第12話
「ホント、すいません先輩。そんなわけで今回は、勘弁してやって下さい」
一年二組の教室前の廊下。
吉澤斗真は両脇をキッチリと締め、定規で正確に計ったかのように腰を折り曲げていた。
「なんだよ、後輩のくせに俺の頼みを断るっていうのか。
ここで面白そうな試合をやっているって聞いてきたから、折角来てやったのによ」
前に並んだ男子生徒三人の内、真ん中にいる生徒が不機嫌そうな顔で文句を言っていた。
「この埋め合わせは後で必ずしますから、今回だけはホント、申し訳ないッス!」
斗真は罪悪感一杯の顔を近づけながら、再び謝罪の言葉を述べている。
無意識のうちにリキんでしまっているためか、目を見開いたままで前のめりになっていた。しかも三人の生徒たち全員が思わず後退ってしまうほどに、迫力のある形相をしていたのである。
彼らは文句と不満そうな表情を抱えてはいたのだが――特に斗真と話していた生徒は「後でお前だけ個人的にしごいてやるからな!」という捨て台詞を残しつつも――それ以上は責めもせずに、そそくさとその場を立ち去っていった。自分たちが一年相手に不本意ながら怯んでしまったことで、バツが悪くなったのかもしれない。
彼らの背中が階段の陰に隠れるのを見送った後で、斗真はようやく安堵の息を吐いていた。今になって一筋の汗が頬を伝っていく。
それを少し離れた場所から見ていたのは、同じクラスの亀岡雅昭だった。
清掃用のモップを抱えつつ、扉の前で柄に寄り掛かりながら、彼らの遣り取りをただ傍観していただけである。
そんな雅昭だったが、ここで斗真へ声を掛けた。
「なぁ、トンマ……あ!」
直ぐに慌てて口を押さえる。が、斗真の動きのほうが素早かった。躱す間もなく瞬時に頭を捕えられてしまったのだ。
「貴様……中学ではその名で呼ぶな、つったろうがっ!!」
「あははっ、悪りぃ」
雅昭は特に悪びれた様子もなく軽い調子で笑っていたのだが、その間にもアイアンクローのほうは、ジワジワと脳天を締め上げていっている。
同様に斗真の血走った目も恐かった。
普段から目付きが悪いため、彼のことを知らない者たちからは外見だけで『不良』というレッテルを貼られがちである。
おまけに、最上級生に引けを取らないくらいのガタイの良さである。当然入学早々目を付けられ、ヤンキー風の上級生たちに校舎裏まで呼び出されたこともあった。
しかし殴られ蹴られても、防戦一方で抵抗もせず、自分からは全く手を出さなかった。腕力は見かけ通りにあったのだが、それを自ら使用したことが一度もないのである。
何よりも『暴力』そのものが嫌いだった。だから今まで喧嘩自体をしたことがない。
小学校から一緒だった雅昭はそれを知っているので、脳天に激痛が走っていても、相変わらず顔が恐いと感じていても、先程の先輩たちとは違って全く怯まなかったのである。
「ところであの先輩って、斗真の知り合い?」
「ああ。真ん中にいた人が剣道部部長の但馬先輩だ」
「へぇ。何処かで見たことのある人だなと思ったら、トン……斗真んところの部長さんかぁ。入学式のオリエンテーションで、部活紹介の時に居たよね」
雅昭はまだ脳天を締められたままだったのだが、二人ともごく普通に会話をしている。
「それにしても……くっ!」
斗真は手を離すと顔を歪めて背を向け、頭を抱え込んだ。
「まさか、この俺が尊敬する部長の頼みを断るだなんて……」
真っ青な顔で、脅えるように全身をガタガタと震わせている。
「後に一体どのくらいしごかれることになるのか……想像だけでも恐ろしすぎる!」
「はー…ようやくだよ」
と、斗真の声に重なるように階段のほうからは、溜め息混じりで少し疲れたような声が聞こえてきた。
「よっきゅん、お帰り~♪」
飛び跳ねるように明るく出迎えた雅昭に対して、やや疲れ気味な表情を見せながら上ってきたのは山崎翼だった。
「その様子だと、そっちも上手くいったみたいだね」
「まぁ、一応な」
「さっすが、我が2組のナンバー2(ツー)!」
雅昭がはしゃいで手を叩いている。
翼はこのクラスでは副委員をやっていた。因みに雅昭が会計、斗真は書記である。
「いや、俺の能力じゃないよ。全ては川上が用意してくれた、このノートのお陰だ」
翼は手に持っている薄いノートを、ヒラヒラと左右へ動かして見せた。