさ。もう仮だなんて言わないで、そのまま一緒になっちまえ」
「簡単に言わないでください! 私なんかまだ五つ星ですし、雪人さんは……」
そこまでまくし立ててから、一瞬イノリは黙る。
「……雪人さんは、一年で故郷にお帰りになられる方ですから……」
その口調は、掛け値なしに残念そうなものだった。長期滞在する前は、幾度か顔を合わせた程度。結婚してからは、まだ一週間も経っていない。深い仲を築くには、あまりにもわずかな時間しか共に過ごしていない。それでも、イノリにとって僕の存在はそれなりに大きいものとなってくれているようだ。
「大丈夫だって。一つだけ、いい方法がある。これさえあれば、どんな夫婦だってしっかり結びついて離れなくなるさ」
なぜか自信たっぷりに、男の人はそう断言してくる。
「なんですか、それは?」
イノリが素直にそう尋ねるのも無理はないくらい、男の人の口調は自信に満ちていた。
だが、しかし。
「子供さ。早いところ、息子か娘の顔を異人さんに拝ませてやりな。そうすりゃ、一発で情がわいて向こうに帰ろうなんて言い出さなくなるって」
男の人が進めてきたその「いい方法」は、あまりにも僕とイノリにとっては暴論としか言いようのないものだった。
「なっ…………!」
一瞬でイノリの顔が耳まで赤くなる。心なしか、髪の毛までもが逆立ったような気がした。髪の毛はともかく、顔色という点では僕もイノリと大差ない。
「な、ななななんてことを言うんですか!」
「そうですよ! きゅ、急に子供だなんて!」
間髪入れずに、ほぼ異口同音のことを口走るイノリと僕。
「なに言ってるんだよ。俺の経験からそう思っただけだぞ。俺だって、元はといえばよろめき谷じゃなくて〈三日月滝〉の方からこっちに婿入りしてきた身だぜ」
対する男の人は、耳の穴をほじりながら、こちらの抗議など馬耳東風とばかりに聞き流す。三日月滝といえば、ここから徒歩で四日ほど離れた場所にある大きな滝だ。
確かにあの辺りにも、漁業をなりわいとする集落があったはずだ。
「最初のうちは故郷が恋しかったさ。おやじとおふくろの夢だって何度も見た。夜中にこっそり泣くことだってあったさ。あの時は、本当に一生親兄弟には会えないんじゃないかって思ったものだぜ」
男の人は、今の厳つい外見からは想像もつかない、過去のナイーブな自分を告白する。
「だけどな、女房にガキが産まれたらもう、そんな気持ちは吹っ飛んじまった。ガキが俺に似た男の子だってのもあるけどさ、ガキに乳を飲ませている女房を見てたら思ったんだ。俺がこいつらの親父だ。もう俺は一人っきりじゃねえ。親父としてしっかりやらなきゃいけないってな」
にやついた顔を引っ込めて、照れたように男の人は笑った。
「それ以来、故郷が恋しいって思ったことはただの一度もねえよ。この畑と家が俺の故郷さ」
「じゃあ、ご両親とは、それ以降もう会っていないのですか?」
「まさか。年に何度か向こうに行って顔を拝んでるぜ。一生会えないかもなんて思ったのは、結婚したての頃の勝手な思い込みさ」
僕の質問に、男の人はそう応えると大笑いした。
「はははははははっ! と言っても、親父もお袋も俺が里帰りしたってのに、孫たちにかかりっきりで俺なんか相手にもしねえがな」
口振りでは両親を責めてはいるようでいて、まったくそう思っていないのがよく分かる笑い方だ。自分の子供をそこまでかわいがってもらえるのだ。責めるはずがない。
「ま、そういうことだ。よそのおっさんのお節介と思って、頭の片隅にでも留めておいてくれよ」
自分の言いたいことを残らず喋り終えたのだろう。
「時間を取らせて悪かったな。道中気をつけるんだぞ」
男の人は、すっかり満足しきった顔で僕たちに先に行くよう促す。
「お気遣い、どうもありがとうございます」
「はい。気をつけて行ってきますね」
何だか一方的に振り回された感は否めないが、それでも僕たちはそろってお礼を言う。
「ああ、そう言えば一つだけ言ってなかったな」
歩き始めた僕たちの背中に、また男の人の声が投げかけられた。
「なんでしょうか?」
さらなるお節介だということは十中八九予想できたけれども、一応礼は失しないように振り返る。
イノリも僕と一緒に男の人の方を向く。並んだ僕たちを見て、男の人は顔中を口にして笑顔を見せる。
「最初の子供は、男でも女でも文句は言うなよ。女房の生んだ大事な子供だからな」
この期に及んで、まだ子供にこだわるとは。
「「ほっといて下さい!」」
知らずして、僕とイノリは、今度こそ異口同音に男の人に言い放っていた。
その後、隣村を出るまで誰かに呼び止められることはなかった。
心なしか、僕たちは無口だった。歩きながら、幾度かイノリが僕の方を伺うようにして見上げるのが分かった。目をそちらに向けると、さっと視線を逸らしてしまう。部外者が好き放題な事を言って困ったものだ。なんとなく、僕たちはお互いに意識したまま、鏡拾いの湖を目指すのだった。