第11話
「なあ、圭吾」
悠太がさやかへ向かっていった。
歓声を上げるクラスメイトたち。
それらを見ながら大輔は、隣に並んで立っている圭吾に話し掛けた。
「この教室、こんなに煩くて大丈夫なのか?
一応シバセンはこの事を知っているけれど、他の先生が見に来たらヤバいんじゃないか」
今日からテスト準備期間に入るため、どの部活動も活動停止状態である。生徒が残っていないはずの教室が騒いでいたとしたら、外部の者が不審に思って様子を窺いに来てもおかしくはない。
「お前普段はエロいことしか頭にないくせに、たまには変なところを気にするよな」
「ほっとけ!」
「変……といえば」
圭吾は腕を組みながら考え込むように、さやかへ果敢に挑んでいる悠太を見詰めた。
「アイツいつも、変なところで勘がいいんだよな」
「え?」
「……いや。
それより何で僕がわざわざ、掃除の時間限定で対決させていると思ってるんだ?朝のホームルーム前に、その理由を言ったはずなんだけど」
この対決には事前に制限時間を設けており、『清掃時間内に決着がつかなければ引き分け。互いの罰ゲームも無効』というルールを作った。
朝二人の会話を聞いていた圭吾が「どうせやるなら…」ということで、それを提案してきたのである。
誰もが「直ぐに悠太のほうが負けるだろう」と思っていたので、皆賛成したのだ。担任の綾子が特に何も言わないのは、それを聞いていたからだろう。
「ああ…! そういえば」
大輔はようやく思い出したようだ。
「掃除の時間だったら少しくらいは、騒いでも大丈夫なんだっけ?」
「保証はできないけどな。この教室は職員室から離れた場所にあるし、先生も掃除の時間にわざわざここまで上って、見に来ないだろうと思ったのさ」
教室は学年別で3年は1階、2年は2階、1年は3階と割り当てられていた。因みに職員室は1階にある。
「それに今日職員室を外から覗いてみたら、思った通り先生たちは皆忙しそうだったよ」
「でもシバセンは暇そうだったな」
「問題を作る担当じゃないからな。でもああ見えて本当は他の先生たちと一緒で、結構忙しいのかも知れないけどさ」
「え? テスト問題って、先生が作ってるの?」
「あれ、知らなかったのか。確か今回1年の数学は、羽田が担当するらしいよ」
さも当たり前のことのように、サラリと答える圭吾。
「……お前そういう情報って一体、何処から仕入れてくるんだよ」
「ふふふ、企業秘密だ」
圭吾は不敵な笑みを浮かべていた。情報源を教えて欲しいと言っても絶対に教えてはくれないだろうことが、大輔には分かっている。
周囲では、歓声が沸き上がっていた。
大輔が弾かれるように振り向けば、悠太を押さえつけようとしていたさやかが、上手く躱される場面だった。
「あっぶねぇ。悠太の奴ギリギリじゃねぇか」
一瞬ヒヤッとする。
大輔も口では色々言ってはいるのだが、悠太のほうをつい応援してしまっていた。
「でもこれ以上騒いだら、流石に先生も来るかもな」
圭吾がポツリと呟いた。
「じゃあどうする? やっぱ中断?」
皆盛り上がっているのだ。そこへ水を差したくはないなと、大輔は何となく思う。
「まあ一応、もしもの時のための準備はしておいたから、多分大丈夫だとは思うが」
「準備って?」
「他のクラスの奴らを教室に入れさせないとか、外に見張りをたてるとか」
「あ! それじゃさっき、山崎たちを外へ呼び出したのって…」
「見張りを頼んでいたのさ」
小学校からの付き合いで分かってはいたことだったが、相変わらず圭吾は抜け目がない。
「けど僕はこの時間で、決着が着くと思っているのさ。多分引き分けにもならないと思う」
「エライ自信だな。でもあと五分しかないぜ」
大輔は壁に掛けてある時計を見る。その真下では二人が互いの手を掴み合い、牽制し合っていた。
「朝のホームルームの後でさやかに、勝てそうかどうか改めて訊いてみたんだよ。今回は特に女装が掛かっているから、悠太も本気で勝ちにいくと思ったしな」
「へぇ…で、さやかは何て?」
「それはさやかも予想していたらしくて『だったら自分もいつものように手を抜かないで、全力で受けて立つ!』と、熱くなっていたよ」
「ふーん。あいつ悠太が相手だと、結構ムキになるところがあるからな」
大輔は二人を眺めながら、何気なく相槌を打っていたのだが。
「……て、ちょと待てぃ!」
圭吾の言葉の中で、引っ掛かる部分があることに気が付いたのだ。危うく聞き流すところであった。
「『手を抜かないで』ってことは、まさか今までは『手を抜いていた』のか?」
「だろうな。だからさやかも今回は、本気で相手をするらしい。一瞬で決めるとも言っていたしな」
(アイツ一体、どれだけ強いんだよ)
少なくとも悠太には現在のところ、負けなしである。さやかとはまともにやり合ったことはなかったが、もしかしたらこの自分でも勝てないかも知れない。
ここで大輔は、悠太が誘拐されそうになった時の話を、ふと思い出していた。
「自分が阻止した」とさやかは言っているが、実は周囲の者たちは皆、その話に疑問を持っていた。本人には口が裂けても言えないが、大輔も同様である。
当時の自分たちはまだ、年端も行かない年齢だったのだ。相手は大の大人である。いくら強くても、当時の彼女が勝てるはずはない。
それに目撃者もいなかった。
後から駆け付けたさやかの兄たちや犯人でさえ、一瞬のことで何も見てはいないという。
勿論嘘を付いているとは思えなかった。人一倍正義感の強い彼女がそのようなことを言うはずがないのは、大輔には分かっていたからだ。
だからこの話を聞いた者たちは一様にして、さやかが何か勘違いをしているのだろうと思っていた。犯人が自分で転倒したのを見た彼女が、倒したのは自分だとずっと思い込んでいると思っていたのである。
あれから8年は経過しているのだ。
人の記憶というものは、年月が経てば風化されていく。幼い頃の記憶では特に、より曖昧な記憶へと変化していくはずである。
しかし。
(もしあの話が、本当のことだとしたら?)
先程のさやかの『手を抜いていた』発言で、大輔はそのようなことを考え始めていた。
(そしたらあいつ、五歳の頃には既に「大人の男」を倒していることにならないか?)
背中には何か、冷たいものが走っていくような気がした。
(ははは…まさかな。某柔道マンガみたいなことが、実際にあるわけないってぇの)
大輔は一応否定しつつも、さやかとは今後一切絶対に殴り合いの喧嘩をしないぞ、と心の中で固く誓うのだった。