第6話
担任から呼び出される場所で真っ先に思い浮かぶのは職員室、というのが世間では定番であろう。
しかしそこは今朝から生徒の出入りを禁止していた。
何故なら中間テストが一週間後に控えているからだ。問題作成担当教師の殆どが、そこで作業をしているのである。
「おら、さっさと働けよ」
綾子の気合いを入れる声が、進路指導室内に響いていた。
室内は一般教室の半分程しかない空間で、低い天井まである大きな書棚が壁に沿うように所狭しと置かれている。
一応この部屋は「進路指導室」ということになってはいたが、どちらかと言えば「資料室」という役割のほうが大きかった。
それにこういった場所には普通、パソコンの一台くらいは置いてありそうなものである。だがそのようなハイテク機器類は一切置いていなかった。何故なら、それを確保するだけのスペースがなかったからだ。
それでも部屋の中央には折り畳み式の小さなテーブルが、二つ並べられている。その上には本や書類、ファイル等が乱雑に積まれていた。
テーブルの周囲にはパイプ椅子が三つほど備え付けられており、その内の一つに座ってふんぞり返っている綾子の姿は、まだ二十代半ばとは思えないほどの貫禄があった。
「先生、何で俺たちがこんなことをしなくちゃいけないんですか。先生も少しくらいは手伝ってくれよ」
「これって絶対、先生が頼まれた仕事だろ」
「あ! きっとそうだ! 自分がやりたくないからって、俺たちにやらせてるんだ」
「しょっけんらんよう、てやつだぞ。おーぼー、てやつだぞ」
「胸も色気もないくせに、ひでぇぞ先生」
「お前ら、いい加減にしろ!!」
とうとう我慢の限界を向かえた綾子は、口々に文句を言う二人を一喝するのだった。
更に大輔に対しては「特にお前は一言余計だ!」と注意しながら、両側からこめかみを拳でグリグリと締め上げている。
これはかなり痛い。大輔も堪らずに悲鳴を上げるほどだった。
「口を動かす前に手を動かす! 坂井、このファイルはそこの棚だぞ!」
綾子は「暴力教師!」と涙目で叫んでいる大輔を押さえ込みながら、目の前の分厚いファイルを肘で指した。あの痛みの経験者でもある悠太は慌てて手を伸ばすと、今度は文句も言わずに素直に従っている。
今彼らは彼女の監視の元、テーブル上にあるファイル類を棚へ戻す作業をしていた。
ただ戻せば良いというわけではなく、それらにはきちんとした順番があるため、その通りに並べなければならない。
しかもA4サイズ以上のものが殆どで、二百枚前後の書類も一度に挟まれているのだ。嵩張る上にボリューム感も相当あった。かなり細かく、力のいる大変な作業である。
誰が片付けもせずに放置したのかを悠太は知らなかったが、その人物を呪いたくなってきた。
「それより」
黙々と作業をしていた悠太は汗を拭いながら、先程から気になっていたモノへ視線を移す。
「圭吾、何でお前までいるんだよ」
彼は綾子の隣で腕を組み、当たり前のような顔をしながら立っていたのだ。
「クラス委員としてお前たちがちゃんと真面目にやっているのか、最後まで見届けようと思ってな。昼前に集めた宿題のノートを先生に持ってきた序でだ。ま、気にするな」
「こっちは気になるんだよ。見ているだけなら、さっさと帰れ!」
大輔が手をヒラヒラさせて追い払う仕草をする。
「けどこの量だと、休み時間中には終わらないかもしれないな」
そんな大輔のことを無視した圭吾は首を捻りながら、まだテーブル上へ山積みになっているものを見詰めた。
「このままだと、放課後も居残りになるかも知れないぞ」
「え?」と、悠太と大輔は驚いて顔を見合わせる。
「じゃあもしかして放課後も、続きをやらなくちゃいけないってことか?」
「それはないよ。例えこの休み時間で終わらなかったとしても、あたしは放課後までお前たちを拘束する気はない」
腕を組んだままで彼らの遣り取りを聞いていた綾子は、即座にきっぱりと否定した。
悠太たちは一斉に綾子を見る。意外な返答だった。しかし。
「お前らにとっては、試験勉強のほうが大事だからな。放課後に生徒を残したりしたら、あたしが逆に怒られちまうんだよ」
教師としては当然の答えでもあった。
中学生になって初めて行われる定期テストのことを、悠太はここでようやく思い出したのである。
「ああそういえば」
綾子も悠太と同様、ここでふと思い出したかのように
「坂井は放課後、クラスで大事な用事があるんだったな。頑張れよ。女装姿、楽しみにしているぞ」
ニヤリと笑いながらそう言ったのだ。