1-6. 裏切り
志津里はとある部屋にいた。
部屋に沈んでいた、というのは表現的におかしいかもしれないが、部屋に満たされた何かの上に浮かんでいるのだから、結果としてその表現で正しい。
彼女の頭の中に、声が響く。
『君がここまで来たのは飼い太らせた自尊心から来るものだ。探究心が人よりも強かった、それはそれは恐ろしいくらいにね。いくら君の立場が「そう」であったとしても、それは昔のことだ。今はただのニンゲンなんだから、少しくらい立ち位置をわきまえるべきだった』
「……何を言っているのかしら?」
志津里は上を見上げる。
「私は『神のすごろく』を手に入れて、神そのものになるのよ! そのためならばどんな手段でも……」
「惜しまない、って? 君はそう言いたいのか」
『いいや、違う。君はスゴロクから裏切られつつあるんだよ。見放されてる、と言ってもいい。なんというか……まあ、失敗作に近い形になりつつある。今の神もそれに近い状態になっているらしいからおあいこなんだけどね』
「あなた……何者?」
志津里は訊ねる。
そして。
それを嘲笑うように、それが姿を現した。
そこに居たのは――。
『私の名前は……「月宮式」とでも呼べばいいでしょう。どうせ私の本当の名前を言っても、今のあなたには理解できないことでしょうから』
月宮式が、志津里の目の前に立っていた。
「式……どうして?」
志津里の言葉に、式は微笑む。
『あなたが神様になりたいというから協力したのに、あなたはここでヘマをするんですもの。……だから、ちょっと軌道修正しないといけないからね。私も参戦させてもらったの。私が今、言えることはたった一つ』
式は指を一本立てて、告げた。
『あなたを今回神様に仕立て上げることは、しない』
その言葉は、とても冷たい一言だった。
◇◇◇
「……どういうことなのよ、海人」
流花は先代神、海人に向かってそう言った。
「その名を呼ぶなといっただろう」
海人は溜息を吐いて、話を続ける。
「君は人間に戻りつつあるということだよ。もう人間になった……正確に言えば人間に戻りつつあるということだ」
「私が人間に戻りつつある? 何を根拠にそんなことを」
「お前は、神のすごろくの凡てを知っているつもりか? そして、あの二人を本当に消したつもりでいるのか?」
「思っているわ」
「やはりお前も所詮人間だ」
「どういうことよ!!」
流花は声を張り上げる。対して海人は「やれやれ」といった感じで冷静に対処する。
「君は神という地位について、勉強することを怠ったんだよ。お前自身のコマはまだ残っていて、それがあの人間たちに動かされる可能性を秘めているわけだ」
「どういう意味よ……」
流花は頭を抱えていた。
それを見て海人は笑みを浮かべる。
「理解できないなら、神を譲るその時は、君が思っている以上に近くまでやってきているということだよ」
◇◇◇
僕はその会話を上から眺めていた。会話の内容は聞き取れたが、残念ながらそれを理解することはできなかった。専門用語が多いわけでもない、平凡な語彙だらけだったのに、だ。
「なんというか、頭が痛くなる発言ばかりだ……」
そう思って僕は頭を抱えた。
――そこでふと、あるものを見つけた。扉だ。
「あんな扉、あったっけ?」
僕は好奇心にかられて、扉を開ける。
そこに広がっていたのは――たくさんのレールだった。そして僕は直ぐにそれが『神のすごろく』なのだと悟った。
「これが全部、すごろくだというのか?」
僕は独りごちる。それは、諦めてしまったとかそういう考えに近い。だってこんなにも大量のレールから、ひとつのコマを探し出すのだ。
「そんなの……」
無理に決まってる。無理だ。
『……無理だと思うかい?』
僕の頭の中に、あの声が響いた。
「ああ、無理だと思う」
『そうだと思うだろ。でも案外簡単なんだよ。ひとつだけゴールに止まっていないコマがあるはずだ。……常に動いているんじゃなくて、そこで止まっているコマだよ。よーく探してみて』
そう言われたので仕方なく探してみることにした。
案外、意外にも早くそれは見つかった。
桃色のコマがある場所に止まっている。
その場所には、こう書かれていた。
――神になる
『そのコマを君のコマと挿げ替えればいい』
声は告げる。
「それをしたら……」
僕のコマを『神になる』に置くということになる。それは即ち、僕が神になるということだ。
それは。
『いいんじゃないかな?』
声はあっけらかんにそう告げた。
僕は目を丸くする。
「いいんじゃないかな、って……。ちょっとは考えてみてくれよ。カミサマだぜ? カミサマだぞ」
『そうだよ。カミサマだ』
……だめだ。頭の中に響く声との会話はまったくもって成り立たない。仕方ないので、僕は決心してー―そのコマに触れようとした。
「待ちなさい」
声が聞こえた。
その声を僕は知らないとは言えなかった。
そこに立っていたのは、ほかでもない志津里だった。
「志津里……」
『ダメだ。彼以外がやらねば次元が歪み、君が存在しない世界が再構築されるぞ』
「そんなもん、当たり前でしょ。それくらい知っているよ」
いや、知らない人が大半だとおもうけど。
それともほんとうに志津里はその情報を知っているとでもいうのか? いったいどこからその情報を入手したんだ? ……解らない。
「とりあえずさ……そんなダメだとか無駄だとか聞くとさ……」
彼女は流花のコマに触れる。
もうひとつの手に持っていたのは、ほかならない彼女のコマ。
「尚更それをしたくなる!!」
そして、彼女はコマを交換した。
空間が、再び歪んだ。
◇◇◇
……。
「……?」
だが、志津里にはなんの異変も起きなかった。
本当に交換したのだろうか、と疑問に思うレベルだ。
――そこで僕は思い出した。
あの流花と海人というふたりのカミサマが語っていた、『この場所のルール』というものを。
「そうだよ、志津里」
僕は志津里に言う。
「この場所にいる限り、この場所のルールが適用されてしまうのは確かだ。この……『神の箱庭』のルールってものが」
それには彼女も初耳だったらしく、耳を欹てる。
「神の箱庭の……ルール?」
ああ、と言って僕は頷く。
「ひとつは、カミサマによって消去された人間のコマは存在こそするが、それは偽物であるということ。そしてその偽物は本物にしないと本来の効果を発揮しないということ」
「何を言っているの……。それってつまり、私たちが今、この空間に存在しないってことを示しているということじゃない!!」
志津里は激昂するが、僕はそれをあえて流す。
カミサマが言っていた、ルールを反芻していく。
「二つ目は、欲望があまりにも強い人間は神やそれに近い立場になることは難しい。もちろん、特例はあるけどね」
「あなただって、『この世の秩序』における欲は深かったはずよ!」
僕は小さく溜息をついて、話を続ける。
これを志津里に話すのが、正直辛い。
というかここまでペラペラしゃべっているのは本当に自分なのか、疑いたくなるレベルだ。たぶんきっと、僕なのだろうけど。
「それについては、欲が強すぎる者が『七つの大罪』の、どれかの罪を犯したとき」
「七つの大罪、ですって……?」
志津里はなぜそれが出てくるのかが、解らなかったらしい。
「あなた……私が、私がいったいどんな罪を犯したというのよ!?」
七つの大罪は、強欲・傲慢・怠惰・暴食・嫉妬・憤怒・色欲からなる大罪だ。結構需要があるからか、そこそこ小説でも出てくる。だから知っている人も多いだろう。
その中で、志津里の罪は。
「君の罪はまず、神の座が欲しいという強欲。
自分の計画を邪魔する者は消すという傲慢。
落ち着いて、冷静になることを劣った怠惰。
この世の全ての知識を食らい尽くすかのような暴食。
神に等しい立場を妬んだ嫉妬。
神になれないという怒りの憤怒。
そして、知識を得るために色気を振りまいた色欲だ」
即ち。
「すべての罪ですって!?」
「そうだ」
僕はそれに頷く。
志津里はあまりにも神に対して、欲が深すぎた。だから、七つの大罪に近づいてしまったのだ。
それと、もう一つの理由がある。
「僕はルールをまだ言い終えていないぞ、志津里そして、三つ目は……現代の神が、次代の神を、決めたときだ」
「なんですって!?」
「その次代の神が決まったとき……その選ばれた者は、神となる」
「私は……選ばれなかったというの?」
志津里は項垂れて、床に崩れ落ちる。
上から彼女を眺めるように、僕は言った。
「そうだ。君は、すべてのルールを破っているから……」
「そんな…………じゃあ、じゃあ……誰が神に選ばれたのよ!!」
「それは、」
僕は息を吸い込む。
瞬間、僕の体は光に包また。
そして。
「新しい神は……僕だ」
僕は真っ白の、神の衣服を身にまとっていた。スーツとも学生服ともジャージとも違う、一枚の布で作られたようにも見えるが違う、それが僕の着ている格好だ。頭の上には葉っぱでできた冠もついている。
そして、志津里は僕のその姿を見て、その顔を驚愕に染め上げていた。
「……あなたが、選ばれたっていうの……」
彼女の声は震えていた。
僕は静かに息を吸って、彼女に告げる。
それは悲しいことだ。
最後のルール。
神の箱庭、最後のルールと言われているそれを、僕は志津里に向けて言い放つ。
「そして四つ目は……もし七つの大罪を全て犯した者が居るのなら……。神が直接、手を下すということだ」