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 お姉ちゃんをもらってくれた親切なサラリーマンには、傲慢で不遜な兄がいて、


「ふん、色気はないが仕込みがいがあるな。若い分だけ吸収も良さそうだし、なにより俺を好きじゃないのがいい。よし、嫁にしてやる」


 あなた、こう言われて頷いたりします?




 事の起こりはお姉ちゃんの結納だった。

 つつがなく儀式は進み、滞りなく終了したら次は家族の顔合わせ。

 両親と妹が紹介された飯塚家。

 両親と兄が紹介された岬家。

 面食いの姉らしく、一家揃ってハイレベルなお顔立ちだ。

 でもだからって、28歳のお兄さんと18歳の自分の間にロマンスを期待するほど私は夢見がちじゃないもん。身の程はわきまえてる。花より団子、滅多にお目にかかれない特上寿司を消費することに意識を集中させて、おいしくも堅苦しさの取れない集まりから逃げることばかり考えてた。

 ふとあげた視線の先で、お兄さんと目が合うまでは、すっごく呑気に。


「真奈ちゃん、だっけ?」

「…はい」


 急に声をかけられたからと言って、訝しんだり狼狽えたりしてはいけない。相手はこの先親戚づきあいをするハメになった娘と、友好関係を築こうと努力してくれているのだから。

 自然に、意識したりしないで普通にすればいいのだ。


「高校三年生だったね、恋人はいないの?」

「…まぁ、残念ながら」


 いきなり突っ込んだ質問をする人だなぁ…と思っても口にしたりせず、お愛想笑いなんかしてみたりして。

 隣では両親とカップルがハッピートークを展開しているのだから、決して水を差しちゃいけないのだ。波風厳禁、と。


「そう、僕のことは嫌い?」

「…竹です」


 煌びやかな笑顔で突然個人的感情に突っ込まれたら、どうも反応したらいいかわからないじゃないですか…。

 好きも嫌いも2、3言交わしたくらいでわかるものじゃないと、考えるわけで。それを言い表す適当な表現を探すうち、飛んだ思考が面白い答えを導き出してしまった。

 曰く『竹』。

 お寿司じゃないんだからさ…松竹梅で意味がわかるわけないじゃない。おいしく食べてたものだから、つい、ねぇ。


「すいません、並です」


 とってつけたように言い訳て気がついた。

 並もどうよ?どうしたってお寿司ネタから離れられないかな、自分…。

 なんとか適切な言葉を!な気分で慌ててお兄さんを見ると、何事もなかったように微笑んでるから不思議。

 楽しそうに、どこか歪んだ感情を覗かせてる気がするけどまぁ、ねぇ?お育ちが良くて上品な人物に、そんなのはありえないじゃない。


「そう…僕が並…うん、勇気があるね」


 ありえた、かな…?き、聞けない…あの笑顔の裏でどんな恐ろしいことを考えているのか、耳にするのが恐い。

 美意識が切れてんじゃないかとか、目玉腐ってるだろとか、思われてたらどうしよう。つーかそんな考えを巡らすような人なら、報復の仕方をあげつらってるかも知れない…ひ~ん!これから親戚になるってのに、どうする?!


「あ、と、ととと、トイレ、かわや、お手洗い~」


 這うように部屋を逃げ出して、しばらく便座の上で震えた私の心境は、ひたすらウサギですよ。臆病な草食動物が出くわした捕食者をやり過ごそうと必死の努力なんですって。

 それをあなた、よりによって出待ちですか~?!腕組んで壁にもたれたその態度、さっきまでと違いすぎません?!


 で、冒頭のセリフに戻ります。

 あ、1つ付け足していいですか?鼻で笑ったその顔、まるで狡猾な犯罪者のようでした。




 覚えておいた方がいい。

 性格の悪い人間ほど人当たり良く、目上の人の覚えはめでたいってことを。


「本当に、竜司さんは非の打ち所がない方ね」


 と、母がため息を吐けば、


「全くだ。真司君だって悪くはないんだが、お兄さんはまた格別に人間ができているというか…」


 滅多に若い男を褒めない父が同意する。


「でしょ?私もね、真司さんのお宅に初めてお邪魔した時、出ていらした竜司さんに見とれちゃって、少しだけ彼と険悪になったくらいなのよ」


 いやいや、お姉ちゃん、それはちっとも笑い事じゃないんで。

 脳天気を絵に描いたような家の家族は知らない。

 あなた方の可愛い娘が、エベレストのてっぺんまで持ち上げてらっしゃる男に暴言を吐かれていたことを。


 …考えれば考えるほど、意味がわかんないセリフだったな。

 仕込みがいがあるって、若い分吸収が良さそうだって、なにを? ま、まさかエッチなことを…ごにょごにょ…。

 俺のこと好きじゃないから嫁にしてやるって、好かれちゃならないわけでもあるんで?

 性格ねじくれてて好意に素直に答えられないのか…ねじれてるってより2重人格?う~ん?

 夜も眠れないほど乙女を悩ませた意味深長なお言葉は、忘れかけた2週間ほど後、真実を露呈した。


 全く持って嬉しかない方法で。




「あの~」

「私語は厳禁だよ?」


 それはもう、雰囲気でわかるんですけどね。


「私語以前にですね…」

「真奈ちゃん」


 やんわりたしなめる口調とは裏腹に、お目々が剣呑なのもわかるんですけどね、ええ。


「あたしは解放を…」

「真奈!いい加減になさい!」

「痛い痛い、お姉ちゃん、痛い!」


 尖った囁きの後、手の甲を思いっきり抓られたもんだから、こっちは人目も場所柄も全部すっ飛んじゃったのよ。

 そこはどこだって?

 入り口が小人さん仕様にちっちゃなお部屋でね、畳敷きでなんか薄暗くって、取り澄ましたお嬢さんと取り澄ましたお兄さんが数人いる所。


 別名、茶室。じゃないか、本名、茶室。


 お姉ちゃんの嫁ぎ先が生業とする茶道の宗家とやらでは、やたら大切にされる場所なんだそうである。

 皆さん、ちょっと想像して下さいな。映画やドラマでしか見たことないようなご立派な日本庭園に、笑っちゃうくらいでっかい日本家屋を。平屋ですよ、平屋。わざわざ2階を造って住まずとも充分な土地が確保できる故の、平屋ってすごすぎませんか?でっかい門とかあるし、お手伝いさんとかもいたし。


 そんなとこに着物着せられて引っ張ってこられたあたしは、とっても不釣り合いだ。

 挙げ句、作法も知らないのに茶室に押し込まれちゃって、初対面のお姉様方と恐いお姉ちゃん、あー今日もにこやかだね未来のお義兄さん、に囲まれてじんじんする足でずーっと正座させられてさ。

 どうやら首謀者であるらしい人物に意見の主張を図っているのだが、全く相手にされないってむかつくじゃない。お姉ちゃんまで敵に回って可哀相なあたしをいじめるし。

 私語厳禁がなんだ!不当な扱いには、断固抗議をするぞ!! 負けないぞ!!


「あたしはお茶席なんて出たことないし、座ってるだけならともかく飲んだり食べたりする手順もわかんないんです。お姉ちゃんと真司さんはともかく、他のお客様もいらっしゃるようなんで、失礼があっちゃいけません。出ていい?」


 だから、唖然呆然とするお姉さん方は取りあえずおいといて、一気にまくし立てた。ごめんなさい。礼儀を知らない小娘です。 でも、でもさ、人間なの人権を求めちゃうね。


「バカ、そんなのわかってるわ。私のマネをしていれば、そこそこ形にはなるでしょ?!」


 などと、妹を騙し討ちしたくせに耳打ちして丸めこもうとするお姉ちゃんの言うことなんか聞くもんか。

 ともかく、解放して下さい。いい加減。


「…うん、真奈ちゃんは己を知ってるんだね。その上他のお客さんにも気を配れるなんて素晴らしい」


 意固地なまでに退出希望を仏頂面で主張すると、聞こえるこれ見よがしな持ち上げです。ぞっとしました、正直。

 どこから出してらっしゃるんで?その猫なで声。 ひいっ!にじり寄らないで~!!


「僕がお作法を教えてあげるよ。そう、今すぐがいいね。そうしたら気兼ねなくお茶を楽しめるでしょ?」

「た、楽しみたくは…」

「楽しみたいよね、一緒に」


 有無を言わせぬ口調でかぶせられては、対抗できる手だてを持たないあたしは、必然的に頷くしかなく。


「真司、後を頼むよ」


 微笑みの貴公子ならぬ、微笑みのやくざに引っ張られて、あたしは小人の入り口に頭を3回ぶっつけた。

 感情のない声で大丈夫?とか確認すんじゃない!なにがどうして、こうなったんだ…。



 茶室って言うのは大抵、庭の隅っこに立ってるんだそうだ。

 つまり離れね。周囲は代表的な日本庭園で、初秋を感じさせる様々な木々が色鮮やかな葉を揺らしている。

 …と、優雅に鑑賞できる精神状態なら、どんなに良かったことか。

 前方で熱いんだか冷たいんだか判然としない怒気を発していらっしゃる方が、あたしの視界を狭くする。

 飛び石やら玉砂利やら歩行困難なことこの上ないとこから、着慣れない着物とぺこぺこ言う草履を引っかけて逃げるルートを模索するので精一杯。のんびり景色なんざ見てられるかっての。戦線の離脱を激しく希望する次第ですよ、マジで。


「全く、お前のせいでさんざんだ」

「はぃい?」


 今、非常におかしなセリフが聞こえたんですけど?!

 あたしのせい?あたしのせいってなにさ!どこのどの辺からそのセリフ、出てくるのさ!

 憤懣やるかたなくも、反論が心の中で消えていくのは半身を返してじろりと睨む顔がコワイからですよ。

 無表情なお顔の中、ちょびっと笑う不穏なお方に見下ろされてケンカできるほどあたしの神経は太くない。イヤむしろ細い。納豆の糸なみにか細くて繊細だ。


「使えない女だな。どうする気だ、あの小うるさい娘共を」


 ………。それは茶室の中でお人形さんの如く鎮座なさっているお嬢さん方をさすお言葉で?

 そらまぁ、プライドは高そうでしたが?庶民が持ち合わせてる気さくさとは縁遠そうでしたが?小うるさかないでしょう。


「あの方々でしたら、騒いでも耳元の蚊とか、頭上の金バエ程度じゃないんですか?大の男が気にするほどのモノじゃないと…あだ、だだだっ!」

「充分神経に障るだろうが、なんだその不適当な例え話は、ああ?」


 引っ張るんじゃない!ほっぺたが取れるだろ!しかも片っぽだけなんて穴が開いたらバランスが取れないじゃないか、この馬鹿力め!!

 無闇に振り回した腕で、加減のない指を頬から引っぺがすとあたしは一歩飛び退いて臨戦態勢をとった。

 顔は痛いが構ってられない。言葉の暴力だけでも強力なのに、この上体力勝負に持ち込まれて勝てるかっていうのよ。

 三十六計逃げるにしかず、行けるとこまで行ったるわ!


「か弱い乙女になにすんのよ!」

「乙女?メリハリのないガキだろ」


 涙目の抗議に、鼻で笑う調子の辛辣なご返答。


「ガキを嫁にしてやると偉そうに言うのは、そこのロリコンじゃないのか?!」

「引き取り手があったことを喜べ」

「いらんお世話だ!!」


 あーいえば、こーいう…減らず口大王め!

 ジリジリと方向転換を図りヤツから一歩でも遠ざかりつつ、あたしは足りない頭を絞っていた。

 あの不気味な発言からこっち、気になって眠れなかった疑問を解消する絶好のチャンスなんだから、うまく聞き出さなくちゃ。

 裏しか見えない言葉の真理を。


「人生長いし、この先いくらでも恋愛できるチャンスがあるのになぜアンタを選ばなきゃならない!」

「俺がお前を気に入ったからだ」

「どこが気に入ったのよ、ロクに喋ってもいない間柄で」

「俺を好きじゃないところ」

「道ばたで探せばその条件の娘さんはいっぱいいるぞ!」

「いるわけ無かろう。お前、俺の顔をちゃんと見たことがないのか?」


 言い切れる造作の顔をお持ちで、うらやましい。

 ええ、そうでしょうね。ふんぞり返って仰る通り、大抵の女性は振り向いたりひそひそ声潜めて品定めしたり、大なり小なり関心を示すことでしょうよ。

 かく言うあたしだって例外じゃない。初対面の一瞬ではあるがきっちりきっぱり見とれたさ、ああ見とれましたとも。

 でも、お金持ちでお育ちが良くてかなり年上な大人の男が、取り柄ナシ、平凡が売り、武器は若さだけの女子高生に興味を示すとは思わないでしょ、普通。

 だから、するっとスルーしたのだ。今思えば大変賢い選択。もしかしたら本能が示した自己防衛かも知れないぞ。


「顔が良いのがどうした!だからって一足飛びに嫁はなかろう。まず初めはお友達から、先に進んで恋人で、勢いついたら結婚、この手順じゃないの?普通こうじゃないの?!」


 必至の叫びはヤツの、なんとも難しくて情けない顔で切り返されてしまった。


「だってお前、面倒くさいじゃないか。いちいち女に手をかけられるほど、俺は暇じゃないんだよ」


 …面倒…?


「仕込むなら閨のことだけがいいだろ?楽しいし、教えるのを煩わしいと思わない。俺好みに仕上がった若妻って響きだけでもそそるじゃないか」


 …ネヤ、とはなんのことですか?そんでその、浮かれた金魚みたいなマヌケ面は到底恰好良いお兄さんには見えませんが?


「お嬢はさ、純情かも知れないが反骨精神に乏しいから会話が弾まないんだよ。家同志の結びつきとか考えちゃうと迂闊なことも言えないしな。その点お前は条件が揃ってるだろ」


 和服のお兄ちゃんが柄悪く吐くにはあんまりなセリフの連続に、ついうっかり逃げるのを忘れて立ちつくしていたあたしは、いとも簡単に囚われの人になってしまった。

 肩をガッチリ抱き込まれ、被い被さるように体重を載っけてくる奴は、か弱い女の子にしっかり支えろと低い檄を飛ばしてきたりする。傲慢な上、人を見下したいけ好かない態度だ。ついでにそこへ身の危険を感じさせる妖しいオーラが加わっちゃうのはホント頂けない。ああもう、呼気を感じさせるほど顔が近いのもまずい。なんか、激しく貞操の危機じゃない?!


「ん、んんんっ!!」


 やっぱり、予想通りに押しつけられた唇が柔らかいやら官能的やら。

 …待て待て、官能的ってなんだ。背中にぞわりと這い上がるこの感覚、認められない、認めたくない。

 ぎゅっと唇も歯も食いしばって、一刻も早く解放されることを願っていたのに、意志の弱い自分に負けないよう頑張っていたのに、チロリと唇をなぞる濡れた感触が一気にあたしの精神を暴走させた。


「つっ!」


 顔にかかっていた影が勢いよく消えて、苦痛を訴える小さな声が漏れて、双方距離は充分取れた。

 だけど、きつく捕まれた腕は相変わらずで、支配から完全に抜け出られてはいなく。


「…ただで帰れると思うなよ…?」


 凄みある声と、睨みつける目玉に、ちょっと早まっちゃったかなと自分の行動を振り返ってみたり。

 あの、帰らせて下さいどうぞ、お構いなしで。

 …どんどん深みに嵌っていく気がしますが、なにか…?



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