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春花祭




 1945年。世界は隣り合うもう一つの世界、〈異邦〉とつながった。

 二つの世界を結ぶ〈ゲート〉を通じて人材が、物資が、技術が――

 つながったことで交換され、浸透していく。

 そして、半世紀以上の年月が流れる。

 僕たちは、二つの世界を行き来する時代に生まれることとなった。



 ◆◇◆◇◆◇



  舞え 舞えよ 花乙女

  花は咲き 花は散り

  花はまた咲き 花はまた散り

  花はほころぶ 花の乙女の手に



 〈花守の里〉の広場は、日が沈んで久しいにも関わらず明るく照らされている。四方に置かれた燃える篝火と、周囲の木々に電飾を連想させる形で吊された〈蛍光石〉の明かりが、夜の闇を押しのけて光を届けてくれるおかげだ。二つの異なる光源が、さして大きくもない広場だけを昼間のように明るくしている。

 里の闇は深くて重い。実家にいる時に見たどんな夜よりも、物理的な質感を伴って夜は降りてくる。確かに頭上を見上げれば、満天の星月夜が広がっていた。春に北の空に見える〈たいぼく座〉と〈ふくろう座〉の一等星が見て取れる。けれども、再び視線を下ろせば、そこにあるのは〈よろめき谷〉一帯を包み込む濃くて重たい闇だけだ。

 だからこそなのだろう。広場に集う里人たちは、周囲の闇から逃れるかのようにして、すし詰めの状態で座っていた。ちょうど、あぐらをかくと隣の人と膝頭がぶつかってしまう程近い距離だ。生まれたばかりの赤ん坊を含めても、総人口は日本の田舎町よりもさらに少ない小さな里だ。この広場に、里人のほぼ全員が集まっている。



  歌え 歌えよ 花乙女

  春を告げよ 生を告げよ 死を告げよ

  春と共に 生と共に 死と共に

  花は開く 花の乙女の手に



 仲睦まじく寄り添う老夫婦がいる。赤子をむつきでくるんだ若い母親と、その夫がいる。小さな木製のクマで遊んでいる少年がいる。隣の少女と、自分のつけた腕輪を見せ合っている少女がいる。何度もお世話になった人がいる。まだ幾度か言葉を交わしただけの人がいる。それなのに、僕の隣にしつらえられた席は、未だに誰も座らないままだ。

 僕は里人全員と向かい合う形で、地面に敷かれた交易品とおぼしき毛氈もうせんの上に座っていた。里の象徴である〈神依椿かみよりつばき〉の大木を背にして、集まった人たちの顔を見つめている。まるで里長にでもなったかのような配置だ。無論、僕はそんな立場にはいない。僕は彼らにとって〈つ国〉から来たマレビトであり、一年間だけ滞在する異人でしかない。

 ここは日本ではない。地球とは異なる次元にある異邦、それも日本に対応する〈ヒ国〉の東部にある〈はん州〉、さらにその北東に位置する小さな里だ。ここにはヒ国の大半を占める〈邦人〉ではなく、いわゆる先住民族である〈先人〉たちが住んでいる。彼らの文化や風習は、中世の日本に似た邦人たちのそれとは異なり、むしろアイヌを強く連想させる。



  笑え 笑えよ 花乙女

  今ここに 今一斉に 今花は咲く

  その幸いを お前は語るもの

  花は満ちる 花の乙女の手に



 記憶の中にある映像と寸分違わぬ光景が、目の前で繰り広げられていた。樹高二十メートルに達する巨木から放射状に垂れ下がる、十二本の色とりどりの帯。その端を持つ里の女性たち。僕と背にした椿の木が時計の文字盤の中央に位置するならば、女性たちは一から十二までの数字の場所にいる。

 彼女たちが歌うのは、花守の里で三年に一度選出される、〈花乙女〉という役職の少女を祝福する歌だ。花の女神の代行とされ、一年の間花とそれにまつわるものすべてを司るとされる少女。そう考えると、これは西洋の「五月祭」とよく似通っている。あちらも一人の女性を選ぶと花の冠を被せて、「五月の女王」と呼んでいたはずだ。

 幼い頃の記憶。今の僕の原点となる最初の出会い。僕が異邦を目指したきっかけとなったすべてが、今まさに行われているこの〈春花祭しゅんかさい〉に集約する。里人たちは厳しい冬を越え、無事に春を迎えることができた喜びと感謝を、祭の中で花と花乙女に託す。三年に一度花を咲かせる神依椿の元で、今年もまた花と共に春が祝われる。



  泣け 泣けよ 花乙女

  風に舞い散る 花びらを追い

  いつか終わる 盛りを惜しんで

  花は折られる 花の乙女の手に



 ところで、著述家のジョーゼフ・キャンベルは「神話の力」という自著の中で「儀式というものは退屈であり、へとへとに疲れる」と書いている。さらに「疲れ果てたところで、日常の壁を突き抜けて別の世界に出る」とも続けていた。この言葉の前半を、僕は今まさに身をもって体感している。

 いつ果てるとも知れず歌は続いている。花乙女を祝福する歌は一番から四番まである。ひとしきり歌い終えると、歌い手の女性たちは帯から手を離し、時計回りに次の帯を手に取る。そしてまた一番から四番までを歌い、次の帯を手に取る。僕の前を通り過ぎる女性の数は十二人を超えたが、未だに歌が終わる気配はない。

 実際のところ、集まった里人たちもこの儀式を注視してはいない。最初の頃は広場も静まりかえり、時折咳払いが聞こえるくらいだったのだが、時間が過ぎるにつれて緊張も解けてきた。隣同士で雑談しているのはまだいい。どこから持ち込んだのか杯と徳利を手に、酒盛りを始めている一団までいる。真面目に歌う女性たちが少し可哀想だ。

 さすがに僕としても、そろそろ退屈になりかけてきたちょうどその時。


兵藤ひょうどうさん。兵藤雪人ゆきひとさん」


 いきなり後ろからフルネームで呼びかけられ、僕はびくりと肩を震わせた。ただ呼びかけられただけではない。耳元で、それも吐息がかかるくらい近くで囁かれたのだから、驚かないはずがない。それでも、どうにかこうにか平静を装って振り返る。

 椿の幹の陰から、一人の少女が顔をのぞかせていた。


「ウィネハ……」


 幸い、すぐにその名前が記憶の中から出てくる。もみあげの部分を編んでまとめているのと、左の目元に大きな泣きぼくろがあるという二つの特徴のおかげで、顔と名前が一致しやすい里の住人の一人だ。年は僕よりも一つ年下の十六歳だけれども、そろそろ結婚を控えているらしい。


「そろそろ、お席をはずす時間ですよ。足は痺れていないかしら?」


 かいがいしくウィネハは小声で尋ねる。僕よりも年下だけど、物腰はもうじき新妻となるのにふさわしい穏やかさと落ち着きを兼ね備えている。


「ああ、大丈夫だよ。いつでも動ける」

「ふふっ、頼もしい限りです。さすがは〈若枝ノ君〉さんかしら」


 その名前が、耳に留まる。


「それが、一年間僕に与えられた役職なんだ」


 花乙女と若枝ノ君。二人が対となる存在なのは名前ですぐに分かる。


「ええ。それにしても驚きました。まさか外つ国の殿方が若枝ノ君になるなんて、この里始まって以来の出来事ではないかしら」

「辞退した方がよかったかな?」


 半ば本心から僕がそう言うと、ウィネハは首を左右に振った。


「それはよくありませんわ。兵藤さんはもう今日から里の一員でしたもの。里の人間であり、齢が十を超えていて、しかも未婚であるならば、春花祭の始まりにくじを引くのは当たり前のこと。里の出身であろうが、外つ国の出身であろうが、くじの結果には従うのが正しい道というものですわよ」


 簡潔に言うならば、今の僕に与えられた若枝ノ君という役職は、偶然の結果与えられたものだ。僕は祭が始まる時に、里人に混じってくじを引いている。大きな壺に挿された小枝を引くという形のものだ。僕が引いた枝の先端には、小さな椿の花が赤い染料で描かれていた。それが当たりの証であることを、僕は周りの驚きの声で知ることになる。


「みんなもそう思ってくれていると、ありがたいのだけど」


 つい疑心が混じった事を口にしてしまう。いくらくじ引きという平等な選抜の結果とはいえ、三年に一度選ばれる若枝ノ君という役職に、よりによって外つ国の異人が就くことになったのだ。トビに油揚げをさらわれたと感じるのも自然な感情だと思う。


「思っていますよ。たとえそうでなくても、これから一年かけて、兵藤さんが若枝ノ君でやはり正しかったのだ、と思っていただけるようになればいいのですから」


 僕の疑いを、あっさりとウィネハは否定してくれた。こういうところも、やはり彼女は大人びている。暗にこちらを励ましてくれたことに、素直にお礼を言おうとした時だった。


「お~い、なに油を売っているのさ。おしゃべりもほどほどしておけよ」


 ウィネハの後ろから、もう一人の少女がひょっこりと顔を出した。髪が短い上に人工の明かりの下でも分かるほど日焼けしていて、少女と言うよりは少年と言った方が余程当てはまりそうな外見をしている。実際、口調もややそっけなくて伝法だ。


「もう、今行こうとしていたところよ」


 会話に水を差される形になって、ウィネハは彼女をたしなめる。彼女の名前はパシクル。年齢は十四歳。もうじき結婚するウィネハとは二歳しか違わないが、こちらは少年たちに混じって山野を駆け回るのが楽しくてたまらないと豪語して止まない性格だ。目下色恋沙汰とは縁がないらしい。


「どうだかなあ。放っておくと際限なく喋っていそうだからな、お前は」


 パシクルは疑わしそうな目をウィネハに向ける。僕からするとウィネハはおしゃべりなようには見えないが、男勝りなパシクルにはどうにもまどろっこしく感じるようだ。


「いや、僕が少し引き留めてしまったんだ。急ぎの用事があるのに、悪かった」


 二人の仲が険悪なものになる前に、僕は口を挟む。どのような理由であれ、僕がすぐに応じなかったことは事実だ。


「あ、いや、別にそういうつもりじゃないんだ。ヒョードーが謝る必要なんてないってば」


 拍子抜けする程あっけなく、パシクルは追求を打ち切ってしまった。どうも、彼女は僕と距離を置きたがるようだ。やはり日本人だからだろうか。

 実際、僕の名前も発音しにくいらしい。「ヒョードー」としか形容できない珍妙なアクセントで僕のことを呼んでいる。


「いずれにせよ、僕たちはここでのんびりしているわけにはいかないようだな。じゃあ、そろそろ行こうか」


 どちらにせよ、パシクルの態度が軟化したのは好都合だ。

 促されるまま、僕はそっと立ち上がると、目立たないようにして幹の裏側に回り込む。こうなると、椿の木の下に設けられた二つの席が両方とも空席となってしまうのだが、里人の皆としては構わないようだ。こちらに注意を払う様子もなく、集まった人々は雑談と宴に花を咲かせ、女性たちは淡々と歌を歌い、椿の周りを回っている。


「では、これをつけてもらいますね」


 そう言ってウィネハが笑顔で差し出したものを見て、僕は思わず固まった。だいたい、これから何をするのかは分かっている。祭で自分がするべきことは一通り教わったし、記録映像で見たこともある。けれども、これは予想外だった。彼女が差し出したものは、どう見ても黒い布でできた目隠しだったのだ。



 ◆◇◆◇◆◇



「はい、つきましたよ」


 目隠しをして、ウィネハに手を引かれる形で広場を後にした僕が足を止めたのは、恐らく一軒の家の前だった。気配で分かるだけで、それが誰の家なのかまでは断言できない。けれども自分が辿った道を頭の中で思い浮かべてみると、おおよそ誰の家なのかは予想はつく。恐らく、ここはイノリという少女の家の前だ。


「ああ、駄目駄目。まだ目隠しを取ったら駄目だって」


 ここがどこか見当がつくならば、もうこれは不要だろう。そう判断して目隠しを取ろうとすると、パシクルに手を押さえられた。


「随分焦らすね」

「当然でしょう。晴れ姿は、なるべく印象に残る仕方で見せたいものですから」

「まあ、そういうこと。大人しくそこで待ってなって」


 二人はそう言うと、僕を残してその場を後にした。悪意はないだろうけれども、目隠しされた人をその場に放っておくのはどうかと思う。どうにも落ち着かないこちらをよそに、向こうで戸を開ける音が聞こえた。やはりここは家の前だ。


「イノリ、どう? 用意はととのったかしら?」


 開け放した戸の向こうから、ウィネハの声が聞こえる。


「あ、はい……。準備できました」


 家の奥から、少々頼りなげな細い声で返事が返ってきた。イノリの声に間違いない。家長エトロナイと、妻ニペナとの間に生まれた三男四女の三女。年齢は十三歳。花守の里に暮らす、取り立てて特筆すべき才能もなければ、あってはならない異能も持ち合わせていない、至極普通の少女の一人だ。


「ねえさま、おきれいですよ」


 もう一人の声も聞こえてきた。


「ありがとう、トゥツ」

「おつとめ、がんばって下さいね」


 トゥツ、と呼ばれた小さな女の子は、元気な声でイノリを励ます。彼女はイノリの妹だ。春花祭では、後もう少し年を重ねないとくじを引けない年齢だったはずだ。脳裏に彼女のおかっぱ頭がよぎる。

 ぱたぱたという、履き物の音がこちらに複数近づいてくる。ようやく目隠しを取れるらしい、と思っていたら、いきなり大きな声が上がった。


「なっ? えっ? ゆ、雪人さん?」


 相当うろたえているイノリの声だ。かなり驚いたのか、声が上擦っている。


「……イノリ?」


 少し心配になって声をかけるけれども、なしのつぶてのようだ。


「はい、お待たせしました。兵藤さん、もう目隠しを取っても大丈夫ですよ」


 そんなイノリを尻目に、ウィネハはさっさと僕に近づく。


「えっ? で、でも、でも。ちょっと待って下さい!」

「忘れ物でもあった?」


 なおも狼狽が収まらないイノリに対し、ウィネハは落ち着き払ったままだ。


「いえ、そうじゃなくて、でも、まさかここに雪人さんがいるなんて、その……準備が…………」


 イノリの言葉の後半は、もごもごした半ば独り言になっていた。どうやら、僕がここにいることは、彼女の予想外だったようだ。ウィネハとパシクルの二人は、イノリに秘密で僕を連れてきたらしい。


「おいおい、なに言っているんだよ。どう見ても準備万端ととのっているだろ。寝言は寝てから言えって」


 視界が塞がれているせいか、僕は周囲の気配に妙に敏感になっていた。イノリの反論にならない反論に、一斉にウィネハとパシクルが脱力したのが伝わってくる。


「いいぞ、ヒョードー。目隠し取っても。て言うか、取れ」


 その言葉に、僕は従った。


「あっ…………!」


 小さな悲鳴が上がった。


 ――そして、僕は目にすることになる。

 花を持ち、花をまとい、花で飾り立てられた、一人の少女の姿を。


 花は彼女の飾りとなり、花は彼女に付き従っていた。額の帯にはまだ開ききっていないツバキのつぼみを。長く伸びた烏の濡れ羽色の髪には、沢山のかんざしのように白いアンズの花を。

 胸元や袖口、さらには腰の帯や靴にも、様々な季節の花が添えられている。特に華やかなのは、彼女が手に持つ花籠だった。本来は素朴な手編みのそれは、今はどんなブランドのバッグよりも華やかに装っていた。山盛りのコデマリ。咲き誇るシャクヤク。それだけではない。〈ヘビアヤメ〉や〈ナナツカタバミ〉のような異邦独特の花も沢山ある。

 彼女はまだ十三歳の少女だ。年齢相応の幼さが色濃く残っている。けれども、顔立ちは繊細なまでに整っている。触れただけで手折ってしまいそうでありながら、木漏れ日を浴びつつ凜として咲く小さな花のようだ。

 そう。彼女――イノリは、一輪の花だった。

 彼女こそ、花守の里の花乙女だった。若枝ノ君と対になる、花満つる乙女。


 僕の目に晴れ姿をさらす恥じらいからか、それまでつぶっていたイノリの目が徐々に開かれる。その切れ長の眼と、こちらの目とが合う。瞬間、僕は既視感を感じていた。これと同じ状況を、僕は見たことがある。体験したことはないけれども、目にしたことはある。どういう運命のいたずらか、幼い僕が見ていたものを、今の僕は体験することになった。


 まだ子供の頃のことだった。何気なくテレビで見た異邦の特集番組に、花守の里で行われる春花祭の映像が流れていたのだ。ちなみに花守の里とは固有名詞ではない。ヒ国のあちこちに同名の場所がある。映像ではこの繙州の花守の里ではなく、もっと南方にある〈そう州〉の花守の里が映っていた。春花祭と、その際に選ばれた花乙女と若枝ノ君も。

 映像の花乙女は、イノリよりももう少し年上だっただろう。その姿に、僕は目を奪われた。花で着飾り、花と共に里人たちに祝福を告げるその姿は、僕の記憶の中に深く焼き付いた。身も蓋もなく言ってしまえば、一種の初恋のような感覚だったのだろう。名前も年齢も、その人の個性など何一つ知らないというのに、僕はその花乙女を忘れられなかった。

 その憧れが、異邦をこの目で見たいという願いの始まりだった。幼い頃の憧憬を、異邦そのものへの興味と関心とでさらに推し進めた果てに、僕は今ここにいる。今の僕の肩書きは、県立八稜はちりょう高等学校異邦科三年生。そして同時に、国際異邦研究機関所属の研究員でもある。一年間の調査という名目で、僕はこの花守の里に長期滞在することとなった。


 本来は、ホームステイのような感じで一年間里に留まるはずだった。ここは以前から親交のあった場所だ。既に里人の幾人かとは打ち解けている。けれどもただのホームステイで終わらなかったのは、滞在初日がちょうど春花祭の当日だったからだ。そこで僕は「今日からお前も里の一員だから」という理由でくじを引くことになる。

 その結果がこれだ。今の僕は若枝ノ君として、花乙女と共にいる。彼女の名はイノリ。始めて見た映像の花乙女とは違い、彼女の名前も年齢も、その個性も知っている。決して詳しくはないけれども、確かに知ってはいる。子供の頃から憧れていた異邦に滞在するだけでなく、僕はかつて恋をした花乙女の最も近しい相手として選ばれていた。


「ほら、立木みたいに突っ立っていないで下さい。若枝ノ君様、何かおっしゃることは?」


 回想に浸っていた僕の意識を現実に引き戻したのは、半ば呆れ気味なウィネハの言葉だった。


「どう? イノリの晴れ姿。感想を聞きたいねえ」


 一方パシクルは、僕が見とれていたと思ったらしく、少しにやついている。まあ、彼女の予想はほぼ図星なのだけど。


「ええと…………」


 とっさに頭を捻って場にふさわしそうな台詞を探してみるのだけれども、皆目見当がつかない。ロープの結び方、星を使った位置の特定方法、獣をさばく手順などを尋ねられれば即答できる。異邦に来る前に元イギリスの特殊空挺部隊(SAS)に所属していたコーチの元で、サバイバル訓練に参加したことだってあるからだ。

 けれども、花乙女として着飾った目の前の少女になんて言うべきか、コーチは教えてくれなかった。間の悪い沈黙に耐えきれず、僕は思ったままを口にした。


「すごく、きれいだよ」


 口にしてから思った。なんという月並みな言葉だ。実際、一瞬でウィネハとパシクルが白けるのが分かった。我ながら、気の利いたことが言えないことに頭痛さえ覚える。


「あ、ありがとう、ございます…………」


 しかし、そんなどうしようもない誉め言葉にも、喜んでくれた人間が一名だけいた。イノリだ。僕の言葉に、はにかんだようにほほ笑みつつ、イノリは下を向いてしまう。正真正銘、心から嬉しがってくれているようだ。こちらとしては、彼女の心の広さに助けられた。


「で?」

「で?」


 一方、心の広くないのが二人。白けた雰囲気を未だ漂わせつつ、僕に聞いてくるのはウィネハとパシクルだ。


「で? とは?」


 往生際が悪いと思いつつも、せめてもの抵抗で素知らぬふりをする。


「それだけですか? たったそれだけ?」

「ひねりがないなあ。もう少し何か言うこととかあるだろ?」


 かしましいことこの上ない。


「そうです。ねえさまがおきれいなのは当たり前なのです」


 雰囲気に乗せられたのか、それまで黙って見ているだけだったトゥツまで加わってこちらを責めてくる。先の二人はともかく、イノリの妹にまでそう言われては黙ってはいられない。しばらくイノリを見てから、僕はもう少し付け加えてみた。


「きれいなのは確かだけど、少し花が重そうかな?」


 第一印象としては、確かにイノリの出で立ちは華やかで人目を引く。けれども改めてよく見てみると、やや花の飾り付けが過剰に感じるのだ。特に袖口付近の花飾りが重いためか、袖が垂れ下がってしまいだらしなく見えないこともない。しきたりに従って丁寧に花の装いを仕立てたというよりは、勢いに任せてどっさりと盛りつけたようでもある。


「あら、そう言えばそうかもしれないわ」


 僕がそう説明すると、何かしら共感できる点があるらしく、ウィネハはイノリをじっと見ている。


「そうか? こんな感じで普通だろ」


 一方、パシクルはまったく感じ入る点はないらしい。


「本当ね。袖の〈マドカユリ〉はちょっと多すぎるかしら」


 ウィネハが袖口の花を取ろうとすると、イノリはさっと身を引く。


「でも、それはトゥツが私につけてくれたものですから……」


 ああ、なるほど。多分、トゥツは姉の晴れ姿を立派なものにしようと、気合いを入れて花を沢山飾り付けたのだろう。結果として、装飾が過剰になってしまうほどに。イノリが彼女の方を見ると、トゥツはすぐに首を左右に振る。


「ううん、ねえさま。つけすぎて重かったのならごめんなさい。すぐにはずして」


 殊勝なことを言うトゥツだ。姉を着せ替え人形として見ていたのではなく、心から祝福していたのだろう。その気持ちが通じたのか、にっこりとイノリは笑って妹の頭を撫でる。


「そんなことないですよ。ならばこのユリは、籠に入れましょう」


 花籠の中に収まることにより、袖口を圧迫していたユリは、ようやくあるべき位置に収まってくれた。手早くウィネハはそれ以外にも数ヵ所の花飾りを直すと、うんうんと納得したようにうなずく。


「これでよし、と。さあイノリ、最初のおつとめよ」


 言われてイノリはうなずき、花籠から花のついた小枝を手に取る。花は早咲きの〈ミヤマザクラ〉だ。


「花と共に、あなたに祝福を」


 厳かな口調でそうイノリは言うと、こちらに向かって桜の枝を差し出した。一続きの動作で、僕はそれを受け取る。次にどうするべきか、もう教わっている。くじで当たりを引いた直後に、僕は里の古老の一人であるヲズ婆さんに呼ばれ、そこで一通りの説明を受けた。だから、次の台詞は自然と口から出てきた。


「花と共に、君に祝福を」


 一度受け取った花の枝を、今度はイノリに差し出した。愛しげに彼女は、細い指を絡めるようにしてそれを受け取る。これが祭で花乙女が行う儀式だ。花乙女は一年の祝福を花に託して里人に渡し、受け取った里人は今度は花乙女を祝福する。一つだけ異なるのは、僕の台詞だ。僕は若枝ノ君であり、他の里人とは立ち位置が違う。

 一度もリハーサルを行っていないのに、僕とイノリの息はぴったりと合っていた。まるで、初めからこうなることが定まっていたかのように。


「おお~、決まったねえ。さすがは若枝ノ君。様になってる。よくお似合いだ」

「パシクル、からかわないの。これは真面目な儀式なんだから」


 茶々を入れるパシクルを、ウィネハが睨む。

 イノリは続いてウィネハとパシクル、そしてトゥツにも同様の儀式を行う。その際に三人が返した言葉は同じだ。


「花と共に、乙女に祝福を」


 家族のトゥツであっても、台詞に変化はない。今のイノリはトゥツの姉である前に、花乙女という重要な役職に就いた人間なのだ。彼女の対である僕だけが、彼女に個人的な祝福を述べることが許されている。


 ――なぜなら、僕は。


 その時、それまでずっとBGMのようにして流れていた、広場から聞こえてくる歌が止まった。と同時に、潮が引くようにして、集まっていた里人を音源とする喧噪もまた消えていく。わずかな間、花守の里全体が、深い沈黙に包まれた。けれどもそれはごく短い時間でしかない。一転して、明るいテンポで新たな歌が歌われ始める。



  花をけ 花を撒け

  花つ乙女の 歩む道に



「いよいよですね、ねえさま」


 歌っているのは女性たちだけではない。広場に集まった里人全員が、声を揃えて歌っている。僕たちを、呼んでいる。それが分かるのか、トゥツは目を輝かせて、姉の顔を見上げている。


「じゃあ、行ってこいよ。大事な祭の主役だからな」

「兵藤さん、イノリをよろしくお願いするわね」


 真面目な顔と口調で僕たちを送り出そうとするウィネハとパシクルに、僕はうなずいてみせる。


「ああ、大丈夫。しっかりやるよ」


 こういうとき、場の雰囲気を盛り上げるようなことを言えればいいのに、と痛感する。いつだって、僕は判で押したような型通りのことしか言えないでいる。自己嫌悪を胸の奥に隠して、僕は改めてイノリの方に向き直った。


「それじゃあ、行こう。みんなが僕たちを待っている」

「はい。よろしくお願いします、雪人さん」


 差し出されたイノリの小さな手を、そっと取る。深く握りしめるのではなく、手の平と手の平を優しく重ねるだけの、まさに「手を握る」のではなく「手を取る」という表現がぴったりくる感じだ。



  花を敷け 花を敷け

  花つ乙女の 座る場に



 イノリの手の感触が、自分の手を通して伝わってくる。小さくて、温かくて、けれども、決してただ柔らかなだけではない手。土と石、木と草、獣と魚。花守の里を取り巻く自然によって揉まれ、研がれ、育てられてきた少女の手だ。イノリの顔を見ると、静かに僕を見返してくる。信頼のこもった、凜とした目付きで。ただ、それに応えたいと僕は願う。


 広場の入り口に姿を現すや否や、熱狂的な歓迎の声が僕とイノリを出迎えた。まるでスポーツ選手かアイドルの凱旋だ。歌と手拍子。それに喝采と拍手。今、春花祭はその主役を迎え入れたのだ。宴もたけなわ、という表現がこの瞬間まさに当てはまる。押し寄せる歓声は、もはや耳だけではなくて体全体で音圧を感じるくらいだ。

 二人のためにしつらえられた席に、あの神依椿の真下に行きたいのに、四方八方から手が伸びてきて一歩を踏み出すのもままならない。服の裾や袖をつかむ手、撫でる手、そして触る手。スターに触ろうとするファンそのものだ。そのすべての手に、生真面目にイノリは一輪ずつ花を手渡し、大事そうに祝福の言葉をかけていく。

 僕たちに向かって手を振る少年や少女たちがいる。複雑な形で両手を組んで拝むご老人たちがいる。若者の集団の中で一人だけ仏頂面をしているのは、イノリの兄のユタリだ。端整な顔立ちがそっくりですぐ分かる。大事な妹をいきなり異人にかっさらわれて、腹の虫が治まらないのだろうか。彼がそんな顔をしていても、僕は到底責める気になれない。

 花乙女と若枝ノ君による里人の祝福。それは同時に、二人の婚姻も意味している。そう、この祭は花乙女の結婚を祝う祭でもあるのだ。というより、それが主体であり、里人への祝福は、二人の幸せのお裾分けのようなものだ。花乙女の役割は、一年の間イノリの生活全般を支配する。文字通り、一年の間だけ花乙女は若枝ノ君と夫婦となるのだ。



  花を持て 花を持て

  花つ乙女は 今来たる



 花乙女の任が解かれる来年の今日まで、僕とイノリは夫婦だ。今日は春花祭であり、僕たちの結婚式でもある。僕たちは、その任を受け入れた。花乙女であり、花嫁であることを。若枝ノ君であり、花婿であることを。この花守の里で、外つ国の日本から来た異人と、里で生まれ里で育った少女とが、かりそめの夫婦となる。

 花が撒かれる。

 花が敷かれる。

 花が持たれる。

 歌の通りだ。花乙女は花を里人に配り、祝福が言祝ことほがれる。遠い昔から、花守の里で繰り返されてきた祭のただ中に、僕はいた。子供の時目にした映像のただ中に、僕は肉体を備えて立っている。花を手渡し、花を手渡されるイノリと並んで歩く。そして僕もまた、みんなの歌う歌を一緒に口ずさんでいた。



  数多の幸い 花と変え

  花つ乙女は 今来たる


  花つ乙女は

  今来たる





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