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断罪劇で王子が破棄したのは婚約ではなく計画でした ――断罪されたはずの公爵令嬢は男爵令嬢の王妃教育係になります  作者: 製本業者


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第8話 兄弟は廊下で、初めて本音をぶつけ合う

廊下に出た瞬間、空気が軽くなった――気がした。


胸の奥が、まだ熱い。

さっきまで喉元で詰まっていた息が、ようやく吐ける。

あの場で、あの女の筋書きをひっくり返した。

「断罪」ではなく「任命」に変えた。

――勝った。少なくとも、一手目は。


(……浮かれるな)


すぐに、自分で自分を押さえつける。

勝利の余韻は甘い。

甘いものほど、人を鈍らせる。


賢王なら、ここで気を抜かない。

覇王なら、勝った瞬間にもう次の一手を打っている。

俺も――いや。


そこまで至らぬ私なら、なおさら酔うべきではない。


足を進めながら、熱を冷ますように考える。

相手は、あの“氷の令嬢”ことエレノア・ルクレールだ。

警戒しすぎる、ということがない相手。

彼女なら、こちらの一手を受けた上で、そのさらに上から盤面を整え直してくる。


現に、さっきだってそうだ。

あの土壇場で、ほとんど最適解に近い応じ方をしてみせた。

勝ち戦を派手に演じるより、負け戦を崩さず畳む方が、何倍も難しいというのに。


……そこで、ようやく気づく。


ああ、私は浮かれていたのだ。

彼女に一矢報いた――ただそれだけの事実に、思った以上に酔っていた。


愚かだ。


あの女を相手にしておきながら、胸のすくような勝利感に浸るなど。

そんな隙を見せれば、次は必ず刺される。

しかも正面からではない。

こちらが“勝ったつもり”になった、その足元を静かに掬う形で。


エレノアは、そういう女だ。


冷たく、正確で、容赦がない。

それでいて、感情に溺れて自滅するほど愚かでもない。

だからこそ厄介で――だからこそ、私はあの場で勝ったつもりになっていた自分を、心の底から恥じた。



……そんなふうに、頭の中で戒めの文句を並べていたところで。


廊下の曲がり角に、影が立っていた。


第二王子――ジュリアンだ。


立ち姿は整っている。背筋も、肩も、崩れていない。

王族としての形は、きちんと保たれている。

なのに、何かが違った。


目の奥が、微かに沈んでいる。


(……なんだ、その顔)


それを見た瞬間、さっきまで胸を満たしていた高揚が、すっと冷めた。

代わりに湧いてきたのは――勝った側の余裕でも、愉悦でもない。


最初、その感情が何なのか分からなかった。

だが、少しして思い出す。


心配だ。

不安だ。


そのことに、自分で驚く。

今の私は、勝ちをどう固めるかを考えるべき立場のはずだ。

エレノアの次の一手、公爵家の反応、学園内の空気。

考えるべきことはいくらでもある。


それなのに、弟の顔を見ただけで、思考がそちらへ引きずられる。


誤魔化すように、私は口を開いた。


「……見ていたのか。退屈な茶番だったろう」


軽口のつもりだった。

いつもの調子――“王子らしい”調子で、距離を作るための言葉。

昔の私は、こういうときほどそれらしい台詞を選んだ。

兄として余裕があるように。

王太子候補として揺るがぬように。

歴代の賢王ならこう言う、覇王ならこう笑う――そんな借り物の型を、無意識に顔へ貼りつけるように。


弟の前では、なおさらだった。


格好いい兄でいたかった。

愚かだと見られたくなかった。

頼れる兄、先を行く兄、いずれ王となるに足る兄。

そういうものを演じようとして、私はいつのまにか“私”ではなく、

賢王の言葉と覇王の態度の、都合のいい継ぎ合わせみたいな男になっていたのだろう。


弟は、薄く笑った。

笑ったのに、口元だけが動いて、目は笑っていない。


「茶番……ね。兄上にしては、随分と上等でした」


挑発。

けれど、刃が立っていない。

刺すためではなく、せめて自分の居場所を守るために振り回している感じだ。

しかも――その奥に、何か別の色が混じっている。


負けたような。

それでいて――憧れているような。


(……おい)


胸の奥が、ちくりと痛んだ。


「どうした。らしくないぞ」


咄嗟に出た言葉が、思ったよりも素直で、思ったよりも柔らかかった。

弟の眉が、ほんの一瞬だけ動く。

驚き――いや、気づかれた、という顔だ。


私は視線を逸らし、咳払いをした。


(……違う。これは違う)


だが、違わなかった。


弟は、昔からこうだった。

私の背中を見て、真似をして、追いかけて。

剣を覚えたときも、乗馬を覚えたときも、講義で褒められたときも、

すぐに駆け寄ってきては「兄上、見てください」と笑っていた。


自慢の弟。

……いや、違う。


“自慢の兄であり続けたい”と、そう思わせるだけの賢弟だった。


そして私は、その期待に応えようとしていたのだ。

王になりたいからだけではない。

正しくありたいからだけでもない。

強く、賢く、誰にも侮られぬ存在でいたかったからでもない。


弟にとっての“すごい兄上”でありたかった。


だから、焦った。

少しでもそれらしく見えようとして、賢王の慎重さを真似た。

覇王の苛烈さを真似た。

だが、それは血肉になったものではなく、場面ごとに貼り替える仮面にすぎなかった。


慎重であろうとして鈍り、

苛烈であろうとして浅くなる。


熟考しているつもりで、詰めが甘い。

威厳を見せているつもりで、器が空回りする。


……悪いとこ取りもいいところだ。


くそっ。


胸の奥で、乾いた笑いが漏れそうになる。

あまりにも間抜けだ。

弟の憧れに応えたかったくせに、そのせいで肝心の“兄”を見失っていたのだから。


だから、私は一歩近づき、弟の正面に立った。


逃げ道を塞ぐための距離ではない。

真正面から向き合える距離で。


全く、俺らしくない。

――いや。


「……悔しいか?」


こういうときに格好をつけず、弟の目を見て立てることこそ、本当は最初から、私がすべきだったのだろう。


「なら、奪ってみせろ」


弟の目が揺れる。

その揺れに、私は確信した。

「王の地位を奪えるなら、奪ってみせろ。お前なら出来る」


ああ、昔から驚くとこんな表情をしていたな。


「そのときは、素直に受け入れよう。王位はお前に譲る」


私の、最後の一言に、弟の瞳が見開かれる。

信じられない、という顔。

あるいは、信じたいのに怖いという顔。


私は、口元だけで笑った。

自分でもわかる。

いつもの“王子の笑み”ではない。

子供の頃の、兄の笑みだ。


「だが――兄の地位まで捨てるつもりはない」


言い切った瞬間、胸が少しだけ軽くなる。

勝利の高揚じゃない。

決意が、形になった軽さだ。


弟は、しばらく黙っていた。

やがて、力のない、けれど真っ直ぐな声で言う。


「……相変わらず、ずるい兄上だ」


その言葉に、私は小さく息を吐いた。


ずるい。

……そうかもしれない。

だが、ジュリアン敵手エレノアではない。

弟にまで、盤面を読むような向き合い方をする気にはなれなかった。


私はもう一度、自分を戒める。


(浮かれるな。次の一手だ)


けれど同時に、確かに思った。


(……戻ってきたな)


弟が、ではない。

私の中の“兄”が。


ここまでお読みいただきありがとうございます。

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