第50話 ボルダリングと海釣りと
(ボルダリング、初めてだから楽しみだ)
陽介は五十嵐に誘われて、信司を含めた三人でボルダリング施設に来ていた。
受付を済ませ、シューズをレンタルして施設内に足を踏み入れる。
「おぉ~広いなぁ」
「だねぇ……。本当に壁に色んな色の突起がついてるんだねぇ~」
施設内を見回す陽介の横で、信司が壁を見上げて感嘆の声を漏らした。
「はははっ、初めてだとそういう反応にもなるよな」
壁を見る陽介と信司を見て、五十嵐がニカッと笑う。
「今日はよろしく頼むぜ。一応、ネットで基本的なルールは調べてきたけどさ」
「おう。つっても、多分、調べたルールで問題ないと思うけどな。あとマナーとして、登らない時は、マットの外へ出とけば大丈夫だ」
五十嵐から壁を登るコースとその目印になるテープで指定された突起物のことなど、ルールや登っている最中の注意点を説明される。
そして、三人で軽く準備運動をしてから、まずは信司が壁の前に立ち、スタートホールドを両手で掴んだ。
陽介と五十嵐は、マットの手前で見守る。
「四季~。ボルダリングは自分のペースでいいからな~」
「うんっ、わかったよ~」
陽介たちが見ている中、信司はゆっくりと次のホールドに手を伸ばす。
周りを見回して、目印のテープを探した。
「あ~これ、挑む前にまずテープの位置を確認した方がいい感じか?」
「そうだな。でもまぁ、二人は今日が初めてだし、実際に登ってみることを重視した方がいいと思うぞ。そっちの方が楽しめると思うしな」
(確かに、最初から頭でっかちになるより、身体を動かしてから考えた方がいいこともあるよな)
そんなことを考えていると、信司は壁の真ん中辺りまで登っていた。
「お~、初めてなのにもうあんなとこまで登ってるぞ」
「ははっ、そろそろキツいんじゃないか? ほら、四季の腕見てみ?」
五十嵐に言われて、陽介はジッと信司の腕を見つめる。
「ん? ……よく見るとプルプルしてる、ような気がするな」
「そうだな。あとは自分との戦いだ」
「四季、頑張れっ~! もう半分以上登ってるぞっ」
五十嵐が信司に声を掛けた。
「回数をこなしていけば、負担が少ない身体の使い方も分かってくるようになるからな。ボルダリングは何度も挑戦することも重要だからさ」
「なるほどな……。試行回数こなすのは、ゲーマー気質のある四季に向いてるかもしれないな」
「それはあるな。それにこないだウチのジムで筋トレしてた時も最後まできっちりやり切ってたから、根性もあるだろうし。……お、そろそろゴールできそうだぞ」
信司がゴールホールドを数秒間、両手で掴む。
ゴールした信司は五十嵐に教えられた通り、少し低い位置まで戻り、マットに着地した。
「はぁはぁっ……キツかったぁ~っ……」
呼吸を整えながら、マットから出る信司。
「お疲れっ! 初めてでゴールできたんだから、すげぇじゃん。なぁ、五十嵐」
「おう、ナイスファイトだったぜ」
「はは、ありがと~……ふぅぅっ……」
陽介たちの元に戻り、信司は丸椅子に座った。
「それじゃあ、次は俺の番だなっ」
陽介は椅子から立ち上がって、壁に向かう。
(ここがスタートかぁ。よしっ、できるだけ頑張ってみるぞ)
両手でスタートホールドを掴む。
そして、次のホールドに手を伸ばした。
(焦っちゃダメだけど、あんま時間を掛けると手と腕がしんどくなりそうだよな)
とはいえ陽介も今日、初めてのボルダリングだ。
(まぁ……あんま小難しく考えないで、まずは登るのを楽しもう)
目の前のホールドに集中して登っていると、下から二人の声が聞こえた。
「星崎、そろそろ真ん中辺りだぞ~」
「頑張れぇ~」
(半分か……まだ腕もそんなに疲れてないな……)
流石に返事をする余裕まではなかったが、着実にコースを登る。
そして――
(よしっ、Gの文字っ……!)
ゴールホールドが見えた。
慎重に両手でホールドを掴んで、三秒、ゆっくりと心の中でカウントする。
「ふぅぅっ……」
陽介も五十嵐に教えられた通りに、少し低い位置まで移動する。
そして、着地点を確認してからマットに下りた。
「星崎、お疲れっ。結構、余裕そうだな?」
「いや、少し腕がプルプルしてるぞ……」
「僕に比べたら全然余裕って感じがするよ~?」
「競ってるわけじゃないし、比べなくてもいいんじゃないか……?」
椅子に座って腕を揉む。
「それで二人ともボルダリングはどうだった?」
「俺は面白かったな。握力をもっと鍛えたくなった」
「僕も楽しめたよ。……ちなみに同じコースを繰り返しやってもいいの?」
「もちろんだ。空いてるなら全然、OK。っていうか、何度も繰り返すとコースを覚えて登る速度が早くなるぞ」
「ははっ、RTAだな」
「RTAかぁ……。そう言われると、もう一回あのコースに挑戦したくなるなぁ~」
(おぉ、四季が前向きになってるぞ)
それから、五十嵐は中級者用の壁に行き、陽介と信司は初心者の壁を登った。
(今年の夏は初めて経験することばっかりだな……。いや、この世界に転生してから初めてだらけか)
その後、昼食を挟んで、午後も休み休み三人でボルダリングを楽しんだのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(まさか社交辞令じゃなかったなんてなぁ……)
ボルダリングを体験した数日後。
咲月経由で常陸院家前当主の常陸院玄市に誘われて、陽介は日の出前から海釣りに来ていた。
送迎は常陸院家の車だったが、運転手は瀬戸ではない別の執事だった。
「玄市さん、今日はよろしくお願いします」
「うむ。気楽に楽しんでくれると嬉しいぞ」
玄市が用意してくれたライフジャケットを着て、荷物を持ちながら堤防を歩く。
「ひとまずはここら辺でよいじゃろう。星崎くんは釣りが初めてなんだったな?」
「はい。ですので釣り竿の使い方から教えていただけると……」
「かっかっかっ。もちろん、しっかりと教えるとも」
「ありがとうございます」
折りたたみの椅子を出して、二人で並んで座る。
「とは言え、釣り竿の使い方自体はそんなに難しいことではないんじゃ。難しいのは、釣れるまでの時間を我慢強く待てるか。もしくは場所を変える判断ができるか。そういうことの方じゃな」
「なるほど……」
「まぁ、今は難しく考えずにまずは釣りの空気に慣れればいいんじゃ!」
そう言って、玄市は年齢を感じさせない豪快な笑い声を上げる。
「さて。早速、釣り竿の使い方を教えよう」
「お願いしますっ」
「まずは仕掛けの作り方じゃが……」
陽介は玄市の説明を聞き、仕掛けを作っていく。
玄市に確認してもらい、OKを貰った。
「キャスティング……餌や釣り針を飛ばす時には、後方確認が絶対じゃな」
今回はウキ釣りという方法らしい。
しっかりと後方確認をしてから、海に仕掛けを投げ入れた。
(釣り竿を振った時のしなる感覚が面白いな……)
そんなことを思いながら、海面に浮かぶウキを眺める。
「かっかっかっ。そうやってボーッとウキを眺めるのも一興じゃ」
「そうですね……。なんだか贅沢な時間の使い方な気がします」
この世界で記憶を取り戻してから、スケジュールをしっかりと組んでステータス上げに勤しんでいる陽介からすれば、ぼんやりと海とウキをただ眺める時間は新鮮だった。
「くくっ、贅沢な時間か……。若者からすれば、当たりを待つ時間は退屈だと思うんじゃがなぁ」
「あはは……そうなんですかね。……おっ、これ、引いてますよねっ?」
ウキが水面にチャプンッ、チャプンッと不規則に潜る。
「おお、そうじゃなっ! 竿を立てるのじゃっ」
「はいっ!」
陽介は事前に玄市に習った通りに、ウキが動くのとは逆方向に竿を立てる。
「おおっ……! 竿がすげぇしなるっ……!」
「いいぞっ、そのまま魚が弱ってくるまで、そのままじゃ」
しばらくすると引きが弱くなった。
(ここでリールを巻くんだなっ……それにしても、すげぇ引きだったな……)
陽介はゆっくりとリールを巻き始める。
そして――
「おっ~! 釣れましたよっ!」
「かっかっかっ。ボウズにならずに済んでよかったのうっ」
玄市が快活に笑いながら、陽介の釣った魚を網ですくい上げた。
「これ、なんて魚なんですか?」
「アジじゃな」
「へぇ……これがアジですかぁ」
針の外し方と一緒に魚の種類も教えてもらう。
「さぁっ、朝食までの間にもっと釣るぞ」
「はいっ!」
こうして陽介と玄市は堤防からアジを釣っていったのだった。
「お~これが、釣りたてのアジの刺し身っ……!」
車を運転してくれた執事が、その場で捌いてくれた。
その際、玄市は「儂も捌けるんじゃがな……。使用人の仕事は取れん」と少し寂しそうにしていた。
自分で釣った魚だからか、鮮度がいいからなのか。
皿に盛られたアジの刺し身が輝いて見える。
「かっかっかっ。早速、食べようじゃないか」
「はいっ!」
「おにぎりとおかず、味噌汁も持ってきているからな」
玄市がそう言うと執事が、二人に弁当箱と水筒を渡した。
「おおっ、ありがとうございますっ」
まずはアジの刺し身に箸を伸ばし、口に入れた。
「ん~っ……脂がのってますし、ほんのり甘みを感じますねっ……」
しっとりとした口当たりで、噛むと脂の旨味が口の中に広がる。
「そうじゃのっ……うん、美味い。生姜や大葉も持ってきておるから、好きに使ってくれ」
「はいっ……それじゃあ、まずは生姜で」
二切れ、三切れと刺し身を食べてから、弁当を開ける。
玄市が言った通り、おにぎりとおかずが詰まっていた。
陽介はおにぎりを頬張った。
「んっ、梅干しっ……ッ……しょっぱ酸っぱいですね……」
「かっかっかっ、昔ながらの梅干しじゃからな。ちなみに妻が漬けたものじゃ」
「えっ? 咲江さんが?」
「うむ。今日の弁当と味噌汁は妻が作っておるぞ」
「おお~それは貴重なお弁当ですねっ……」
「そう気張らずに、普通に食べるがよい」
早速、卵焼きを食べる。
(んっ、甘くない系だ……。出汁の味が効いてて美味い)
味わっている陽介の横で、玄市が水筒から味噌汁を注いで飲んでいた。
「早朝の海を見ながらの、味噌汁って合いそうですね」
「かかっ。そうじゃな、もう何十年も釣りの時には妻の味噌汁を持ってきておるよ」
「へぇ……そうなんですね。でも、意外です。常陸院家の方が料理をするのは」
「まぁのぉ……あの頃は仕方なかったんじゃよ」
そう言って、玄市は食事を続けながら昔の話を始めた。
戦後すぐは常陸院家と言えど、使用人に給金を払うことも難しかったらしい。
そして料理だけでなく、家事は常陸院家直系の娘である咲江が行っていたそうだ。
「その時のことがあったからじゃろう。咲耶にも家事全般を教え込んでいたぞ」
「なるほど……」
話を聞きながら、陽介は唐揚げを頬張った。
(ん? ……この唐揚げ、食べたことがあるような……? あ、そうか……)
常陸院家の別荘で食べた唐揚げの味を陽介は思い出したのだった。




