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旅行のはずが異世界に放り込まれたオカン―境界を歩く騎士と、ほどけない問い―  作者: 壮月彩
第2章 雪解けの村前編—子供の輪—

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第11話 名もなき頼み

『救ってほしい』


 その言葉のあと、白の向こうで輪郭だけが揺れた。


 言葉だけは強い。

 だが言い終えた直後、喉が負けたように息が漏れる。


 堪えたはずの咳が、遅れて胸を突いた。


 男は胸元に指を添えた。

 力が入らず、いったん握ってから、そっとほどける。


 それでも視線だけは逸らさない。

 強いまなざしが、弱った身体を引きずって前に立っている。


 不安と焦燥が、場に滲む。

 冗談ではない。


「……俺は、頼み方を間違えた」


 白の向こうで、息がかすれた。


 断定なのに、喉がそれについてこない。

 短い咳がひとつ。押さえる指に力が入らず、またほどける。


「あれって頼んでたのかい?」


 ルシアは眉を寄せる。


「旅行でもすればいいって言ってただけやん」


 間が落ちた。

 言葉を継ぐ前に、まず息を整えようとしている。


 けれど整う前に、胸の奥が一度だけ咳で鳴った。


「……お前は背を向けると思った。

救ってほしい、という言葉は……重すぎる」


 言い切った直後、男はまた酷くむせた。

 息を取り戻そうとして肩が揺れる。だが、整う前に咳が押し上がる。


 無理をしているのが見て取れた。


 その様子を見て、言い返す勢いが静かに引いた。

 責めれば楽だ。だが今は、責めない方が先に立つ。


「そんな状態で、私に気ぃ使わんでいいがね」


 背中を撫でる手を止めない。

 これまで、夜の咳にも熱にも、何度も触れてきた。


 放っておけない、が先に出る。


「とりあえず、無理して喋るの、やめな?」


 肩の力を抜かせるように口調を戻す。

 そのまま一拍置いて、今度は逃げ道を残さない目で続けた。


「でも、私にできるかは分からんよ?」


 少し間。


「できる」


 返事は短い。

 声は弱っているのに、言い切るところだけは揺れない。


「どっから来んのさ、その自信と信頼は」


 鼻で笑う気配が落ちた。

 男は一瞬だけ黙り、それから、ほんの少しだけ言葉を柔らかくした。


「多子を育てたやつは……強い」


「なにその偏見。世のオカンを過信しすぎ」


 動こうとして、また咳き込む。

 支えると、身体が軽すぎた。


 頼りないのに、視線だけが折れない。


「残りのことは整える」


 息を整えながら、淡々と言う。


「言葉は通す。必要なものも、できるだけ渡す」


 一拍。


「お前の姿は、そのままだと不便だ。

……少しだけ、整える」


 思わず、目が細くなる。


「ほう」


「褒美に“旅行”なんて言葉を当てた。

……すまない」


 言い訳は足さずに詫びた。

 その声の底に、わずかな震えが混じる。


「俺の都合だ」


 言い切ったあと、男は静かに涙を流した。

 咳で滲んだのか、別の痛みで溢れたのか。


 視線だけは外さない。

 見届けるみたいに、瞬きの回数さえ減る。


「……まぁ、やってみるわ」


 言葉は軽くしない。


「任せて、なんて言えん。相手は世界やろ?」


 男は小さく息を吐いた。

 それが安堵なのか、痛みなのかは分からない。


「……助かる」


 礼の言葉は短いのに、場の空気が少しだけ軽くなる。

 だが、その軽さが長く続かないことも、互いに分かっていた。


「で、行くのかい?」


 男は答えず、ただ一言だけ言おうとする。


 咳が喉の奥で鳴る。

 噛み殺すみたいに顎に力が入る。


 弱い身体と、強い言葉が同居していた。


「来い」


 男の輪郭が、光を帯びる。

 眩しさに目を閉じた。


 再び目を開けると、足元にはまだ溶けきらない雪が斑に残っていた。

 冬の息遣いと春の気配が、同じ場所に押し込められている。


 寒さのせいか、音が届きにくい。

 枝が擦れる気配も、水のしたたりも、あるはずなのに混ざらない。


 残るのは自分の息と、衣のきしみだけだった。


 不意に、雪を踏みしめる音が響いた。

 それに遅れて、鎧の金属が擦れ合う乾いた音が重なる。


「……何だ」


 影が、木立の間を抜けてくる。

 足元の雪だけが先に沈み、音が近づいた。



——淡い雪の残る森で、少女と騎士が出会った——



「あ!」


 レナの声で、ルシアは我に返った。

 気がつけば、さっきより太陽が低い。


 枝の隙間の光が細くなっている。


「そろそろ帰らないと!」


「お姉さん!一緒に帰ろ~!」


 子どもたちは急いで帰り支度を始めた。

 その輪に混ざって、おままごとの道具も一緒に片づける。


 置き場がちゃんと決まっているらしい。

 枝の束を戻す順番まで決まっているのが、妙に微笑ましい。


「まだ日も暮れとらんのに、もう帰ると?」


「うん!

暗くなる前に村に帰らないと、魔物?っていうのが出るかもしれないって」


「最近はいないみたいだけど、帰らないとすっっっごく怒られるよ!」


 子どもたちはそそくさと出口へ向かい、外の明るさに吸い込まれていく。

 ルシアはその背中を見て、少しだけ声の張りを強めた。


「じゃあ急ごう!」


 子どもたちと走って、村の家並みが見えるところまで戻る。

 教会の前には、人がまばらに通りはじめていた。

 桶を運ぶ者、荷を抱える者。帰るでも集まるでもない、途中の足だ。


 その流れの外側で、ロルフが腕を組んで立っていた。

 人を止めるでも、急かすでもない。だが、人が動けば、声も視線も動く。

 だから目だけが、周囲を拾っていた。


 ルシアが近づくと、ロルフとふと目が合った。

 次の瞬間、ロルフの顔つきが変わる。

 怒っている……それも、静かに。


 ロルフは無言で距離を詰め、声だけを落とした。


「戻らないから、探しに出ようとした。

……次は、そうさせるな」


「す、すんません……」


 ルシアは小さく頭を下げた。その拍子に、まだ散りきれていない気配が、視界の端に引っかかった。

 森へ一緒に行った子どもたちだ。


 子どもたちの視線は、ルシアではない。

 鎧の男、ロルフへ向いている。


 怖い。けれど、目を逸らせない。

 叱られているのは大人のはずなのに、子どもたちの顔まで固くなる。そんな固まり方だった。


 張りつめた間を、足音が断ち切った。

 女の子がひとり、駆け寄ってくる。


 村に来たばかりのとき、母親と一緒に司祭へ知らせに走ってくれたクララだ。


「楽しい遊び教えてくれるのって、お姉さんのこと?」


 その言葉に、森へ入る前のことがふとよぎる。

 地面に輪を描いて跳ぶ、あの遊びだ。


「そうかも。一緒に遊ぶ?」


「遊びたい!」


 言い切ったあとで、クララははっと息を止めた。

 遊びの顔のまま、視線だけが横へ流れる。


 そこにいるのは、鎧の男。


「……騎士様」


 クララはロルフに気づくと、ぱたぱたと近づいた。

 そして、頭を下げ——十字を切る。


 母親の背中で覚えた所作を、そのままなぞるみたいに。


 ロルフがそれに応えるように、クララの前へしゃがもうとした、その時だった。


「え?それって意味がないんじゃないの?」


 少し後ろで見ていたレナが、ただ不思議そうに首を傾けて言った。

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